第二章
寒さに花は目を開けた。
そこはもう真の部屋ではなかった。見渡す限りの銀世界。雪の大地がどこまでも広がっている。
遠くの方に、城壁のようなものが見えた。振り返ると森がある。
ここはいったいどこなんだろうか。さっきまでたしかに真の部屋にいたはずだ。
壁の絵に触れたと思ったら、気づいたらここにいた。まさか絵の中に吸い込まれたとでもいうのだろうか。花は信じられなかった。
「さっむい……」
花は寒さに身を震わせた。なにせ着ているのは制服だけなのだ。これが靴を履いていればまだ違ったのだろうが、しんしんとした寒さは足元からも伝わってくる。
雪は固まってしまっているから足が沈み混むことはないが、溶けた雪がじわりと靴下に染み込んでくる。
このままここにいれば、凍死してしまうだろう。
花は迷った。近くの森に向かうか、遠くの城壁に向かうか。
森のほうが近くはあるが、人がいるかはわからない。それは城壁のほうも同じではある。
少しでも人のいる確率が高そうな城壁へ向かおう。花がそう決めたときだった。森の中でなにかが動いた気がした。
花は森に目を凝らす。なにかが駆ける音、そして荒い息づかいが聞こえてくる。
じっとしていてはだめだ。これはなにか危険なものが近づいてきている。そう思うけれど、花の体は動かない。
木々の合い間から、それは姿を現した。
大きさは大型犬くらいだろうか。銀の毛並みに尖った耳、大きな口に鋭い牙を持つそれは、狼のような生き物だった。
全部で三匹。一直線に、花へと向かってくる。その目はギラギラと光り、大きな口からはよだれが滴り落ちていた。
逃げなければと思うけれど、根が張ったかのように足が動かない。狼は明らかに花を狙っている。
もう目前まで、狼が迫っていた。この震えは寒さによるものだけではない。
ぎらりとした牙に、ようやく足が言うことを聞いてくれた。だが冷たさが仇になった。足をもつれさせた花は、雪原にしりもちをついた。
――食べられる。
花が覚悟して、目をつぶった瞬間だった。
「単独行動は禁止って言われたでしょ!」
声にはっと目を開けた。
花の前には、いつの間にか三人の人物がいた。
ブロンドの髪の少女は盾を、黒髪の少年と赤髪の少年は剣を、それぞれ手にして狼の動きを止めている。
だがその武器は、花が今まで見たことのあるものとは全然違った。
透き通っているのだ。まるでガラスか氷でできているかのように、その武器は透明に見えた。
割れないんだろうかと花が思った瞬間、少女の持っている盾がぴしりといやな音を立てた。
「あっ」
声を上げたのは、花だけだった。
砕け散る盾を振り払うと、少女は左手をかざす。そして見たものを、花は信じられなかった。
少女の左手から新たな盾が現れたのだ。
盾が狼の頬面をなぎ払う。
「アル!」
「わかってるよ!」
少女の声に、アルと呼ばれた赤髪の少年が飛び出した。
剣だと思ったが、アルの持つ武器は槍のようなものだった。長く透明な柄の先に、同じく透き通った穂先が付いている。それは尖ってなく、六方体の鈍器のようなものだった。
重そうなのに、アルは難なく振り払い、狼をなぎ倒していく。
「サギリ!」
サギリと呼ばれた少女の盾が狼の牙を受け、その死角からアルが攻撃を繰り出す。
もう一人の少年に目を向けると、こちらは一人で狼と互角に渡り合っていた。こちらは剣らしい剣だ。ただしどこまでも透き通っている。彼らの武器は、氷でできているようだ。
そういえばと花は思い出した。狼は三匹いたはずだ。彼らが相手にしているのは二匹。もう一匹は――。
「危ない!」
サギリの声が響いた。その顔は花のほうを向いている。
ぞくりと花の背中が粟立った。殺気というものを、花が初めて感じた瞬間だ。
花は後ろを振り返った。目の前に狼が迫っていた。
声にならなかった。ただ夢中で手を突き出した。
するとどうだろう。花の手のひらから、巨大な氷の花が咲いた。
六弁の花は細かく氷が生え揃い、その大きさは花の身がすっぽり隠れるほどだ。
氷が刺さったのだろう。狼はキャンと吠えると身をひるがえした。そこを駆けつけた銀髪の少年が切り伏せる。
他の二匹も倒してしまったようだ。雪原に伏した狼の体の周りは赤く染まっていた。
三人が花の元へと近づいてくる。
「結晶士?」
問いかけたのは誰だったのか。花の意識はそこで途切れた。
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