第3話
カツーン、カツーン、と靴音が鳴り響く。それとは別に、ポットから湯気が出る音や、そのポットからお湯を注ぐ音も聞こえた。
千尋は朦朧とする意識の中、ゆっくりと目を開けていく。
冷たいコンクリートの床に、コンクリートの支柱。天井は高くなく、3mあるかないかといった感じだ。
解体寸前の雑居ビル。そんな印象を与える作りだった。
起き上がろうと足に力を入れようとしたら、足首が縛られていることに気づいた。そして手首も後ろに回され、キツくに縛られている。ほどくのは無理だろう。
「起きたか」
千尋は視線を横に向ける。するとそこには、キャンプなどで見る 折り畳み式の椅子に腰を掛け、スチール製のカップを持つ橋場がいた。
「おはようございます」
「おはようございます、か……動揺とかしないのかお前は?」
「まあ。予測はついていたので」
「可愛くないやつだな」と呟き、カップを折り畳み式の小さなテーブルに置くと、立ち上がり千尋に近づいた。目の前で方膝を着くと、彼女の顎に手を添えて顔を自分の正面に向ける。
「そんな無愛想だと。美人が台無しだぞ?」
「私は美人だとは思ってないので。先生も、そんな恐い顔してるとイケメンが台無しですよ?」
「いうじゃないか」
橋場は獰猛な笑みを向けると、千尋の顔から手を離し椅子に戻る。
「さて結城。お前にはいくつか、聞いておかないといけないことがある」
「でしょうね」
「まず前提だ。お前は何をしている?」
「何、とは。また直球ですね」
「いいから答えろ」
凄んで見せる姿は、普通の人なら怯んでしまうほど恐ろしい。だが千尋はクスリと笑うと、「そうですね」と話し始めた。
「先生が考えてるような仕事にはついてません。私はただの高校生です。今回のことについては、私が単独で行ったことです」
「それがこれか」
橋場は自分のポケットの中から、四角く小さい、機材のようなものを見せる。アンテナが立っており、赤いランプがチカチカと光っていた。
「わざわざ買ったのか? 高かっただろ、この発信器」
それを足元に落とすと、靴の踵で強く踏みつけた。プラスチックが割れるようなバキッ! という音をさせて、発信器は粉々になる。千尋はそれを、冷めた目で見つめた。
「すぐ壊さなかったんですね」
「お前の前で壊したら、どんな顔するかと思ってな。つまらない結果になったが。ちゃんとここに来るまでに、機能しないように細工はしてある。機械工学に関しては詳しいからな」
「そうですか」
「……後学のために聞いておこうか」
「何をですか?」
「なんで、俺が例の女生徒行方不明事件の犯人だと思った?」
放課後。最終下校時刻を過ぎたところで、千尋は再び学校に訪れた。別に忘れ物があった訳でも、誰かを迎えに来たわけでもない。ある目的のために戻ってきたのだ。
千尋は校舎に入ることもなく、校舎の裏手にある駐車場を目指す。そこには教員の車が数台置かれており、主の帰りを静かに待っていた。
誰もいないことをまず確認してから、千尋は一台の車の前に向かう。
鞄の中から発信器を取り出した。それをその車の車体下に取り付ける。
発信器を取り付けること事態、犯罪行為であることを千尋は理解している。だがつけない訳にはいかなかった。その人のことを調べる上で、居所を知る必要があったからだ。
千尋はここ数日。ある事件を探っていた。それは今この学校を賑わせている、女子生徒行方不明事件だ。千尋はこれがただの失踪ではなく、意図的に拐われたものと考え調べていたのだ。
そして数日の調査の末、千尋は犯人と思える人へと行き着いた。それがこの車の主、千尋のクラスの担任である橋場だ。
しかし確信がある訳ではなかった。だからこそ、証拠を確認するためにわざわざ発信器を取り付け、行動を追跡することにしたのだ。
「……さあ。どうなるかね?」
独り言を呟き、きちんとつけられてることを確認して、立ち上がった。次の瞬間、千尋は口を押さえつけられた。
一瞬の出来事で対応も何もなかった。ただ襲い来る眠気に抗うことができず、そのまま倒れるようにして意識を手放した。
「もとから目星はつけてました。ただ証拠がなかったんですよ。なので」
「発信器をつけたと。上手くやっていたつもりだったんだが、どこで気づいた?」
「そうですね。ただ何となく、そんな気がしただけだっんですが、行動とか調べてたら不可解に調整されてたので、そこから怪しいと」
「なるほどな。几帳面が過ぎたってことか。こいつは一本取られた」
橋場はクスクスと笑う。
「発信器を取り付ける理由は、自宅以外で頻繁に出入りするところがないかを調べるためだろ?」
「そうですね。先生は頭が良さそうだったので、自宅に連れていくようなことはしないと思ったんです。もし誘拐したなら、アジトのような隠れ家に向かうはずだと。そこを調べれば、何かしら確信が持てるのではないかと考えました」
「その考えは的中だったな。確かに俺は、誘拐した生徒は隠れ家に連れ込む。お見事だ」
馬鹿にするように拍手を送る橋場。「で? それがどうかしたか?」と挑発し、獰猛な笑みを浮かべる。
「考えは悪くなかったが、結果としてどうだ? お前はあっけなく俺に捕まり、場所もわからずじまいだ」
「私の体に、発信器が取り付けられてる可能性がありますが? 考えなかったんですか?」
負けじと千尋も挑発するが、橋場は笑いを堪えられないのか、手のひらで顔を押さえて肩を震わせている。
「愚かだな結城。そんな安い挑発に俺が乗ると思ってるのか? お前の体に発信器がないことを俺は知っている。なんせこの三ヶ月、お前のことは嫌と言うほど調べたからな」
千尋の目が見開かれた。明らかに動揺をみせる千尋に、今度こそ橋場は高笑いをする。
「傑作だな! 探偵気分も大概にしろよガキ。あまり大人をなめてると痛い目見るぞ? いや、もうあったか?」
耳障りは高笑いは続いたが、千尋の視線がどんどん鋭さを増していることに気がつくと、橋場は一気に感情が冷めたのか、見下すように千尋を見た。
「なんだその目は? 何かいいたそうだが?」
「いえ、別に。先生は殺人だけでなく、女子高生のプライベートも観察する下衆野郎だったことがわかっただけで、私は満足ですよ」
「……そいつは最高の誉め言葉だよ。俺は殺す相手のことは徹底的に調べあげる主義なんだ。お前は本当に運がなかったな。まさかターゲットの中に含まれてたなんて」
「そういうことか」
「身長、体重、なんならスリーサイズでも言ってやろうか? よく行く場所も把握してるぞ? あの寂れたカフェはなかなか通だな。しかし友好関係が狭すぎる。高校は神宮寺以外だと、赤羽くらいしか友達いないだろう? 寂しいやつだな」
饒舌に千尋の個人情報を喋り出す橋場は、まるで演説でもするかのように大袈裟に振る舞った。普通の人が聞いたら、怒りで殺意すら覚えるほど、橋場の言い方は癪にさわる。
しかし千尋はそんな言われ方をされても、笑顔を崩さなかった。
余裕そうなその顔に、橋場は大きく舌打ちをして乱暴に千尋の髪を引っ張った。痛みで呻くが、それを無視して彼女耳元に顔を近づかせる。
「何楽しそうな顔してるんだよお前は!! 自分の状態わかってますかね!?」
耳元で大声を上げるので、さすがの千尋も顔をしかめた。苦痛に歪め、横目で橋場を睨んだ。その反抗的な表情に、橋場は下卑た笑みを浮かべる。
「それでいいんだよ」
叩きつけるように乱暴に手を離すので、むち打ちにあったかのように、首に痛みが走った。
「俺を殺したいか結城? こんなことされてさぞ憎いだろうよ。だがな、これからお前は更に酷いことされるんだよ。生きていたくなくなるような、自分から死を選ぶような。そんなことされるんだ。ああ楽しみだな。お前のその顔を涙でぐちゃぐちゃにしてやりたい。そして最後は……」
背筋が凍るような顔だった。
橋場は自分でその結末を想像して、恍惚とした表情をする。
もはや絶望しかなかった。だがそれでも、千尋の心は折れてはいない。
その諦めていない顔つきに、橋場はクスクスと笑い出す。
「お前が何を考えてるか、当ててやろうか結城?」
「なんです?」
そう言って橋場が見せたのは、小さな折り畳みナイフだった。それを見て、千尋は今までに見せたことのないような驚愕を見せる。
「お前が毎日せっせとスカートの中に仕込んでたこいつを探しているんだろ? さっきから俺を挑発しつつ、意識を顔に向けようとしているのがいい証拠だ。そうすればスカートの中に手を伸ばしたところで、気づかれにくいだろうからな?」
「……そんなとこまで」
「言っただろ……お前のことは徹底的に調べあげたってな」
もはや活路すら見いだせない状態だった。さすがのことに項垂れる千尋。橋場はナイフを捨てて、また豪快に高笑いをした。
「もうお前には何もないんだよ。だけど折れてくれるなよ? 従順な奴を殺したところでつまらないからな。殺されるまでずっと抗ってくれ。それを殺した時が、さいっこうにいいんだから」
橋場は立ち上がり、ようやく抵抗の意思を見せなくなった千尋に歩みより、彼女の制服に手を伸ばした。後は身ぐるみを剥ぎ、犯し尽くして殺すだけだった。これまで全てがそうだったから、橋場はこれからの展開を疑うことはなかった。
しかしそれは起こった。目を疑うようなことが起こってしまった。
「……はっ?」
橋場の手首から、血が溢れた。
「あっ……ああ!! 何が!? なんだよこれ!?」
あまりの出来事に困惑した。だが気が動転してようが、頭はすぐに生存本能によって、生きるための選択をする。体が勝手に脈を強く圧迫し、血がこれ以上出ないように止める。
それに、暖かな湯船に浸けて切るならまだしも、今は秋で外は寒い。橋場の隠れ家も例外ではなく、廃墟であるので余計に寒かった。寒さで血管は収縮するので、これぐらいで死ぬようなことはない。
だがわかってはいても、取り乱しはする。普通、手首を切られて焦らないやつなんていない。
「何でだ!? ナイフは回収したじゃないか! あるはずないんだ! 他に隠し持ってる可能性なんて!」
叫びながら千尋を確認する橋場は、瞳孔が開かんばかりに目を見開く。そこには埃を払いながら、なんでもないように立ち上がる千尋の姿があった。
手には、血の付いたナイフがギラついている。
「……どうして? なんで!?」
「さっきからなんでなんで煩いですよクソ教師。徹底的に調べあげた? ご冗談を。あなたは私の一部すら掴めていない」
面白がるように笑顔を向ける千尋に、橋場はワナワナと肩を震わせ、強く歯軋りをする。
「ふざけるな!! 俺の調査は完璧だった! お前の家庭事情から友好関係に行動範囲! お前がどこで何をしていたかを知っている! 心理的観察も重ね、お前の精神状態だって把握してるんだ! それなのに!」
「それが全部。あなたを誘き出すための演技だとしたら?」
「……は?」
間抜けな顔で呆ける橋場に、とうとう我慢できなくなったのか、千尋はお腹を抱えて笑い出した。今までに見たことのない姿に、更に唖然とする。
「ああ……うん。愉快だね……それは言い過ぎだよ。先生だって真面目だっんだから。ね? 先生」
「何を……言って……」
突然、千尋は独りでに会話を始めた。この三ヶ月、けして見ることのなかった光景だ。だが千尋はそれこそが当たり前と言わんばかりに、誰かに向けて「うんうん」と相づちを打つ。
「そうだね。この人はただの一般人だった。無駄な時間だったな~。でも……うん。知られたからには、殺さないとね」
千尋は手元のナイフを橋場の太腿に投げる。狙い違わずナイフは刺さり、橋場は悲鳴をあげて片ひざをついた。手首の出血も抑えなくてはならないので、切られた方の手で必死に抜こうとする。だが上手く力が入らないのか、なかなかナイフは抜けなかった。
「何モタモタしてるんですか? 早く逃げないと……殺されちゃいますよ?」
千尋は捨てられたナイフを拾い、刃を抜き身の状態にする。そして微笑みながら、必死になってナイフを抜いている橋場の元に歩みよる。
橋場の顔には恐怖が滲み出ていた。自分の影で覆うように立つと、にっこりと笑う顔をまじまじと見せつける。
「どうしました? 抜けないのなら手伝いますよ?」
そう言って千尋は、刺さったナイフを時計回しに回転させてから引き抜く。橋場の悲鳴が廃墟に響いた。
「もう。だいの大人が情けない声出さないでくださいよ」
「お前は、なんなんだ!? なんなんだよ!?」
「私ですか? 最初に言ったじゃないですか、ただの女子高生ですよ?」
「信じられるか!!」
「まあどっちでもいいですけど、確かに普通の女子高生ではないですからね」
千尋は両手に持っているナイフを、同時に橋場に投げつける。一本が肩に、もう一本が押さえてる腕に刺さる。
「どうせ見バレしてますし、虐めるのはやっぱりつまらなかったので、一思いに殺してあげますね」
そう言って、千尋は肩に担ぐように右手を持ってくると、何もない空間を握った。すると真っ黒い炎が滾り、やがてそれが一本の緋色の剣になる。
そして剣が出たと同時に、千尋の姿が一変した。髪や瞳が闇よりも深く、そして炎が彼女を纏うと、黒を基調としたシックな衣装に変わり、黒い外套を羽織っていた。
今まで見てきた、結城千尋と言う人間からはかけ離れた、別の誰かだった。
あまりの出来事に思考が追い付かないのか、橋場は呆然とその姿を見ていた。
千尋はクスリとほくそ笑み「どうしました? 鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してますよ?」と馬鹿にする。
「お前は……何者なんだ?」
「私は私。結城千尋です。ある人には死神と言われてます。なので先生も気軽に、死神ちゃんとお呼びください」
「死……神? 人間じゃないのか?」
「そうですね。私はとっくの昔に人間を辞めてしまいました。でもそれは先生も一緒ですよ?」
「何?」
「欲望に取り付かれ、欲望のままに動く人間が、果たして人と言えるのでしょうか? 私はただの獣か、鬼だと思います。だから先生も、もちろん私も、獣で鬼、ただの畜生なんですよ」
言葉がなかった。その通りだと、自分で思っていたから。だから橋場は何も言えなかった、反論も正論も、自分が言うには無価値が過ぎる。
こんなことをやっている人間が、まともな訳がないのだ。だから自分はまともではない。狂っている。だけどそれで構わないのだ。狂っていることこそが、自分であるのだと確信しているから。
「お前は……」
「さて先生。さようならの時間です。言い残す言葉はありますか?」
もはや逃れられない死を悟り、橋場は唐突に笑いだす。もう笑うしかないのだ。可笑しくなくても、そうすることしか出来ない。それくらい、どうしようもないのだ。
「お前は……何者なんだよ?」
その問いを、千尋は予期していなかった。だからこそ驚いたが、同時に面白いとも思った。
「なおも聞きますか。ならばちゃんと、答えましょう」
一呼吸置いてから、語り出す。
「私は
「本物の、鬼畜生なんだな」
「ええ。満足いただけました?」
「馬鹿が。満足なんて、するわけねぇだろ」
一刀。千尋は掲げた剣を横薙ぎに振るう。剣は吸い込まれるように橋場の首を捉えると、素晴らしい斬れ味で切断する。斬られていることもわからないほど、卓越した腕だった。
首に留まることのできない頭は、自重によって転げ落ちる。苦しみを与えることなく殺すその姿は、まさに死神である。
「それは残念です」
剣は炎に包まれ消える。千尋は落ちた橋場の頭を見ながら、優しく微笑むのだった。
『もしもし~? どうかした千尋ちゃん? 俺は仕事中なんですが?』
電話越しの男性は、仕事中と言う言葉とは裏腹に、不満などは一切なく、むしろこれから会話を楽しもうとするような声だった。
「例の女生徒誘拐事件。終わりましたよ?」
『おっ! さすが千尋ちゃん。仕事が早いね~。でっ? どうだったの?』
夜の公園のベンチに腰掛けながら、千尋は空に浮かぶ月を眺める。それから思い出すように、事務的な言葉使いで報告をする。
『なるほど。Desireじゃなかったか。それは残念だったね。でも殺したんでしょ?』
「見バレしたので」
『なんだか、SNSの裏アカ女子みたいな響きだね』
愉快そうにする声が癪に障ったのか、千尋は不満そうに眉をしかめる。
「もう切りますよ?」
『ああ待って待って。死体を回収しないと。場所はどこ』
「GPS見てくださいよ」
『え~。だって移動しちゃったでしょ? それだと特定は難しいよ~?』
「私、まだ近くにいますから。それにここ、警察庁から遠くないですし」
『えっ? 本当? じゃあすぐ向かうよ。着替えは必要?』
「別に必要ないです。血は飛び散らなかったので」
『OKOK。じゃあちょっと待っててね。最近物騒だし、帰りは送っていくよ』
「ありがとうごさいます」
電話を切る。千尋は溜め息をついて、現在の時刻を確認する。
夜の8時を過ぎたところだった。放課後から、少なくも3時間近くは眠らされていたのだろう。
「帰ったら宿題やらないと」
先程、人を殺したとは思えないほど、日常的な思考だった。普通の女子高生で、どこにでもいる普通の人間。きっと、この子が殺人鬼なんです。と誰かが言ったところで、けして理解はされない。
しかし。人は誰しもが普通な訳ではない。
例え千尋が純真そうに見えたとしても、その本性が必ずしもそうであるとは限らないのだ。生徒に人気があり、優しいと言われる橋場でもだ。
秋の夜は冷える。まだ白い息はでないものの、肌寒さは冬だった。
千尋はブレザーのポケットから500円玉を取り出して、側に置かれた自販機の前に行く。小銭を入れて、何にするのか迷った。迷った末、目に留まった缶コーヒーを購入した。紗羅が好きな、橋場が今日飲んでいた缶コーヒーを。
プルタブを開けると、空気の抜ける音と、コーヒーの香りが漂う。一口飲んで、一言「苦い……」と言いながら、千尋はコーヒーを飲み干した。
翌週の放課後。千尋は柚香と一緒に多目的室Aにいた。カーテンは開けられ。窓も扉も開いており、風通しがよくなっている。
ゴチャついた準備室の中は、部類ごとに分けられ、幾つかの大きなビニール袋の中には、痛んで壊れた教材なんかが、可燃、不燃で分けられている。
「千尋ちゃん。なんでまたここの掃除なんてしてるの? 誰かに頼まれたの?」
「頼まれた訳じゃないよ。これは約束みたいなもの」
微笑む千尋に、柚香は「橋場先生?」と訪ねた。千尋は頷くと、納得したように「そっか」と呟く。
「突然だったもんね。でもあるんだね。急な転勤って」
「ね。ビックリした」
「だから掃除してるんだ」
「うん。橋場先生。掃除したかったみたいだから。せめて私がやってあげようかなって」
「千尋ちゃんもしかしてもしかして?」
柚香は口許に手を当ててニヤニヤと顔をにやつかせていたので、「変な勘違いしないの」と釘を指した。
「けどさ。なんで転勤しちゃったんだろうね?」
「さあ? 先生にも事情があったんじゃない?」
「でもさあ。これだと先生に探して貰えないじゃん」
不貞腐れたように頬を膨らます柚香に、「そういえば……」と一昨日の出来事を思い出す。
あの時、橋場とした、もし二人がいなくなったら先生が探すと言う約束。しかしそれは、先生がいなくなった関係で無効となってしまった。
「もし二人がいなくなっちゃったら、どうするんだろうね?」
「そうだね。その時は……どうしよっか?」
苦笑して聞き返されたので、柚香は「う~ん」と唸って考える。だがそんなすぐ答えなど出るわけもなく、「わかんない」と匙を投げた。
「その時はその時かな」
「だね。きっとなるようになるよ」
お互いに顔を合わせて、笑い合う。
「さて。終わらせちゃお。あとちょっとだよ」
「だね~。頑張ろう」
気合いを入れ直し。二人は掃除を続ける。
数分した後、仕分けが終わり。ゴミを両手に抱え、多目的室を後にした。そのゴミ袋の中には、必要のなくなった三角定規と分度器が仕舞われていた。
Desire 滝皐(牛飼) @mizutatu
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