DINER 666 【Episode:2】

〔2〕


 ログアウトの文字を確認し、装着していたゴーグルを外す。リアルの世界は、早朝の六時。

 MELメル空間に入り浸りすぎたせいか、微かに頭が痛む。

 潜りすぎてまたしても、埋め込んだチップに負荷が掛かっているのだろう。まあ、いつものことだ。ゴーグルと脳神経の信号を繋ぐチップが埋め込まれた辺り……両方のこめかみを揉みながら、くたびれた革張りのソファーの上に横になる。

 どうせ眠れそうにもないし、酒でもくらって酔っぱらってしまおうか……そんな事を考えていると、玄関先にいた番犬型アンドロイドのケルベロスがこちらにやってくる。


「どうした、ケルベロス。エナジーリキッドはまだ補充したばっかりだろ?」


 シルバーに光るアルミウム合金の表面を撫でてやると、ケルベロスは「ウォン!」と低く唸るように鳴き、瞳を黄色に何度か光らせた。


「来客、か?」


 思わず時計を確認するとまだ六時半にもなっていない。依頼人でないとして、早朝にやってくるのは……

 ちょっと前に、仕事で電脳ギャングの下っ端とやり合った事が頭を掠め、緊張が走る。


「ケルベロス、緊急事態モードを起動」


 途端にケルベロスの瞳のライトが赤く光り、俺はソファーの下に隠していた拳銃を取り出し、ジーパンの背中側に押し込む。

 俺が立ち上がったのと、ドアホンが鳴ったのは同時だった。俺は足元のケルベロスに片方の眉を上げながら言う。


「なあ、ギャングは、丁寧に呼び鈴を鳴らすと思うか?」


 ケルベロスが「クゥン」と小首を傾げるようにし、ソファーの傍に待機するように小さく口笛を吹くと、彼は身を屈めるように腹ばいになる。

 気配を殺しながら玄関へと向かい、ドアスコープを覗きこむ。

 そこには、いやにきっかりとスーツを着込んだ男が立っていた。


兎羽野とわのしのぶさん、いらっしゃいますよね?」


 そう男はスーツの内ポケットから、警察バッジを提示してみせる。


「マジかよ……」


 俺はうんざりとセキリュティロックを解除してドアを開ける。少しだけ開けたドアの隙間から、相手をじっと見つめる。

 年齢は二十代後半から三十代前半くらい。引き締まった身体にフィットしているスーツはオーダーメイドだろう。妙に整った顔は知的な雰囲気を醸している。どう見ても、エリートコースの警察官だ。しかし気になるのはその瞳の色だった。


「もう一度、バッジを提示してくれ」


 そう言うと彼は薄い唇の端を持ち上げて、俺の顔の前にもう一度、警察バッジを近付ける。偽物じゃないのを確認し、俺は肩を竦める。


「で、警官が何の用だ? 俺を逮捕しにきたわけじゃねえだろ。一人だし、令状も持っていないようだし」

「ええ、今日のところは、逮捕はしません。よろしかったら、部屋の中で話せませんか? 玄関先では近隣の方……特に二つ隣に住む住人の目もありますよね?」


 俺は思わず小さく舌打ちして、部屋の中に彼を促す。男はまるで勝手知ったるといった具合で室内に入り、そのまままっすぐリビングへと向かった。

 男が観察するように、ぐるりと部屋の中を見回し、肩越しにこちらを見やる。


「ソファーの陰のドーベルマンの警戒モードを解いてください。そして、腰に忍ばせた拳銃は安全な場所に仕舞っていただいて結構ですよ」

「あんた……スキャン機能を搭載しているのか? いや、オートマタ機械化してるのか?」


 瞳の色が片方だけグレイブルーなのは、眼球を……いや、おそらく脳の一部を機械化している為か。しかし、警察組織内で機械化となると、それなりにハンデになりそうだが……


「脳の一部だけではありません。左の肩から腕、そして右脚は機械です」

「そりゃまた……若い連中が羨ましがりそうなホッパー具合だな」

「望んでオートマタ化しているわけではありませんよ」


 ソファーの陰からケルベロスが低く唸りながら姿を見せ「ケルベロス、伏せ」と言うと、大人しくケルベロスは床に伏せた。男は興味深そうにケルベロスを覗きこむように膝をつく。


「おい、知らない人間がちょっかいを掛けると、噛むように設定してあるから、気を付けた方が良いぞ」

「……そうですか」


 どこか残念そうな面持ちで男はソファーに腰を下ろし、長い脚を組んだ。


「珈琲でもどうだ?」

「いいですね。いただきます」


 ろくに使わないキッチンで天然物の珈琲豆をコーヒーメーカーにセットし、ゆったりとソファーで寛いでいるようにも見える男を見やる。

 淹れたての珈琲を注いだマグカップを渡しながら訊く。


「あんた、名前は?」

「申し遅れました。都築つづき・リード・創慈そうじと申します」

「リード?」

「ええ、父がアメリカ人なもので」

「ふうん……」


 どうりで手足が長いわけだ。思わず観察するように、いやに整ったリードの顔を見つめる。彼はガラステーブルにカップを置こうとしたが、色々なものが散乱しているのに気づいて少し困ったような面持ちになった。

 俺は酒の空き瓶や雑多な書類を押しやるようにして隙間をつくってやると、リードは薄く笑みを浮かべてカップを置く。


「本題に入りましょうか。わたしは、電脳犯罪対策部 捜査壱課 都築班の班長をしております。階級は警部です。折り入って、あなたに捜査に協力していただきたいのです」

「やっぱり昇進組だったか。それに、電脳犯罪対策部なら、俺のようなMELメル空間の便利屋なんかより頼りになる人材がもっといるだろ?」

「あなたの電脳犯罪対策部の捜査官時代の技術は、もはや伝説となっていますよ」

「昔の話だし、俺は辞めた人間だ」


 思わずソファーの背もたれに寄りかかりながら吐き捨てるように言うと、リードは淡く笑みを浮かべながら肩を竦めた。


「時間がないので端折らせていただきますが、あなたのMELメル空間の深層階層へのダイヴ能力、クラッキング、ハッキング、フィッシング、擬態等の能力は電脳犯罪対策部の捜査官が束になっても敵いませんよ。それに、あなた、たまに警視庁内のデータベースにアクセスしようとしていますね」

「証拠は?」


リードは「ふむ」と短く呟き、持っていた鞄から紙ファイルを取り出す。いやに分厚いその紙ファイルから、リードが書類を数枚、引き抜いた。


「兎羽野さん、あなた、アルコール中毒気味で、酔いながらダイヴすることがあるでしょう? いつもは痕跡ログや足跡一つ残さないあなたが、珍しく痕跡を残した事が。先々月の十四日の深夜一時三十八分です」


 そう、にこにことしながら、俺がアタックしたログの記載された書類等を乱雑としたテーブルに並べ始める。


「それだけじゃないですよ。こっちの画像は……おう、これは痛そうな右ストレートですねえ。先週に電脳ギャングの下っ端を思いっきり殴って、スピリットを傷つけた瞬間のものですよ。理由はどうあれ、他者のスピリットを傷つける行為は違法行為です。あ、元捜査官のあなたに、そんな説明は野暮ですよね? まだまだMEL空間法違反の証拠はありますが、ご覧になります?」


 そう、いやに整った相貌に涼しい笑みを浮かべやがり、俺は深く眉間に皺を寄せる。


「僕ね、欲しいなあと思っちゃうと、絶対に手に入れたくなるタイプなんですよ。これは、仕事でも同じです。欲しい人材がいたら、どんな手を使っても部下にしたくなるんですよ」


 うふふふっ、と妙に柔らかい含み笑いをしてみせ、俺は思わず「気色悪ィ」と吐き捨ててしまった。

 思わず鋭くリードを見つめ返すと、彼は涼しい顔で肩を竦めながら腕時計に目を落とす。 


「さて、先程も申し上げましたが、我々には時間がない。MEL空間に消えたとある少年を現実リアルに連れ帰って欲しいんです」

「……クソッたれめ……」


 ふと目に入った部屋の隅が、微かにブレているのに気づき、俺は慌てて手元のカップを見やる。そのまま、なみなみと珈琲に注がれたカップをひっくり返してみると、最悪なことに液体は一滴も零れない。クソッたれ、ここはMEL空間だ。

 俺は、まだログアウトできていない。いや、戻って来る途中で足止めを食らっていた、と言う方が正しいか。


「このクソ野郎、リアルでお前のことを絶対にぶん殴ってやる」

「それは怖いな。詳細は、こちらのフォルダに」


 そうリードは、紙ファイルをテーブルの上に置き、俺はデータにアクセスする。フォルダに入っていたのは、捜査資料と少年の写真だった。少年の名前は九条智希、十五歳。少し線の細い、どちらかといえば中性的な見た目の少年だ。

 先週にゴーグルを装着した状態で意識を失っているのを家政婦が発見した。現代も意識は回復しないまま、か。


「ゴーグルに外部の何者かがアクセスし、そのまま少年は昏睡状態になったというのが見立てなんだな。ウィルスの類を仕込まれたのか?」

「いえ、それがそういったものの痕跡はなかったのですが、感染後に消滅するウィルスもあるので、可能性はゼロではありませんね」

「ウィルスじゃないとして、ゴーグルの不具合……いや、その可能性の方が低いな」


 俺はゴーグルの画像を見つめるが、大手メーカーの一流クラスのゴーグルだし、不具合の情報はなかったはずだ。


「子供が持つには高級すぎるゴーグルだな。それに九条って、あの政治家の?」

「ええ。なので、この一連の出来事は一切報道されていません」

「スピリットとボディが悪意のある何者の手で、外部から切断されたとすると、MEL空間を利用した誘拐って可能性もゼロじゃない。身代金の要求は?」

「そういった連絡はありません」

「……ふうん」


 九条智希の情報が記載された文書に視線を走らせる。プラチナ地区に住むお坊ちゃんで、学校もセレブばかりが集まるような私立校だ。補導歴やいじめの痕跡もないし、本人もクラスメイトから人望もあったし、成績もスポーツも得意ときている。ゴーグル内に残っていた画像を見てもセクシャルなものはないし、学校生活を楽しんでいたのが分かる。


「だが、母親を小さい頃に病気で亡くしているのか……父親に隠れてケミカルジュースにハマっていたとか、コインやイェンを不正にくすねて、電脳カジノに行っていたとか、そういうことは?」

「我々が捜査した限りではないですね」

「ゴーグルのGPアドレスを教えてほしい」

「良かった、捜査にご協力いただけるんですね」

「俺が断ったら、逮捕するつもりだろ? あんたなら、いくらでも証拠を捏造できる」


 皮肉っぽくフンと微かに鼻を鳴らすと、リードは「ばれましたか」と爽やかに笑みを浮かべてみせ、忌々しさに思わず舌打ちする。リードから九条智希のゴーグルのアドレスを貰い、部屋の隅で起きているバグを一瞥する。


「この俺の部屋を元にした空間は、あんたが構築コーディングしたのか?」

「ええ……かなり急ごしらえですが」


 俺はソファーに寄りかかりながら、肩を竦めて、三段目と二段目の左右の高さと大きさか微妙にずれてしまった本棚を指差す。


「上手い構築とは言えないな。部屋の隅にバグがあるし、本棚の一部がカラム落ちしているぞ。要所要所に基本的なミスが多い。電脳犯罪対策部の捜査官としては致命的なミスだ」

「実は、MEL空間のコーディングは苦手なんです。そういったことに強い捜査官にお願いすれば良かったのですが、今回は秘匿性の高い案件なので、仕方なくわたしが構築したんですよ」

「正直、さっきからエラーが目についてしょうがない。バックグラウンドを一旦、デリートしてくれ」

「分かりました」


 途端に、さきほどまであった俺の部屋の風景はすべて消え去り、あたりは真っ白で何もない空間となった。

 あるのは俺達が座っているソファーのみとなった。俺は自分のゴーグルの道具箱から、昔に造ったバックグラウンドのコードをリードに向けて投げる。


「これに差し替えろ」

「分かりました」


 リードが神妙に頷いて、コードを書き換えると、辺りは漆黒から藍色のグラデーションに代わる。よし、これでいい。


「まるで、夜空のような……いや、深海のようですね」


 リードが感嘆したように呟き、俺は九条少年のゴーグルにアクセスすべく、呼吸と意識を整える。


「あんたはここで、お留守番していろ」

「しかし……」

「他人がいると集中できない。捜査の妨げになるぞ」


 リードがそれでも何か言いたげだったので、俺は仕方なく言う。


「きちんと音声だけはアクセスできるようにしておく。他人のゴーグルにアクセスするんだ、俺を集中させてくれ」


 分かりました、と深く頷くリードに見送られて、俺は九条少年のゴーグルのアドレスへとアクセスする。刹那、目の前の景色が一変した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る