「緊急事態ですよ」

 一夜明けて、朝。

 おれは、姉貴と相部屋ツインで泊まってるホテルを出て、玉宮駅のそばのファミレスで伊呂波兄弟と合流した。一緒に晩飯に行けなかったことの埋め合わせのつもりらしい。


「阿里海牙くんって、どんな人だった?」

 注文を済ませると、ふみのりに訊かれた。おれは肩をすくめた。


「猫だね~。もうちょっとなつかないと、寄ってきてくれない感じ」

「四獣珠チームは、なかなか難儀だな。あきらも猫だし」

「おい、兄貴」


 煥はクールそうに見えて、文徳と会話するときはけっこうちゃんと表情が動く。むくれた表情。いじけた表情。「マジか?」って目を見張る表情。うつむいて前髪の下でこっそり笑う表情。


 弟がいるって、いいよなー。

 昔、圧倒的に大人な姉貴に世話焼かれてばっかりの役割に嫌気が差して、おれが面倒を見てやる立場になりたいと憧れていた。その気持ちを今、急に思い出した。


 まあ、おれより、年下の煥のほうが有能かもしれないけど。


「おれはさ、二匹の猫ちゃんたちみたいに戦って強いわけじゃないから、何つーか、無力だよね。姉貴に引っ張ってもらって国外逃亡したでしょ。国外で姉貴がヤバい目に遭いかけたときは、海ちゃんに助けてもらって。昨日は、あっきーがいてくれたし」


 煥は眉間にしわを寄せて、小首をかしげた。


ひと号令コマンドで戦闘が回避できるのは、かなり強いと思う」

号令コマンドのマインドコントロールが有効な相手ばっかりならね。でも、現実問題、ボス級の敵が相手じゃほぼ効かないもんだと、おれは思ってる」


「ボス級の敵には効かない?」

「宝珠の預かり手は、宝珠を守るチカラを持ってるよね。表に現れる異能だけじゃなくて、マインドコントロール系に耐性があるとか、ちょっとした予知能力があるとか、えらく勘がいいとか。そういう隠れた能力、あっきーも心当たりがあるでしょ?」


 文徳も笑みを消して、声を低くした。


「預かり手じゃない俺でも、ある程度は理仁の号令コマンドに抵抗できるし、予知夢なら見るよ。直感が当たることも、人より多い気がしてる。でも、理仁、そういう言い方をするってことは、敵対しなきゃいけない相手って……」


「しなきゃいけないっていうか、最初っから敵対してんだけどね。おれと姉貴だけならまだしも、海ちゃんもちょくちょく迷惑をこうむってるらしくて、もうそろそろ逃げ回ってもいられない感じ?」


 しんどい話題はそこで途切れた。注文して五分と経ってないのに、三人ぶんの朝飯が運ばれてきた。みそ汁の湯気の匂いを嗅いだら、条件反射みたいに、実は腹が減ってたんだなって気付いた。


 ファミレスの朝定食では、何となくビミョーに物足りなかった。おれら三人とも同じで、そんじゃ時間もあるしコンビニでデザート買い食いするか、ってことになって。


 掃除したてでピッカピカに磨かれた全面ガラス張りのコンビニの前に、毛足長めのふわふわもふもふな黒猫がいて、ツンとしたまなざしでこっちを見ていた。若干遠めの距離を挟みつつ見つめ返す。近寄ったら逃げるかなー?


 野良っぽい。でも、黒猫ちゃん、すっげー美人じゃん。ちょっとナンパしようか。何にせよ、先に買い物だ。


 自動ドアをくぐると、帰国したんだなーって感じさせる入店メロディが鳴って、いらっしゃいませー、と元気なおばちゃん店員の声が飛んできた。


 おれは自分用のチョコレート菓子と、猫用に加工された上等なくんせい肉を買った。店から出て、自分のより先に燻製肉の袋を開けて、黒猫のほうを向いてしゃがんで、クールそうな金色の目を見る。


【ほら、食えよ。いじめねーから、こっち来い】


 ちょっとの間、じーっと見つめ合う。生意気な澄まし顔してるなー。こういう子、好きなんだよな。思わずニマッとした瞬間、黒猫はしずしずとこっちへ寄ってきた。


【おまえの好みに合うかどうかわかんねぇけど、どう? 興味ある?】


 おれは燻製肉を地面に置いた。黒猫は、燻製肉の匂いを嗅いで、ペロッと舐めて、おれの顔を上目遣いで確認して、食事を始めた。


 文徳がサンドウィッチをぱくつきながら、感心した声を上げた。


「この野良が人に寄ってくるところ、初めて見たぞ。こいつ、ここ二ヶ月くらい、近所をうろうろしてるんだけど」

「そーなんだ? プライド高くて素直じゃないとこがあるんだろね。根っこのとこでは、人恋しくてたまらないっぽいけど。じゃなきゃ、おれの号令コマンドに素直に反応しねぇだろうし」


「理仁のチカラは動物にも通用するんだな」

「言ったことなかったっけ? でも、動物は、言葉が通じる通じないの個体差がすっげー激しいよ。おれの号令コマンドって、受け取る側が日本語を話してようがフランス語を話してようが関係ないんだけど、やっぱ、人間が想定する範囲の言語でしかないんだよね」


 ペットショップでも動物園でも水族館でも、動物がいるところに行ったら、いろんな声の波長で話し掛けてみる。無反応がいちばん多いけど、ケンカ売られることもある。というか、おれがうっかりケンカ売っちゃって、向こうはそれを買うだけなのかな。


 なんていう、ちょっとしたエピソードをつらつらと、黒猫をビビらせないように気を付けながら、おれはしゃべった。


 燻製肉を食い終わった黒猫は、前足をペロペロやって、顔のまわりをキレイにした。喉を鳴らしている。おれが黒猫の頭のほうに手を伸ばすと、むしろ自分からすり寄ってきて、黒猫はなでなでを喜んだ。


 文徳はおれの隣にしゃがみ込んで黒猫を見ながら、ふっと脱力するように笑った。


「実は人なつっこいやつだったんだな。すごいふさふさ」

「美人だよねー。めちゃくちゃかわいい。ほらほら、黒猫、こっちのおにーさんも怖くないよ。すりすりしてやりな」


 おれが誘導してやると、黒猫は澄ました表情のまま、文徳の手にも鼻を寄せた。文徳が嬉しそうに顔をクシャクシャにする。


 ちょっと離れたところに立って、冷たいカフェオレを飲み干した煥が、ふてくされたようにボソッと言った。


「何で理仁は動物に怖がられねぇんだ?」

「そりゃー、おれは動物全般が好きだし。あっきーは、動物がちょっと怖いでしょ?」

「別に。慣れてないだけで」

「そのビクビクした感じにさ、動物も共鳴しちゃうんじゃないの? だから、動物のほうもビビって近寄ってこない。だいじょぶだよ。こっち来て、この黒猫さわってみなよ」


 煥はムッとした顔でそっぽを向いて、結局そこから動こうとしない。煥とこいつと、猫同士、仲良くやれる気もするんだけどな。


 おれの実家では、けっこういろいろペットを飼っていた。うちにいた動物たちはみんな覚えてる。みんな、かわいかった。


 だけど、長生きしたやつ、いねーんだ。親父のせいで。かわいそうなことをした。よその家に飼われてたら、あんな目には遭わずに済んだのに。


 あいつらがいなくなるたびに、おれも姉貴も泣いて泣いて、もう何も飼いたくないって思うんだけど、またすぐ次のやつが来たんだよね。親父が買ってきた。で、おれも姉貴も懲りずに、新しいやつのことをかわいがってしまう。


 しゃーないんだよ。動物、好きだし。もうほんと無条件で、言葉がめったに通じないもふもふやぺたぺたに夢中になってしまう。たまに言葉が通じるとさ、信じらんないくらい嬉しくて。人間相手じゃ、こんな新鮮さはまったくないから、おれ。


 さて。

 おれたち預かり手がまたすぐ集まっちゃうんだろうって予感は、想像していたより早く、現実のものになった。放課後くらいまでおあずけかなって考えてたんだけど。


 黒猫にバイバイしてコンビニを離れて、襄陽学園を取り囲む背の高い塀が視界に入ってきたあたりで、おれたちは足を止めた。あいつ、と煥がつぶやいた。


 グレーの詰襟の海牙は、まるで友達相手にそうするみたいに軽く右手を挙げてみせた。


「おはようございます。ここ、通ると思ったんです」

「どしたの? 学校、サボり?」

「ええ。緊急事態ですよ。学校に行っている場合ではないと、総統から連絡をもらったんです」


 海牙の、左右対称に調整された笑みが硬い。海牙は煥に視線を向けた。

 煥は眉間にしわを寄せた。


「何だ?」

「念のために確認しますけど、煥くん、さよ子さんにメールを送ったりなんてしてませんよね?」


「してねぇよ。オレは、亜美さん以外の女の連絡先、スマホに登録してねぇし。しかも、メールだろ?」

「そう、フリーメールのアカウントへのメールですよ。SNS上のメッセージやコメントやチャットでもなく、トークアプリでもない。メールです」


瑪都流バァトルは、オーディエンスからメールアドレスを訊かない。勝手にフォローしてくれって、SNSを窓口にしてるだけだ」

「ですよね。ところが、さよ子さんのメールアドレスに、煥くんを名乗る人物からメールが届いたんですよ」


「は?」

「昨日二十三時ごろのことです。さよ子さんがメールの指示に従って屋敷を抜け出したのが午前四時ごろ。防犯カメラに映っていました。裏口の警備スタッフも、確かに四時ごろにさよ子さんと会って『学校の宿題で空を観測する』という話をした、と証言しました」


 話がやっと読めてきた。


「んじゃあ、さよ子ちゃんが行方不明になったってのが、学校サボるほどの緊急事態の内容ってわけ?」


 海牙は深々とため息をついた。


「そうなんです。駅前のライヴに行くときにはぼくを引っ張り出して護衛をさせたくせに、本格的に危うい場面には一人で突っ込んでいくんですから、さよ子さんが何を考えているのか、本当にわかりません」


 文徳が表情を険しくした。


「阿里くんはメールの文面を見た?」

「見ました。さよ子さんのパソコンのスリープを解いたらメール画面が出てきたそうで、屋敷の人から写真で送ってもらいました」


「ポエムみたいなメールじゃなかったか?」

「どうしてわかるんです?」


「そのメール、煥の詞を真似て書かれたんじゃないかと思って。煥の詞は、使う単語や文体に癖があるだろ。即時性を問われないメールの文面なら、真似ることは難しくない。さよ子さんはそれで、本当に煥からのデートの誘いだと信じてしまったんじゃないかな?」


 煥は吐き捨てた。

「冗談じゃねえ。普段の連絡だったら、いちいち詞みたいな文章にするもんか」


「それは兄貴として、俺が保証する。煥のメッセージ、文章としてつながってるのがほとんどないもんな。スタンプも絵文字も顔文字も使わないし、本当に最低限の単語だけ。おまえ、メールなんて機能は面倒くさすぎて、開いたこともないだろ?」


「開いたことくらいはある。SNSとかのアカウント登録のために、やっぱメールは必要だし。来てたメール、読んだこともある。でも、メールを書いて送ったことはない。それが必要な相手、いねぇし」


 海牙は、ストップ、と言うように手のひらを立ててみせた。


「あのメールの送り主が煥くんではないことは、ぼくたちも推測がついていました。煥くんに尋ねたのは、あくまで確認のためだけですから。それよりも、別の……」


 言い差したところで言葉を切った海牙は、おれたちの背後へと視線を投げた。視線につられて、おれは振り返る。


「おっ、鈴蘭ちゃん。おはよー」


 小走りで近寄ってきた鈴蘭は、チラッとおれに視線を向けて「おはようございます」と早口で言うと、息を切らして海牙に詰め寄った。


「さよ子のご両親から今朝、うちに連絡がありました。さよ子がいなくなっちゃったって。海牙さんが少し詳しく事情を知ってるから、合流して一緒にさよ子の家まで来てほしいって」

「ぼくも大して詳しく知りませんよ」


「いなくなったって、誘拐されたって意味なんですか? 脅迫状が届いたとか、そういうこと?」

「届くはずだと、総統が言っていました」


「はず? 予知ですか、それ?」

「実現する可能性が非常に高い推測、みたいなものだそうです。何にしても、ぼくが説明するより、総統から直接聞くほうがいい」


「そうですね」

「四獣珠の預かり手の皆さんには、一緒に来てもらいますよ。移動手段は、煥くんと文徳くんがバイクを持ってますよね。理仁くんと鈴蘭さんを相乗りさせること、できるでしょう?」


 伊呂波兄弟は同時にうなずいた。


 それじゃあ、と行動を開始しようとする雰囲気に、おれは思わず口を開いた。

「なあ、姉貴にも連絡していい?」


 振り向いた海牙は、笑うのとは違う形に目を細めた。


「預かり手でもない女性を巻き込むつもりですか?」

「そんなんじゃねぇよ。むしろ、逆だ」

「逆とは?」


 腹をくくろう。危機感と興奮と最悪の予感で、こめかみがズキズキする。指先から冷えていくように感じる。

 おれの勘はよく当たる。逃げようがないって思う。


「逆なんだよ。おれと姉貴が、みんなのこと巻き込んでんだ。家族の中でどうにか片付ければよかった問題なのにさ」


 海牙は目をそらした。煥は眉間にしわを寄せて、鈴蘭は眉をひそめた。


 文徳がおれの肩にポンと手を置いた。

「詳しい話はまた後で。理仁、独りで何とかしようなんて、絶対に思うなよ」


 文徳の顔を何となく見られなくて、文徳の手を見た。ギターだこ、っていうやつだろうか。指先に白いカサカサの鱗みたいなのがある。


 おれはうなずいた。

 うなずく以外のリアクションができなかった。

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