PHANTOM HEAVEN 【Episode:18】

〔18〕


 翌日。俺達は、諸々の手はずを整え、ウィリーを自宅に呼んでいた。


「へえ! これが、俺っちの息子ちゃんなのお?」


 やたらと嬉しそうにウィリーが、タブレット端末に映し出された画像に顔を寄せる。そこには、電犯で造り上げた存在しない男児が映されている。


「ええ、名前はツバサ。年齢は八歳ですが、出生届が出されておらず、学校には通っていません。ウィリーさんが昔に付き合った女性が、突如現れてあなたに預けた……いや、言葉は悪いですが、育児放棄の末に押し付けてしまった、という設定です」

「ええー? なにそれ、凄く酷い話じゃんか……俺っちの息子ちゃん、可哀想……」


 ウィリーが眉を八の字にしてみせ、俺は宥めるように言う。


「あのな、これは単なる設定だ。それに、このツバサはこの世にはいないんだ」

「分かってるけどさあ……」


 そうしょんぼりと肩を落としてみせ、俺とリードは「こいつに協力させて、平気かな?」とアイコンタクトを取ってしまった。


「突如出来た『父親』であるお前は、毎日毎日、ケミカルジュースばっかり、やってるってわけだ。そこは、お前の日常そのものだろ?」


 ウィリーが「てへっ」と照れたようにピアスの刺さった舌を出して見せ、リードが苦笑しながら言う。


「捜査協力とはいえ、ここはちょっと申し訳ないのですが、真実味を持たせるため、あなたのMEL履歴にいくつかの、ポルノ空間サイトを追加させてもらっています」

「そうなの? いいけど、どんな?」


 ウィリーが興味津々と身を乗り出し、俺はタブレット端末を見せる。そこには『みるくっ子同盟』だの『CANDY BOY CLUB』だのといかがわしい匂いのする文字が並んでいる。


「全て男児を性的対象にしたクソのような空間サイトだが、ツバサに対してそういう目で見ている、という設定だからな……」


 ウィリーは画面を覗きこんで、少し驚いたように目を丸くしたが、あっけらかんと頷いてみせる。


「うん。まあ、いいよ! 俺っちの趣味じゃないけどさ。捜査協力でしょ?」

「ご協力、感謝します。全てこの作戦が終了したら、削除しますので」

「悪いな。お前がもっとえげつないポルノ空間サイトに出入りしているのは知ってるが、ショタコンってのは、まあ……こっちも気が引けるけれどな」


 ウィリーは全く気にしちゃいない様子で、俺達を交互に見つめる。


「えー、いいよ、別に。兎羽野とリードの役に立つならさあ……あ、でもさMELにはダイヴしてもいいんだよね? 俺っち、今さあ、電脳アイドルの『ケイクピーチ』ちゃんをプロデュースしてるの」

「ええ、勿論それは構いませんよ。ウィリーさん自身がツバサさんのネグレクトをしている設定なので、寧ろ、いつも通りの生活をしてください」

「了解、じゃあ、そろそろピーチちゃんのライブの時間だから、帰るね!」


 そうウィリーがいそいそと自分の部屋へと帰っていき、俺達は苦笑いで互いの顔を見合わせる。


「なんというか、あいつが能天気な奴で助かったな」

「もっと、嫌がられてしまうかと思いましたけれどね……」

「あいつらしいといえば、あいつらしいか。まあ、これで舞台は整ったってわけだ」


 そうツバサ用のゴーグルを手に取る。ここからは、俺の仕事というわけだ。ふいにリードが、不安げな瞳をこちらに向ける。


「兎羽野さん、どうかご無理だけはしないでください。ミス・ショット……氷川先生にも、あなたが無茶をしないように気を付けるように、と釘を刺されているんです」

「安心しろ。ネバーランドは中間層にある空間だし、そこで乱闘は発生しないだろう」


 リードが軽く頷き、さてと立ち上がる。


「では、僕はカケル君をはじめ、子供達の家庭環境などを調べてきます。後ほど、報告をお願いしますね」


 「了解」と軽く手を振りつつ、ソファーに身体を横たえる。ケルベロスが尻尾を振りながら、こちらにやってきて、伏せの姿勢をとる。俺は「留守の間、頼むぞ」とそのメタルの頭を撫でてやる。

 途端に、ケルベロスの瞳が警戒モードに赤く光り「おんっ」と短く吠えた。


「さて、と。じゃあ、ネバーランドに冒険といくか」


 俺は独り言ちながら、MEL空間へとダイヴする。


 飛井美月のIDとパスワードを流用しているので、弾き返されるかと危惧していたが、問題なくアクセスすることが出来た。

 自分が架空の男児である『ツバサ』に擬態できているのを確認し、辺りを見回す。

 緑に囲まれたネバーランドは、平日の昼間でも子供の姿がそれなりにあった。

 一体ここには、何人の子供達が招待されているのだろう?

 遊園地のようなエリアでは、ジェットコースターなどのアトラクションに乗った子供達の甲高い嬌声が響いている。

 楽しそうな子供達を眺めながら、ふと考える。もし、このネバーランドでチルチルとミチルが子供を選定しているとしたら……問題を抱えた子供達はどこに行くだろう。

 深刻そうに悩みを打ち明けていたお茶会の子供達を思い出し、庭園へと向かおうとする。


「それにしても……広い空間だな……」


 いっそバイクか車で移動したいぐらいだが、八歳の子供がそれらを運転するわけにもいかず、俺は辺りに注意深く視線をやりながら歩いていく。

 遊園地のエリアを抜け、なるべく人気のない道を選んで進んでいく。樹々に囲まれた石畳の路地は、真莉奈の分身ともいえるヒューマノイドがいたあの街並みを思い出させる。

 チルチルとミチルの攻撃アタックを受けた後、真莉奈は無事だったのだろうか……? そんな事を考えていると、閑散とした路地の先に教会があるのに気づく。


「教会か……迷える子羊には、ぴったりの場所だな」


 太陽の光にステンドグラスが美しく反射する、こじんまりとした教会へと足を向ける。

 聖堂の入り口には、聖水で満たされた聖水盤が置かれた台があった。満たされた水の中に中指の先を浸してから十字を切る。

 木製のドアを開け、聖堂の中へと入る。聖堂内のステンドグラスには、聖霊降臨やキリストの受難が描かれている。パイプオルガンや、赤い蝋燭には火が灯る立派な祭壇に十字架がある。

 遊園地などの喧騒とは切り離されたような空間だ。

 その静謐な空気を感じながら会衆席に腰を下ろす。ステンドグラスから差し込む光を眺めつつ、うろ覚えの聖書の一節が浮かんで思わず呟く。


「光は暗闇の中で輝いている……か」

「暗闇は光を理解しなかった」


 ぎくりとして声のする方を振り返り、視線の先に佇む人物に息を呑む。そこには、シスターの恰好をした真莉奈がいたのだ。


「はじめまして。傍に行ってもいいかしら?」


 そう彼女が薄く微笑み、俺は動揺を押し隠すように軽く頷いた。

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