DINER 666 【Episode:3】

〔3〕


「こりゃ、また……」


 九条智希のゴーグルにアクセスし、そのゲートである奇妙に整った空間に感嘆の吐息を漏らしてしまう。壁に沿うように置かれた本棚にベッド、デスクに椅子、壁に掛けられた蝶の標本……恐らくモルフォ蝶だろう。青く光る羽がどこか冷たく輝いている。

 しかし、その床には幾人かの足跡がべったりと残っており、俺はその無粋さに思わず眉根を寄せる。多分、リードを含めた部下たちのものだろう。まったく、痕跡ログくらい残さずにアクセスできないものか。


「リード捜査官」

『はい、なんでしょう』

「このゴーグルのゲートは、九条智希のリアルの自室とそっくりか?」

『ええ、ほとんど同じですね。違いと言えば、リアルの部屋にある電化製品が一部ないくらいですよ』

「その部屋の画像を転送してくれ」

『分かりました』


 道具箱に画像が転送され、九条少年の自室の部屋と見比べながら、空間をゆっくりと見回す。確かにリードの言うように、リアルにはあるエアコンなどの電化製品がないくらいで、あまり変わりはない。

 しかし、これだけは違う……俺は、フレームに入れられたモルフォ蝶の標本を眺める。


「リード捜査官、九条智希は昆虫採集などの趣味はあったか?」

『いえ、特にそういったことは、なかったようですよ』

「……ふうん」


 俺は、そのままベッドの下を覗きこみ、そこになにもないのを確認し、勉強机の抽斗を開ける。鍵すら掛かっていないその中には、ノートやペンなどの文房具が几帳面に並べられていた。


「なあ、リード捜査官、あんたガキの頃にさ、エロい本とか親に隠して持ってなかったか?」

『……なんですって?』

「だから、エロい本や動画の一つや二つ、持ってたろ? 親に見られたくないものは、リアルではなくて、大概はゴーグルのどっかにしまっておくもんだ。なのに、この部屋ときたら、まるで修道士みたいに清潔で質素すぎる。このゴーグルって、親に監視されてなかったか?」

『ええ、父親が定期的にアクセスしていたようです』

「親が覗くんだから、エロいものは置けないよな」


 過干渉、そんな言葉を思い浮かべながらゆっくりと部屋を歩く。この静謐な部屋は、親を欺くためのフェイク、いわば隠れ蓑みたいなものだ。

 部屋の隅から隅まで、踏みしめるように歩き、どこかに隠しフォルダなどがないかを、壁に手を這わせて確認する。耳を澄ませてもバグ特有のノイズは聞こえないし、エラーすら確認できない。そのまま、蜘蛛が這うように壁を歩き、天井まで慎重に気配を探りながら進んでいく。視界が逆さまのまま腕組をしつつ、俺は青く美しい蝶に視線をやる。

 やはりこれがキーポーイントになるはずだ。


「……俺だったら、こうするな」


 俺は天井に立ったまま、モルフォ蝶に擬態する。ふわふわと青い羽を羽ばたかせていた瞬間、天井に3ピクセルくらいの細い隙間が出来る。やはり、これが九条少年の隠しルートへのゲート入り口ってわけだ。

 俺はモルフォ蝶の擬態を保ったまま、そのわずかな隙間からゲートをくぐった。


『兎羽野さん、聞こえますか?』


 擬態を解除したのと同時にリードから通信が入り、俺は「なんだ?」と辺りを見回しながら返す。


『進捗はいかがですか?』

「ああ、隠しゲートを見つけたぞ」

『本当ですか! それは、良かった』


 安堵したようにリードが言い、俺は少し驚きながらもその空間を見つめる。柔らかなクリーム色の壁紙に、アールデコ調の天蓋付きのベッド、レースをふんだんにあしらったクッションに、まるでドールハウスにでも置いてありそうな白いドレッサー……


「そういうことか」

『え?』


 クローゼットを開けて中に淡いピンクのワンピースや、ふわふわとしたデザインのスカートがあるのを見て、思わず両手で顔を擦る。


『兎羽野さん、何かあったんですか?』

「九条少年が、スクールカウンセラーに相談した履歴はなかったか?」

『こちらでは、そういった履歴はありませんでした』

「そうか……」


 薄いレースのカーテンが掛かった窓辺に近付き、外に青々とした葉が揺れる樹々の庭があるのに気づいて、俺はクローゼットの服装を参考に再び擬態を施す。

 ドレッサーに映ったのは、大きな瞳と小さな赤い唇が印象的な西洋人形のような顔立ちの少女だった。金色に設定した長い髪はやりすぎに思え、栗色に変更しカールさせる。

 声音を十四歳程度の少女のものに変更し、外に繋がるドアへと向かう。

 部屋の外はアーチ状になったツル薔薇や、ラベンダーやペチュニア、クレマチスが美しく咲いたイングリッシュガーデンだった。

 パープルの小さな花を付けたジギタリスが風に揺れ、見事な庭を見回しながら奥へと進む。

 見事な花々に囲まれた庭の奥は、芝生で出来た広場に行きつく。視線の先には、白のガーデンテーブルセットが置かれて、そこには二人の少女が向かい合うように腰を下ろしていた。彼女達を驚かせないように距離を保ったまま、立ち止まる。

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