<CODE> Dive :03 </CODE>
アナーキー☆セブン 【Episode:1】
〔1〕
昨日から降っていた酸性雨はすっかり止んで、朝から抜けるような青空が広がっている。昨晩は、酒を飲まなかったせいか、二日酔いもなくランニングをするには、もってこいの朝だった。
警視庁に程近い大きな公園をぐるりと周るように走っている。正直、数年前より息が上がるのが早い気がするし、絶対に明日には筋肉痛に呻きそうな予感もある。
飼い犬と一緒の若い女性が、前から走って来てこちらに軽く手を上げ、俺も挨拶を返しながらスピードを保ちつつ走る。
こりゃ、犯人が走って逃げたら絶対に追いつかないぞ……そんな事を思いながら走っていると、背後から「おはようございます」と声を掛けられる。
聞き覚えのある声に、肩越しに見やればトレーニングウェアーに身を包んだリードがいた。まったく、朝から無駄に爽やかなやつだ。
「……よお」
少し息を乱しながら返す俺に、リードはにっこりとして見せ、俺の横に並ぶ。
「兎羽野さんもトレーニングですか?」
「……ああ、サボっていた分、かなり鈍っちまった」
「最初の内は苦しいかもしれませんが、すぐに慣れますよ」
リードがまったく呼吸を乱さずにウィンクしてみせ、俺は思わずフンと鼻を鳴らす。
「俺に構わず、先に行け」
「ちょっとお渡ししたいものがあるんですよ」
「渡したいもの……?」
訝る俺にリードが悪戯っぽく笑みを浮かべ、数メートル先の木陰にあるベンチを指差した。
「あのベンチまで競争しませんか?」
「オートマタ化しているお前に、俺が勝てると思うか?」
眉間に皺を寄せる俺に、リードは「大丈夫、オートマタ機能は使いませんから」と笑った。
「絶対だぞ」
「勿論! では、レディ、ゴー!」
そうリードがスピードを上げはじめ、俺は「クソッ!」と毒づきながら彼の背中を追いかけるように、一気に駆け出していく。
「ああ……死ぬ……」
ベンチに伸びるように腰を下ろす俺に、リードが笑いながら近くのスタンドから買ってきた飲み物を差し出す。
「冷たいレモネードでもどうです? 筋肉疲労にはクエン酸を取るといいですよ。筋肉痛の緩和になります」
「……年寄りを労わってくれて、ありがとな」
嫌味っぽく返しながら、ストローの刺さったテイクアウトカップを受け取る。冷えたレモネードは疲れた身体に沁みるようだった。
「しかし……ビールでも飲みたい気分だな」
俺の隣に腰を掛けてレモネードを飲んでいたリードが、片方の眉を上げてみせる。
「アルコールは水分補給になりませんよ」
「分かってるって。まったく、口うるさい世話焼き女房みたいだな」
リードは澄ました顔で肩を竦めてみせ、ポケットから何かを取り出してこちらに差し出す。
「捜査する仲間のコンディションに気を配るのも、班長の役目ですからね」
「仲間……ねえ」
ストローを吸い上げて返しながら、受け取った楕円形のそれをしげしげと見つめる。昔より軽量化された気がするし、なにやら機能が追加されたのか……?
しげしげと、手の中で警察バッジを裏返したりする俺にリードが小さく笑みを浮かべる。
「兎羽野さんが使用していた頃より、機能が色々と追加されていますよ」
そうリードが自分の警察バッジを取り出して、脇にあるボタンを押す。すると、三次元映像でリードの顔写真と所属と階級が投影される。感心して眺めていると、リードが反対側のボタンを指差す。
「これ、つい数カ月前に追加された緊急ボタンです。犯人などから危害を加えられたりして、ご自身の身が危ない時に使用するものです」
「……ふうん。まあ、今日貰えて助かった」
「なぜです?」
「まあ、気にするな」
俺に応える気がないと分かったのか、リードは軽く肩を竦めて「あ、そうそう。こちらも差し上げますね」とポケットから何かを取り出す。
そうリードが寄越したのはバッジホルダーで、ご丁寧に首から下げられるようにボールチェーンが付いている。俺が捜査官時代にバッジをどこにしまったか忘れてしまうことが多かったのを、こいつは知っているのだろうか……? うろんな目を向ける俺にリードは不思議そうに小首を傾げてみせる。
「それにしても、兎羽野さんが僕の班に所属してくれるとは思わなかったです」
「あくまでも俺は講師であって、一時的に捜査官になるだけだ」
そうバッジのボタンを押して顔写真を投影する。そこには『電脳犯罪対策部 捜査壱課 特別捜査官』と表示されている。特別捜査官なんて聞こえの良い文言だが、単なる臨時雇いみたいなものだ。
「それでも、僕は嬉しいですよ。でも、なんで急に……? 僕がスカウトしても嫌がっていたでしょう?」
「お前のお望み通りに特別捜査官になってやったんだ。欲しいものは絶対に手に入れないと気が済まないんだろ?」
「……僕を我儘な子供みたいに思ってません?」
「違うのか?」
思わず片方の眉を吊り上げると、リードは不服そうにわずかに顔を顰める。
「お前さ、結構いいところの坊ちゃんだろ?」
「ええ?」
「所作や服装の好みなんかを見てりゃ分かる。ガキの頃から、欲しいものは全て与えられてきた、って感じだ」
俺の言葉にリードは呆気にとられたように、形の良い瞳をぱちくりとさせる。
てっきり怒るかと思えば、リードは何かを考えるように胸の前で腕を組む。
「そう、ですね……実家が裕福なのは否定しません。思えば、子供の頃に何かを欲しいと両親に『おねだり』をしたことがないですね……そうする前に与えられていたんで……」
「へえ、そりゃ、いいご身分だな」
「そういえば学生時代も、あちらから告白されて付き合うって感じで……僕自身が誰かを熱烈に必要としたことは無かったかも……」
「……なんだ、そりゃ?」
さらっとモテ自慢かよ? まあ、こいつの嫌味なくらいに整った見目ならば、言い寄る奴はごまんといるだろうし、やろうと思えば二股……いや、十股以上できそうだ。まったく、羨ましい事だね。
訝る俺を、ハッとしたようにリードが顔を上げて、妙にきらきらとした視線を向ける。
「そうか……! 僕、初めてですよ! 心の底から『この人が必要だ!』って思ったのは、兎羽野さんが初めてです! 僕にはあなたが必要なんです!」
俺は呆気にとられて、リードのオートマタ化された、ブルーグレイの瞳を見つめる。
「もしかして……俺に、プロポーズしてるのか?」
晴れやかな笑みを浮かべたリードが「いいえ、まさか!」ときっぱりと言いきる。
「でも……一般的には、手に余りそうな部下と誤解されがちですが、兎羽野さんの優秀さは、誰がなんと言おうと、電犯一ですよ。そんな、あなたと仕事が出来るのは、とても嬉しいです」
「……そうかよ」
真っ直ぐな目を向けられ、俺は居心地の悪さを噛みしめながら、カップに残ったレモネードを吸い上げる。理由があるとすれば、リードが一人部署だと聞いたせいだ。エリートコースであろうリードが一人部署なんて、オートマタ化した警察官への偏見や差別意識があるからに違いない。
警察組織というのは閉鎖的だし、上層部に差別意識がある者も少なくはない。忌々しい事に、時代についていけないオールドタイプのお偉いさんが、電脳犯罪対策部に圧力を掛ける事もあるのだ。
それにリードだけの目を気にすればいいだけで、俺自身が本当に調べたい事を堂々と捜査できる。
「まあ……悪かねえな……」
不思議そうな顔をするリードだったが、何かを思い出したようにポケットから何かを取り出す。
「こっちもお渡しするのを忘れていました。専用のモバイルフォンです。これも、色々と機能があるので、あとで確認してみてくださいね」
「いざってときに手榴弾代わりになるとか?」
するとリードが笑い声を上げながら伸びをする。
「それ、いいですね。しかし、今のところ爆発機能はありません。犯罪者の情報が閲覧できたり、事件の最新情報が流れてきますよ」
「……なるほどね」
「兎羽野さん、午前中はオフでしたっけ?」
「ああ、ちょっと用事を済ませてくる。午後は訓練生の講義が入っている」
「そうですか。バッジとモバイルフォンは常に携行をお願いしますね。僕は、そろそろ警視庁に戻ります」
そうリードが立ち上がり、その背中に「次は負けないからな」と返すと、肩越しにこちらを見やり爽やかな笑みを浮かべてみせた。
「それはどうでしょう?」
そう憎たらしい言葉を返し、彼は再び軽やかにジョギングコースを走っていく。小さくなっていくその姿を見送り、俺もベンチから立ち上がる。
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