PHANTOM HEAVEN 【Episode:4】

〔4〕


 電子ロックをハッキングして不法侵入してきたらしいウィリーは、ケルベロスに伸し掛かられて、今にも首筋に噛みつかれそうになっていた。まったく、懲りない奴だ。

 鋼鉄の牙を剥き出しにしたケルベロスの口を押えながら、ウィリーが泣きべそをかいた顔を向ける。


「ねえ、兎羽野! ケルちゃんを何とかしてよお!」

「……ケルベロス、ステイ」


 ケルベロスが、ウィリーの上から退き、行儀よく前足を揃えて座る。いい子だ、と頭を撫でてやると、ケルベロスが小さく甘えるように鳴いた。

 車に轢かれたカエルのような恰好でひっくり返っていたウィリーに、リードが手を貸してやり、奴はノロノロと起き上がる。


「で、何の用だ?」

「兎羽野、あんた……電脳ギャングか、電脳ヤクザにでも、喧嘩でも売ったの?」

「……どういうことだ?」

「兎羽野、お尋ね者になっちゃってるよ! しかも、賞金が掛けられてる!」


 ウィリーの興奮気味の言葉に、俺とリードは思わず顔を見合わせる。


「それは、MEL空間上で手配書のようなものが出回っているということですか?」

「そう。バウンティハンターや、始末屋どもに兎羽野の情報が流れてきているんだ。兎羽野のスピリットを捕まえられたら、一千万イェンだって!」

「……ちょっと、確認してくる」


 ゴーグルを手に取った俺に、リードもソファーに駆け寄ってくる。


「兎羽野さん、僕も行きます!」

「……分かった。ダイナー666のアドレスを送る」

「えっと、ええっと……俺っちは、どうすればいい!?」


 俺以上に狼狽えるウィリーに「お前は良い子で、お留守番だ」と返せば、奴は「イエス、サー!」とアーミーのように敬礼してみせる。


「ケルベロス、警戒モードを最高レベルに設定」


 俺の声に反応して、ケルベロスが「ウォン!」と獰猛に吠え、その瞳が赤く光る。番犬ロボットの様子に、わくわくとした面持ちになるウィリーに釘をさす。


「おい、頸動脈を噛み千切られたくなかったら、ケルベロスには触るなよ」


 マジで死ぬぞ? と念を押せば、ウィリーは顔を強張らせて何度も頷き、俺とリードはダイナー666へとアクセスする。


 ダイナー666に到着すると、俺に気付いた常連たちが驚愕の顔を向ける。


「兎羽野さん、僕は念のため周辺に怪しい者がいないか、確認してきます」

「ああ、悪いな。頼む」


 店の裏口へ向かったリードを見送っていると、コンパスが慌てたように駆け寄ってくる。


「おい、お前、大変な事になってるぞ!」

「ああ、知ってる」

「おいおい、そんな呑気にしていていいのかよ?」


 AIウェイトレス達に命じ、ダイナーの窓のブラインドを下ろさせ、カウンター席でたむろっている常連客達を見回す。


「皆、聞いてくれ。おそらく、このダイナーに電脳ギャングや、下っ端のダイバーが、アタックしてくることはないだろう。なんせ、ここは深層階層で、アドレスが頻繁に変わる。セキュリティーも万全にしている。だが、プロの連中はここを嗅ぎつけてくるかもしれない。もし心配なら、暫くはここには来ない方がいいかもしれない」


 俺が言うと、荒くれもの達は顔を顰めつつ「よせよ」と謂わんばかりに両手をあげてみせる。


「そんな下っ端どもにアタシ達が、ビビるとでも思ってんの?」

「ここに乗り込んで来やがったら、返り討ちにしてやるよ」


 修羅場を潜ってきた荒くれダイバー達の力強い言葉に、俺は苦く笑いながらも頷き返す。


「だが、あの男には筋を通しておいたほうがいいんじゃねえのか?」


 コンパスが丸太のように引き締まった腕を胸の前で組んで、小首を傾げる。ダイバー達が「ああ……」と表情を曇らせて声を揃え、俺も思わず頭を掻く。


「それはわたしの事かな?」


 妙に柔らかい声が溶け込むように響き、俺達はぎくりと声のする方を見やる。いつの間に来ていたのか、カウンターの一番端のスツールに背筋を伸ばして腰を下ろす男がいた。一瞬にして、ダイナーに緊張が走り雰囲気が張りつめた。

 知らないダイバーはいない、深層空間の死神とも呼ばれるハンター、スペルである。その痩身を際立たせるような黒を基調にしたスーツで包み、黒い髪をぴっちりと後ろに撫でつけている。

 まるで棺桶から出てきた吸血鬼のように青白い顔と、どこか爬虫類を連想させる鋭い瞳が、笑みの形に細められる。


「やあ、ラビット・パンチ。きみ、大変な事になっているようだねえ」

「そのようだ。その件で、話せないか?」

「いいとも」


 鷹揚にスペルが頷き、俺達は窓際のボックス席へと移動する。固唾を呑んで俺達を見守るダイバーの視線を感じながら、向かい合うスペルに切り出そうとすると、彼がそっと制するように人差し指を立てた手を挙げる。


「最近、深層階層が少々騒がしい気がするねえ……何故か皆、青い鳥を追いかけているようだ」

「そのようだな」


 スペルが、胸ポケットからステンレス製の爪やすりを取り出して、人差し指のシルバーに光る鋭い爪を整え始める。引っ掻かれたら一たまりもないな……他人事のように考えていると、スペルの笑みの形になった唇から、鋸状の鮫のように細かく鋭い歯が覗く。


「皆、天国に行きたいらしいねえ」

「ファントム・ヘヴンを探し回るダイバーか……そういえば、最近増えているかもしれないな」

「ラビット・パンチ、きみはどうだい? きみはファントム・ヘヴンに行きたいか?」


 俺は皮肉っぽく笑みを浮かべて肩を竦める。


「そんなもん、クソくらえだな」


 スペルの底冷えするような冷たい瞳が笑みの形に細められ「きみらしいねえ」と囁く。


「そもそも、PHANTOM HEAVENの『HEAVEN』と言う部分……これは、間違っている、という説を知っているかい?」


 目顔で問いかけると、スペルは青白い顔に微かな笑みを浮かべてみせ、低く咽喉声で薄気味悪く笑う。


「……HEAVENヘヴンではなく、HAVENヘイヴンだったのではないかという説がある」

「ヘイヴン……港、という事か?」

「港のほかにも、安息所という意味もあるねえ……」


 スペルは鋭さを増した人差し指の爪を満足げに眺め、やすりを胸ポケットに仕舞うと、改めてこちらをまっすぐ見つめる。


「いずれにせよ、ダイバー達は、そこに楽園があると夢見ているようだ」

「楽園ねえ……自分の精神スピリットを犠牲にしてまで、潜るところかね?」


 スペルはさほど、興味なさそうに窓の外に広がる漆黒の空間を一瞥して「どうだろうねえ……」と、軽く肩を竦めてみせた。


 スペルが「さて」と言うように、こちらに微かに身を乗り出し、やっと本題を切り出したか……と少しだけ緊張する。


「ラビット・パンチ、きみの首に賞金が掛かっているが……心当たりは?」

「ないな。この世界の流儀は守っているつもりだ」

「とりあえず、私の狩場シマの者達には、きみに手を出さないように手配しよう」

「それは、ありがたい」

「だが……等価交換は必要だよ、ラビット・パンチ」


 スペルの瞳が、ネズミをいたぶる猫のように光り、俺は内心溜息をつきつつ、ポーカーフェイスで彼を見つめる。


「最近……我々の狩場を無粋にも荒らしている青い狼がいてねえ……」


 青い狼……ケンの事だろう。ケンはバウンティハンターとして、深層空間のルールを守らずに、無茶苦茶をしていたのだ。思わず舌打ちしそうになるのを堪えて、俺はシートも背もたれに寄り掛かる。


「そりゃ、初耳だな」

「わたしはね、嘘は嫌いだよ、ラビット・パンチ」

「……その青い狼をどうするつもりだ?」


 ふふふ、と低く咽喉で笑いながらスペルが、こちらに身を乗り出す。まったく、ケンのやつ……とんでもない奴に目を付けられやがって。今度会ったら、ケツを引っ叩いてやる……!


「さあ、どうしてやろうかねえ?」

「あんたがそのつもりなら、この話は無かったことに……」


 俺の言葉は、威勢の良い「オッサン! 無事か!?」という大声にかき消された。声のする方を見やり、俺は思わず額を片手で覆ってしまう。

 なんで、このタイミングで……しかもブルーウルフに擬態して来るんだよ……! 低く唸る俺とは反対に、スペルが上機嫌に低く笑った。


「おや……対価が、あちらからやって来たようだねえ」

「……大馬鹿野郎め」


 ケン、お前ってやつは、泣きそうなくらいグッドタイミングなクソガキだ。



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