DINER 666 【Episode:4】

〔4〕


「こんにちは」


 俺の声に二人がぎょっとしたようにこちらを振り向く。秘密の庭に入り込んできた部外者に、二人は警戒したように腰を上げる。俺は、彼女達を落ち着かせるように両手を上げる。


「驚かせてしまって、ごめんなさい。わたしは、あなた達に危害を加えようとして来たわけじゃないの」


 二人の少女はそれでも怯えたような面持ちで互いの顔を見合わせ、そのうちの全体的に黒を基調とした……おそらくゴシックロリーターというやつだ……フリルのワンピースを着た少女が、射るような視線をこちらに寄越す。


「あなたは、誰?」

「いつもはMEL空間で便利屋をしているわ。でも、九条君の件でここに来たの」


 もう一人の、プラチナ色の髪が印象的な少女の瞳が揺らぎ、俺はまっすぐ彼……いや、彼女を見つめる。


「あなたが、九条君ね」

「ええ……」

「良かったら、そちらに行っても大丈夫かしら?」


 二人は一瞬だけ視線を合わせ、同時にこっくりと頷く。俺は警戒を解くように微笑し、ゆっくりと彼女達の元へと近づく。

 椅子が用意され、九条少年に「どうぞ」と促されて俺は腰を下ろす。彼女達の観察するような瞳に、俺は苦く笑みを浮かべる。


「……女の子の擬態は余りしたことがないの。不自然かしら?」

「ううん、とても上手だと思う」


 はにかんだように九条少年が言い、俺はつられて笑みを浮かべる。


「でも、無理はしないでいいよ。擬態を解いても大丈夫」

「そう? きみ達のこの庭には無粋な見た目だと思うけれど……」

「その気持ちだけで十分。自分とかけ離れた姿をしなくちゃいけないのは辛いでしょう? 分かるから」

 そう九条少年の大きな瞳が翳り、俺は「ありがとう」と、擬態を解除する。リアルではある無精髭は無くし、少し伸びてそのままにしている髪もきちんとセットし、せめても礼儀としてパーティーにも行けるような瀟洒なスーツ姿になる。


「はじめまして。俺は、兎羽野忍」

「わたしは、ノアよ」


 黒髪の少女……ノアが微笑み、九条少年も「ここでは、ルナって呼んで」とはにかむような笑みを浮かべる。


「もしかして、ルナモルフォが由来?」

「どうしてわかったの?」

「きみのゴーグルのゲートである部屋にはモルフォ蝶が飾ってあったからね。モルフォ蝶はギリシア神話の登場人物の名前から付けられる、と何かで読んだことがある」


 ルナモルフォは、青みがある白く輝く翅の蝶で、月の女神『ルナ』を連想させる月の輝きのような繊細さが特長でもある。

 ルナが嬉しそうに頷き、俺はなんだかその様子に胸が締め付けられるような気分を噛みしめながら、それを誤魔化すように唇の端を持ち上げる。


「ルナ……どうして、俺がここに来たか、分かるか?」

「父さんに言われて、リアルに連れ戻しにきたの?」

「いや、きみのお父さんというよりは、電脳犯罪対策部の捜査官から依頼された」


 ルナとノアが不安げな面持ちになり、二人はテーブルの乗せられていた互いの手を握りしめた。


「あなたは、ルナをリアルに連れて帰るつもり?」


 俺は思わず大きく吐息を漏らして、椅子の背もたれに体重を掛けた。


「正直、ルナの部屋と、この秘密の庭を見たら気持ちがぐらついている」


 二人がほっとしたような面持ちになり、俺は彼女達に身を乗り出す。


「君らは、自分の意思でスピリットとボディの接続を切ってしまったのか?」


 正直、目の前の二人にそんな高度な事が出来るとは思えない。それこそ、腕のあるハッカーや、ウィルスを製作できる技能を持ったダイバーでなければ無理だろう。


「実は、わたしたちがこの庭を構築する前に使っていた、女の子の擬態をするための情報交換などをする場所サイトがあって……そこで出会った子がいて……」

「その子の電脳ハンドルネームは?」

「本当は『青い鳥』だけど、呼びにくいから『瑠璃』でいいよ、って」


 青い鳥……! その言葉に俺は息を呑んだ。そんな、まさか……!


「その瑠璃ってやつが手助けをしたのか!?」

 思わず語気を強めてしまった俺に、二人は少し驚いたように身を引く。


「瑠璃は、わたしたちの庭を造るのを手伝ってくれたの。あの子がいなかったら、わたし達はとっくにリアルで、自分の事を殺していた」

「スピリットとボディの接続を切るのもある意味、自殺と一緒だとは思わないのか?」

「違うわ。リアルの身体は死んでも、わたし達の存在はMEL空間で永遠に生き続けるから」


 そうルナが長い睫毛を伏せ、俺は両手で顔を擦るようにする。


「そうだな……リアルは辛い事で溢れている」


 俺だって、ボディやスピリットのダメージなんて顧みずに、MEL空間の深層部にアクセスしている方が大半だし、俺にも『秘密の庭』がある。おまけにリアルでは、死に急ぐように酒に溺れている。こんな俺が、彼女を責める事はできない。


「わたしね、本当はデザイナーになりたかったの。女の人が……ううん、男の人だって着たっていいの。可愛くて繊細で、袖を通したら誰もが心が躍るような洋服をデザインして、作りたかった」


 目顔で問いかけると、ルナは庭の花々に視線を巡らせながら、呟くように言う。


「小さいころから、レースやお人形にリボン、そんな可愛いものが好きだったの。でもね、父さんに見つかると、殴られちゃうんだ。だからずっと我慢して、自分に嘘をついて、男の子らしくいなきゃ駄目って、ずっと頑張ってきたんだけど……」


 ルナはこちらに顔を向けて眉毛を下げて、小首を傾げるようにする。


「でも、疲れちゃったんだ」


 ずっと自分を偽り続ける事の辛さは容易に想像できる。目の前の少年は、今までどれだけの痛みと悲しみを噛みしめてきたのだろう。そう思うと、言葉が出なかった。

 今どき、同性での結婚は当たり前だし、ルナのように身体と心の性別の不一致は、オープンにしやすいし、なにより、技術の進歩で身体を女性にオートマタ化することも簡単だ。

 しかし、そういったことに嫌悪感や差別意識を持つ奴はいまだに多いのも確かなのだ。ルナの父親は、悪い意味でのオールドタイプなのだろう。

 そういえば以前に、父親は性差について差別的な発言を講演会でして、それが大々的に報道されてバッシングもされていた。そんな父親が、性的マイノリティで悩む息子の心に寄り添えるか……いや、難しいだろう。


「しかし俺は……家族を失う辛さも知っている」

 

 呻くように言う俺を、二人の少女がはっとしたように息を呑んだ。


「兎羽野さん、家族を亡くしたの?」

「ああ、妻を亡くした」

「どうして……?」


 ノアが気遣わしげにそっと俺の掌に手を乗せ、俺は強張った顔に無理に笑みを浮かべる。


「殺されたんだ」


 少女達の顔が哀し気に曇り、ルナが何か言い掛けたのと同時に通信が入った。


『兎羽野さん! 聞こえますか……!?』

「ああ、聞こえている。なんだ?」


 リードの慌てふためくような口調に訝りながら応答した刹那、今まで晴れていた青空に、黒いインクを垂らしたような雲が広がり始めた。


『そちらに、ダイバーやクラッカー達がアタックし始めています!』

「なんだと!?」


 思わず勢い良く立ち上がった俺を、少女達は互いの身を寄せるようにしながら、怯えた目を向けた。






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