八章:緊迫_tense_situations
「うっわ、容赦ないね~」
おれが路地に駆け込んだときにはもう、戦端は開かれていた。
海牙と
「しつこいんですよ、彼ら。先日も丁重にお相手してあげたんですが、手加減しすぎましたね。もっと激しいのがお好きなようで」
「そんなにしょっちゅう、こんなのと戦ってるのか?」
「しょっちゅうなんて、まさか。今までは、カツアゲしに来る不良をいじめ返して遊ぶことはあっても、戦闘のプロとのケンカなんてしたこともありませんでした。今年に入ったあたりからですよ、彼らがぼくに目を付けたのは」
海牙の足下には一人、暗色の服を着た男が引っ繰り返って伸びている。覆面のせいで、顔は見えない。
うぞうぞと、暗がりが動いた。暗色スーツに覆面でおそろいの連中がわらわらいて、海牙と煥を取り囲んでいる。
【あんたら、何?】
索敵レーダー代わりに、思念の声を飛ばす。放射状の発信と反射。キャッチした感じ、外灯の届かない暗い奥のほうにもまだひかえている。
【十六か七、だね。敵の数。見える範囲だけじゃないから気を付けて】
「どうやって調べてるんです?」
【レーダーみたいなもん】
「なるほど。参考にします、よッ!」
言いながら、海牙は動き出している。
跳躍。あまりに急激なアクションで、目がついていかない。凄まじく高い跳躍だ。
覆面がビクリとこわばる。気配を察して見上げる。途端、顔面に海牙の蹴りが入った。そのまま、ひしゃげた顔面を足場にして海牙は体を旋回させる。鞭のようにしなう脚が、隣の覆面をとらえて
煥もまた、海牙と同時に動き出していた。
低く滑るように覆面との距離を詰める。あっさりと、ゼロ距離。
次の瞬間、覆面が吹っ飛ぶ。正拳突きの残心を一瞬だけ見せて、煥はまた低く跳ぶ。襲い掛かってくる別の覆面の
おれの背後に足音が駆け寄った。姉貴と
「ここから先はダメだよ。おれらが行ったって、足手まといになる」
覆面がこっちを振り返る。顔は見えやしないけど、ニタリと笑う気配があった。
卑劣なこと考えてんじゃねーよ。
瞬間的に沸いた怒りを、おれは
【こっち来んな!】
今まさにこっちに踏み出そうとしていた覆面が、壁にぶつかったようにガツンと立ち止まる。混乱のまなざし。バランスを崩した体勢を立て直そうと、慌てて腕を振り回す。
その背後に、海牙。
「がら空きですよ」
海牙の細い手が触れたと思うと、覆面は屋根の高さまで跳ね飛んだ。別の覆面の頭上に落ちてくる。もつれ合って倒れる二人をまとめて、海牙はやすやすと蹴り飛ばす。
ヒュッ、と音がした。
煥が身をかわす。壁に当たって、細長いものが地面に落ちた。
「ボウガンか」
「暗視スコープを使って撃ってきましたね。赤外線の位置……あの暗がりに何人か、飛び道具を使う人がいるようです」
煥の舌打ちと次の矢の飛来が同時。
海牙が矢を払いのける。煥が一歩進み出て、手のひらを正面にかざす。
白い光が差した。煥の手のひらから光が生まれて、そこに壁を作る。
矢が群れになって飛んできた。が、矢はすべて白い光の壁に中って、ジュッと焼けて落ちる。
「ナメんなよ。オレの
おれは呼吸を整えた。重心を据える位置は、へその下。その深い一点にまで気息を通す。気息と一緒に全身のチカラを集めて、隈も淀みも濁りもないモノに精製して、まっすぐに放つ。
【武器を捨てろ! こっちへ向けて十歩、進んでこい!】
覆面の連中のうち、無傷の九人に対する
ビリビリ痺れるくらいの抵抗。おとなしく従えよ、クソが。戦闘が仕事のやつらに武装解除を命じるのは、半端なく負担が重い。
負けてたまるか。
【武器捨ててこっち来いっつってんだよッ!】
がしゃん、どさっ。いくつかの、重量感のあるものを地面に投げる音。
暗がりが揺れる。人影が見分けられる。
思念の形を変えられるなら縄にして、あいつらをくくって力ずくで引きずり出してやりたい。
のろのろしてんじゃねぇよ。
【来いッ!】
おれの心臓も朱獣珠もひどく熱くて、鼓動が猛烈に走っている。頭も熱くてガンガン痛い。
的外れな矢が飛んできた。
おれは
思念の声にチカラを込めれば込めるほど、指先から順に、体が冷たくなっていく。体力が奪われる。呼吸が乱れ始めている。
煥が肩越しにおれを振り向いた。
「十分だ、
いつの間にか、白い光の
海牙と煥がうなずき合う。二人同時に地面を蹴って飛び出す。
舞うように、とでも言えばいいんだろうか。ケンカしてる様子を、舞いに例えるのもおかしな話かもしれないけど。
でも、海牙も煥も身のこなしが美しくて、おれは見入ってしまった。
海牙はしなやかだ。柔軟な体を器械体操みたいに旋回させて、勢いを乗せた攻撃で華麗に敵を打ち倒す。
煥の動きは削ぎ落としたように無駄がなくて、いっそ武骨なほどだ。素っ気なく見える一撃一撃が鋭くて重い。
三人、四人、五人。おれの
六人、七人、八人。ヤベぇ、おれ、膝が笑ってる。おれもド派手に暴れてやれたら爽快なんだろうけど、全然無理だ。
最後の一人を、煥の回し蹴りが昏倒させた。踏み込もうと身構えていた海牙は、ふう、と息をついて肩をすくめた。
「倒した敵の数、今ので煥くんの勝ちですよ。残念」
「全部倒せりゃ何だっていいだろ」
「ぼくはちょっと気にしますけど。すごいものですね。チカラも使わず、純粋な身体能力だけで、その動きでしょう?」
「オレのチカラは光の
海牙は、額にかかる黒髪を掻き上げた。髪が濡れてるのがわかった。短い間に、ものすごい量の汗をかいている。
「動き自体はトレーニングの成果です。ぼくのチカラは目ですよ。
海牙の足下で、覆面が呻いた。海牙は迷いもなく覆面の股間を踏み付けた。呻き声がパッタリと途絶える。
「うっわ、容赦ないね~」
「容赦する理由がありませんから。汚いものを踏んでしまって、気分悪いけどね」
おれは少し笑った。その拍子にふらつきそうになった。膝に手を突いてこらえる。文徳が肩を貸そうと申し出てくれたけど、サンキュって言って断った。
煥が険しい目をして、路地に転がる覆面のご一行を見やった。
「こいつら、何なんだ? 組織的だよな。裏に何がいるんだ?」
おれと姉貴の視線が絡んだ。姉貴は、そっとかぶりを振った。
だよね。心当たりはありまくるけど、ハッキリ確認してないんだ。まだ何も言えねーよな。
海牙が慎重な言葉を口にした。
「明日以降で、かまいませんか? 確証を得てからお話ししたい。ここにいるぼくたち全員の身の安全に関わることです」
四獣珠のチカラに由縁のあること、だろう。おれや姉貴が経験と想像から推測している敵の姿を、海牙はきっと、もっと正確な情報によって知り得ている。
重苦しい沈黙が落ちかけて。
あっ、と鈴蘭が声を上げた。
「煥先輩、腕、血が出てます」
まくった袖からのぞく左の前腕に、赤く裂けた傷がある。明らかに刃物の傷だ。
煥は傷口をのぞき込むと、舌を出して血を舐めた。
「やっぱりやられてたか。拳の内側にナイフ仕込んでるやつがいたからな」
「やだ、その傷、ずいぶんひどいじゃないですか! わたしが治しますから」
パッと飛び出した鈴蘭は、煥に抱き付きそうな勢いだった。煥がちょっとのけぞる。鈴蘭は気にせず、煥の肘のあたりをつかまえた。
「お、おい」
「じっとしててください」
鈴蘭は煥の傷口に手をかざした。鈴蘭の小さな手では覆い切れないほどの赤色は、次の瞬間、淡い青色の光に包まれた。鈴蘭の手のひらから、やわやわと光が染み出している。
光を映す煥の顔に驚きが広がった。切れ長の目がまっすぐに鈴蘭を見下ろす。
パックリと開いた傷口が、だんだんとふさがっていく。あの青い光は、傷を治すチカラなんだ。
鈴蘭は横顔をしかめて、ギュッと目をつぶっていた。痛みをこらえる顔だ。肩が細かく震えている。
煥は
「どうした?」
「い、痛い……煥先輩、こんな痛いのをこらえながら戦ってたんですね。わたし、今、同じ痛みを感じてるんですけど、ほんとに痛い……」
「バカ、もういい。よせ」
「イヤです! ちゃんと治します!」
痛みに対する耐性は人それぞれだ。女のほうが痛みに強いっていうけど、それまた個人差があるはずだし。
というか、真っ赤に裂けた傷は、見るだけで痛い。煥はケンカ慣れしてるからケガの痛みにも慣れてるんだろうけど、けっこうえげつない傷だ。
そうしていた時間は、数十秒ってところか。青い光が引いた。煥の腕から傷が消えている。
鈴蘭は肩で息をして、煥を見上げた。
「もしまた煥先輩がケガをしたら、私が治します。本当は、さっきみたいな危ないこと、してほしくないんですけど」
「反撃しなきゃ、やられてた。仕方なかっただろ」
「わかってます。だけど……」
鈴蘭は言葉が続かない。煥はしかめっ面でそっぽを向いて、ぶっきらぼうに言った。
「……治療、ありがとう」
「えっ、あ、いえ、このくらいしかできないから、わたしっ」
鈴蘭は目を大きく見張って、小さな手で口元を覆った。暗くてよくわかんないけど、たぶん真っ赤になってる。そっぽ向いたっきりの煥も、きっと同じだ。
何か非常に雰囲気がよろしいようで。
不意に、海牙がへたり込んだ。うつむくと、ちょっと長めの髪で顔が隠れてしまう。
誰より素早く動いたのは姉貴だった。
「海牙くん、どうしたの? 大丈夫?」
姉貴は海牙のそばにかがんで、グレーの制服の肩に手を触れた。海牙は顔を上げて苦笑いした。
「おなかがすきました。あの動き方をすると、ものすごく消費するんです」
「何だ、そういうこと。とりあえず、チョコレートあげる」
「いいんですか? ありがとうございます」
「どういたしまして。ケガはない?」
「問題ないですよ。いくつかアザはできたかもしれませんが、その程度です。顔は守りましたし」
「キレイな顔に傷が付かなくてよかったわ。ねえ、この後、一緒に食事に行ける? この間のお礼がしたいの」
海牙が息を呑むのがわかった。姉貴のこと見つめてるというか、見惚れてるというか。
あのさー、海牙、状況わかってる? 実の弟がいる前で、姉貴に対するその物欲しげなまなざしは、ちょっと正直すぎないかい?
「行けます。もともと下宿先にも、今日は外食して帰ると言ってあります。ご一緒できるなら、ぜひ」
「じゃあ、おごってあげる。ほかのみんなはどう?」
文徳が「ごめん」のジェスチャーをした。
「すみません。バンドメンバーで食事の約束をしてます。ライヴの反省会と次回の予定を立てるから、今日のところはここまでで」
煥は文徳の言葉にうなずいた。
鈴蘭も、残念そうに眉尻を下げて唇を尖らせた。
「わたしの家は門限や規則がちょっと厳しいんです。ストリートライヴを聴くことも、必死で親にお願いして許可してもらったくらいなので、そろそろ急いで帰らないと」
そんなわけで、路地から駅前の広場に戻った。バンドのみんなは、鈴蘭のお迎えが来るまで一緒にそこで待機。おれと姉貴は、へろへろになってる海牙を連れて、一足先に離脱した。
姉貴と海牙が並んで歩く後ろを、おれが一人で付いていく。
海牙って、同い年の目から見ると、かなり癖が強くていけ好かないタイプなんだけど。八つ年上の姉貴には、変てこでかわいい犬でも拾っちゃった感じなんだろうか。
いつになく姉貴がはしゃいでるような気がして、おれは、どんな顔してればいいのかわからなかった。だから、いつもと同じように、へらへら笑いの仮面を付けて、何も考えてないみたいにふざけておいた。
姉貴が誰かに取られるのがイヤっつーか、そう単純なんじゃなくて。
誰かが姉貴を決定的に傷付けるかもしれないのがイヤなんだよ。
海牙がちゃんとしたやつだって確信、今のとこ、まだないんだもん。
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