PHANTOM HEAVEN 【Episode:22】

〔22〕


 噴水のある石畳の広場で、カケルは一人で黙々とサッカーボールでリフティングしていた。太ももで蹴り上げたり、かと思えば足の甲でボールをポンポンと跳ねさせ、その巧みさに感心しながら、彼の元に近付く。

 こちらの気配に、カケルがハッとしたように、こちらに顔を向ける。俺は警戒を解くように、少し離れたところに立ち止まって、軽く手を上げる。


「驚かせてすまない。俺は、兎羽野忍。俺の構築した教会と、リアルでは、電脳ヴォーカロイドのミントの管理者、合田のアパートメントで会っているのを覚えているか?」


 カケルは、森で狼に遭遇した兎のように、警戒を全身から滲ませて頷いてみせる。


「きみは、アナーキーセブンの中で、一番ダイヴ能力があるらしいな。しかも、ここには自力でダイヴしてきたと聞いた。恐らく、青い鳥……ファントム・ヘヴンへの行き方を知りたくてあちこちを調べていたんだよな?」


 カケルは、緊張の面持ちで頷いてみせ、俺は薄く笑みを浮かべた。


「実は、アナーキーセブンのメンバーと、帝都銀行の金庫破りをしたんだ」


 そう俺が片頬を上げると、カケルがこぼれんばかりに目を丸くして、それからそばかすのある顔に満面の笑みを浮かべた。


「嘘だろ、あいつら……本当にやったんだ!」

「ああ、そうせざるを得なくて、な。俺が、どうしてここにいるか、気付いているよな」


 カケルは、肩を落として足元のボールに目を落とす。


「チルチルとミチルが、リアルに戻りたい人は浜辺に集まれって……兎羽野さんは俺を連れ戻しに?」

「きみは、ケンにアミュレットを……スペース・カウボーイのキーホルダーを託しただろう?」


 カケルの強張った顔でこちらを見上げ、俺は息苦しさを誤魔化すように吐息する。一歩踏み出し、カケルが拒絶する反応をしなかったのに安堵しながら、彼の前に立つ。

 今にも消えてしまいそうな顔をするカケルの細い肩に、俺はそっと手を置いた。


「辛かったな」


 刹那、カケルの顔がくしゃりと歪み、利発そうな大きな瞳から、涙が流れる。嗚咽を漏らし、堰を切るように泣きじゃくるカケルの背中に腕を回す。

 まるで、産まれたての赤ん坊のようだ。今まで抑え込んでいた哀しみを出し切るように、泣き叫ぶカケルを抱き寄せながら、俺はただ彼の背中を撫でる。

 こんな風に子供を泣かせる大人は、全員くたばれ、クソッたれ。

 わあわあと切り裂くような泣き声を上げていたカケルだったが、涙は全て出つくしたようで、ようやく、小さくしゃくりあげながら呻くように言う。


「さ、最初は……父親と息子のコミュニケーションだって……」

「うん」

「お風呂で……あちこち撫でまわされて……ほ、本当は、嫌で……すごく、嫌で」

「うん」

「真夜中に……寝てたら、部屋にきて……あいつ……あいつは、ベッドに入ってきたんだ、それで……それから……」


 血が噴き出すような悲壮な泣き声が再び、辺りに響く。俺は彼をぎゅっと抱き寄せながら、少しばかり視界を滲ませつつ呟く。

 もう大丈夫だ。いや、全然大丈夫じゃないよな。ごめん。今のなし。きみの大事なものをボロボロに傷つけまくったクソ野郎は俺がきっちりきっかり、カタをつけるよ。そんで、きみに絶対、手を出せないようにする。なんなら、両腕をへし折って物理的に手を出せないようにする。ついでに奴のチンコももぎ取って、奴のケツの穴に突っ込んでもいい。それはちょっとアレか。あ、アレじゃない? オーケイ、だったらそうするよ。ともかく、リアルできみや、きみの大切なものを傷つけたりさせないから。だから、もう泣かないでくれ坊や。俺は、子供に泣かれると俺の中の子供まで泣きたくなって、ポンコツになっちまうんだ。

 ブレスもなく呟く俺の言葉のどれか一つくらいは、カケルの切り刻まれて血が止まらないハートのレメディくらいになればいい。

 ふと父親の顔がぼんやりと浮かぶ。もうはっきりとは思い出せない俺の親父。

 子供を愛さない親はいない、きっと。だけど、そのやり方が間違っていたんだ。


「それでも俺達は、リアルで生き延びないとな」


 ぽつりと呟いた言葉に、俺の背中に回っていた腕に微かに力が込められた。


「あ、ケンからの伝言を忘れてた。カケルがいないとチームがぼろ負けだから、どうか戻ってきて欲しいってさ」


 鼻を啜りながらカケルが俺の胸元でくふふと笑い、俺も小さく笑った。


 カケルと砂浜に向かい、俺達は思わず「おお……!」と小さく感嘆の声を上げる。海に浮かんでいたのは、クリスタルで出来た大きな帆船だった。

 チルチルとミチルは、浜に打ち上げられた流木に腰を下ろして、輝きを放つ帆船を眺めていた。

 真莉奈がこちらに気付いて、微笑みながら軽く手を振る。


「海賊船みたいだ……!」


 そうカケルが目を輝かせ、デッキにはすでに大勢の子供達が乗り込んでいた。俺はそっと、カケルの背中に手をやる。


「あの船の到着先の空間には、医師や俺の信頼できる仲間がいる。そこから、リアルに戻る事になる」

「兎羽野さんは一緒じゃないの?」


 少し不安げに顔を曇らせるカケルに、俺は安心させるように、笑みを浮かべる。


「俺は後から戻るよ。リアルで会おう、カケル」

「絶対にだよ」

「ああ、約束だ」


 カケルがこっくりと頷いて、タラップへと向かい、その姿を見送る。隣に立った真莉奈が、俺の腕に触れた。


「だいたい八割の子供が乗っているわ」

「そうか……」


 互いの手が重なり、指が絡む。帆船がゆっくりと大海原へと動き出し、カケルがこちらに手を振り、俺達も手を振り返す。

 帆船が見えなくなるまで凪いだ海を見つめ、ほうっと真莉奈が吐息する。チルチルとミチルの方を振り向いたのと、真莉奈が悲鳴を上げたのは同時だった。


「二人とも、伏せろ!」


 道具箱からグロックを掴み出し、チルチルとミチルの背後に現れたそいつに引き金を引く。

 瞬時、唖然としていたチルチルとミチルの叫び声が響いた。



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