PHANTOM HEAVEN 【Episode:20】
〔20〕
ネバーランドはずっと昼間に設定されているのか、澄んだ青空が広がっていた。俺は静かに木製の扉を開けて聖堂の中へと入る。
薄暗い聖堂内の十字架の前に、真莉奈が俺を迎えるように立っていた。前回はシスターのような恰好だったが、今は青く輝くベールと、袖の長いドレスを身に纏っている。まるで聖母マリアのような姿だ。
「ツバサ君。約束通りに来てくれたのね」
「うん」
俺は真莉奈の前に立ち、彼女を見上げる。彼女のサファイア色のルージュが引かれた唇の端が上がり、ゆっくりと両腕を広げる。
肩から羽織られているマントの内側には青い鳥の模様が施されており、微かに輝きを放っている。
「さあ、こちらにいらっしゃい」
そう真莉奈がこちらに手を差し出し、俺は彼女の指先を握りしめる。彼女に連れられて聖堂の奥へと進む。薄暗い通路を進むと、目の前にはアールデコ調の神殿のような空間が広がっていた。
白い大理石の階段の下には川のように水が流れており、水面が反射して、その眩しさに目を眇める。
手を引かれるまま階段を下り、真莉奈は水の中へと入っていく。思わず足を止めた俺に、彼女がこちらに微笑む。
「怖がらなくてもいいのよ。行きましょう」
「ここが入り口なの?」
「ええ、そうよ。痛い事や、苦しい事はないわ」
この川の中に浸からないと、ファントム・ヘヴンには行けないという事か……俺は、彼女に頷き返して、一緒に水の中へと入っていく。
胸の辺りまで水に浸かり、真莉奈は俺の首の後ろを支えるようにする。
「さあ……身体を横たえて」
俺は彼女に導かれるままに、水の中に身体を倒す。これはまるで、洗礼だ。背部や後頭部に水の冷たさを感じ、顔まで覆われていく。
こちらを無表情で見下ろす真莉奈の顔が、水面越しに揺らでいる。そのまま、身体が重りでも付けたように水の中へと沈んでいく。
真莉奈の言うように苦しさは一切なく、水泡が身体を包んでいき、途端に俺の身体も水に溶けていくように細かい粒子へと変化していく。
こうして子供達は、スピリットを切断されたのか……自分の指先が細かい水の泡となっていくのを見つめながら、俺は目を閉じた。
遠くでごうごうという音がし、俺はゆっくりと目蓋を上げた。
ぼやけた視界には青い空が見え、上半身を起こす。視線の先には、白波を立たせる海があった。音の正体は波音だったようだ。
俺は砂浜に打ち上げられた、ガラスで出来た小舟に横たわっていたらしい。
「ここがファントム・ヘヴンなのか……」
人気のない砂浜を見渡していると、頭上からピイイィという鳥の鳴き声がする。目を眇めながら空を見上げれば、一羽の白い鷹が旋回するように舞っている。
純白の羽が美しく太陽の光の中で煌めき、身構える俺から少し離れたところで鷹は舞い降りた。
すぐさま白い鷹の輪郭がぼやけて人の形になる。そこに佇んでいたのは、白い羽飾りがついたドレスを身に纏った真莉奈だった。
咄嗟に彼女の名前を呼びそうになり、慌ててそれを飲み込む。そんな俺に、真莉奈は、小さく微笑んだ。
「そろそろ来る頃だと思っていたわ」
ハッと息を呑むと、彼女は「あなたの事だから、シャドウを使っているのかしら?」と首を傾げてみせる。
「きみは……」
「あの公園で、また会えると言ったでしょう?」
「良かった……無事だったんだな」
真莉奈が造ったヒューマノイドの分身だ。俺は安堵の吐息を漏らす。
「自分では、擬態は下手ではないと思っていたが……いつから分かっていたんだ?」
「たった今よ。あなたの子供の頃の面影があったから、忍だと思っただけ。あなたの擬態は完璧よ」
なんせ私が技術を伝授したんだから、そう真莉奈が悪戯っぽく片目を瞑ってみせ、俺は小さく笑う。
「そうだな。きみは最高の師匠だからな」
「チルチルとミチルは、まだ知らないわ。子供のままでいて」
擬態を解こうとしていた俺は軽く頷いて、横たわっていたボートから降りる。真莉奈は、ガラスのボートの縁に腰を下ろす。
「チルチルとミチルの
「連れてこられた、というよりは同意してきたのよ。あの子達には、いえ……ここには『ナニー』が必要だから」
「ネバーランドから来た子供たちは、無事にいるんだな?」
俺は彼女の隣に立ち、白波を見つめる。
「ええ。皆、無事よ」
「……そうか」
ふいに、見覚えのある青い蝶が、ひらひらとこちらに向かって飛んでくる。それは、ルナとノアを追跡するように俺が造ったbotだった。真莉奈が手を伸ばすと、青い蝶は彼女の細長い指先に止まった。
「ノアとルナもいるんだな」
「ええ。ここで構築した二人の庭にいるわ」
青い蝶はゆったりと翅を広げ、俺達から離れて再び飛んでいく。
「彼女達は、ここで幸せに過ごしているか?」
「ええ。とても」
真莉奈が淡く笑み、俺はゆっくりと自分の頬を撫でる。
「そうか……」
ふいに真莉奈が肩を揺らし、目顔で問いかければ彼女は、俺の仕草を真似てみせる。
「変わってないわね。困った時や迷っている時にする、あなたのその癖」
少し狼狽する俺に、真莉奈は白波の立つ海に視線をやった。
「ここはね、チルチルとミチルが構築した
……
「ヘイヴン……要は避難所ということだったんだな」
「ええ。あなたの事だから、ネバーランドからやってくる子供達の事情は調査済みでしょう?」
「ああ。そもそもネバーランドに招待されている子供の多くは、家庭に問題を抱えていた。しかし、その中でも深刻なケース……虐待されている子供がここに転送されている……そうだろう?」
真莉奈の美しい髪が潮風に靡き、カケルがケンに託したキーホルダーに記録させた映像がちらつき、眉根が寄った。
「ここにいる子供達の悲鳴や救いを求める声は、リアルでの周りの大人達には届かなかった。このままでは、心も身体も壊され……いえ、最悪の場合は殺されてしまう。だけど、逃げ場所がない。ここは、そんな子達の為の場所なの」
虐待を受ける子供のSOSが届かずに、最悪のケースに至る事は悔しいが多々ある。家族からの暴力でその命が奪われる事件も後を絶たない。
「リアルで必ず、ここにいる子達を救う。絶対にだ」
互いの視線が合い、俺は真っ直ぐ彼女を見つめ返す。真莉奈は、淡く唇に笑みを刷き、ゆっくりと頷いてみせた。
「チルチルとミチル、そして子供達の元へ案内するわ」
そう彼女がこちらに手を差し出し、俺は頭を掻きつつ思わず呟く。
「子供の姿だと、ちょっと調子が狂うな」
「あら、とても可愛いわよ」
「よせよ」
照れてぶっきらぼうに返すと彼女が楽しそうに笑い、俺は彼女の華奢な手を握り返す。
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