九-四 赤い花
桐生は視線を老婆から、女の子の方へ移した。目線の先にある女の子は、桐生と目が合うと、ニッコリと笑った。老婆の死期が近いことを予め知っていたのだろうか。老婆が亡くなったことに、特に悲しむといった様子はなく、平然としていた。
「この人は、榊間莉那、なのか」
桐生は、目の前の彼女へ問いかけた。
「ええ、そうですよ」
桐生の問いに、彼女はさも当たり前だと言わんばかりに返答した。
「それじゃあ……」
桐生は少し言い淀んだ。この続きを聞いてしまっても良いのかと、戸惑った。
しかし、桐生は言わずにはいられなかった。ここで聞いてしまわないと、永遠にその答えを聞く機会を失ってしまうと、そう思えたからだ。
「あなたは、誰なんだ」
そう、この問いは、あまりにも、残酷な問いであった。彼女の存在を問うているのだ。存在意義そのものだと言い換えてもいい。彼女は、老婆を本物の榊間莉那の存在を認めてしまった。そうすることによって、彼女は、榊間莉那たり得なくなってしまうことになる。これは、今まで公言してきた、自分の名前を否定すること、つまりは、自分の存在を否定するに等しい行為だ。桐生は、今、それを指摘していた。
桐生の思いに反して、彼女は涼しい顔をしていた。まるで、そのことを問われるのは、想定の範囲内であると、そう言ったような、表情だった。
彼女は、人差し指を顎に当て、少し考えたような動作をすると、桐生に向かって、こう答えた。
「その答えは、すでに知っているのではないですか」
彼女は何者なのか。
桐生は既に答えを知っていた。
榊間は、桐生を蘇らせようとしていた。自分の知っている、自分の思い描く、桐生を創ろうとしていたのだ。
その桐生を創るには、役者が必要だ。桐生の人生の中で、今まで会ってきた人物を用意しなければならない。
そうすれば、目の前の彼女は、誰なのか、何のための存在なのかが、容易に考える想像することができる。
そう、彼女は――
「桐生を創るための、榊間莉那のクローンなんだろう」
桐生の問いに彼女は少しだけ首を振った。
「駄目です。その答えでは、まだ、足りません。まだ、考えるべきことが、必要なことが抜けています」
まだ足りない。そう、この話にはまだ続きがあるのだ。榊間は、桐生を蘇らせるだけでは、満足していない。蘇らせるだけだと、自分は年を取っているまま、あるいは死んでしまっているのかもしれない。榊間は、そんな状況に満足していなかったのだ。
榊間の満足する状況とは、どのような状況なのか。
それは、榊間自身が、桐生が殺されなかった世界を生きることだ。桐生と一緒に、共に同じ時間を過ごすことだ。
つまり、彼女は――
「本物の榊間莉那、なのか」
桐生の答えに、榊間は嬉しそうに微笑んだ。
「そうです。私も、榊間莉那です」
榊間は、桐生の問いに答えた。非常に単純だが、桐生にとっては十分すぎるほど分かりやすい回答だった。
そう、目の前にいる榊間は、桐生と同じように、過去の榊間と全く同じ体験、経験をして創り上げられた、榊間莉那のコピーなのだ。姿も、声も、考え方も、すべてオリジナルと全く同じはずである。
そして、オリジナルである榊間は今はもう亡くなっている。つまり、今はもう、目の前の彼女こそが本物の榊間莉那ということになる。
「これで、ようやく、続きを始めることができます」
オリジナルの桐生が殺されたその日、榊間の時間は止まっていたのだ。止まってしまった時計の針を再び動き出すために、榊間は、自分の時間を、人生を犠牲に捧げて、新しい榊間にすべてを託したのだ。
そして今、ようやく時間が動き出したのだ。新しい、桐生と榊間を揃えることで、ようやく二人の時間を取り戻すことができたのだ。
しかし、桐生はどこか、引っかかっていた。これでよいのだろうか、と。これでは、まるで、自分たちは、手のひらの上で踊らされているようではないのか、と。
「榊間は……これでいいのか」
桐生には、まるで、自分の人生が、自分のものではないのだと、そう思えた。
「何がですか」
「自分の人生が、すべて誰かに操られていたことに、違和感は感じないのか」
「感じませんよ」
榊間は即答した。
「粋人くん。私は、私たちの人生は、自分で考えて、自分で選択して、自分で行動して、決定づけられてきたんですよ。例え、オリジナルの自分と、同じ風景見て、同じ人物と会って、同じ経験をするように仕組まれていたのだとしても、その時に考えて、行動したのは自分自身ではないですか。私たちには、選ぶ自由が、選択肢があったんです。その結果、オリジナルの自分と姿も、思考も、全く同じになったのだとしても、よろしいのではないですか」
そうなのか。
そういうことだったのか。
桐生は榊間の言葉に素直に感銘を受けていた。
もうこれで、悩むことはない。
これから、榊間と二人で、何の憂いもなく一緒の人生を再び送ることが出来る。
……いや、まだだ。
まだ、桐生には、聞くべきことが残っている。
桐生には、自分が今まで感じてきた違和感がまだ残っている。
確かに、榊間の意見は頷けるものがある。正しいように思える。しかし……
「……本当にそう思っているのか」
「ええ、そうですよ」
「違うだろう」
「どこがですか」
「自分たちに、選択肢なんてなかったんだろう」
「……」
榊間は返答しなかった。桐生が続きを言うのを待っているようだった。桐生はそんな榊間に構わず、言葉を繋いだ。
「さっき、榊間は、自分たちには選ぶ自由があったと、そう言っていたが、違うんじゃないのか。オリジナルと同じ選択をしたクローンが選ばれたんじゃないのか」
「……」
「同じ環境を用意して、同じ行動をとってきたクローンを選んできたんじゃないのか」
「……どうして、そう思ったんでしょうか」
桐生は少し深めに息を吐き、呼吸を整えた。ここからが、本番なのだ。
「案内の時に、君によく似た女性がいただろう。あの時に彼女は、君のことを”お母様”だと言っていた。最初は身内同士の冗談なのかと、思ったけど、その後の彼女の必死な呼びかけを見るとそうじゃないじゃないかと思えるようになったんだ。さらに、彼女は、”お母様”に会いに行くのかと呼びかけていたはずだ。このお母様はベットの上の老婆……つまり、榊間莉那を意味している。つまり、彼女が言った”お母様”という言葉には、本物の榊間莉那を意味していたんだ。それでは、彼女はなぜ、そんな言葉を使ったのか。彼女は一体何者なのか」
相変わらず、榊間は黙っている。どうやら、桐生に正解を与える気はないようだ。桐生は続けて自分の考えを語った。
「彼女も榊間莉那のクローンだったんじゃないか。君と同じように、本物の榊間莉那を再現するために作られた、クローンのうちの一人だったんじゃないか」
「私以外に榊間莉那のクローンがいるのだと言いたいのですか」
彼女はついに、口を開いた。少し冷たさを感じるような、落ち着いた返事だった。
「そうだ。オリジナルの榊間は自分を正確に再現するために、クローンを幾つか用意したんだ。そのクローンに対して、君と同じように、オリジナルと同じ環境を用意して、榊間莉那になるか試されていたんだ。ところが、彼女達は途中でオリジナルと違う行動を取った。再現に失敗してしまったんだ。しかし、君は、君だけは再現に成功した。君だけは他の彼女達とは違い、オリジナルの望む行動を取ってきたんだ。そう、君は本物の榊間莉那になったんだ。だから、この館にいた君そっくりの彼女は、君のことを本物の榊間莉那という意味を込めて、お母様と呼んだんだろう」
桐生はその胸に溜まっていた考えを一息に目の前の彼女にぶつけた。息が切れ、喉の乾きを感じたが、自分の考えを言えたおかげか、すっきりとした気分だった。
「随分と、突飛な発想ですね」
「……間違っているか」
桐生は、自分の考えに確固たる自信はなかった。間違っていても構わない。むしろ、間違っていてほしいとまで思っていた。もし、これが、桐生の考えが事実なのだとしたら、桐生は、知りたくなかった、知るべきではなかった真実を認めなければいけなくなる。その事実を受け入れることは、桐生にとっては、とても、とても残酷なことだった。しかし、桐生はもう、自分の考えを彼女に問うてしまった。後戻りはもうできない。桐生には、もう進み続けることしか、事実を知ることしか選択肢がなくなっているのだ。
彼女は少し間を開けた後、桐生に語りかけた。
「そうですね。粋人くんの考えは概ね合っています。オリジナルの榊間は自分のクローンを五人ほど用意しました。玄関にいた彼女もその中の一人になります。私はその中で唯一、再現に成功した、本物の榊間になります」
彼女は言葉を一端区切った。まるで、ここから先の話をしてしまってよいのかと桐生に問いかけるようであった。桐生には、彼女が次に何を話すか、十分すぎるほど理解していた。続きを本当に聞くべきだろうか……桐生は、一瞬、迷いながらも、覚悟を決め、静かに頷いた。
「もちろん、オリジナルの榊間が用意したのは、自分のクローンだけではありません。当然、桐生粋人と同じクローンも同じ数だけ集めました。そう、今いる粋人くんも、唯一再現に成功した、本物の桐生粋人となるわけです」
そう、桐生自身も複数のクローンのうちから、オリジナルと同じ行動をした個体として選ばれたのだ。今いる桐生と同じように、同じ環境にいて、同じ体験をした人間がいたんだ。しかし、そうなると……
「再現に失敗したクローンは……どうなるんだ」
「一部の例外を除いて大体は処分されました。オリジナルの彼女にとって、失敗作は必要ありません。二人の思い出を冒涜するという意味では、嫌悪する対象でもあるかもしれませんね」
処分された。彼女はあっさりとそう答えた。今、ここにいる二人は、彼ら、彼女らの犠牲のもとに存在している。そういうことになる。しかし、それは、正しいことのなのだろうか。
「……残酷だと思いますか」
残酷……そう、残酷なことだ。他の誰かを犠牲に、ましてや、自分自身の分身を、愛する人の分身を犠牲にしてまで、しなければいけないことであったのか。そうではないとも言えるし、そうであるとも言える。
「許されないことだと思いますか」
それでも、それでも桐生は受け入れようと考えた。そこまでするほど、榊間は桐生のことを想っていたのだ。ここで、この事実を、犠牲を否定することは、榊間の想いを否定することになる。桐生には榊間を否定することはできなかった。
「私は……そうは思わない」
「そうですか。粋人くんはこの事実を受け入れるんですね」
「受け入れる以外に選択肢なんて……」
長い時間をかけて、何人もの犠牲を払って、ようやく辿り着いた場所なのだ。今更違う選択肢など、残っているはずがない。選べるはずがないのだ。
……本当に?
本当にそうなのか?
何かがおかしい。違和感がある。
これが、本当に事実なのか?
もしこれが、事実だとしたら、なぜ目の前の榊間は、この話をしなかったのだろうか。
してくれなかったのだろうか。
まだ、この話には続きがあるのか?
彼女は何を隠しているのだろう?
わからない?
わかるはずがない?
いや、わかるはずだ。
これまでの話も、すべて理解してきたのだから、わかるはずなのだ。
これまでの話?
頭がグラつく。
そうか、これまでの話には、すべて彼女がいた。
彼女がいたから、正解に辿り着いたのだ。
彼女が答えを導いていてくれたのだ。
いや、答えられるように誘導されていたのか。
それでは、これも、この話の続きも、彼女が誘導しているというのだろうか。
彼女。
彼女との思い出。
夜の神社。
彼岸花。
彼岸花?
そういえば、榊間に逢った後、花言葉を調べたのだったか。
再会、転生、悲しい思い出、想うのはあなた一人……
どれも、これも、あの舞台に十分過ぎるほど相応しい花言葉だ。
……出来すぎている。
そう、出来すぎている。
あの舞台に、あの神社に、この家に、彼岸花があるなんて、出来すぎている。
なぜ、彼岸花があるのか?
何のためにあるのか?
それは……気付いてもらうためだ。
違和感に気づいてもらうためだ。
桐生が正解に辿り着いてもらうためだ。
「どうかしましたか。粋人くん」
目の前の彼女が桐生に喋りかける。
「何か思いついたんですか」
そう、思いついた。ようやく答えに辿り着いたのだ。本当の、本物の答えにたどり着いたのだ。
「ああ、ようやくわかったよ」
桐生は本当の彼女に続きを告げた。
「君は本物の榊間じゃないんだな」
「何故、私が本物でないと思ったのでしょう? 本物とは、一体どういうことなのでしょう? ……続きを聞かせてください」
彼女は何故か嬉しそうな顔で桐生に言った。桐生は構わず、続きを話した。
「私たちは、オリジナルの榊間によって作り出されたクローンだと、それぞれのオリジナルを再現できた個体だと、そう思っていた。事実、君のその意見に同意してくれたし、内容を補完してくれた。でも、そう考えるとおかしい部分があるんだ」
「おかしい部分とは?」
「彼岸花だ」
「彼岸花……ですか」
そう、彼岸花だ。あの夜、あの神社に咲いていた赤い花。あの光景は忘れようもない。
「そうだ。君と出会ったあの夜、あの赤い彼岸花が咲いていたはずだ。でも、おかしいんだ。あの神社に彼岸花が咲いているなんてあってはいけないんだ」
「どうしてですか? あの時期なら、彼岸花が咲いていてもおかしくない時期だと思うのですが」
「確かに、ちょっと早めだが、彼岸花が咲いていてもおかしくない季節ではあった。でも、時期は関係ないんだ。関係があるのは、過去だ」
「過去……」
「君はオリジナルの榊間の過去を話してくれたはずだ。過去にオリジナルの榊間と桐生が神社で出会った時にも、同じように、赤い花が咲いていた。でもそれは、彼岸花じゃない。過去にはコスモスが咲いていたはずだ」
「そうですね。確かに、彼岸花ではありませんでした。しかし、オリジナルの榊間は花の違いぐらい、気にしなかったのではないですか」
「それはあり得ないだろう。何人ものクローンを作って、自分の望む行動を取らなかった者は排除していった人なのだろう。そんな人物が、わざわざ自分の過去と違う花を、ましてや彼岸花を選ぶなんてあり得ないだろう」
そう、あり得ないのだ。あの夜、神社で見かけた彼岸花は、酷く印象的だった。あの真っ赤な姿然り、花言葉然り、桐生と榊間を強く結びつける花だ。決して気にしないなどということは出来ないだろう。そんな花をわざわざ神社に植えるなんてするわけがない。
「しかし、事実、今は神社に彼岸花が植えてある。これは一体何を意味しているのか」
過去と違う花。
再現と異なる花。
行き着く結論は決まっている。
「そう、私たちはオリジナルの榊間に再現された存在ではない、ということになる」
神社で揺れ動く、赤い、幻想的な花。
前向きとも後ろ向きとも取れる花言葉。
彼岸花には、様々な思い出がある。
しかし、それは、過去の、オリジナルの時代にはなかったはずだ。
「では、私たちは一体何者なのか。それは……」
「それは?」
彼女は興味深そうに桐生に問いかける。彼女の双眸は桐生の目を捉えて離さなかった。目の前の桐生を、桐生という存在を見定めている、そういった眼光だった。
桐生は自分の考えに自信はなかった。何の確証も持っていなかった。しかし、もう、引き下がることはできない。彼女が……彼女が見ているのだ。桐生の回答を、答えを今か今かと待ち侘びている。そんな彼女の前で、話を止めることなど桐生にはできなかった。
「私たちは……いや、私は、もう一度、再現し直された存在じゃないのか」
そう、再現だ。あの印象的な花も、出会いも、出来事も、すべて再現するのにお誂え向きなのだ。オリジナルの榊間が実行することができたのだ。コピーの榊間にも再現ができないどおりはない。
「再現のやり直し……ですか。どうして再現をやり直す必要があるのでしょうか」
そう、動機。再現を行うには、それに伴った長い時間と人材、環境を用意するといった、途方も無いほどの労力が必要になる。そこまでする動機が必要なのだ。
「そうだな……オリジナルの榊間が、君と私の両方を完璧に再現できたとしようか。それは、一見成功したかのように見える。なんの問題もないように思える。しかし、再現された事実を知ってしまった本人たちにとってはどうだろうか。私はともかく、再現された榊間は酷く怒るはずだ」
桐生は、オリジナルの行った再現について、今まで、ずっと自分のことを、自分の気持ちだけを考えていた。目の前にいる彼女がそれについてどう思っているかなど、考えてもいなかったのだ。
彼女がどのような気持ちでいるのか、どのような感情を抱いているのか。
今、彼女の立場になって考えてみればみれば、その再現が如何に理不尽であったかがよく分かる。彼女は、あまりにも身勝手な理由で、自分の人生を変えてしまうようなトラウマを植え付けられたのだ。
その原因となった相手を、彼女は許すことが出来るだろうか。
きっと許さないはずだ。
「怒った彼女はどのような行動に出るのか。何をしようとするのか。考えられるのは、オリジナルの榊間への復讐だ。自分を酷い目に合わせた相手へ報復しようと考えるだろう。ところが、その復讐するべき本人は、ついさっき、私が体験したように、再現された桐生に逢った後、すぐに死んでしまった。彼女が真相を知ったときにはもう、復讐するべき人が、報復するべき人が、いなくなってしまったんだ」
桐生が今日、オリジナルと思える老婆に逢ったことは、再現の不成立から、本来であるならば、成り立たないはずである。しかし、今日のその出来事も、老婆の死を桐生が看取ったことも、彼女による演出、再現であるならば、おかしい所はどこにもなくなるはずである。
「しかし、彼女は復讐を諦めなかった。例え、本人に手を下せなくても、彼女には、復讐する手段があったからだ。オリジナルが最も、嫌がること。されたくないこと。それは……」
桐生は彼女を見る。
桐生はここまでの話が合っているのか、不安だった。もしかすると、すべて間違いなのかもしれない。でたらめなことを言っているのかもしれない。
そう思って覗き込んだ彼女の顔色からは、肯定も否定も読み取ることができなかった。ただ、彼女は、早く続きを言って下さいと、言わんばかりに、ずっと、桐生の目を見つめていた。
間違っていたとしても構わない。桐生は彼女の意志に答えるべく、続きを話した。
「それは、再現を台無しにすることだ。オリジナルの榊間が仕組んだ途方もない再現を完膚なきまでに、破壊することだ」
再現の崩壊。不成立。再現に自分のほとんどの時間、資本を捧げてきた者にとって、これほど、嫌がることはないだろう。
「しかし、オリジナルによる再現は完了してしまった。再現は既に過去になってしまった。過去の出来事は、現在、未来を使っても覆すことはできない。再現を台無しにすることなんてほとんど不可能に近いんだ。通常は」
そう、通常の方法では、過去を変えることなどできはしない。しかし、桐生はこの目で見てきた。体験してきた。目の前で、尋常ならざる方法で、過去が覆される姿を。
「だから、彼女は普通でない方法で、過去を変えたんだ。そう、彼女は、また一から再現し直したんだ。オリジナルと同じ方法で、もう一度、再現を繰り返したんだ」
再現をし直すこと。これが彼女の考えた、過去を改変する方法であり、復讐する手段だった。彼女は、オリジナルが行った再現を利用して、オリジナルによる再現をなかったことにしようと考えたのだ。これほど、皮肉の効いた復讐はないだろう。
「もちろん、全く同じように再現してしまっては、オリジナルの再現を壊すことにはならない。だからといって、オリジナルと全く異なるものを作っては意味がない。だから、元の再現に沿いつつも、オリジナルに存在しなかった、過去には存在しなかった要素を取り入れたんだ。それが、彼岸花だ」
彼岸花。
彼女は、この花を通して、桐生に幾つも、幾つもヒントを与えていたのだ。
神社の一面に咲くあの赤い花は、まるで、気づいて、気づいて、と桐生に問いかけるように、その存在を何度も主張していたのだ。
その可愛らしい声色は、間違えなく、目の前の彼女が発していたのだ。
「この花に纏わる、私達のエピソードを作ること。これがこの計画の一番の肝だ。この花によって、この花の思い出によって、オリジナルが望む再現とは似ても似つかない、不完全な再現が出来上がるわけだ。この不完全な再現こそが、彼女の復讐だ」
彼女は不完全な再現が完成したときには、さぞ、嬉しかったことだろう。オリジナルの行うはずだった再現が、見事なまでに、歪んだ再現に変貌してしまったのだから。
「合っているだろうか」
桐生は独り言にように、そう呟いた。桐生は得も知れない達成感に浸っていた。もしかすると、間違っているかもしれない。でたらめなことを言っているのかもしれない。しかし、それでも構わない。自分の話すべきことは、すべて出しきったのだから。そんな思いから、桐生は、誰に問いかけることもなく、ただぼんやりと、一言、言葉を発していた。
そんな桐生の言葉を、彼女はしっかりと受け取っていた。
「はい、概ね合っていますよ」
彼女はキラキラと目を輝かせて、桐生の言葉に答えた。
「ただ、答えがまだ、足りないように感じます。なぜ、主犯の人は粋人くんにヒントを与えたのでしょうか。不完全な再現を望むのであれば、粋人くんが気づかなくても、問題ないのではないでしょうか」
「それは……」
彼女の言うことは最もである。それだけであれば、桐生にヒントを与える必要などない。
しかし、彼女には、ヒントを与える必要があったのだ。桐生が真相に辿り着いてもらう必要があったのだ。
その理由は……
「試していたから……なのか。君に相応しい人間であるか、見定めていたからなのか」
「なぜ、そう思うのですか」
「君は、オリジナル通りの再現を受けていない。それでは、また過去と同じように、再現をしたものを憎むことになる。それは絶対に有り得ない。再現をするにしても、トラウマになるような、致命的なシーンは何らかの改変を受けていたはずだ。ここが、大事なところだ。君は、トラウマを負わないまま、私に逢ったんだ。元の榊間は、神社で受けたトラウマがあったからこそ、桐生が自分の中で特別な存在へと昇華していったはずだ。ところが、君にはそんなトラウマなど存在しない。つまり、君にとって、私の存在は、さほど重要ではなくなるんだ」
オリジナルの榊間は自分の信仰してきた宗教に、父親に裏切られたからこそ、桐生という存在に依存するようになったのだ。そんな裏切りがない彼女にとっては、桐生など特別でもなんでもないはずだ。
そうなると、あの夜、神社で彼女が言った言葉の一つ一つがおかしなことになる。しかし、それも、演技であるとするならば、説明はつく。つまり、彼女はその頃から既に、この再現を、計画を知っていたのだ。
そんな彼女にとって、桐生は計画を遂行するためのただの役者に過ぎなかったということになる。
「しかし、再現を計画したものにとってはそうではない。トラウマを負った彼女にとっても、オリジナルと同じように桐生という存在は特別な存在だったんだ。その彼女は、できれば、二人が結ばれて欲しいと、幸せな人生を送って欲しいとそう願っていたんじゃないかな」
これも推測でしかない。しかし、そう考えれば辻褄が合うはずである。
再現を計画した彼女は、オリジナルと同じように、過去をやり直して、幸せな未来を夢見ていたのだ。
「それは、君にとっては酷なことだ。自分にとって特別でも何でもない人と結ばれるのはあまり受け入れられるものではない。だから、君は私を試すことにしたんだ。自分に相応しい人間であるか、テストしたんだ。君は、いろいろなヒントを与えた。度々、疑問を呈することで、私が答えに辿り着けるか見ていたんだろう」
事実、君がヒントをくれなければ、私はこの答えに、再現の再現に辿り着くことはできなかっただろう。すべての答えは、彼女によって導かれていたのだ。
「これでどうかな」
桐生は答えを確認する。
彼女は満面の笑みを浮かべると、桐生の言葉に答えた。
「はい。百点満点の解答です」
彼女は控えめにパチパチと手を叩き、桐生の解答を讃えた。
桐生は、その小馬鹿にしたような仕草に苦笑いを浮かべながらも、素直にその賞賛を受け取った。
「ねえ、粋人くん」
彼女はくすぐるような声で桐生に囁いた。
「粋人くんは、私を愛してますか」
「それは……」
愛しているか。真相を聞く前は、間違えなく愛していると答えただろう。自分には君しかいないと答えただろう。
しかし、今はどうだろうか。
どう思っているのだろうか。
「わからない」
桐生には、まだ、気持ちの整理がついていなかった。運命的な出会いも、すべて作られたものだったと言われれば、誰だってそう思うかもしれない。
「そうですね。私も粋人くんを愛しているかどうか、わかりません」
散々人を試しておいて、さすがにこれは……と桐生は思った。しかし、不思議と怒る気にはならなかった。これが愛嬌というものなのかもしれない。
「でも、ここまで辿り着いてくれた粋人くんは、私の彼氏になる素質があるかもしれませんね」
彼女は悪戯っぽく微笑を浮かべた。もしかすると笑って誤魔化そうとしているのかもしれない。なぜか桐生は、そんな仕草に彼女らしさを感じていた。信仰の対象としての、神聖な彼女よりも、人間大の彼女にどこか自然さを感じ取っていた。
「今まで、再現のために、色々と振り回されてきました。何が自分の本当の気持ちなのか、本当の感情なのか、よくわかりません。だから、これから、確かめていきましょう」
彼女の声は良く澄んでいた。何の憂いもない、はっきりとした声だった。
「ここから、私たちの人生は始まるのです」
赤い花 カゴケイ @kykago
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます