PHANTOM HEAVEN 【Episode:16】

〔16〕


 ケンを覆面パトカーで法定速度ギリギリのスピードで送り届け、俺達は病院へと向かった。運び込まれているという治療室に向かっていると、聞き覚えのある声に呼び止められる。

 振り返ると、白衣のポケットに手を突っ込んだショートカットの女医がいた。


「ああ、氷川先生」


 彼女はリードを見やると、化粧っ気のない顔に人懐っこい笑みを浮かべてみせる。


「驚いた! MEL空間とほぼ一緒ね。いえ、リアルのほうがハンサムじゃないの」


 リードが小首を傾げるので、「ミス・ショットだよ」と伝える。途端に、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になって彼女を見つめる。

 まあ、リードが驚くのも無理はない。ミス・ショットこと、氷川奈々は、リアルではセクシーというよりはファニーフェイスで、どちらかというとボーイッシュな見た目なのだ。


「あ、あの……どうも、先程は、お世話になりました」


 リードが驚きを隠そうともせずに頭を下げ、氷川先生は「そんな他人行儀な!」と可笑しそうに白い歯を見せた。


「そろそろ、あなた達が来るかと思ってたのよ。来て」


 促されて俺達は彼女の後をついていく。少し騒然となっている院内を足早に進みながら、彼女が言う。


「急にスピリットとボディが切り離された状態の患者が担ぎ込まれて、あたしは休日返上ってわけ」

「運び込まれたのは何人だ?」

「今のところ四人。ああ、でも、もう一人こちらに向かって搬送中よ」


 治療室には看護師や医師などが忙しなく行き交い、俺達はガラス張りの通路からその様子を見つめる。氷川先生から受け取ったカルテ情報に目を通せば、運び込まれたのは、下は八歳から上は十七歳と幅が広い。やはり、ゴーグルは初期化されていたんだな?」

「そうなのよ。スピリットが切り離されたのと、ほぼ同時に。せめて、どこにダイヴしていたか、分かればいいんだけど……」

「通信会社などに照会しても、今回もデータがごっそり消えている可能性がありますね」


 リードが眉根を寄せ、俺はベッドに横たわる子供達を見つめ、ある事に気付いて氷川先生を見やる。


「彼らの両親はここに?」

「ええ、別棟の会議室に通しているわ。電犯の捜査官が色々と話を聞いているみたい」

「リード、糸口が掴めるかもしれないぞ」

「え?」


 目を丸くするリードに、俺は一人の女の子が治療を受けているベッドを指差す。


「彼女の装着しているゴーグル、あれは最新シリーズのものだ」

「これ……確か、先週に発売されたものですよね!」


 俺の謂わんとすることを理解したらしいリードの顔が輝き、俺は氷川先生に顔を向ける。


「両親がいる会議室はどこだ?」


 二時間後。

 電犯のオフィスは、子供達の搬送騒ぎで皆、出払っている。備え付けのマシンのコーヒーを一口飲んで、思わず顔を顰める。


「なんだこりゃ、泥水みたいに不味いな。これ、安物のケミカルコーヒーだな」

「兎羽野さんが淹れる珈琲みたいに、天然物じゃないですからねえ」


 リードは、恐るべき速さでタイピングをして、何やら書類を作成していた。


「何の書類だ?」

「さっきケン君から預かったキーホルダーの中身を専門部署に解析してもらおうと思って。班長権限で、最速でやってもらえると思います」


 さすが班長様だな、とカップを傾けながら泥水コーヒーを啜り、先程借りてきたゴーグルを手に取る。


「それ、処分されていなくて良かったですね」

「ああ、本当に。この中に、俺らが捜しているものがあればいいが……」


 最新のゴーグルを装着していた女の子……飛井美月の両親に確認をしてみれば、やはり彼女のゴーグルは買い替えたばかりで、幸運なことに古いゴーグルも手許に残っていたのだ。

 俺はダイヴ用のリクライニングシートの背もたれを調整し、身体を沈める。コーヒーはクソがつくほど不味いが、ダイヴ用のリクライニングシートは中々のものだった。


「一緒にダイヴするか?」

「いえ、僕はこのキーホルダーの解析部署に依頼がてら、圧を掛けてきますよ。きっと、すぐにはやってくれないと思うので」


 そう整った顔に涼しい笑みを浮かべ、俺は思わず短く笑ってしまった。


「あんたのそういう所、嫌いじゃないぜ?」

「使える権力はとことん使え、ってやつですよ。兎羽野さんも無理だけはなさらずに」


 そうリードが席を立ち、俺は軽く手を振り自分のゴーグルと、借りてきたものを専用ケーブルで繋げる。


「さて、少しでもいいから情報が残っているといいが……」


 俺は祈るように呟き、呼吸を整える。目の前が一瞬、フラッシュのように光り、飛井美月のゲートへとダイヴする。


 目の前に広がるピンクを基調にした空間に視線を這わせ、次の瞬間、目に飛び込んで来たものにぎくりと身体を強張らせる。


「マジかよ……」


 思わず後退りしながら、俺は道具箱からキットを取り出す。少し離れたところに、小型犬botのチワワが今にも飛びかからんばかりに唸り声を上げていた。


「驚かせちまって悪かったな。いい子だな……俺は不審者じゃないぞ」


 片膝をついて、小型犬用のジャーキーをちらつかせると、つぶらな瞳をこちらに向けて「くぅん」と小首を傾げる。


「ほーら、おやつだ。欲しいだろ、ん?」


 警戒を解こうと精一杯の愛想笑いを浮かべたのが功を奏したのか、チワワが甘えたように鼻を鳴らしてこちらに踏み出す。


「よーし、いい子だ……」


 言い掛けたのと、チワワの口元が突如として十字に裂け、そこから鋭い牙が剥き出しになったのは同時だった。


「マジかよ!?」


 低い唸り声と共に、禍々しい未知のクリーチャーのように豹変したチワワが、涎を垂れ流しながらこちらに飛びかかる。咄嗟に道具箱にアクセスし特殊拳銃を取り出す。

 鋭い牙を剥き出しにしたチワワが俺の首筋を狙って噛みつこうとしたのと、特殊拳銃のトリガーを引いたのは同時だった。

 大きく開いた口の中に放った弾丸が吸い込まれ、その衝撃でチワワが後ろに吹っ飛ぶ。小型犬は、だらりと舌を出したまま転がりピクリともしない。麻酔で眠ったチワワを見やり、俺は思わず溜息をついた。


「ちょっとの間、大人しく寝ていてくれ」


 まったく、えげつない番犬を設置するなよな……呆れながら立ち上がり、改めてゲートである部屋を見回す。

 ピンクを基調にしたポップな部屋には、可愛らしいドレッサーやベッド、ウサギやペンギンのぬいぐるみ、アニメのキャラクターグッズなどが置かれている。

 いつもの癖でバグやエラーがないかを探りながら部屋の中をゆっくりと歩く。目に入ったライラック色のデスクに向かい、その表面を撫でるようにする。

 抽斗を開けるが、そこあるファイルは健全な空間サイトの履歴ばかりだった。

 リアルで飼っているらしいトイプードル……さきほどのエイリアンもどきより数倍は可愛い……と映した画像や、友達と一緒の画像が入っている。

 ふとその中に家族写真らしきものを見つけて取り出し、小さく溜息が漏れる。そこに映っている父親と母親、そして兄弟の顔は赤くペイントで塗りつぶされていた。


「良好な家族関係とは言えなかった、ってわけか」


 写真に紛れるように一通の封筒を発見する。封蝋が施されていたそれは、すでに開封済みだった。

 中にはカードが入っており、目を走らせると『ネバーランドへのご招待』とあり、アドレスが記載されている。

 これが超深海帯ヘイダルゾーンに繋がるアドレスなのだろうか……記載されているアドレスに移動すると、目の前には古城のような高い塀と鉄の門扉が現れる。

 同時にIDとパスワードの入力が求められた。


「なるほどね」


 再び彼女のポップな部屋に戻る。抽斗を探るが、当然そこにはIDもパスワードのメモはない。慎重に部屋の中を見回しながら、ベッドへと向かう。

 なんだろう……? ほんの少しの違和感を覚えて、枕元をじっと見つめる。ふと気づいて、ぬいぐるみの中に紛れるようにあるそれを手にとる。

 ガラスで出来たユニコーンの置物。


「女の子の秘密を暴くのは、気が引けるが……許してくれ」


 俺はベッドの端に腰を下ろし、ユニコーンの置物を調べるべく道具箱からキットを取り出す。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る