「この人生がこれ以上、ぶっ壊れませんように」

 昔々のお話です。神仙や瑞獣や妖怪や怪力乱神が、人間の身近にあったころのお話です。

 奇跡の宝珠を預かる人々がおりました。そうした人々は、不思議なチカラを使うことができました。そのチカラによって、宝珠を狙う悪者をやっつけるのでした。


 時は流れて、現代。

 奇跡の宝珠もそれを預かる異能者も、まだこの世界に存在している。おれもその一人だ。

 宝珠に願いをかけて、それ相応の代償を差し出せば、奇跡が起こる。宝珠が願いを叶えてくれる。


 朱獣珠は、四聖獣のチカラを宿した宝珠のうちの一つだ。

 四聖獣は中国の伝説に現れる四種の空想上の生き物で、均衡しあう四つの性質を司るとされる。東西南北、春夏秋冬、喜怒哀楽。この世を構成する元素や、四つの味覚や、人体の内臓の分類にも当てはめられる。


 朱獣珠は、ざく。つまり、ほうおうだ。その朱い色から連想されるとおり、火や熱、南、夏を司る。感情は、楽。


 あと三つの宝珠、せいじゅうしゅはくじゅうしゅげんじゅうしゅのありかは、知ってはならないことになっている。先代の預かり手だったひいばあちゃんが、おれに長江家秘伝の古文書を遺してくれた。そこに預かり手の心得や役割、禁忌について書かれていた。


 宝珠は人の願いを叶えて奇跡を起こす。願いや奇跡なんていうキレイな言葉を使えば、何とも素晴らしい響きだけど、実際のところ、麗しい話でもなんでもねぇんだよ。


 人間は欲張りだ。カネがほしい。地位がほしい。名誉がほしい。酒池肉林の豪遊天国がほしい。ちょっと手を汚して代償を差し出すだけで、そんな欲望が叶えられるのなら、深みにハマっちまうバカ野郎が現れるのも当然だろう。


 だから、宝珠の存在は秘められている。四獣珠は別々の場所に隠されて、預かり手は交流を許されない。互いを知らないまま、ひっそりと世代を重ねて、次代の預かり手に宝珠を託す。


 ところがどっこい、異常事態が起こっちまってるのが現状で。

 集まらない本能を持ってるはずの四獣珠が、互いに呼び合ってる。一つのフレーズを合言葉にして。


 ――因果の天秤に、均衡を。


 何度聞かされたかわからない。子どものころから聞かされてた気がする。それが朱獣珠の声だって気付いたのは、一年くらい前のことだけど。


 おれは、ほかの四獣珠の預かり手が身近にいることを知っている。まもなく本格的に出会っちまうんだろうってことも予感している。


 予知夢、だと思うんだよね。

 眠るたびに切れ切れの夢を見るんだけど、必ずそこには三人の仲間がいるんだ。つながったストーリーじゃなくて、雰囲気もまちまちで、笑ってばっかりの楽しいときもあれば、どうしようもなく苦しいときもある。


 昔からこの夢のシリーズを見てきた。最近になって、シリーズに登場するメインキャラクターたちの姿までクッキリ知覚できるようになった。


 一人はくろ。男で、理知的で好戦的。おれとは全然タイプが違うのに、妙に波長が合うとこがある。背中を預けられる悪友、って感じ。


 一人は青。チームで唯一の女の子。まじめでちょっと頑固な優等生で、だからこそ目の前でいたずらして、からかいたくなる。


 一人は白。不良少年とか呼ばれてるけど、パッと見と中身のギャップがすごくて、ピュアだし繊細だし優しいし、いいやつだ。


 おれたち四人と、それを取り巻く人たちと、出会いと冒険と恋と音楽と青春と、あといろいろ。


 夢の中で、おれは、よく似た世界観における別々のストーリーをなぞって、何度もなぞって、まるでシミュレーションを繰り返して最適な答えを探すかのようになぞり続けて、今もまた同じような夢を見ている。


 今日のは、悪夢だ。鮮やかでなまなましい悪夢。

 目覚めたい。目覚めよう。ほら。一、二の、三。


 すーっと車が減速する。体に掛かる重みが変化して、その現実感が、おれをすんなりと夢から引っ張り出してくれた。


 タクシーの後部座席。白いカバーが掛かったシート。姉貴が隣の座席でスマホをいじっている。シートベルトが胸の谷間を斜めに際立たせて、巨乳感が五十パーセント増量中。


 姉貴が首を傾けて、おれの顔をのぞき込んだ。


「うなされてたわよ」

「だろうね」

「顔色が悪い。大丈夫?」

「いつもの夢だけど、シリーズ史上最悪に悲惨なバッドエンドだった」


 作り物みたいにキレイな生首。動く死体に群がられて爆散する少女。全身の関節がぐちゃぐちゃになった亡骸。血の涙を流しながらおれに食い付いた、ひどく美しいリビングデッド。死を待ちながら見上げた、雨を降らせる赤黒い空。


 あれは学校のそばだった。地下へ潜って、蟻の巣みたいな場所をたどって、駐車場に行き着いた。知っているものがいくつもあった。転がされたままの謎もたくさんあった。


 窓の外を見る。隣町の景色が、なつかしさとよそよそしさの絶妙なブレンドで流れていく。


 ぽわぽわの白い雲を散らした、四月の青い空。碁盤の目みたいに整然と展開された街並み。大人のデートスポットで有名なファッションビル。大企業の社長が最上階に住んでるって噂の高級マンション。KHAN、というロゴが入った巨大なオフィスビル。


「医療機器メーカーだっけ、あの会社」

「KHANのこと? 医療機器というか、車いすや義肢や介護用設備よ。最近、十代向けコスメブランドの子会社も起ち上げたらしいわ。KHANの会長か社長に高校生の娘さんがいて、肌や髪にいいものを使わせたいからって」


「愛娘ひとりのためにブランド作っちゃうって発想と資金力がすごい。そういや、去年、まだあのビル建ってなかったよね」

「ええ。この場所、倒産したパチンコ屋が廃墟状態で残されてて、不良のたまり場になってたから大変だったのよ。ずいぶんキレイに生まれ変わっちゃって」


「そっか。姉貴、前はこのへんのサロンで働いてたんだっけ」

「表通りのオフィス街やショッピングエリアじゃなくて、もうちょっと奥まったあたりよ。この町ね、実は大学や専門学校がけっこう多いの。だから、客層が気楽な感じで、あの雰囲気は好きだったわ。またこのへんで働けたらいいんだけど」


 大きな川に架かる橋を渡ると、そこは、おれと姉貴の住み慣れた町だ。親父が建てた私立学校、襄陽学園もこの町にある。


 港町として発展した場所らしい。海のほうから順に、船着き場や倉庫街があって、繁華街が広がってて、町の真ん中あたりに襄陽学園があって駅があって、そのへんから住宅地が始まってて、だんだん山になる。


 三差路や五差路が頻発する迷子上等な繁華街へと、タクシーは入っていく。カーナビが車線変更を告げる。ちょっと渋滞。目的地のビジネスホテルまで、あと十五分か、二十分か。

 姉貴はスマホから目を上げた。


「住む場所、探さないとね。明日にでも」

「もしかして、空港からずっと部屋探しの検索してた?」

「当然。住所が決まらないことには転居届も出せないし、仕事探しもできないもの」


「おれも手伝ったがいい?」

「手伝わなくて大丈夫よ。学校あるでしょ。それに、あんたには、やるべきことがあるんでしょ。わたしが手伝うことのできない役割が」

「やりたくねー」


 おれが投げやりにそう言うと、姉貴は呆れたようにちょっと笑って、そして眉をひそめた。


「協力できるところは協力する。だって、問題の半分は身内の事情なんだもの。他人を巻き込むのが心苦しいくらいよ。本当はわたしひとりでやっちゃいたい」


 やめてくれよ。

 こないだ姉貴がヤバい目に遭いかけたときだって、足首を捻挫して立てなかったってだけで、おれ、食うも眠るもできないくらいメンタルやられたんだぞ。ほんとに、心配だったし怖かったしムカついたし泣きそうだったし。


 でも、姉貴にそんなこと言ったって、じっとしてやしねぇんだろうな。


「おれらふたりじゃどうにもできないから帰ってきたってとこ、あるじゃん?」

「わかってる」

「そーっすか」

「理仁、あんたもケガくらいならしていいけど、無茶はしないでね」

「当然でしょ。ケガもしたくないよ~、おれは」


 望みを言葉に乗せてチカラを込めて、音を立てずに世界へ放つ。

【この人生がこれ以上、ぶっ壊れませんように】

 なんてね。チカラの無駄遣い。


 個々の人間を自在に従わせるおれの号令コマンドも、世界だなんて曖昧な対象に向けるんじゃ効力はない。死力を尽くしたら、天災の一つくらい起こせるのかもしれないけど、やってみるつもりもないし。


 重たいよな。直径二センチちょっとの朱い石ひとつが、ただただ重い。


 どうしておれなんだ?

 繰り返す問いに、朱獣珠はいつも一つだけ答える。


 ――因果の天秤に、均衡を。


 笑っちゃうんだけど。こんな厄介きわまりないトラブルを抱え込む見返りが、号令コマンドっていうチカラだけって。


 それこそ、均衡めちゃくちゃだろ。ひでー話だ。

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