五幕:姉弟_his_sister_and_he

「期待してるわ。戦わなきゃね」

 十二時間のフライトはつつがなく終了した。


 映画を観てたら、寝るタイミングを逃した。まあ、もともとそんなに長時間睡眠しなくても生きていられる体質だけど、かれこれ三十時間近く起きっぱなしだから、さすがに若干グロッキーだ。最後に出てきた機内食のパスタが胃にズシンと来てる。


 いやいや、たかだか時差ボケと寝不足のせいで胃もたれとか。ピチピチの十七歳が、何をおっさんくせーこと言ってんだか。


ひと、降りるわよ。起きてんでしょ?」


 姉貴はおれに声を掛けて、さっそうと席を立った。化粧してないからってんで、薄く透ける大きなサングラスで顔の半分を隠している。姉貴はすっぴんのがかわいいと思うんだけどね、おれは。


 おれは、のそっと立って、頭上の棚から二人ぶんの手荷物を降ろして抱えて、通路を先行する姉貴に続いた。


「姉貴、荷物」

「あんたが持って」

「え~」

「航空券の手配から税関申告書や入国カードの記入まで、面倒なことは全部わたしがやってあげたでしょ。荷物くらい持ちなさい」

「へいへい」


 八つ年上の姉貴はおれの保護者役。とはいえ、十八歳未満にはあんまり見えないおれは、変な虫がつくのを嫌う姉貴のカレシ代理をやらされることもけっこうあって。


 おかげで、おれにも女の子が寄ってこなくなってんですけど。困るんですけど。おれ、モテ男で通ってたはずなんですけど。

 女の子たち曰く、姉貴と比較されるんじゃ勝ち目ないって。うん、積極的には否定しない。


 おれも姉貴も、目尻が垂れててまつげが濃くて唇が厚めで、顔立ちもスタイルも東洋人離れしている。張り合おうってのは厳しいんじゃないかな。でも、そういうのって別に勝敗じゃなくない? モデルか何かのオーディションでもないんだし。


 つーか、美形って、見慣れてるとあんまり価値を感じなくなる気がする。美人は三日で飽きる。三日どころか、かれこれ十七年以上もおれはおれだし姉貴の弟やってるしで、めったなことじゃ人の美醜にあれこれ感じなくなってんだよね、おれは。


 大事なのは中身でしょ、なんていうクサいこと言うつもりはないけど。


 対等に付き合える相手に飢えている、かもしれない。支配関係でも敵対関係でもない相手が、おれにはめったにいない。おれは生まれながらの王さまで、仲良くなりたいと思った相手を無意識のうちに服従させてしまうから。


 このチカラ、呪いに近いんじゃないかとも感じる。

 ため息をこっそり、一つ。

 疲れてるわな。やっぱ寝なきゃダメだ。ちょっと頭が痛い。


 お高い航空会社のフライトは、エコノミークラスでも快適な座り心地だった。キャビンアテンダントも親切だった。高価なモノにはそれだけの価値がある。


 お金の心配はしたことがない。一年前に実家を離れて以来、姉貴がおれのぶんも含めてお金の管理をしてくれてんだけど、通帳にはまだまだ余裕があるそうだ。


 だって、実家、超絶お金持ちだし。おれも姉貴も、与えられたお小遣いを突き返してド根性やるようなキャラじゃないし。上手に世渡りできる部分はやっちゃったがいいじゃんっていう省エネスタイルだし。


 フランスに滞在したのは、昔、家族でそっちに住んでた時期があるからだ。おれはよちよち歩きだったから、ほとんど覚えてない。姉貴が当時の知り合いと連絡をつけて、その人を頼って転がり込んで、一年間。


 あっという間の日々だった。姉貴は美容師だから仕事らしきことをしてたけど、おれは何もなくて、とりあえず学校。


 長く続くはずもない、という気はしていた。きっと呼び戻されるだろう、と。

 だって、おれがしゅじゅうしゅの預かり手である限り、宿命は必ず付いて回るから。


「理仁、パスポートと航空券、すぐ出せる?」

「ん、出せるよ」

「忘れ物してない? 前、ポケットに突っ込んでたスマホ落として、大騒ぎしたでしょ?」

「だいじょぶだって。今回はポケットじゃなくてカバンに入れてるし、大事なモンは肌身離さず首から提げてるし」


 神経を澄ませると、わかる。おれの心臓のすぐそばで鼓動する朱獣珠のリズム。人間に似た体温を持つ、硬い石の感触。直径二センチちょっとの、小さいくせに重たい存在。


 朱獣珠は、おれが預かるべき大事なモンだ。同時に、おれにとってこの世の何よりも恐ろしくておぞましい相手でもある。朱獣珠に罪はないけど、いまだに恐怖の夢を見て飛び起きる。


 飛行機の通路はカーペットが敷かれていて、足音が立たなかった。キャビンアテンダントのおねえさんとおにいさんに見送られてブリッジに渡ると、姉貴のハイヒールがカツンカツンと高く鳴った。その音、すげーいいと思う。


 おれの目の高さに、姉貴の頭のてっぺんがある。おれと同じ朱い髪。染めてんのかってよく訊かれるけど、生まれつきだ。


 あか、という色に、切っても切れない縁がある。朱獣珠を預かるべき血筋に生まれて、おれが当代の預かり手。ほしくて得たわけじゃないけど、それなりに強いチカラと、朱い髪と朱い目がおれに備わっている。


 血縁的にいちばん近い姉貴も、朱だ。髪の色と目の色。人並外れて第六感が鋭いところも血筋のせいかもしれない。いや、単に姉貴が個人的にすごすぎるだけかもしれないけど。あ、その説も濃厚だゎ。


「姉貴、その靴、新しくない?」

「職場でせんべつにもらったの。よく気付いたわね」

「だって、前のやつ、ヒールが折れて悲惨なことになってたじゃん。直そうとしたけど直んなくて」

「そう。気に入ってたのにね」

「足はほんとにもう平気?」

「このブーティだから平気。くるぶしが固定されるの」


 そっか。だから、おれに荷物を押し付けたのか。一人で何でもテキパキやっちゃう姉貴が自分で自分の荷物を持たないなんて珍しいと思ったんだ。


「まだ治ってねーんなら、無理しないでよ~。立ち仕事の美容師は、足、大事でしょ」

「はいはい、ご心配ありがとう。仕事を再開するまでには治すわよ」


 姉貴がケガしたのは、たぶんおれのせいだ。本当はおれが襲撃されるはずだったのに、たまたま姉貴が災難に遭遇してしまった。その可能性が捨て切れない。


 なぜおれが襲撃されるか。

 実家を、日本を、離れた理由と同じだ。


 朱獣珠は危ういモノだから。誘惑に満ちたモノだから。人の欲望をそそのかすモノだから。そのチカラを使ってはならないモノだから。


 入国審査の列に並びながら、姉貴は、ふと物憂げな横顔でうつむいた。

「あの子も無事に帰国できたならいいんだけど」


 銃を持った何者かと姉貴が鉢合わせたとき、姉貴をかばって戦って敵を撃退したヒーローがいた。おれは後ろ姿しか見なかったんだけど。


 細身で黒髪の男だった。異様にしなやかで素早い身のこなしが強烈に印象に残った。姉貴が言うには、銃撃を正面からかいくぐって、敵の顔面を蹴っ飛ばしてノックアウトしたらしい。


 謎のヒーローってほどでもなかった。知り合いの伝手を頼ってちょっと調べたら、在フランスの日本人旅行者情報にすんなり行き着いた。


「阿里海牙、十七歳の高校三年生、だったっけ? 国際学術交流だか短期留学だかで、たまたまあのへんにいたんでしょ。すっげー優秀っぽいけど」


「たまたまかしら? あの子もチカラを持ってたわよ。宝珠の預かり手なんじゃないかって気がした」

「まあ、並みの人間の動きじゃなかったしね~、朱獣珠が反応するのも感じたし。でもさ、姉貴、十七歳男子に対して『あの子』とか言うの、どうかと思うよ」


 おれは姉貴の弟だから、「あの子」扱いでもしゃーないってあきらめがつくけど。よそのおねえさんから言われたら、割とけっこうそれなりに気にする。


 いや、おねえさん好きな男子高校生なら「あの子」扱いに悶えて喜ぶんだろうか。姉貴、美人だし。


 いやいや、だけど、いくら美人でもね。おれの姉貴、長江って人はなかなか強烈でね。

 姉貴だからいいんであって、女としてどうかって訊かれたら、おれは絶対無理だ。


 何がどう無理って、八歳上っていう年齢差もあるし、美人でスタイルよくてオシャレで頭が切れて気が強くてバイクも乗れてフランス語も英語もそれなりで、って。こんだけ条件そろってたら怖くない?


 実際、姉貴はモテそうでモテない。後輩女子に崇拝されるけど、フツーの恋愛対象としてはなかなかモテない。弟として、何か非常にビミョーな気分である。


 にこやかな入国審査官のゲートを無事に通過して、預け荷物のスーツケースを合計四個、回収する。おれが荷物をカートに載っける間に、姉貴はタクシーを手配した。空港と提携したハイヤーって、意外とお手頃価格なんだそうだ。


 税関を抜けて、到着ゲートを通過する。

 そして、おれと姉貴は立ち止まった。


「待っていたよ、リア、理仁」


 はたから見てりゃ一発で、それがどんな場面なのか推測できただろう。

 仕立てのいいスーツを身に付けた五十歳くらいのイケメン紳士が、目尻に上品そうな笑いじわを刻んで、気さくな様子で軽く手を挙げる。


 対する相手は姉弟で、特に弟のほうの顔立ちとか骨格の感じとか、明らかにイケメン紳士と似てるわけ。


 裕福な父親が、遠くフランスの地から帰ってきた娘と息子を迎えに来ました。そんなシーンだ。


 おれの胸の上で朱獣珠がドクンと激しく鼓動した。嫌がっている。自分をあの男の前にさらしてくれるなと、おれに訴えている。

 わかってるよ。だから、落ち着け。そうでなきゃ、おれまでおまえに共鳴して苦しくなっちまうだろ。


 姉貴はサングラス越しに親父をにらんで、言い放った。

「連絡した覚え、ないんだけど?」


 親父は、よくできたスマイルを顔に貼り付けたまま、微妙に噛み合わない言葉を返した。


「無事に帰ってきてくれて安心したよ。車に乗りなさい。ひとまず家に帰ろう」

「帰らないわよ。だいたい、あなたの家はわたしたちの家じゃないから。行くわよ、理仁」


 姉貴はさっさと歩き出した。おれもカートを押して続く。

 背中に親父の声が飛んでくる。


「理仁、近いうちに学校に顔を出すだろう? 話はそのときでもいい。私は別の場所にいることもあるが、最近はできるだけ毎日、様子を見に行くことにしているのだ」


 姉貴は親父の呼びかけをガン無視しながら、ため息をついて小声で言った。


「どうして理仁はわざわざ、あんなやつが理事長をやってる高校に入ったの? とっとと離れればよかったじゃない」


 そりゃあ、おれだって後悔しまくってるよ。めっちゃ面倒くさいけど、しゃーないじゃん。

 おれは口を開かずに、思念を声みたいに編んで、直接、姉貴へと飛ばした。


【情報収集したいから。探るには、潜入すんのがいちばんかなって思って。学園の運営ってどんなもんなのか、目を凝らして見ておくんだ。そしたら、近い将来、おれがあの学園を乗っ取ってやるときに役立つでしょ】


 姉貴が目を見張った。おれはニッと笑ってみせた。


【多様なコースを持つ割にリーズナブルな学費で有名なマンモス私立校、襄陽学園。親父は裏であれこれやってて真っ黒でしょ。追い出すのは簡単だと思うんだ。追い出した後、おれがキッチリ仕切ってやったら全部丸く収まるよね~。それがおれの将来の夢】


 姉貴もニッと笑った。

「期待してるわ。戦わなきゃね」


 そーいうことだ。

 こっちに戻ってきちゃった以上は、逃げてばっかりもいられない。向き合ってくしかない。


 首から提げた鎖の先で、朱獣珠が、おれにしか聞こえない思念のつぶやきを漏らした。


 ――運命の大樹が騒いでいる。この一枝はひどく重い。


 重いの? 折れちゃいそう? バランス狂っちゃってる?

 朱獣珠が、うなずくように鼓動した。


 ――因果の天秤に、均衡を。宝珠が集うぞ。心せよ、我が預かり手よ。

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