九章:真相_the_actural_facts

「全知全能の存在でもあるのだ」

 県境の峠道を三台のバイクが駆け抜ける。あきらが後ろに鈴蘭を乗せて走って、フォーメーションを組むみたいにピッタリとふみのりが煥のバイクを追って、おれは文徳のバイクにタンデムして、最後尾が姉貴だ。


 伊呂波兄弟が住むマンションに戻って、ライダースーツに着替えた兄弟のバイクに四人で分乗して、レンタルバイク屋に開店アタックをかけた姉貴と合流して、県境の高原地帯にある平井家の屋敷に向かっているところだ。


 バイク三台を先導する海牙は、ローラースケートで突っ走る。バイク並みの速度が出ている。バイザーを掛けて目を保護してるほかは、完全に生身。さすがに異様すぎる光景で。


【車の皆さ~ん、こっち来んなよ! 絶対、この道、通んなよ!】


 おれはずっと、けっこうな大声で号令コマンドを飛ばしまくっている。それなりに交通量のある大都高校の近くを通るときなんかは、命じなきゃいけない対象が多いし範囲も広いしで、実はかなり疲れた。


 今もそう。疲れてる。

 指先が冷えて震えている。峠道をかっ飛ばすには四月じゃまだ寒すぎるってせいもあるけど、根本的にはチカラを使うペースが速すぎて消耗してるからだ。体にうまく力が入らなくなってきてて、ヒヤッとする瞬間がある。


 あとさ、知らなかったんだけど、バイクのニケツって案外怖いもんなんだな。後ろに乗るの、地味に怖い。


 おれ自身、バイクには乗れる。フランスにいるときも、五十ccのちっこいやつだけど、ちょくちょく町乗りしてた。


 いや、自分が乗るときの感覚があるから、逆に怖いのかもしれない。文徳の運転が下手って意味じゃなくて、おれの運転と呼吸が違うんだ。しかも、おれが乗ったことねぇサイズの大型バイク。


 そりゃ、おれもそこまで運動神経が悪いほうじゃないし、バイクに乗ることそのものに集中できれば、文徳の運転の呼吸にも合わせられる。


 だけど。

【車ー! 来んなっつってんの! 脇道から出てこようとしてるそこのきみ、ちょっと止まってて~!】

 おれが集中すべき仕事は、号令コマンドで交通整理することだ。


 もし今おれが気を抜いたら、海牙のチカラを見られて面倒なことになるだけじゃなく、高校生でバイク二人乗りしてるのを警察にパクられるだけでもなく、ノンストップでぶっ飛ばすのを前提に走ってるおれら全員、突然現れた車に対応できなくて危険な目に遭う。


 もういっそのこと、鈴蘭がやってるみたいに、ライダーの腰にしがみ付いたら楽だろうな。

 でも、仲がいいとはいえ文徳にくっつくのは絵的にアレだからビミョーに抵抗があったし、今さらこんなタイミングでギュッとやったら運転に支障が出るよなって思うし。


 そんなふうだったから、どこ走ってんのかを確認する余裕もなくて、まわりの風景なんか全然わからなかった。走り出す前に確認した地図から言って、大した長距離でも長時間でもなかったはずだ。


 いつの間にか、デカい屋敷の城壁みたいな塀が目の前にあった。巨大な門まで速度を緩めず突っ走っていって、おれたち初めてブレーキをかけた。


 広大な敷地を持つ豪邸だった。

 幾何学的で整然とした前庭は、ヨーロッパの宮殿のそれみたいな感じで、花壇と泉があって低木はこざっぱりと剪定されていて、全体的に視界が利く。奥まったところに建つ屋敷は、和モダンの質素なデザインで、天井の高い平屋造りだ。


 汗びっしょりの海牙が守衛に声を掛ける。正規の駐車場ではなく、すぐにも出立できるよう、バイクを門の近くに置きたい。そういう交渉をしていたら、並外れて大きな黒い犬がさっそうと近付いてきた。


 その黒い犬、ほんと颯爽とした感じで。あっ、こいつすげー賢いやつだなって、見てすぐ感じた。でも、犬種がわからない。ミックスでここまでデカくなるっけ?


 犬は、海牙と守衛に言った。

「バイクなら、ここに置いていってかまわねぇぞ。ちゃんと管理しておくから」


 しゃべった。

 ごく当たり前の顔をして、犬の姿で人間と同じように、しゃべった。大人の男の声だ。


「うそー? マジでー?」


 おれが思わず正直すぎるリアクションをしたら、海牙は、愕然として固まった一行を見渡して、肩をすくめた。


「この犬の人も異能使いなんです」

「人?」

「はい、人です」

「だよね。何か、中に人が入ってる感あるもんね」


「どちらの姿を取ることもできる、というチカラなんですよ。屋敷の警備の仕事をするときは、犬の姿でシフトに入ることも多いかな。普段は人間の姿で過ごしてますけど」

「海ちゃんにしてもそうだけどさ、総統のおっちゃんのとこには、変わった人が多い感じ?」


 犬のおにいさんは喉の奥のほうで笑った。


「この屋敷にいるのは、変わったやつばっかりだよ。チカラが使えるやつだったり、その血筋だったり」

「何で? そーいうの、許されんの? チカラが一ヶ所に集まってるのは危ういことだって感じちゃうんだけどさ、おれ」


 朱獣珠がおれの言葉に応じるように熱く鼓動した。


 おれは、自分の胸の高さにある犬の頭の、人間とは形の違う両目をじっと見下ろしながら、背筋や胃の底がザワザワと冷えていくのを感じた。そのザワザワが何かって、違和感だ。

 チカラへの恐怖が、こいつには……こいつらにはないのか?


 犬がおれをなだめるように、長いまつげがピョンピョン出てる目元を緩めた。


「言いたいことや訊きたいことがいろいろありそうな顔だな。だが、ここで油を売ってたって、大した答えは得られんぞ。早く総統のところへ行くといい。海牙、奥の間だ。ご一行を案内してやれ」


「奥の間ですか。あの場所がいちばん、結界がよく働くんでしたっけ?」

「ああ。地形の関係で、そこが龍気の通り道に当たるらしい。総統はついさっき着かれたんだが、ギリギリの状態というかなあ……あのかたも人間で、一人の父親なんだと実感したよ」


 犬のおにいさんと守衛に見送られて、海牙を先頭に、おれたちは足早に庭を突っ切った。ごく普通の家にお邪魔するみたいに、玄関で靴を脱ぐ。


 上がりかまちで、たまたま、姉貴のくるぶしが見えた。ねんしたところをぐるぐる巻きにテーピングしてある。姉貴がバイクに乗るときに愛用するレザーパンツのつやつやした黒色との対比で、医療用テープの極端な白色は妙に目立っていた。


 おれらはやっぱり無茶ばっかりだ。


 慌ただしげな人々とすれ違った。ボソボソ交わされる会話が、聞く気はなくても耳に飛び込んでくる。さよ子がいなくなったこと、それ自体よりも、問題は総統の様子みたいだ。


 屋敷は、表から見えていた以上に広かった。純和風の庭を巡る回廊があって、さらに奥にも建物がある。屋根瓦をかぶった、二階建ての洋館風。窓の並びからして、ホテルみたいに単調な造りだ。


「広いね」

 おれのシンプルな感想に、海牙はうなずいた。洋館風を指差す。


「住み込みの人たちの宿舎です。ぼくもあの一室に居候してます」

「なるほど。それで、同じ部屋が並んでそうなデザインなんだ」


 鬼瓦のデザインが変わってるなーと思ったら、知ってる会社のロゴだった。意匠化されたアルファベットによる「KHAN」。

 姉貴もそれに気付いたらしい。


「KHANって、あの医療機器メーカーよね?」

「はい。総統は確か会長だったと思います。奥さんが社長で、実務を切り盛りされているという話です」

「なるほど。信じられないくらいの大豪邸にも納得だわ。県の経済を引っ張る大企業だものね」


「長江家も豪邸だと聞いていますが」

「こんなにセンスよくないわよ。敷地も狭いし。一桁も二桁も、格が落ちるわ。でも、KHANの経営者は本社ビルのそばの高層マンションに住んでるって噂があるけど」


「そちらにも、総統のお住まいはありますよ。市外にも数ヶ所。総統は一つの場所に定住できない体質なんだそうです。最近は、襄陽学園に比較的近いこの屋敷にさよ子さんが引っ越してきたので、総統も奥さんもここにいることが増えていたんですけど」

「昨日はいらっしゃらなかったのね?」

「いらっしゃってたら、こんな面倒くさい事態、きっと防げたはずですね」


 海牙は盛大にため息をついた。


 すげーデカいお屋敷にお邪魔します状態の割に、おれたち一行、誰もビビってはいない。そりゃそうだ。ちょっと検索をかけるだけで、伊呂波家も安豊寺家も古くからの資産家だってことが判明する。ここまでの豪邸じゃないにせよ、お屋敷は見慣れてるんだ。


 やがて、行く手が突き当たりになった。見事な南宗画のふすまだ。ちゃちなレプリカとかじゃなくて、まともにその画風を勉強した本物の画家が描いたんだろう。風格っつうか、筆遣いに込められた迫力が違う。


 襖の存在感がすごすぎた。だから、そこに一人の男が立ってるのに気付いたのは、三拍くらい遅れてからだった。


 ピシッとしたスーツ姿の、白髪の老紳士だ。折り目正しくて、影みたいな雰囲気。付き人だなって、直感的に思った。

 おれの予想は正しかった。海牙が紹介した。


「総統の執事のあまさわさんです」


 天沢氏は、背筋の伸びたお辞儀をした。礼儀のためのふりをして、顔色を隠したように見えた。

「皆さまをお待ちしておりました。総統は中におられます。早く、お話を」


 天沢氏は面を上げると同時に襖に向き直って、スッと引いた。

 大広間だ。窓はない。明かりはともっているけれども、飾り彫りが施された天井が高いせいか、何となく薄暗い。


 それにしても、広すぎだろ。何十畳あるんだ?

 中学の修学旅行で連れていかれた築四百年の城の、将軍の謁見の間がこんな感じだった。あの部屋は奥に行くにつれて段々で高くなる造りで、将軍の座るところから臣下一同を見晴らす構造だった。この部屋は、ただ平らに広い。


 煥がポツンと言った。

「道場みてぇだ」


 確かに、と文徳が同意した。

「空気が張り詰めてるしな。くれぐれも無礼がないようにって、自然と思わされる感じだ」


 大広間のやや奥まった位置に、座禅を組んだ和服の男の姿がある。

 総統だ。


 昨日、車に乗っている姿をチラッと見た。あのパラレルワールドな戦いの夢の中でも、何度も見ている。姿かたちだけなら、中肉中背。でも、そこに存在する気配の重みは、肉体の体積をはるかに超えている。


 天沢氏が先に立って大広間に入って、総統のほうへと進んでいった。進み方が異常だった。天沢氏は飛んでいった。背中に漆黒の広い翼があって、ばさり、ばさりと羽ばたいていった。


「総統、四獣珠の者たちが到着しました」


 そう告げた天沢氏は総統のかたわらに降り立って、行儀よく翼をたたみながら正座をした。

 総統が、閉ざしていたまぶたを開けた。


「急に呼び立ててしまって、すまないね。部屋に入りなさい。話をさせてくれ。私にはきみたちの助けが必要だ」


 大広間に満ちる、空気っていうか気配っていうか雰囲気っていうか、とにかく「気」みたいなものは、ひどく静かだ。空虚だから静かなんじゃなくて、身動きが取れないくらいみっちり詰まってるせいで音が立たないっていう、そんな静けさ。


 途方もなくドデカいチカラが、用心深く息をひそめている。本能的に、その巨大さには身がすくんでしまう。


 煥が最初に畳に足を踏み出した。それから、海牙と文徳が同時に。姉貴が続いて、おれと鈴蘭が最後だった。


 でも、真っ先に声を上げたのは鈴蘭だ。

「さよ子がいなくなったって聞きました。それも、だまされて連れ去られたみたいだって。でも、脅迫状が届いたわけでもないんでしょう? どういう状況なんですか?」


 平井は静かな声で答えた。

「どう説明すればいいだろうか。私にはわかる、としか言いようがない。私はね、人間の肉体を持ちながら、全知全能の存在でもあるのだ」


 全知全能と来たか。

 スペシャルなチカラを持ってそうだって気はしてたけど、まさかそこまでデカいタイトルを出されるとはね。まるで神さまじゃねぇか。


 胸の内でこっそり、肩をすくめるような気分。もちろん、顔にも態度にも出さなかったはずだ。


 平井の思念の声がうっすらと笑いを含んで、地鳴りのように低く轟いた。


【残念ながら、長江理仁くん、私は一神教における神の全知全能ぶりには到底、及ばない。私ごときの全知とは、事が起こってからしかそれを知り得ない程度のものだ】


 待てよ、おっちゃん。おれ、声出して言ってねーって。肉声はもちろん、テレパシーで漏らすようなこともしてなかったはず。


【すまないが、聞こえてしまうのだ。ここにいる全員の心の声を、私は知ることができる。ああ、悪趣味かもしれないね、伊呂波煥くん。だが、そうにらまないでくれ。私にとってはこれが平常運転だし、すべてが聞こえてくることこそ当たり前でね】


 そのチカラが全知ってことか。だけど、全能だったらさ、さよ子の失踪くらい予期して防げたんじゃないの?


【予期か。だがね、未来をすべて見通すことなど、私にはできないのだよ。このあたりがチカラの限界のようでね】


 限界? 全知全能っていうパーフェクトチートスキルにも、限界ってもんがあるわけ?


【事が起これば、そのすべてを知ることができるのに、未だ起こっていないことについてはわからない】


 未来予知はできない?


【克明な未来予知というのは、また別の才能、あるいは異次元のチカラなのだろうな。私にできるのは、せいぜい、猫が箱に入っているという事実を述べる程度だ。箱の中の猫が生きているのか死んでいるのか、事が起こるまでは、私も知ることができない】


 海牙が不満げに言葉を挟んだ。


「シュレーディンガーの猫。量子論の有名な思考実験ですね。例え話としてよく使われますが、あの思考実験は粒子というものの性質に依拠するからこそ、生きている状態と死んでいる状態が一対一で重なり合うのであって、それと未来予知はまた別でしょう?」


 ふっと、総統が微笑んだ。


 改めて見れば、総統は、半世紀前の邦画の俳優みたいなイケオジだ。しわがずるい。白髪の交じり具合も渋い。うちの親父みたいなケバさやチャラさやイキってる感じが全然なくて、ごくごくナチュラルにカッケーおっさんだ。

 なんてことを考えてたら、総統がこっちを見て、またちょっと笑った。


 しかめっ面の煥が一歩、前に進み出た。


「状況は半分くらいわかった。半分くらい、まだわからねえ。何でも知ることのできるあんたが、娘の身を案じておかしな状態になっちまってるってのは、よっぽど悪いことがこれから起こるかもしれないってわけなのか?」


 そう、煥の言葉のとおりだ。

 イヤな予感みたいなのは、おれもずっとあった。でも、今こんなに急かされてここに呼び付けられて、若干、事態が呑み込めずにいる。

 何で今なんだろう、何でここなんだろう、って。


 その瞬間だった。

 ケータイが鳴った。ピピピピッと甲高い電子音。純和風の大広間にも、座禅を組んだ和服姿の総統にも不似合いのその音は、総統自身のたもとから聞こえてきた。


 総統の思念の声が、おれや煥の疑問に答える。


【きみたちを呼んだのは、当事者になってもらうためだ。私は動いてはならない。私が動くことは、絶対の禁忌なのだ。だから、きみたちに、私の代わりに動いてもらいたい】


 総統はスマホを取り出して、画面を見ずに天沢氏に渡した。

「頼む」


 総統の肉声は震えていた。それに呼応するかのように、畳が小さく波打った。普通の地震じゃあないだろう。震源は総統だ。


 天沢氏は会釈をして、受け取ったスマホを操作した。音量を最大に上げて、通話開始。

 無遠慮な電子音声が、息を詰めるおれたちの耳をざらざらと刺激した。


〈平井鉄真に告げる〉


 いきなり呼ばれたその名前は、総統のことだ。反応を測るような間が落ちる。総統が、震える声を絞り出す。


「何の用だ?」


 電子音声が応える。

〈おまえの娘、平井さよ子を預かっている。今日、午前四時十二分、身柄を拘束した〉


「さよ子は無事なのか?」

〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉


 さよ子と宝珠の交換。それが誘拐の目的。

 総統は目を閉じて仰向いて、ああ、と大きく息をついた。畳がまた波打った。今度は部屋ごとハッキリと揺れて、天井のはりきしむ音も聞こえた。


 電子音声は繰り返す。

〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉


 おれはとっさに姉貴の顔を見た。姉貴も、髪を振り乱す勢いでおれのほうを向いた。

 鏡をのぞいた気分だ。おれもきっと姉貴と同じ、怒りと戸惑いと憎しみと不信感の入り混じった真っ青な顔をしてると思う。


 電子音声はただ、同じ要求を繰り返している。

〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉


 総統は胸を掻きむしった。

【危惧していたことが……四獣珠の禁忌を犯すのみならず、ここまで……】


 また、屋敷じゅうが唸りながら揺れた。


 総統からチカラが噴き出している。まばゆく光る猛烈な暴風に真正面から吹かれる、そんな感じだった。おれもみんなも顔をかばってうずくまった。


 天沢氏が吹き飛ばされるのが視界の端に見えた。その手から宙に飛んだスマホが、まだあのメッセージを繰り返している。


〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉

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