PHANTOM HEAVEN 【Episode:5】

〔5〕


 事情を知らないケンは、俺とスペルを交互に見つめ、小首を傾げている。ゆらりとスペルが立ち上がり、俺も慌てて腰を上げる。


「待て、スペル……」

「ラビット・パンチ、口出しは無用だ」


 スペルは、俺を制するように人差し指をあげ、ケンの前へと近づいていく。スペルの異様な雰囲気に、ケンがぎくりとしたように後退りする。俺は道具箱からグロックを掴み出した。カウンター席に集まっていたダイバー達もこちらの緊張が感染したように、そっと自分の武器に手を伸ばしている。


「きみがブルーウルフだね?」


 スペルの気迫に圧されて、ケンはただ頷いた。スペルが獲物を品定めするような目で、狼を模したアーマースーツのケンに視線を這わせる。ケンは蛇に睨まれた蛙よろしく硬直している。


「ま、待ってくれ……スペル。そいつは成人型に擬態しているだけで、まだ子供で……」

「子供であろうが、ハンターであることに違いない。幼きハンター、きみは、わたしの縄張りを荒らしたね?」


 ケンが後退り、スペルがそれを追いかけるように距離を縮める。


「ブルーウルフ君、きみはハンターの掟に背いたのだよ」


 そうスペルの人差し指の鋭い爪がゆっくりとケンの頬を撫で、瞬時、触れた箇所が光った。クソッたれ、今、リアルの情報をタッチしやがった。彼らの間に割って入ろうとした時、スペルがこちらに顔を向け、薄く笑みを浮かべて一瞥する。どうやら、ここでケンのスピリットをどうこうしようと言う訳ではないらしい。


「ブルーウルフ君、きみには、ハンターらしい方法で落とし前を付けてもらおう」

「お、落とし前……?」

「ああ、そうだ。三日以内に『青い鳥』を狩ってくるんだ。もし、それが出来なかったら……」


 つと長身のスペルが身を屈め、ケンの耳元に顔を寄せる。スペルが何か囁き、ケンの身体がびくりと大きく揺れた。


「では……そろそろ、お暇するとしよう」


 そうスペルがその場で消えずに、律儀に店の出口へと向かう。しかし、ふと思い出したように足を止めて、こちらを肩越しに見つめる。


「ああ、そうそう……きみに賞金を懸けた人物の電脳ネームは『Tyltyl and Mytyl』だそうだよ」

「……チルチルとミチルか……」


 スペルは青白い顔に薄く笑みを浮かべて、店の外へと出ていく。棒でも差し込まれているんじゃないかと思うくらい真っ直ぐな背中を見送り、ようやく彼が去った店内の緊迫した空気が緩む。

 俺は呆然と立ち竦むケンの顔を覗きこむ。


「おい、ケン! 大丈夫か?」

「う、うん……」


 ケンが擬態を解きながら、よろめくように近くのシートに腰を下ろし、リードが駆け寄ってくる。


「二人とも、ご無事ですか!?」

「あ、ああ……一応な」


 リードが座り込んだケンの前に膝をつく。


「ケン君、あの男に何か言われていたみたいだけど……もしや、脅されたのかい?」

「……青い鳥を捕まえられなかったら、俺を含めて、アナーキー☆セブンも、ただではおかないって……」


 俺は、思わず深く溜息をついてしまう。とうとう、死神に目をつけられちまったな……

 リードが眉を顰めながらこちらに顔を向ける。


「電犯に報告して彼らを保護したほうが……」

「いや、そいつはやめておいた方がいいぜ?」


 こちらにやってきたコンパスが強張った顔のケンの肩に手を置き、俺も頷いた。


「脅すつもりはねえが、相手はあのスペルだからな」

「コンパスのおっちゃん……あのスペルってやつ、何者なの?」


 いつの間に仲良くなっていたのか、コンパスが宥めるようにケンの髪を混ぜるように撫でる。


「言うなれば、とあるバウンティハンターの集団のボスだな。本人の腕も一流だ。狙った獲物は必ず狩る、が信条の男だよ」

「付け加えるなら、どんな手を使っても狩るハンターだ。ケン、お前はとんでもない男に睨まれたんだよ。まあ、ある意味、お前も立派なバウンティハンターとして、認められたってわけだ」


 おめでとさん、そう皮肉に笑みを浮かべる。俺の言葉にケンの顔が強張り、リードが咎めるような視線を寄越し、本当の事だろ? と、肩を竦めてみせる。


「ともかく、MEL空間の問題は、MEL空間でカタをつけないとな。下手にリアルで動くと、アナーキー☆セブンだけじゃなく、家族にまで被害が及ぶ可能性もある」

「……しかし、このままでは……」

「そういう時こそ、俺達の出番ってわけだな」


 コンパスが、リードに悪戯っぽく片目を瞑ってみせ、俺はぐるりと店内を見回してある人物を探す。さっきまで、居たような気がしたんだが……


「おい、ピジョンはどこだ?」

「お? さっきまでそれらしき奴が居たような……」


 コンパスも首を捻りながら視線を彷徨わせて「うおーい、ピジョン、どこだー?」と声を張り上げる。


「うるさいなあ、ここにいるよ」


 微かな声がし、俺達はきょろきょろと辺りを見回す。


「ここだよ、テーブルの上」


 見ればテーブルの上に同化するように、真っ白な掌サイズの爬虫類……ヤモリだろうか……が大きな瞳を向けており、コンパスがぎょっとのけ反る。


「うお!? トカゲ!?」

「違う。レオパード・ゲッコー、ヤモリの仲間だよ」


 そう黒曜石のような大きな瞳を瞬かせる。リードが「うわ、可愛い!」と顔を輝かせて覗きこみ、レオパード・ゲッコーが満更でもなさそうに、笑顔らしきものを浮かべてみせる。


「なあ、ピジョン。情報屋のお前に、依頼したい事があるんだ」

「ん、いいよ」


 そう、レオパード・ゲッコーがシートに移動し、あっという間に擬態を解除し、制服姿の女子高校生に姿を変える。


「爬虫類と女子高生に擬態するのにハマってる」


 見るたびに何かに擬態しているので、ピジョンの本来の姿は誰も知らないのだ。ちょっと前までは、自分の身体をミクロまで縮めて遊んでいたらしい。当然、そんな小さいサイズに擬態していたら誰も気づくはずがなく、踏んづけられそうになったからもうやめた、とのことだ。

 ハマっているというだけあって、暫くは爬虫類か女子高校生に擬態して過ごすらしい。


「で、青い鳥の事を調べればいいの?」

「ああ、それと……ファントム・ヘヴンの事も何か分かったら教えてほしい」

「ん、分かった」


 ピジョンが無表情のままケンを見つめ「殺されないといいね」と、急にスペルの姿に擬態する。途端に、ケンが大仰に肩を揺らして後退りし、コンパスが顔を顰める。


「おいおい、苛めるんじゃねえよ」


 んふふふっ、とスペルの姿のまま不気味な笑顔を見せ、そのまま「じゃあね」と、他の空間へと移動していった。


「まったく、悪戯好きめ」


 コンパスが呆れたように呟き、ケンが「あの人、情報屋なのか?」と強張った顔をこちらに向ける。


「ああ、擬態の腕も一流の情報屋だ」

「そっか……」


 ケンがふと何か思い出したように、俺を見上げる。


「なあ、オッサンって、ラビット・パンチっていう電脳ネームだったんだな」


 やけに嬉しそうなその様子に、思わず眉間に皺を寄せながら、ズボンのポケットに手を突っ込んでキットを起動させる。その手で後頭部をべしんと叩く。


「少しは、危機感を持て」

「……痛てっ!」

「ケン、お前はリアルに戻れ。何か動きがあるまでは大人しくしておけよ?」


 まったく、これ以上の厄介事はごめんだぜ……思わず腹の中で呟く。俺の不機嫌さに、ケンが叱られた犬のような面持ちになり、リードが彼の肩に手を置く。


「大丈夫、翔君の事を含めて、色々こちらも動いているから。それに……きみ、学校はどうしたんだい?」


 リードが笑みを浮かべながら諭すように言うと、こっくりと頷いてみせ、ちらりとこちらを見る。


「とりあえず、オッサンが無事で良かった……あと、色々……ごめん」

「……謝らなくていい。ともかくリアルで大人しく待っていろ」


 俺が頷いてみせると、ケンが薄く笑みを浮かべてログアウトしていく。


「ケン坊のやつ、お前の事を心配して来たんじゃないの?」


 ケンの姿を見送って、コンパスが言い、俺が吐息交じりに「分かっているさ」と返すと、リードも呆れたように肩を竦めてみせる。


「まったく、不器用ですねえ」

「……なにがだよ」


 ムッとしながらリードを軽く睨むと、彼は片方の眉を上げて「なんでもありませんよ」と揶揄うような笑みを浮かべてみせた。


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