PHANTOM HEAVEN 【Episode:3】

〔3〕


 薄っすらとステンドグラスに日が差し込む薄暗い聖堂。リードは、青空の描かれた折上天井や、身廊を挟むように咲いた白百合に視線を這わせている。


「ここが……兎羽野さんの『秘密の庭』というわけですね。セキュリティーも最高レベルに設定されているようですし、この深さの領域の空間ですから、そうそう人もアクセスしてこないし、ましてや中に入るのは難しいでしょうね」

「ああ……だが、ここに二人、アクセスしてきた人物がいる」


 長椅子に腰を下ろしながら言うと、リードが驚いたように目を瞬かせる。


「最初にやってきた人物は、この中まで侵入できていた。そして、二度目は俺がトラップを仕掛け、ドアノブに触れた瞬間、強制終了するようにしたんだ。そして、二度目にアタックしてきたのは、ケンだと言うことが分かった」

「蓮沼剣君ですか。あなたの設定したトラップの強制終了ですからね、相当エグいものだったのでは?」


 リードも少し間を開けて長椅子に腰を下ろし、俺は小さく笑う。


「ケンも相当堪えたらしい。身元を偽装するために、担任の鳥飼拓海のGPアドレスを介したが、そのやり方も稚拙だった。しかし……最初に潜り込んで来た人物は、ダイヴ技能がある人物だ」

「もしかして……それは、昏睡状態にある桐谷翔きりたにかける君ですか?」

「そうだと俺は考えている。そもそもケンは、桐谷翔の足跡を辿って、ここにやってきたらしい」


 アナーキー☆セブンがアミュレットとして持っていたのは、スペース・カウボーイのキーホルダーだった。そこから推察しても、あれはカケルが擬態した姿に違いない。


「カケルは、ここにアクセスした後に、スピリットとボディが切断された可能性もある」

「そもそも……翔君は、どうしてここに来たんでしょう?」


 俺は、ゆっくりと十字架の元へと向かい、祭壇の前に置かれたガラスの棺にそっと手を滑らせる。


「おそらく『青い鳥』が関係しているはずだ」


 リードがガラスの棺に近付き、そこに横たわる真莉奈に息を呑む。俺は、ガラス越しの彼女の頬のあたりを撫でながら囁く。


「MEL内の真莉奈の痕跡ログを掻き集めて構築したものだ」

「……真莉奈さんの事件の資料を読みました。電脳犯罪対策部が立ち上がった当初、ゴーグルの専門技術者として、電犯に捜査協力した事があったそうですね」

「ああ。それが彼女との出会いだった」


 俺は当時の事を思い出して苦く笑ってしまった。あの頃、二人とも若かったし、俺は今よりも無鉄砲で、彼女は少し頑固な……いかにも技術者といった具合だった。


「お互いの最初の印象は最悪だったな」


 ――……あなた、あんなに無茶をして死にたいの!?


 あれは、改造ゴーグルの取引が行われているというMEL内のクラブに潜入し、容疑者達を無事に確保した時だった。ログアウトした瞬間に彼女から怒声を浴びせられたのだった。

 リアルに戻って来るなり怒鳴られて面食らいつつも、「ああ!?」と、反射的に席を立ちながら言い返す。


「あんたには、俺が死んでいるように見えるか?」

「いいえ! だけど、あなたの無茶な行動で、捜査官のスピリットが危険に晒され、一歩間違えたら、あなたも危険だったのよ!」

「……あんたは、俺の上司か? 捜査の素人が口を出すんじゃねえ!」

「それを言うなら、わたしは、ゴーグルの……いえ、ダイヴのプロよ。あなたの無茶で向こう見ずなダイヴを黙って見ているわけにはいかないわ!」


 そう毅然と言い返す彼女の大きな瞳には、燃えるような強い光が宿っていた。刹那、胸の中がぎゅっと掴まれるような感覚を味わいながらも、俺は彼女を睨み返した。


「本当、お互いにマイナスすぎる出会いですね」


 リードが苦く笑いながら言い、俺も肩を竦めながら「まったくだな」と頷く。


「当時、俺はスペシャル・フォース特殊部隊から、電犯に引き抜かれたばかりでな……根拠のない自信たっぷりの馬鹿な若造だったわけだ」

「兎羽野さんの特殊部隊時代の資料も拝見しましたが、その活躍も素晴らしいものでした。次期隊長の呼び声が高かったそうですね」

「……いや、俺は人の上に立つ人間じゃないし、その前に無茶をして殉職していたと思うぞ」

「そんな最悪な二人が、どうやって結婚まで辿りつけたんですか?」


 リードが好奇心いっぱいの顔つきで身を乗り出し、俺は少し照れくささを感じて、頬を掻きながら言う。


「結局、俺が捜査中に大失態をして、自分のダイヴのスキルの足りなさを痛感したんだ。それで、彼女にダイヴやゴーグルの色々な事を叩き込んで貰ったんだ」

「もしかして、それから互いに気になる存在になった?」


 他人の色恋沙汰にリードの瞳が輝いているのに気づいて、俺は「お前は女子かよ」と呆れつつも、自分の口元が綻ぶのが分かった。


「いや、互いにそういった私情は挟まなかった。おまけに彼女には恋人がいたしな。でも、真莉奈の恋人というのが、これまた馬鹿な奴だったんだ。確か、針替とかいう男だったな……俺達が浮気していると勘違いして、挙句に真莉奈に手を挙げようとしたので、咄嗟に殴っちまった」


 リードが「兎羽野さんらしいな」と笑い声を上げ、俺もつられて短く笑みを浮かべる。


「そこから、紆余曲折あって……気づいたら、教会で病める時も健やかなる時もって、誓っていたわけだ」


 俺は棺の中の今にも目を開けそうな真莉奈に目を落としながら囁く。


「俺達は良き相棒であり、良きパートナーであったと思う……だが、何者かの手によって彼女は……」


 思わず棺の上に乗っていた手がきつく拳になる。俺は沸き上がる衝動的などす黒い怒りを逃すように、重く息を吐く。


「夜、あなたが帰宅すると、真莉奈さんはゴーグルを装着し、心肺停止の状態だった……ですね?」

「ああ。後で気づいたが、彼女が死ぬ数分前に、俺のゴーグルに彼女からメッセージが届いていた。そこには、一言『青い鳥』とだけあった。おまけに彼女のゴーグルは初期化されて一切の情報が消されていたんだ」

「争った形跡もなく外傷も無かった為、事件等ではなく、病死という結論になってしまったわけですね」


 沈鬱な面持ちのリードに、俺はきっぱりと首を横に振る。


「彼女は、第三者の手によって殺されたんだ……そして、俺がもっと早くに気付いていれば……彼女は死なずに済んだかもしれない」

「もっと早くに? 何か予兆があったのですか?」


 当時、彼女がふと、塞ぎこんでいるような……どこか思い詰めたような表情をしていることがあった。俺が、どうしたのか訊いても、彼女はただ薄く笑って『大丈夫よ』としか答えなかったのだ。


「なるほど……当時の真莉奈さんの周辺で何か無かったか、もう一度、調べてみたほうがいいですね」

「……当時、あんたみたいな上司がいたらな。俺も警察を辞めなかったかもな」


 思わず皮肉っぽく唇の端を上げると、リードは悲しげに眉根を寄せたが、それを押し隠すように目を細めた。


 MELからログアウトし、俺はゴーグルを外す。リードもログアウトし、ゴーグルを外しながら「ん?」と小さく声を上げる。


「どうした?」

「兎羽野さん……それ……」


 リードが指さしていたのは、テーブルに置いていたデジタルフォトフレームだった。投影されていた真莉奈のホログラムがブレはじめ、訝りながら身を乗り出すと、微かに聞こえ始める懐かしい声に、息を呑む。


『……の、ぶ……しの、ぶ』

「兎羽野さん、これ……!」

「あ、ああ……」


 映像が掠れるようにブレながら、真莉奈が微かに唇の端を上げる。ああ、いつもの……彼女の笑顔だ。思わず吐息しながら、食い入るように彼女の姿を見つめる。


『……青い鳥を……追いかけて……』


 俺とリードはハッと顔を見合わせる。青い鳥を追いかけて……? そこでブツリと映像が消え、俺は弾かれるようにフォトフレームを掴む。もう一度、ボタンを押すが、元から保存されていた写真データしか映し出されない。焦燥にかられながら何度もボタンを押す。

 頼む……頼むからもう一度、再生してくれ……!


「クソッ……故障か!?」

「兎羽野さん……! どうか落ち着てください! 一度、再生されたら消える仕様だったのかも……!」


 リードの宥めるような口調に、俺は何度も押していたボタンから指を離す。脱力しながら深く溜息を吐きつつ、ソファーの背もたれに寄りかかる。


「久しぶりに声が聞けた……」

「兎羽野さん……」


 思わず顔を両手で覆い、呻くような声が漏れる。リードの気遣わしげな声に、平静を装いながら彼に視線を戻す。


「大丈夫だ、心配ない」


 リードが何か言おうと口を開いたのと、玄関先から威嚇するケルベロスの啼き声と、間抜けな叫び声がしてきたのは同時だった。


「と、兎羽野ー! 大変、大変! 大変だあ!」


 ケルベロスが襲い掛かったのか「うひゃあ」と笑い声じみた悲鳴も聞こえ、俺とリードは慌てて玄関へと向かった。

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