PHANTOM HEAVEN 【Episode:2】

〔2〕


「おはようございます! やあ、ケルベロスもお迎えありがとう」


 朝っぱらから何度もドアホンを鳴らされて、不機嫌な顔でドアを開ければ、嫌味なくらい爽やかな笑顔を浮かべるリードが立っていた。

 MELからログアウトし、ようやく浅い眠りの中を揺蕩っていた俺は、殺気立った目で低く呻くように言う。


「……おい、俺は今日、オフだぞ」

「ええ、存じ上げていますよ。上司である、僕が承認しましたから」

「じゃあ……何か緊急の事件か?」

「いえ、朝ごはんを一緒に、と思いまして」


 そうリードが、にこにこと手に持っていた紙袋を上げながら「ベーグルはお好きですか?」などと小首を傾げる。俺は、足元に控えているケルベロスに低く言う。


「おい、ケルベロス。招かれざる客だ、噛んでもいいぞ」


 ケルベロスが瞳を青く光らせ、ばふっと短く鳴くと、リードがぎょっとしたように後退りする。すでに警戒対象者ではないと設定しているので、ケルベロスが噛むことがないが、黙っていることにする。

 俺は無精ひげの生えた頬を掻きながら「冗談だよ」とリビングへと向かった。

 リードもその後に続き、コーヒーメーカーをセットすると、挽きたての珈琲豆の良いかおりが部屋に漂う。珈琲を注いだマグカップを渡すと、リードが「やっぱり、珈琲は天然豆に限りますね」と口元に笑みを浮かべる。

 リードがワックスペーパーに包まれたベーグルや、紙製のスープカップを並べた。


「サーモンとクリームチーズのベーグルサンドに、野菜たっぷりのスープ、僕の手作りです。栄養バランスの取れた朝食は、一日の始まりの重要なものですからね」


 さあ、召し上がれ、と満面の笑みを浮かべるリードに「ママかよ」と呟きながら、スープを一口含む。


「美味い……」


 思わず呟くと、リードが嬉しそうに笑みを浮かべてみせ、俺は小さく吐息する。


「で? ただ、仲良くブレックファーストをしに来たわけじゃねえだろ?」

「まあ、そうですね。オフィスより、こちらのほうが互いに話しやすいかと思いまして」


 スープの入ったカップを傾けつつ俺が曖昧に頷くと、リードは鞄からタブレット端末を取り出す。


「まずは、こちらで調べていた桐谷翔君の件ですが、やはり入院中でしたよ。ゴーグルを装着した状態で意識を失っているのをご家族が発見しました」

「要は、スピリットとボディが切断されていた?」

「ええ、そう専門医師から診断されていますね。九条智希君の時と似ていますね」


 俺はタブレット端末に表示された男児の写真に目を落とす。アナーキー☆セブンのメンバーで、ケン曰くダイヴの能力が一番秀でていたらしい。


「電脳アイドルの事件で、合田誠二の家にいた男児……やはりあれは、桐谷翔だったか?」

「ええ……アパートメント側の道路に設置されていた防犯カメラに映っていた人物と一致しましたよ」


桐谷翔が合田の家にいた理由をケンに聞いてみたが、全く検討がつかないと驚いていた。

その様子からケンが嘘をついているようにも見えず、カケルは何かを単独で調べていたようだ。そうリードに言うと、彼も神妙な面持ちで頷いた。


「またしても『青い鳥』が関わっているのでしょうか?」

「……分からない。カケルが昏睡する前に、主にどの空間にアクセスしていたのかも気になるな」

「ええ、そうですね。あの子達に確認してみないと……」

「それは、俺が聞いておこう」


 リードがふと、何かを思い出したように小さく笑い、目顔で問いかける。


「いえね、僕が白百合渚さんに、聞き取りをした際に、随分とあなたに会いたがっていましたよ」

「俺に? 今回の事件の事で、何か話したいことがあるのか?」


 途端にリードが呆れたように小さく笑いながら、ゆったりと長い脚を組んだ。


「兎羽野さんってば結構、鈍いですねえ。彼女、あなたに御執心なんですよ」

「……なるほどね」


 微苦笑を滲ませながら言うと、リードは、そういえばと身を乗り出した。


「あなたや子供達を襲ってきた、例の青髪の女ですが……」

「電脳ネームは『シアン』、MEL空間とリアルで始末屋をしているようだな」


 以前、九条少年の庭で一戦交えた時に、フルフェイスのヘルメット型のマスクをタッチして、そこから情報を収集したが結局は、電脳ネームと殺しなどを請け負っているプロらしい、という事くらいしか分からなった。


「ええ、実は僕も調べてみたのですが、それくらいしか判明しませんでした……」

「シアンは、俺をおびき寄せる為に、子供達をバスに集め、ライドをハッキングし暴走させた。だが、横槍が入った」

「スマイリーボンバーですね」

「ああ。シアンとしてもこれは、かなりの予想外な流れだったろうな」


 結局、俺達は帝都銀行の金庫破りをする羽目になってしまったのだ。


「シアンは、妨害者であるスマイリーボンバーを始末し、MEL空間で、あなたのスピリットを攻撃した」

「俺の見立てだが、あの女はダイヴ技術も相当あるし、リアルでの殺しの腕もある。おまけに、かなりプロ意識とプライドの高い人物だ。狙った獲物は必ず自分の手で始末する、それが信条だろう。スマイリーボンバーの仕掛けた爆弾を爆発させずに、自ら出張ってきたんだからな」

「シアンの狙いは、兎羽野さんだけだったのか、それとも子供達も含まれていたのでしょうか?」


 俺は少しぬるくなった珈琲を飲みつつ、思考を巡らせるように小首を傾げるリードを見やる。


「そこなんだよな。もしかすると、子供たちの返答次第だったのかもしれない」

「え?」


 リードが目を瞠り、俺はソファーの背もたれに体重を掛けながら、胸の前で腕を組む。


「ケンが言っていた。俺のシャドウが消えたあと、あの女に拘束され、何かを打たれたらしい。おそらく、自白剤の効果があるウィルスだろう。そして、こう訊いてきたらしい『青い鳥を追いかけているのか?』と」

「……青い鳥」

「リード、あんたも知りたがっている事だろう?」

「……ええ」


 リードがタブレット端末を操作し、こちらに見せるようにテーブルに置く。そこには、十年前の真莉奈が死亡した当日の資料が映し出されていた。


「あなたの奥様の死と、青い鳥の関係を教えてください」


 リードの真剣な面持ちに、俺は両手で顔を擦りつつ重く溜息をつき、ソファーから立ち上がる。部屋の隅に置かれた棚から、薄く埃をかぶった写真立てを手に取り戻る。

 そっと、埃を払うようにしながらデジタルフォトフレームを起動させると、3Ⅾ画像で真莉奈の姿が浮かび上がった。


「リード、あんたゴーグルは持っているか?」

「え、ええ……持ってきていますが……」

「じゃあ、場所を変えて話そう」

「どこにアクセスするんですか?」


 俺は自分のゴーグルを手に取りながら「俺の秘密の庭だ」と言うと、リードが少し驚いたようにこちらを見つめた。

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