DINER 666 【Episode:6】

〔6〕


 とりあえず、二人を相棒と会う時の為に構築したダイナー666へとエスコートする。店内は、開店前で当然誰もおらず、彼女達は興味深そうに、壁に貼られたポスターやクラシカルなジュークボックスを眺め回している。

 武装を解除した途端に疲労感に襲われて、窓際のボックス席にぐったりと座り込む。興味津々といった具合で店内を探検する彼女達を自分が座っているボックス席に呼ぶ。

 俺と向かい合うように座った少女達は、さきほどのショック状態からは多少回復しているように見えた。ルナが、少し興奮したように身を乗り出す。


「兎羽野さん、凄く格好良かった。助けてくれて、ありがとう」

「ただの便利屋のおじさんじゃなかったんだね」

「ただの便利屋のおっさんだよ、俺は」


 よせよ、と軽く手を振ってみせるが、ルナもノアもはしゃいだように、ころころと笑い声をあげる。俺は気を取り直して、二人を真っ直ぐ見つめて言う。


「……ルナ、きみの親父さんは、どうしてもきみを連れ戻したいらしい」

「お陰で、わたし達の庭が滅茶苦茶になっちゃった……」


 途端にルナの顔が曇り、俺は思わず眉を下げながら頷いた。九条少年を心配しているのは間違いないが、やり方が完全に間違っている。


「ノア、きみのリアルな世界での年齢などは分からないが、ルナと同じように家族が心配していないのか?」

「さあね、どうかな? うちは酒乱の父親しかいないから、わたしの状態に気づいてないかも」


 そう片方の眉を上げて皮肉っぽく笑みを浮かべ、そうか、と俺は吐息交じりに背もたれに寄りかかる。どうしたものかと胸の前で腕を組んで思わず唸ったのと、リードから通信が入ったのは同時だった。


『兎羽野さん! 応答してください! ご無事ですか!?』

「ああ、無事だよ」

『良かった……電犯の特殊部隊が到着して、報告を受けたのですが、いたのは負傷した破壊屋達ばかりで、あなたがたが居ないので心配していました。あの、皆さんはどこにいるんですか?』

「俺が構築した空間だ。誰も無許可では入ってこられないから安全だ」

『皆さん無事なんですね、安心しました』

「ところで……あんた、今、リアルではどこにいるんだ?」

『実は、九条氏のご自宅に先程到着しました。彼から事情聴取をしなくてはなりませんから』

「……そうか。ちょっと待っていてくれ」

 

 ルナが何か言いたげなのに気づいて、通信を保留にして彼女に視線をやる。彼女は緊張したように身を硬くしながら言う。


「今、父さんと話せるの?」

「ああ、スピーカーで良ければ。話すか?」


 ルナの大きな瞳が強い光を放ち、隣に座るノアが不安げな面持ちで彼女の横顔を見つめる。


「リード、九条君が父親と話したいそうだ」

『そうですか……! 分かりました、ちょっと待ってくださいね』


 リードの声音が弾み、父親にそれを伝えるためか保留になる。俺はどこか祈るような気持で父親の言葉を待った。


「……智希!」


 スピーカー機能に切り替えたのと同時に、幾分慌てたような声が届き、ルナが顔を強張らせる。


『智希、お前は……どこで何をしているんだ!?』

「……父さん、どうして僕らの庭を壊したの?」

『庭? 庭とはなんだ……!? そんなことより、早く戻ってくるんだ!』


 このクソ親父め……! 思わず怒鳴りそうになるのを何とか堪えて見やったルナの面は血の気が引き、その大きな瞳には薄く涙が浮かんでいた。


「ねえ……父さんは、僕が将来、何になりたかったか知ってる?」

『なんだ? なにをいきなり……』

「良いから、答えてよ!」


 ルナの悲痛な声が響き、父親が怯んだのが分かった。一瞬の逡巡の後、短く咳払いして「あれだろう……」と切り出す。


「お前の将来の夢は、医者になることだ」


 俺はがっくりと、両手で顔を覆ってしまった。本当に、大馬鹿野郎だよ、あんたは……思わず低く呻くと、ルナが突然、笑い声をあげた。ショックでどうにかなってしまったのかと焦るが、ルナは怒りで燃えるような瞳で吐き捨てるように言う。


「もう、いいよ……!」

『なんなんだ!? いいってなんだ!? だいたい、お前は……』

『ちょ、ちょっと九条さん、落ち着きましょう!』


 リードの慌てふためく声が重なり、ブツリと通信が切れる。俺は深い溜息を漏らしながら、ルナの様子を窺う。


「大丈夫か……?」


 脱力したようにノアの肩口に額を寄せていたルナが、ゆっくりとこちらに顔を向ける。


「いつか……こんな日が来ると思ったの」

「え?」


 囁くように言うルナは、諦めと悲しみが綯交ぜになったような笑みを浮かべてみせる。その面持ちに内心、俺は焦りはじめていた。警察官時代、こういう表情を何度か見たことがある。


「遅かれ早かれ、ルナの父親が何らかの手段で、庭を見つけるだろうって覚悟はしていた。ううん、見つけるだけじゃなくて、きっと滅茶苦茶にしてしまうんだろうな、って覚悟はしていたの」

「瑠璃は、そんな時の為にって、もう一つの方法を教えてくれたの」

「もう一つの方法……?」


 嫌な予感に腰を浮かせる俺に、二人は互いの手を握りしめ、笑みを浮かべてみせた。


「もう誰にも見つからない深い場所、ファントム・ヘヴンに行くためのパスワード」

「待て、やめろ……!」


 俺が二人に手を伸ばしたのとルナとノアが「散る散る、満ちる」と声を重ねて囁く。刹那、二人の身体が青く輝く粒子のようになり、他の空間へと消失し始める。俺は咄嗟に、その粒子を掴んだ。


「ルナ、ノア……!」


 二人の少女は安らかな笑みを浮かべ、ルナが「さよなら」と唇を動かす。あっという間に二人の身体は転送されてしまった。


「……クソッ!」


 一人きりとなったダイナーで、俺の声が虚しく響く。同時に再び通信が入り、俺は掌をそっと広げながら応答する。


『都築です。先程は、すみませんでした……! あの、九条君は大丈夫ですか?』

「……消えたよ」

『え?』

「二人とも、もっと深い階層に消えちまった」


 二人という言葉に、リードが「どういうことです?」と驚いたような声を上げ、俺は掌にかろうじて残った少女たちの欠片に目を落としながら言う。


「もう、二人を見つける事は出来ないだろう」


 リードが息を呑む気配がし、俺は脱力感がじわじわと全身を這うのを自覚しながら、通信を切断する。さっさとリアルに帰って強い酒でも飲みたい気分だ。

 俺は道具箱の中から一つのフォルダを開いてキットを取り出す。手の中の僅かな彼女達の欠片(ログ)をそっと握りしめ、意識を集中させる。


「そういえば蝶は、変身願望の象徴とも言われているな」


 もう一度手を開くと、そこには一匹の青く美しい蝶が止まっていた。


「頼む、彼女達の足跡を辿ってくれ……」


 思わず願うように囁くと、青く光を放つ蝶の翅がゆっくりと動き始める。そのまま、蝶はひらひらと舞い始め、彼女達の行方を捜しに、広大なMEL空間へと飛び始める。

 急ごしらえの追跡用のbotだ。深層部へと消えてしまった彼女達の行方が掴めるかは分からない。

 しかし、一縷の望みに賭けてもいいだろう。

 儚げに青く光る蝶が羽ばたいていくのを見送り、一気に疲れを感じて、シートの背もたれに寄りかかった。俺の溜息が静まり返ったダイナーにやけに大きく響いた。

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