PHANTOM HEAVEN 【Episode:21】

〔21〕


 真莉奈に案内されたのは、緑に囲まれたモダンなレンガ造りの立派な建物だった。

 柔らかな芝生の広場には、子供達がキャッチボールに興じたり、寝転がって本を読んだりと伸び伸びと過ごしている。


「ヨーロッパあたりのパブリックスクールみたいだな」

「ええ。だけど規則などは一切ないわ。ここは、住居スペースとなっていて、希望があればここで暮らしてもらっているの。どこで過ごすかは子供達の判断に任せているけれど、集団生活の方が安心する子もいるから……」

「反対に、ノアとルナのように、自分たちで庭などを構築コーディングして暮らしている子供もいるということか」

「ええ。中にはリアルで人間不信になってしまって、一人きりになりたがる子もいるから……」


 そう真莉奈の顔が曇り、つられて俺も重く溜息が漏れる。真莉奈の事だ。そんな子供達の心のケアもしていたに違いない。

 しかし、心の傷はそう簡単に癒えるものではないのだ。


「きっと……ここにいる子供達を全員、リアルに戻す事はできないだろうな……」


 ルナと一緒にいたノアも、発見が遅れた為にボディに影響が出ており、スピリットが戻ったとしても遷延性意識障害……要は、植物状態になってしまう可能性が高いと聞いた。

 中には生命維持装置を外してしまい、埋葬してしまったケースもあるかもしれない。


「ええ。このまま、ここに居た方が幸せな子もいるわ」


 広場の楽しそうにはしゃぐ子供達の声に、胸に鉛でも流し込まれたような気分になる。あの子達は、リアルでもあんな風に過ごせた事があったのだろうか……?


「チルチルとミチルは、中庭にいるわ」


 石畳の通路を抜けると、空間の雰囲気が少し変わった。そこは、白を基調としたモダンで、近代的な……どこかシノワズリを感じさせる庭だった。

 白い飛び石を歩いていくと、龍の彫り物が施された衝立と緋色の野点傘が見え始める。ガラスの長椅子に、二人の子供が腰を下ろしていた。チルチルとミチルらしい。

 年齢は、ケン達と同じくらい……八歳から九歳といったところで、プラチナブロンドの髪が印象的だった。透き通るような白い肌も相まって、妙に神秘的に見える。アルビノ……そんな言葉が浮かんだ。

 彼らはこちらに気付いて笑みを浮かべてみせた。


「真莉奈、おかえりなさい」


 そう真莉奈に手を振り、それから俺に視線をやって淡く微笑む。


「こんにちは。兎羽野さん」


 ぎょっとすると、隣の真莉奈も少し驚いたように息を呑む気配がする。咄嗟に、警戒した俺に、二人は可笑しそうに破顔した。


「大丈夫だよ、僕らは何もしないよ」

「だから、擬態を解いてもいいよ」


 チルチルとミチルの言葉に甘えて、擬態を解く。シャドウと擬態のダブル技は、流石にスピリットに負担が掛かってキツい。思わずほっと吐息する俺に、彼らは少し離れて置かれたガラスの長椅子を指差す。

 俺と真莉奈は隣り合って腰を下ろし、彼らを真っ直ぐ見つめる。


「俺が来ることを分かっていたんだな」

「僕らにとって、MEL空間は自分の身体の一部みたいなものだから」


さすが、新しいタイプのヒューマノイドだな。こっちの動きは筒抜けということか。


「あなた達の事をずっと見ていたの……ここには、来てほしくなかったから、あなたに懸賞金を掛けたちゃったの。ごめんなさい」

「でも……ちょっと状況が変わってきちゃって……真莉奈が、あなたなら信用できるって言うから……」


 少し拗ねたようにチルチルが呟き、真莉奈が「リアルに戻りたがっている子が出てきたの」と俺に囁く。


 きっと真莉奈は、ここの子供達の声に丁寧に耳を傾け、傷付いた心を慰撫し続けたのだろう。だからこそ、里心がついた子供が出てきたに違いない。

 俺はふと、思い出して彼らを見やる。


「もしかして、葉月芽衣を襲撃したのは、きみらか?」


 葉月芽衣という言葉に、二人の子供達は一瞬、ピンと来なかったようだが、思い出したように「ああ! あのララベルの人かあ」と頷き合う。


 チルチルが、口をへの字にして軽く肩を竦めてみせる。


「あの人、子供に擬態してネバーランドに来たんだ。ね、ミチル」

「そうなの。わたし達、まだあの頃は知らない事の方が沢山あって、それを見抜けなくて」

「あの人、お友達のふりをして僕らから、二人で作ったIDを集めるキットを盗んでいったんだよ。酷いよね」


 それで殺しちまったのかよ……思わず低く呻くような声が漏れる。やはり、この二人の子供は、無垢そのもので成長途中であり、もしかすると重大な欠陥を抱えている可能性もある。


「でもね、簡単に人を殺しちゃいけないって、僕ら教えてもらったよ。ね?」


 そうチルチルが得意げな瞳を真莉奈に向け、彼女は困ったように眉を下げて相槌を打つ。


「そうね。人を傷つけてはいけないわ」

「真莉奈と約束したから、わたし達、それからは人を殺してないの」


 そうミチルが白い歯を見せる。これは……真莉奈の言う事を素直に聞く子達で良かったと思うべきなのだろうか……?

 俺は居ずまいを正して、彼らを真っ直ぐに見つめる。


「君らは、俺が何故ここに来たか……分かってるよな?」


 チルチルとミチルは、互いの顔を見合わせ、それからゆっくりと頷いてみせる。


「兎羽野さんは、ここに居る子達がリアルでどんな目に遭ったか、知ってるよね?」

「ああ、知っている。理不尽な暴力に晒されたり、反対に無関心だったり、身体だけでなく心も深く傷つけられた……皆、被害者だ」

「そうよ、なのにリアルで皆、助けて貰えなかった」


 ミチルのブルーグレイの瞳に、強い光が滲み、それに反応するように一陣の風が通り抜ける。庭園の椿や、山茶花の木がざわりと揺れた。


「そうだな。だからこそ、リアルで彼らを守り、救う必要がある。そして、リアルには、他にもここに居る子達を必要とし愛する者がいて、彼らが戻って来るのを待っているんだ」

「忍なら、きちんと子供達をリアルで守ってくれるわ。彼は、嘘はつかない人よ」


 チルチルとミチルが互いの瞳を見つめあう。それは、目配せというよりは、テレパシーで互いの意思を確認しているようにも見えた。

 二人は暫し互いを見つめていたが、ゆっくりと瞬きをして、こちらに顔を向ける。チルチルが、足をぶらつかせながら言う。


「すでにボディに影響が出ている子、本人の意思が固い子は帰せないからね」

「……ああ、分かった」

「あんなにリアルで酷い目にあったのに、どうして帰りたがるか不思議だなあ。でも、兎羽野さんや真莉奈の言うように、リアルで他に待っている人がいるんだね……」

「そうだな。中には酷い事をされても、それでも家に帰りたくなっている子だっているだろうな……」


 神妙に頷くと、ミチルが「リアルに帰る意思のある子は、砂浜に集まるように伝えてあるよ」と、少し寂し気に呟く。

 俺は彼らの前に膝をつき、チルチルとミチルの手を握った。


「ありがとう」


 二人はブルーグレイの瞳を瞬かせて、それから困ったように眉を下げる。


「真莉奈は、ここに居てもいいよね……?」


 俺はハッと彼女を肩越しに見やる。真莉奈が微かに頷き、俺はチルチルとミチルに顔を戻す。


「ああ、彼女はここに残る」


 刹那、二人は顔を輝かせて真莉奈の座っている長椅子へと向かい、彼女を挟むように腰を下ろす。ほっとしたようにミチルが彼女の腕に自分の腕を絡めた。


「良かったあ……真莉奈と離れないで済むんだね」

「大丈夫。大丈夫よ……」


 俺は彼らと向かい合うように腰を下ろし、ずっと疑問に思っていたことを切り出す。


「真莉奈のボディとスピリットを切断したのは……君らなのか?」


 二人が息を呑み、チルチルが強張った顔で首を横に振る。


「違うよ、僕らじゃない……WC2の管理する空間から抜けだして、真莉奈のゴーグルにアクセスしたけど……」

「何かあったのか?」

「わたし達もあんまり覚えていないの……真莉奈に会いに行って、色々とお話ししていたの。だけど、急に空間を追い出されちゃって……」

「弾き出されたと言う事か?」


 チルチルとミチルがこっくりと頷いてみせる。チルチルが記憶を辿るように呟く。


「……誰か……ううん、あれはスピリットじゃないと思う。もっと不気味な何かに邪魔をされたんだよ。同時に、真莉奈のスピリットは消えちゃったの」

「それで、怖くなって、わたし達は逃げたの」


 不気味な何か……思わず眉間に皺を寄る。なんだか嫌な予感がする。


「浜辺に待つ子供達をリアルに戻したい」

「そうね。行きましょう」


 俺の考えていることを察したのか、真莉奈が立ち上がる。


「その中に、桐谷翔という子はいるか?」


 真莉奈と手と繋ぎながら、チルチルとミチルは同時に小首を傾げるようにする。


「……浜辺じゃなくて、噴水広場にいるみたい」

「あの子、ここには自力でダイヴしてきた凄い子なんだけど……リアルで何があったかは、わたし達や真莉奈にも話してくれないの」

「そうか……」


 三人には先に浜辺へ行ってもらい、俺はカケルがいつも居るという広場へと向かった。

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