第一章

 これがドラマなら、もっとうまくことは運んだのかもしれない。

 花はお向かいの家の前で、今日何度目かわからないため息をついた。

 この家に住むのは、幼馴染の夕凪真ゆうなぎしんだ。二人とも、生まれると同時にこの家に引っ越してきて、幼稚園も小学校も一緒に育ってきた。

 仲のよい幼馴染だったはずだ。

 この関係に変化が現れたのは、中学に上がったころ。男子・女子と意識し出すころだ。真も例に漏れなかった。

 まわりの男子にからかわれるのがいやだったのか、話しかけようとするだけでにらまれる始末。家族ぐるみの付き合いがあっただけに、花はとまどうことしかできなかった。

 そんな真がカゼをひいたと聞いたのは、今朝のホームルームでのこと。担任の先生から告げられて、花はもやもやとしたものを感じた。

 家はお向かいなのだ。誰よりも近い場所にいながら、真がカゼをひいたことすら知らなかった。こうしてどんどん距離が離れていくのだろうか。

 担任の先生に呼び止められたのは、帰る準備をしていたときだった。

「このプリント、夕凪くんに届けてほしいの」

 断ることなどできなかった。家の場所を考えれば花が適任だし、なにより気弱な花は「気まずいからいやだ」などと言える少女ではない。

 結果、こうしてぐずぐずと真の家の前に立っているというわけだった。

 家の前に車はない。おばさんも出かけていて、家には真ひとりなのだろう。そのことがまた、花にチャイムを鳴らす勇気をなくさせている。

 このままポストにプリントを入れて、帰ってしまおうか。花がそう考えたときだった。

 悲鳴が聞こえた気がした。

 真の声だ。なにかあったのだろうか。迷っていたことも忘れ、花はドアノブに手をかけた。


     *


 カギは開いていた。どろぼうだろうか。

 今、この家には真ひとりしかいない。おまけに彼はカゼで弱っている。どろぼうにおそわれたら、ひとたまりもないだろう。

 一階には誰もいなかった。二階だろうか。花はそっと階段をのぼる。

 手前の部屋から覗いていくが、そこはしんと静まり返っていた。

 とうとう一番奥の部屋の前へとたどりついた。そこは真の部屋だ。

 花はごくりとつばを飲む。

 花は覚悟を決めて、ドアを開けた。

 部屋はもぬけの殻だった。窓際のベッドには、ついさっきまで誰かが寝ていたかのように布団がめくれている。少し散らかってはいるが、争ったようなあとは見られない。

 真はどこにいったのだろうか。

 ふと、壁にかけられた絵が目に入った。

 はじめはなにも描かれていないのかと思った。それほどまでに白い絵だったのだ。

 雪原の絵だった。どこまでも続く、白い雪の大地。空と地面の境目もあいまいだ。ぽつりぽつりと生える木々には、雪が積もっている。

 その絵の中でなにかが動いた気がして、花はごしごしと目をこすった。

 それは狼のような生き物だった。銀の毛並みは白い雪の中に溶けていきそうで、凛とした美しさがある。

 花はそっとその絵に近づいた。

 さっきまでこの狼はいただろうか。しっかり見ていなかったから、花は自信がない。

 花はその絵に触れてみる。

「え!?」

 すると花の手は、その絵の中に沈み込んでいった。

「なにこれ!」

 花の体は絵の中にどんどん吸い込まれていく。

 そうしてとうとう、完全に絵の中に入り込んでしまった。

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