PHANTOM HEAVEN 【Episode:19】

〔19〕


 修道服を着た真莉奈を見つめ、俺は速まる鼓動を落ち着かせるように、そっと吐息する。

 落ち着け。目の前にいるのは、真莉奈じゃない。きっと、チルチルとミチルが造ったbotに違いない。


「この教会に来るのは初めてよね?」

「……うん」


 真莉奈は、まさに聖母のような微笑みを浮かべてみせる。真莉奈にそっくりのbotと分かっちゃいるが、どうしてもこちらもつられて笑みを浮かべてしまう。


「さっき、聖書の一節を唱えていたわね。リアルでも教会に行くのかしら?」

「ママが居なくなる前に一度だけ……」


 咄嗟についた嘘だが、真莉奈は少し哀しげに目を細め、俺の頬に触れた。おそらく、リアルの情報をタッチしたのだろう。


「あなたのママは、どうして居なくなってしまったの?」


 俺はツバサの架空の境遇を真莉奈に話して聞かせた。父親と聞かされている男は、毎日ケミカルジュースで正気を失い、最近は妙な目で自分を見るというくだりでは、涙も浮かべてみせた。

 まったく……我ながらハリウッド並みの名優だな、と腹の中で苦笑いする。

 真莉奈は、気の毒そうに俺を見つめ、小さく頭を振った。


「あの男と一緒にいたら……僕はきっと、あいつに……」


 力なく呟いて俯くと、彼女の手がそっと俺の髪を撫でる。


「あなたを暗闇から救ってあげる」

「……どうやって?」

「あなたを安全な場所に連れて行ってあげるわ。あなたのことを誰も傷つけない、素晴らしいところよ」

「それは天国みたいなところ?」

「ええ、そうよ。苦しみも悲しみもない素晴らしいところよ。それに、お友達も沢山いるわ」


 やはり、ファントム・ヘヴンの事を言っているらしい。

 しかし、マズいぞ……今、ここでスピリットを切断されるのか? 少し動揺しながらも頷きつつ訊く。


「今から?」

「ええ。あなたが望むなら」

「行きたい……けど、明日の夜じゃ駄目かな?」


 俺は、精一杯に無垢な子供の瞳を彼女に向けながら「公園で仲良くなった子がいて、最後に会っておきたいんだ」と呟く。

 真莉奈が、ゆっくりと瞬きをしてこちらをじっと見つめ、内心、怪しまれたかとヒヤリとする。しかし、彼女は柔らかく微笑んでみせた。


「じゃあ、明日の夜、八時半にこの教会で待っているわ」

「……分かった」

「そのかわり、ここでのことは誰にも話してはいけませんよ」


 真莉奈は、そうじっと俺を見つめる。一見、優しい光を湛えているような瞳は、どこか無機質で、目の前の彼女は、やはり真莉奈ではないのだと実感する。

 俺はゆっくりと頷き、席を立った。



 翌日、夜八時。

 いつもこの時間には、常連客で賑わうダイナー666だが、今夜は臨時休業となっている。その代わりに、電犯の捜査官やMEL専門の医師たちなどがひしめいていた。

 ざわつく店内を眺めながら、俺とリードは窓際のシートに向かい合って座っていた。


「念のために聞きますが、兎羽野さんのスピリットはボディと切断されることなく、超深海帯ヘイダルゾーンにダイヴできるんですよね?」

「ああ、シャドウという技で、簡単に言えば分身をここからダイヴさせる方法だ。ネバーランドでスピリットを切断されても、それは分身だから、ボディに支障はない」

「兎羽野さんのスピリットは、このダイナーに残っているからですね」

「その通りだ。だが、話しかけられたりしても反応は出来ないがな」


 シャドウはスピリットに負荷が掛かりやすい技で、おまけに擬態もしなくてはならない。そんな状態で、超深海帯ヘイダルゾーンにダイヴするのだ。当然、かなりの負担となるが、その為に増やした闇チップだ。


「まあ、大丈夫だろ……」


 頬杖をつきつつ、ぼんやりと呟くと、リードが気遣わしげにこちらを覗きこむ。


「何か心配な事でも?」

「心配というより、少しばかり気になってな。あまりにも簡単に、ファントム・ヘヴンに行けるのが……ちょっとな」


 思わず低く呻くような声が漏れ、リードもつられたように「うーん」と眉根を寄せつつ、胸の前で腕を組んだ。


「チルチルとミチルが、兎羽野さんの正体を見破っていた?」

「擬態は完璧だったと思うがな……まあ、俺の杞憂だと良いが」

「この作戦、中止しますか?」


 リードが不安そうな面持ちで言うので、俺は小さく笑って首を横に振る。


「まさか。罠だったとしても、ファントム・ヘヴンにダイヴするチャンスだ。これを逃したら、子供達を救出できない」

「そう……ですよね。ダイヴに関しては、僕は何も出来なくて歯痒いです」

「いや、あんたの力を存分に使ったからこそ、こんなに俺や電犯が早く動けたんだ。これでも、感謝してるんだぜ?」


 リードは驚いた様子で目をぱちくりとさせて、こちらを見つめる。


「なんか嫌だなあ……謙虚な兎羽野さんなんて、らしくないですよ」

「なんだそりゃ、俺がいつも尊大な態度みたいじゃねえか」

「いや、いつも態度が大きいですよ」

「そりゃ、悪かったな」


 小さく笑うと、リードもつられて肩を揺らす。俺は、さてと腕時計に目を落とす。約束の時間が迫っていた。


「そろそろ、行ってくるか」

「兎羽野さん、どうか無事に戻って来てください」

「ああ。そっちも転送された子供達のケアと、リアルへのエスコートを頼んだぞ」

「勿論です。僕が責任をもって子供達のスピリットを保護します」


 俺は、シャドウをダイヴさせるべく、呼吸を整える。ふと、こちらを見守るリードに、ニヤリとしてみせる。


「シャドウ中に、俺にイタズラするなよ?」

「な、なにを言っているんですか! しませんよ、そんな事!」


 狼狽するリードに軽く片目を瞑り、俺は軽く手を上げる。


「じゃあな」


 ハッとしたようにリードが何かを言い掛けたが、俺は意識を集中してネバーランドの教会へとダイヴする。

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