「お願い。助けて」

 凄まじいエネルギー量の思念が、おれをぶち抜いていく。胸を引っ掻き回して、頭のド真ん中に刺さって、自意識とか思い出とか予知夢とか全部、鮮やかに照らし出そうとする。ぐちゃぐちゃにこねくり回されて、おれは混乱する。


 総統のチカラが暴れている。

 波打つ地面に突き上げられて、畳が数枚、ボコボコと浮いた。天井が軋む。海牙や天沢氏が、落ち着いてくださいと叫ぶ。


 総統だって、我を忘れているわけじゃあない。自分自身に暗示をかけようとする声が、大広間に轟く。


しずまれ、鎮まってくれ……宝珠よ、共鳴するな。逆だ。抑え込むのだ。封じてしまえ。押し殺して、制御して……ああ、混乱してはいけない】


 必死の祈りみたいなそれは、絶対的な強制力を持つ命令でもあって。


 おれは体が動かない。起き上がれない。呼吸が鈍くなっていく。朱獣珠も、目に見えないチカラにいましめられて、鼓動さえ禁じられている。


 クソ、パニクって自滅まっしぐらとか、一人でやれよ。

 重くて持ち上がらない舌を無理やり働かせて、おれは言った。


「おっちゃん、あんた、どんな宝珠を預かってる代償に、そんなデカいチカラを使えんだ?」


 預かり手のチカラの強さは、預かる宝珠のチカラの大きさに対応する。四獣珠はランクの高い宝珠だし、おれのチカラだってかなり効力が高いと自覚してる。


 だけど、総統って男、本当に一体何なんだ?


 娘が誘拐されました、脅迫の電話もかかってきました。そりゃあショックだろう。でも、ショック受けて取り乱した瞬間、部屋がぶっ壊れかねないほどのエネルギーを放出するって、並大抵の代物じゃあねぇだろう?


 総統がおれの問いに答えを返そうとする気配がある。


 おれは、例えて言えば、総統っていう巨人のバカデカい手につかまれたような状態だから、目の前にある巨大な顔がどんな表情を浮かべてんのかとか、握りつぶさない程度に力加減する余裕があるかどうかとか、ダイレクトに感じられる。


 余裕、ないでやんの。いいよ、別に。無理して答えなくていいって。おれだって、ここでぺしゃんこにされたいわけじゃねーし。おっちゃん、とりあえず落ち着けよ。


 スマホの電波はしつこく届き続けている。あの悪趣味なメッセージがまだ繰り返されている。


〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉


 いきなりだった。

 波打つ畳に弾き飛ばされて転がってきたスマホを、姉貴がつかんだ。淡いピンク色に塗られた爪が、画面に照らされてキレイに光った。


 重苦しいチカラに押さえ付けられて身動きすらろくにできない中で、姉貴は、腹の底から振り絞るように懸命できょうじんな声を、スマホにぶつけた。


「そこにいるんでしょう?」


 鳴りやまない電子音声。娘の命が惜しくば。

 姉貴はスマホを顔に近付けて、それが憎むべき敵であるかのようににらみ付けて、声を大きくする。


「そこにいて聞いてんでしょう? 何考えてんの? 見境とか、ないの? 誰に手を出してんのよ! 何度も海牙くんの玄獣珠を奪おうとして、今度は預かり手でもないさよ子ちゃんを誘拐して! それが人の親のすること? 教育者のすることなの? ねえっ!」


 姉貴の声が、飾り彫りの天井に反響した。


 それ以外の音がないことに気が付いた。総統が自分を抑え切れずに立てていた地響きも、スマホから無機的に流れて続けていた電子音声も、ない。


 静まり返っている。誰かが呼吸する音が聞こえる。

 スマホが雑音交じりに告げた。


〈時間がない。願いがある。叶えねばならない。何に代えても〉


 男の声がそれだけ言って、あらかじめ作ってあったんだろう電子音声のメッセージに再び切り替わる。


〈本日正午、もう一度、平井鉄真に連絡する。そのときまでに宝珠を用意せよ。こちらの要求に応じない場合は、本日午後三時、娘に苦痛を与える〉


 ブツンと、通話が途絶えた。


 わかっちゃいたけどさ。

 実際にその声、聞いちゃうとね。


「絶望的すぎて笑うしかねぇよなー。うちの親父どの、長江たかおきが誘拐犯だって。警察に通報したら、一発じゃん。自分が経営してる学園に通う美少女を誘拐しましたーって、笑えなすぎて笑えるだろ。サイッコーのネタじゃん。ヤベー、笑える」


 制約が消えたばっかりの、痺れの残った体で。うまく呼吸できなかった喉の、かすれて裏返りがちな声で。おれは、畳に這いつくばったまま笑った。けいれんするみたいなぶっ壊れたリズムで、げらげらひーひー言いながら笑った。


 視線が集まって痛い。だけど、おれはそんなの気にしないふりで、狂ってるかのようなポーズを取って、そのまま笑い続けて。


 肩をつかまれた。ふみのりがおれの目をのぞき込もうとする。

ひと!」


 おれは、どこでもない斜めを向いて、へらへら笑いの仮面を外さない。


「何だよ?」

「笑うな」

「どーして? 笑えるじゃん」

「笑えない。おまえ、そこは笑うところじゃない。笑うな」


 文徳はおれの両方の肩をガッチリとつかんで、揺さぶった。視界の端に、ギターだこのある大きな手。いつの間にかおれより体格がよくなっていた文徳の手は、きっと、おれがちょっと身じろぎしたくらいでは振りほどけない。


 反射的に声が出た。

【放せよ】

 他人に命じるための、チカラある声。


 一瞬、文徳の手がピクリとして、すぐにそれまで以上の力が込められた。


「こっち向け。怒りたいときも泣きたいときも笑う癖、やめてくれよ」

「自分だってそうだろ。文徳だって、いつもカリスマ優等生の役を上手に演じるために、どんな場面でも笑ってみせるだろ。ムカつくほど余裕しゃくしゃくの顔でさ」


「余裕ね。ないよ、そんなもの。だけど、余裕っていうのは、あるように見せかけてるうちに、後からついてくる。俺は兄貴だしバンドのリーダーだし、あきらの前でまっすぐ立ってみせるために、強がることに決めたんだよ」

「おれだってさ~、それなりに理由あって、こーいうキャラなんだけど?」


 違う。


 おれの笑顔と文徳の笑顔では、仮面っぽいところは同じでも、意味合いが全然違う。おれは、痛いのもキツいのもまともに受け取りたくないから、笑ってごまかしてんだ。文徳は正反対で、痛くてもキツくても笑っていようって決めたから、仮面をかぶる。


 自分の顔が歪むのがわかった。笑みを押し通したい唇が勝手にひん曲がって、眉間にしわが寄って、顔の中でも普段使わないような変なとこに力がかかって、自分の表情がどんなふうなのか、まったくわからない。


 おれはきつく目を閉じた。文徳の声が聞こえる。


「理仁の気持ちは、俺にはわからないよ。俺には両親がいない。生きてたころの父親はカッコよくて、よく遊んでくれて、子どものころの俺にとって憧れの存在だった。理仁が今どんな気持ちで笑ったのか、怒ってるのか、俺は共感するための素養を持たない」


 文徳の静かな声はグッサリとおれを刺して、ザクザク音を立てながら、傷口をえぐっていく。痛くてキツい。何でこんなもんを正面から受け止めなきゃいけないんだ。


 肩を揺さぶられる。おれはまぶたを開ける。文徳がおれの顔をのぞき込んでいる。明るい茶色の目。文徳のまなざしが涙でうるんでいることに、向き合って初めて気付く。


「何で泣いてんだよ?」

「もどかしいから。俺は何のチカラも持たないし、理仁の境遇を知ってても共感できずにいるし、理仁が俺にも誰にも心を開こうとしてくれないし、どうすればいいのかわからなくて、もどかしいんだよ」

「心を開く?」


 他人に心を開かせるのが、号令コマンド使いのおれのチカラで、心を開くってえげつないことだなって、昔から思い知っている。だから、おれはよっぽどの相手じゃないと、そんなことしたくなくて。


 あれ? でも、文徳にはけっこう腹を割って話さなかったっけ?

 チカラのせいでいろいろあれこれ苦労してきたこととか。おれも姉貴も親父のこと嫌ってることとか。ペットが軒並み早死にしたこととか、母親が入院してることとか。親父が朱獣珠を使いまくってジャンキーになってることとか。

 ああ、そうだ。


「家族のこと、話してなかったんだ、おれ」


 いつかは話そうと思っていた。でも、時間が足りなかった。おれは、自分が本当に文徳を信頼できるようになるまで待とうと思って、待って待って待って、一年が経過して、そのままろくに挨拶もせずに日本を離れた。


 文徳が、クシャッと笑いじわを作ってみせた。


「待ってたんだぞ。理仁の家は大変そうだなって薄々知ってて、力になれることがあるにせよないにせよ、せめて俺のところを逃げ場として使ってもらえないかなって思ってて。俺は何もできなくても、煥がいるからどうにかなるかもしれないぞって」


 とっさに出た言葉。

「ごめん」


「何で謝るんだ?」

「おれにもわかんねえ」

「何だそれ?」


 文徳が噴き出す。

 不意に、おれは視野が広がった。みんながこっちを見ている。姉貴と目が合った。姉貴は、唇をきつく噛んでいる。


 話さなきゃいけない。おれと姉貴だけではどうにもできなかったから。

 おれは口を開いた。


「前もさ、四獣珠を呼び集めたのはおれんとこの朱獣珠かもしれないって言ったことあったと思うけど、あのね、事情を話したい。そして、一緒に戦ってほしいんだ。うちの親父を倒すために」


 誰も異議を唱えない。姉貴もおれを止めようとしない。


 予知夢の中で、この瞬間に似たシーンを見たことがある。何度も挑戦した。何度か失敗した。結末の前に目覚めたこともある。今ここで進んでいく現実のストーリーは、果たして、どこまで行けるんだろうか。


 おれは語り起こす。


「あいつさ、うちの親父のことだけど、もうまともな人間の精神をしてないと思う。おれが生まれてからずっと、あいつが朱獣珠を管理してた。一昨年、自分で調べてみるまで、おれ、朱獣珠が自分に属するものだって知らなかった」


 みんなに聞いてもらうべきは、朱くて怖い石の話。


 親父がたびたび、ニタッと笑いながら朱い石をのぞき込む光景は、ごく幼いうちから記憶に焼き付いていた。直径二センチちょっとの石は、まるで生きた目玉みたいにギョロギョロとした光を放っていて、幼いおれには怖かった。


 ある夜、飼っていた犬が、ただごとじゃない悲鳴を上げた。ドア越しにそれを聞いたおれと姉貴は、慌てて庭に出て犬の姿を探した。


 朱い石が光っていた。朱い石を持った親父の足下に、犬は血まみれで息絶えていた。


 あのとき、親父は何て言っただろう? 強盗が入って、犬が命懸けで撃退してくれたとか、そういう嘘だった気がする。


「嘘ってことはわかってたよ。うちさ、しょっちゅうペットが死んで、すぐ新しい子が来てたんだけど、親父が利用するためだった。宝珠は、願いをかけて代償を差し出したら、どんな奇跡も起こしてくれる。その代償としていちばん価値が高いのは、命なんだ」


 朱い石が怖かった。

 おれと姉貴の大切な動物たちの命を次々と吸っていく朱い石は、魔物みたいだった。朱い石を使う親父もきっと魔物の仲間なんだと、いつしか思うようになっていた。


 高一の夏、ばあちゃんが死んだ。ひいばあちゃんから預かったという漆塗りの書類箱を、おれに残して。


 書類箱の中身は古文書だった。四獣珠について、預かり手の役割について、願いと代償の等価関係について、チカラと禁忌の均衡について。おれはそれを読んで、初めて、あの朱くて怖い石の正体を知った。自分と朱い石の関係を知った。


 ひいばあちゃんは先代の朱獣珠の預かり手で、おれが生まれると同時にチカラを失ったらしい。それは親父にとって絶好のチャンスとなった。朱獣珠は、預かり手ではない親父の手に渡った。


「おれんちの資産って、あのバカデカい学園も含めて全部、朱獣珠のチカラで引き寄せた代物なんだよ。その陰にあるのは、金額にしたら何万分の一に過ぎない動物たちの命でね。親父はちょっと手を汚すだけで、ポンポン資産を増やしてきた」


 文徳が痛々しそうに顔をしかめている。煥もそっくり同じ顔。やっぱり兄弟だな。


 鈴蘭が胸のあたりでギュッとこぶしを握ってるのは、青獣珠の鼓動を確かめてるんだろうか。鈴蘭はおれと姉貴を交互に見て、今にも泣きそうな顔をして言った。


「わたしは、宝珠に願いをかけてはならないって、預かり手だった祖母や母から聞かされて育ちました。預かり手は、ただ預かるだけ。宝珠は奇跡のチカラを持ちながら眠っていて、人間はその眠りをさまたげて因果の天秤を揺らしてはならない」


 姉貴が、歯型の付いた唇で、呪いの言葉を吐き出すみたいに言った。


「あいつは、朱獣珠を使えば使うほど狂っていった。あいつが勝手に破滅するだけなら、どうだっていいのよ。わたしたちの人生まで乱されたくなかった。だから、理仁が四獣珠の事実を知ったとき、わたしはあいつから朱獣珠を盗み出した」


 そう、おれひとりじゃ何もできなかった。姉貴が引っ張ってくれて、ビビりながらも、どうにか動くことができた。


 だけど、おれと姉貴のふたりでも、逃げるのが精いっぱいだった。親父に反撃することも、その野心を砕くこともできなかった。


 強くなりたい。もうおびえたくないし、逃げたくもない。

 おれは、こぶしをきつく握って言った。


「力を貸してほしいんだ。こうして四つの宝珠が集まったのは、朱獣珠がSOSを出した結果だと思ってる。もし力を貸してくれるんなら、みんなにはイヤな仕事に協力させることになるんだけどさ。お願い。助けて」


 祈るような気持ちだった。


 海牙と煥が同時に言った。

「今さら後には引けない」


 声が重なったことに驚いた様子で、海牙と煥はお互いを見た。海牙は笑みを浮かべて、煥はそっぽを向いた。


 鈴蘭がいくらか和らいだ表情をして、「わたしも」とうなずいた。


 いつの間にかおれから少し離れていた文徳が、もう一度、おれの両肩をつかんでおれと向き合った。それから、黙っておれの背中に腕を回して、ポンポンと、ちょっとだけ荒い手つきで叩いた。


 さっき衝撃波に吹っ飛ばされて転がってってた天沢氏が戻ってきて、姉貴の手から総統のスマホを受け取った。天沢氏はそれを総統に届けて、総統のかたわらに正座でひかえる。


 総統はおれをまっすぐに見て、言った。

「理仁くんは、宝珠というもの自体が怖いか?」


 おれには隠すつもりなんてない。


「怖いっすよ。朱獣珠だって、だんだん意思疎通できるようになってきたとはいえ、肌身離さず持ってなきゃいけないのが、今でも急に苦痛になったり怖くなったりする」

「そうか。ならば、今から恐ろしいものを見せてしまう」


 総統は和服の袖を抜いて、上半身、肌脱ぎになった。

 悲鳴を呑み込む気配が、おれだけじゃなくて、人数ぶん。


 総統の体はそこそこ鍛えられてる様子で、おっさんなりに引きしまっていた。その皮膚のところどころに、小さく光る丸いものがぼこぼこと、のめり込んでいる。


 目を凝らすまでもない。ぼこぼこの正体は、宝珠だ。

 筋肉の形が見て取れる胸に、腕に。脂肪がなくストンとした脇腹に、へその上に。ゆっくりと後ろを向けば、背筋に沿ってびっしりと。


 とっさには数えきれないほどの宝珠は、皮膚と滑らかに同化して、鼓動とともにほのかに明滅している。そこから動かない宝珠もあれば、ぬるりと肌の中に沈んでいって再び浮いてくるもの、循環するようにゆっくりと動いているものもある。


 おれは、口の中が干上がっていくように感じた。


 あんなにたくさんの宝珠があったら、一体、どのくらい大きな願いが叶ってしまうんだろう? その代償として要求される命の数は、どれほどになるんだろう?


 総統がこっちを向かないまま、かぶりを振った。


【代償が命である必要はないのだよ、理仁くん。もしも願いが些細なものであるなら、例えば、互いに想い合っているのに正直に話すことができない二人の背中を押す程度なら、髪を切らねばならなかったりスマホが壊れたり、そんなものだ】


「だけど、それでも、宝珠は奪っていく……『そんなもの』って言い切れるかどうか、はたにはそう見えたとしても、おれは『そんなもの』って感じないかもしれなくて……」


 否が応でも脳裏に浮かんでしまうのは、母親の姿。


 命までは奪われなくてよかったね、なんだろうか? 抜け殻みたいな状態で生きてる、やせてちっちゃくなっちゃった人。どんなに呼び掛けても応えてもらえないむなしさって、これでもラッキーだったってことになるのか?


 総統は、おれの心の声なんて全部聞こえてるんだろうに、それについては何も触れずに、こっちを向いて口を開いた。


「チカラが強いというのは、不自由なことだ。私には禁忌がきわめて多い。なぜなら、私が人間だからだ。判断を誤ることがある。イライラしたり悲しくなったりもする。取り乱してしまうこともある。そんなとき、私はチカラを持て余す」


 鈴蘭が言った。


「さっきも、そうでしたよね?」

「面目ないね。皆に怖い思いをさせてしまった」


「いいえ、仕方ないです。子どもが誘拐されて脅迫の電話がかかってきたら、落ち着いていられる親なんて、きっといません。あの、さよ子のおかあさんは?」

「妻は、オフィスのそばのマンションにいる。あそこがいちばん警備しやすい」

「安全なところにいらっしゃるなら、よかったです」


 総統はうなずいて、おれの目を見た。いや、全員の目を同時に見つめてるんじゃないかと感じた。


「私は、この地球上で最も大きな宝珠を預かっている。預かるべき宝珠の巨大さに応じて、私に授けられたチカラもまた巨大だ。私がこうして小さな宝珠を数多く身に付けるのは、四六時中ずっとチカラを抑え込む必要があるから」


 封印とか、結界とか。たぶん、そんな感じの言葉で表現されるもの。

 朱獣珠の声が聞こえる。


 ――見よ。宇宙の因果の均衡を、その身の上に実現している。

 ――両腕に陰陽を拮抗させ、腹に七曜を宿し、背に十干十二支の巡りをあらわす。

 ――もし、一つたりとも均衡が損なわれるならば、如何いかんか。

 ――チカラは、預かるべき宝珠をも侵すべく、荒れ狂うだろう。

 ――そして、運命の大樹におけるこの一枝は滅ぶ。


 運命に形があるのなら、たくさんの枝を持つ大樹みたいなものだ。宝珠について書かれた本や古文書を見ていると、そんな文言が必ず出てくる。


 大樹の一枝が、この世界だ。この地球だ。人間が預かり知れないどこか別のところには、全然違う一枝があって、それがまた一つの世界だ。


 唐突に、おれは理解する。

「おっちゃんが預かってる宝珠って、地球そのもののことか」


 総統は目を伏せた。

「正解だ、理仁くん」


「すっげー。信じらんねぇほどデカい宝珠だねー。だからこそ、全知全能のスーパーパワーが備わってるってわけ? そんでもって、いつでも冷静にチカラを抑えてなけりゃいけないってのに、どっかのバカが娘を誘拐してくれたおかげで地球崩壊の危機だって?」


「私は弱い人間で、弱い父親だ。取り乱してしまった。娘が心配でたまらない。だが、怒りや復讐心に駆られて私が動けば、娘ほどではないにせよ大切なこの世界が、この一枝が、崩壊してしまう。私はそれを恐れて立ちすくむ、娘を助けに行けない、弱い父親だ」


 何かを大事に思う気持ちと執着心って、どこで何がどんなふうに違うんだろう?


 願いを叶えてくれる宝珠に溺れてるバカも、誘拐された娘を思うあまりにどうしようもなく弱ってる全知全能の臆病な父親も。


 譲れないモノを胸の中で抱えてあっためて、そのまま熟成させてここまで来たおっさんって、堅さともろさが紙一重だ。


 なんつーか、か弱くないっすか? えっ、そこで足を止めて守りに入っちゃうの、みたいな。そこで戦えなくなっちゃうもんなの、みたいな。


 大人って、もっとすげー人たちだと信じてた時期が、おれにもあったんだけど。

 おれも年を食ったら、すごくないおっさんになっちゃうのかな。


 それ、イヤだ。ダサすぎんだろ。

 成熟なんて言葉が信用できない曖昧なモンで、むしろすげーことできるのが若いうちだけだってんなら、今だよ。今、本気で暴れてやる。


 おれは、服の上から朱獣珠を握りしめた。ぐるっと全員を見渡して、笑顔の仮面を装着。これ以上ペース乱されてたまるかってんだ。


「情報があらかた出そろった感じがするしさ~、そろそろ行こっか。おれの勘が正しければ、ってか、九割九分の自信があるんだけど、あいつの居場所、わかるよ。さよ子ちゃんさえ取り戻せたらいいんだし、勝算は十分でしょ。ガツンと攻め込んじゃわない?」


 灼熱するように強く頭に立ち現れたヴィジョンがある。

 夢で見た光景だ。コンクリートの地下駐車場。誕生日のナンバープレート。


 あの夢の中では、誰ひとり救うことができずに、おれは赤黒くひび割れた空の下で雨に打たれて、世界の破滅を願った。


 今回は、終わらせない。

 必ず、あの場所から、この先も続いていくストーリーをつかみ取ってみせる。

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