DINER 666 【Final episode】

〔7〕


「そもそも、警察官の擬態はバレやすいんだよ……」


 ダイナー666は今夜も繁盛しており、俺は呆れて向かいに座る若い男を見つめる。

 目の前の男の恰好ときたら、ノイローゼになった画家が描いた抽象画のような柄のTシャツに、底なし沼の水で染めたような色のハーフパンツという出で立ちであった。


「えっ、駄目ですか?」


 リードがぎょっとしたように自分の着ている服を見やり、俺は肩を竦める。駄目もなにも、よくそんな服をチョイスしたもんだと、逆に感心してしまう。


「まあ……ダサめのギークが、頑張ってお洒落してきたって感じだな」

「あ、このキャップがいけない?」


 青年に擬態したリードは被っていた『I ❤ NY』なんていう罰ゲームでもなければ手に取ることもないようなキャップを指差す。どぎついピンクの蛍光色のキャップを慌てたように取り、これで今どきの若者に見えるでしょう? なんて胸を張るが、俺は曖昧に頷くだけにする。


「でも……いいんですか? ここ、あなたの構築した店でしょう?」

「いいんだよ、ここは二号店みたいなもんだ。しかも期間限定のな」

「じゃあ、本店があるということですか?」

「まあな。本店は、もっと深い空間にある」


 リードは不思議そうに小首を傾げたが、気を取り直したように肩掛けしていた鞄からファイルを出してこちらに差し出す。


「九条君と一緒にいた青年のリアルでの所在が分かりました。あなたのお陰ですよ」


 書類には、大人しそうな青年の顔写真があった。リアルな世界でのノアの姿だ。ノアが庭で一瞬だけ俺の手に触れた時に、いつもの癖で彼の情報にタッチしていたのだ。僅かな情報だったが、警察組織ならばノアの住所等に辿りつくと思い、リードに依頼していたのだ。


「彼の容態は?」

「九条少年とは違い……彼の場合、昏睡したまましばらく放置されていて……発見がかなり遅れてしまったんです。なので、もし目が覚めても身体ボディの機能に障害が残るだろうと……」

「多分、あの二人のスピリットがリアルに戻ることはないだろうさ」

「そう……ですね」


 リードが眉根を寄せ、俺はそっと左手を差し出す。それを握手の催促だと気づいたリードが、そっとこちらに手を握り返してきた。


「あんたが、今回の一掃作戦に協力してくれるとは思わなかった」

「緊急とはいえ、兎羽野さんをログアウトさせないように、ゴーグルに侵入してしまったのが申し訳なかったので……僕に出来る事は、と思いまして」

「おまけに、あんたの昇進の評価にもなるしな」


 思わず皮肉っぽく片頬を上げてみせると、リードは心外とばかりに目を剥く。


「僕は、そんなつもりじゃ……」

「どっちでもいいさ」

「あなたに初めて会った時に言った言葉は、本当ですよ。少々、一匹狼の気があり、問題行動の目立つ兎羽野さんですが、僕はあなたのような部下……いや、バディが欲しいんです」

「そりゃ、熱烈な口説き文句をありがとよ。だがな、検挙率ナンバーワンで、正義漢の伝説のダイバーは、もう居ない。まさに海の藻屑になっちまったんだよ、諦めな」


 フン、と鼻を鳴らして軽く手を振ってやると、リードはむうっと微かに唇の端を下げる。まるでママに欲しいものを強請るガキみたいだ。


「あなたの中の正義の炎は完全には消えていないはず……」


 リードが何か言い掛けたのと、彼の腕時計のアラームが鳴ったのは同時だった。直後、ダイナーにいた数人の客が特殊拳銃を構えて立ち上がった。


「警察だ、動くな!」


 弾かれたようにダイナーにいた悪ガキパンクどもが弾かれたように立ち上がり、店内は逃げようとする奴や、捜査官に飛びかかっている奴でパニック状態となる。一気に乱闘場と化した店内を呑気に眺めるリード捜査官に、俺は片目を瞑ってみせる。


「言い忘れていたが、俺はやられっぱなしは性に合わないんだ」

「え?」

「そろそろ効いてきたんじゃないのか? さっき握手した左手の調子はどうだ?」


 俺の言葉にリードがまさか、と顔色を変える。


「ああ、そのまさかだよ。でも安心しろ、時間が経てば消滅するウィルスだ」


 握手したリードの左腕が痙攣しはじめ、彼は操られるように席を立つ。リードが眦を吊り上げてこちらを見やった。


「あなた、何をしたんです!?」

「ギニョルっていう、オートマタ化した奴にはてきめんに効くウィルスだよ。後遺症はないから安心しな」


 そうこうしている内に、ぎくしゃくとした動きでリードが乱闘する奴らに向かっていき、一人のパンクに左ストレートをお見舞いする。おう……中々、良いパンチだ。しかし、このウィルスの厄介なところは、誰彼なしに攻撃してしまうというところだ。

 そのままリードは、捜査官にも綺麗な回し蹴りをくらわせ、彼が鬼のような形相でこちらに顔を向ける。


「これは、許されることではありませんよ!」


 俺は肩を竦めて、にっこりと手を振ってやり店から退出ログアウトする。


 そのまま俺は、もう一つのダイナー666へと移動する。今日は臨時休業としており、店内には相棒だけがアクセスできるようにしていた。

 相棒は、いつものように店内が見渡せる位置にあるボックス席に座っており、こちらに気付いて軽く手を振る。


「すまない、待たせたか?」

「ううん、今来たところだよ」


 相棒は、きょろきょろと店内に視線を走らせて、少し興奮したように身を乗り出す。


「深層空間のダイナー666に来られるなんて思わなかった。ここ、本当なら有名なダイバー達しかアクセスできないんだよな? 最高にホッパーだ!」

「いつも会っている方のダイナーは今日で閉店だからな」

「どうして?」

「たむろっている悪ガキパンク……つまり、今回のターゲットどもが全員、逮捕されたからさ」


 目を丸くする相棒に、俺は小さく笑って続ける。


「ケミカルジュースの売買に、クラッキング、違法なダウンロード行為……すべて犯罪行為だからな。学校は退学ってところか?」

「……どうして? 俺が……あのとき拳銃で、あいつらをクラッシュさせなかったせい?」

「それは、違う。前々から、お前をリアルでいじめているやつらの情報は持っていたし、やるならリアルな世界でも打撃を受けるやり方の方がいいからだ」


 何か言いたげに顔を曇らせる相棒の頭に手を乗せ、そっと撫でる。


「クラッシュさせたいターゲットの情報を集めるのも便利屋の仕事だし、俺が出来る事をしたまでだ。MEL空間のスピリットをアタック攻撃したいなんて依頼は、だいたいはリアルでトラブルがあってのことだからな」

「俺があいつらから、リアルでいじめられてるって……いつ知ったの?」

「前回、会った時に。AIウェイトレスに命令して全員の情報をタッチしたんだ」


 相棒が困ったように眉を下げて、それから大きく溜息をついてみせる。


「俺、リアルでは、すっごくダサいんだよ。見た目もこんなホッパーじゃないしさ、デブだし、マジでギークなんだ……友達もオタクばっかりだし、女の子にもモテない。リアルでは歯が立たないから、MEL空間であいつらの鼻を明かしたくて、あなたに依頼したんだ」

「俺もリアルじゃ、アル中気味だし、リアルよりMEL空間にいる時間が多くて、ダイヴ中毒気味だし、最近、運動不足で腹回りがヤバイ」


 おどけたように片方の眉を上げると、相棒は「それはヤバイね」と笑い、つられて俺も思わず小さく笑う。


「ともかく、だ。リアルを楽しめよ、相棒。お前はまだ若いんだから。俺みたいなオッサンにはなるな」

「でも……またこうやって会えるよね?」

「この店のアドレスは、変更する予定だ」


 途端に相棒が傷付いたような面持ちになり、俺は宥めるように続ける。


「便利屋と依頼人の関係は終わった。こんな薄暗い深海より、日の当たるリアルに戻るんだ」

「……分かった」


 相棒がこっくりと頷き、ふと思い出したようにくしゃりと笑う。


「こうなるならさ、ジーナの事、ナンパしておけばよかったな」

「言ったろ? チャンスは掴める時に掴めって。まあ、お前ならリアルの女の子と上手くやれるよ」

「……だといいな」


 相棒がはにかんだように笑い、俺は「やれるさ」と頷いてみせる。

 そういえば目の前の少年の電脳ネームを聞いていなかったことを思い出す。ダイナーでは彼自身が擬態をしていたし、素性が分からないように適当に『相棒』と呼んでいたのだ。

 結局、聞いたとしても、もう会わない二人だ。寂しさよりも、どこか清々しさを覚えながら、微かに笑う。


「じゃあ、な。相棒」


 俺が握りこぶしを彼の方に突き出すと、相棒はくすぐったそうに笑い、自分のこぶしを軽くぶつける。その瞳が微かに潤んでいるのには、気づかないふりをした。

彼がダイナーから退出したのを確認し、店内の明かりを消す。もう、これで彼はここには入店アクセスすることはできない。

 窓の外は真っ暗で、俺はシートに横たわり、そっと目を閉じる。


「こんなところに入り浸ってはだめよ、忍」


 暗闇に溶け込むように懐かしい声が聞こえた気がして、慌てて身を起こす。


「……真莉奈?」


 しかし、誰もそこにいるはずはなく、俺はその懐かしい声に胸がぎゅっと締め付けられながら、もう一度身体を横たえる。

 リアルに戻っても、俺には何もないし、苦しいだけだ。俺にとっては、深層空間のほうが、息がしやすい。だからさ、もう少しだけ、ここにいさせてくれ。

 心の中で言い訳するように彼女に囁き、俺は目蓋を閉じた。

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