六章:学園_school_days

「理仁! 本当に戻ってきたんだな」

 襄陽学園の屋上から見晴らす眼下には、変わりなくなつかしい街並みが広がっている。


 複雑な道筋が迷路みたいで、それがまたおもしろくて風情があるってんで、全国的にも有名らしい。港は昔ほど栄えちゃいないけど、キレイな町だ。清潔で、公園も街路樹もあって、川の水も澄んでいて。


 川を挟んで向こう側の町から、若葉色の各駅停車が白い鉄橋を渡ってやって来る。

 がたんごとん、がたんごとん。自動車道路をまたぎながら緩いカーブに差し掛かるあたりで、必ずアナウンスが入るんだ。


 まもなく玉宮、たまみやー。駅に入る手前、電車が揺れます。電車が止まりますまでお席をお立ちにならないか、吊革や手すりにおつかまりください。


 子どものころからちょいちょい利用してた路線だから、景色もアナウンスも覚えてる。セリフの丸暗記は得意分野だ。


 電車が玉宮駅に到着する。レトロなヨーロッパ調の外観。まあ、ヨーロッパの実物を見てきたおれからすると、やっぱ日本だなって思うけど。ゴミ落ちてないし、ドブくさくないし、ネズミいないし。


 あの駅前は、何度かライヴを聴きに行った。条例で、高校生以上のストリートライヴが許可されてるエリアだ。親友がギター持って、ベースとカホン連れて、爽やか系の曲を披露してた。


 ほんとはあいつ、ヴォーカリストじゃないんだけどね。ヴォーカリストは年齢制限に引っ掛かっちゃうんで、同じく年齢的にアウトなキーボーディストと一緒にお留守番してたそうで。


 五人そろった本物の音を聴かせてもらう約束だった。それを果たす前に、おれは日本から逃げ出す羽目になっちまった。そのまま、ほぼ連絡なしで一年。


「やーっと約束が果たせるね、ふみのり

 金網フェンス越しの景色を一望しながら、ひとりごとをつぶやく。


 さっき鳴ったチャイムが放課後のスタートを告げたから、西日の中の学園は部活の時間に向けてソワソワし始めている。


 おれが登校したのはついさっきで、昼近くまで寝てた。

 夢を見て起きて、また寝て夢を見て起きて、の繰り返しだったから、時差ボケを一発で解消するには至ってない感じ。まあ、このくらいならどーにでもなる。食欲はあるし。


 さて、そろそろ日向ぼっこ終了。文徳んとこに行こう。


 学校の屋上って、普通はガッツリ施錠されてて出入り禁止になっている。襄陽学園もご多分に漏れず、ドアに鍵が掛かってる上に、取っ手に鎖が巻かれて南京錠で封印されている。


 じゃあ、なぜおれが今、屋上にいるかというと、合鍵を持ってるからにほかならない。学校じゅうの鍵は全部、親父のとこから拝借してコピーした。この程度の管理体勢って、だいぶさんだよね。

 屋上を元どおりに施錠して、おれは階段を降りる。


【誰もこっち見ないでね~。屋上にこっそり忍び込んでた悪い子なんか、いないからね~】


 放課後のワイワイした階段と廊下に号令コマンドを飛ばせば、おれは誰とすれ違っても、見なかったことにしてもらえる。透明人間ごっこ。すっげー気楽。


 このままずっと透明人間って、ダメかな? ダメだろな。


 考えんのは好きじゃないんだけど。マジ嫌いなんだけど。生きてたら、やっぱあれこれ考えて悩んで、もうほんとにしょっちゅう頭ん中ぐちゃぐちゃになる。


 高校は一応出たほうがいいんだろうなとか、大学って行かなきゃいけないもんなのかなとか、もっと効率よく社会人スキルをアップさせてく方法はないのかなとか。


 唐突に、おれは呼ばれた。

「理仁! 本当に戻ってきたんだな」


 透明人間ごっこ中のおれを、難なく発見したそいつ。親友って呼ばせてもらってる、同い年の気楽な相手だ。


 おれは笑顔をこしらえて振り返った。

「文徳~! 久しぶり! 戻ってきたよ~。で、予告してたとおり、軽音部室に遊びに行こうかと思ってね」


 栗色の髪、長身、切れ長な目のイケメン。生徒会長サマで成績優秀、スポーツ万能。ロックバンドのリーダーで、バンドを慕って寄ってくる不良どもまで取りまとめる。


 文徳。意味不明なほどハイスペックなくせに、すっげーいいやつだ。


 文徳はギターを肩に引っ掛けて、軽音部室に向かう途中だった。おれは文徳の隣に並んで、一緒に歩き出す。


「いつ帰国したんだ?」

「昨日だよ」

「体、きついんじゃないか?」

「それなりにね~。でもまあ、許容範囲。ところで文徳、背ぇ伸びたね。おれと変わんないじゃん」


「この半年くらいで急に伸びた。部室で身長の話をすると、弟のあきらがむくれるから、おもしろいけど面倒くさいぞ。あいつも平均よりちょっと上なんだけど、バンドの中ではいちばん小さい」

「ベーシストの女の子、亜美ちゃんだっけ? あの子もけっこう身長あるもんね」


 噂をすれば何とやら。廊下の角を曲がって軽音部室のドアが視界に入ると、ちょうどそこにベーシストのイケメン風長身女子の姿があった。


 亜美って名前の彼女は、文徳の幼なじみで恋人だ。っつっても、文徳以上に亜美はサバサバしててサラッとしてて、二人が恋人っぽいことしてるシーンはまったく想像できない。


「遅いよ、文徳。鍵、開けて。そちらは、長江だっけ? 前、ストリートライヴでちょっと話したよね。久しぶり」

「うん、久しぶり。今日はちょっと練習を見学させてもらうから、よろしく。文徳の弟くんに会ってみたくてね」

「煥ね、気難しいとこもあるけど、根は素直だよ。あいつの歌も聴いてみてほしい」


 文徳が鍵を開けてドアを開けて、おれたちは軽音部室に入った。


 防音壁の小さな部屋だ。アンプ、ドラム、シンセサイザー、スタンドマイク、譜面台、丸椅子、ホワイトボード、古めかしいCDラジカセ。


 この学校の軽音部にはたくさんのバンドが所属していて、部室は二つある。そのうち小さい部屋は、軽音部内のライヴバトルで優勝した人気と実力ナンバーワンのバンドが占領する。大きい部屋は、その他のバンドのたまり場と化しているそうだ。


 文徳と亜美が楽器の準備をするうちに、ドラマーのうしとみとキーボーディストのゆうがやって来た。おれは短い挨拶を交わす。


 牛富は同学年で、レベル別の数学で同じ教室だったことがある。体がデカくてゴツいけど、すっげー優しくて癒し系なやつ。


 雄は一つ下。文徳たちのストリートライヴで、女の子だと思ってナンパしたら男だったんで笑ったけど、一年でだいぶ男っぽくなった。


 文徳たちの5ピースバンドの名前は「瑪都流バァトル」っていう。バァトルというのは古い言葉で「勇者」って意味で、中二病感あふれる漢字表記は当て字だそうだ。


 五人がそろわないと、一つのものが形にならない。それってどういう感覚なんだろう? おれは音楽もスポーツもまじめにやったことないし、部活も委員会も入ったことない。


 憧れみたいなのはないつもりなんだけど。まあ、実際にバンドの様子を見物してたら、ちょっとうらやましくなってきちゃうもんだね。


 文徳たちは音出ししながら、たまにちょっかい出し合って、急にまじめな顔で譜面を確認する。音楽やるのが好きなんだなって感じるし、お互いほんとに仲いいんだなっても思う。


 なかなかの爆音環境。でも、不思議な居心地のよさがある。楽しそうな瑪都流のメンバーを見てると、それだけで、こっちまで頬が緩んでくる。


 ふと、ドアノブが回る音が聞こえた。そんなかすかな音が、爆音環境の中で妙にクッキリ聞こえた。耳で聞いたんじゃないのかもしれない。第六感でキャッチしたんだ。


 朱獣珠がドクンと大きく鼓動した。

 ドアが開いた。


 銀色の髪がサラサラ揺れた。金色の目がおれをとらえて、げんそうに細められた。


 聞いてたとおりの姿でも、やっぱり実際に目にすると、あまりにもキラキラだから驚いてしまう。着飾ってるわけでもない男に対して、キラキラとか言うのも妙な気もするけど、ほんと、光を反射してるように見える。それか、内側から光ってんのか。


 おれは、一拍遅れで笑顔を作った。


「おー、やっと会えた~。文徳の弟の、煥だよね? なるほどなるほど、確かに文徳の弟だってわかる顔してる。聞きしに勝る美少年じゃん。あっきーって呼んでいい? ダメって言われても呼んじゃうけど」


 身長は百七十センチそこそこで、細い。銀髪で隠れがちな耳にリングのピアスがはまっている。銀髪とピアスと、たびたび教室を抜け出す一匹狼気質のせいで、不良ってレッテルを貼られてるらしい。


 煥は眉間にしわを寄せて、文徳に向き直った。無言のうちに「こいつ、誰?」と、おれのことを尋ねる。文徳は肩をすくめて、おれに視線を寄越した。


 おれも肩をすくめた。口を開かず、音を使わない声で、煥ひとりに向けて言った。


【申し遅れたけど、おれは長江理仁。文徳から、チラッとくらい聞いてない? あっきーと同じで、四獣珠の預かり手だよ。朱雀の宝珠、朱獣珠を預かってる。きみはさ、びゃっでしょ?】


 煥の目の色が変わった。

「このところ白獣珠が落ち着かなかった理由、こういうことか」


 すげーいい声だ。一瞬、話題がおれの頭から吹っ飛んだ。声変りをして低くなっているのに、しなやかで澄んだ声。ハッとするほど印象的。


 だてにヴォーカリストやってるわけじゃねぇんだな。異能じゃなくても、チカラのある声なんだ。おれは異能としての声を持っていても、美声だなんて誉められた試しはない。

 チラッと胸に起こった嫉妬を、おれは握りつぶした。


【おや~? 四獣珠の話、バンドメンバーに聞かせちゃってもいいわけ?】


「かまわねえ。亜美さんも牛富さんも雄も、代々、白虎の伊呂波家とつながりのある家の生まれだ。オレたちは幼なじみで、みんな、ちゃんとわかってる」

「そーなんだ。気ぃ使ってみたのに、ビミョーに損した気分。てか、仲間がいるんだ。うらやま~」


 いや、割と真剣に、うらやましい。おれは姉貴に守ってもらってばっかで、朱獣珠のこともチカラのことも他人に知られちゃいけないって、人付き合いを避けてきたし。


 煥はまだ、ひどく冷たい視線をおれに向けている。さんくさいって思ってんのが顔に書いてある。

 そりゃそうだな。いきなり現れて「信用しろ」なんて、気持ち悪い話だ。


 おれはカッターシャツの襟ぐりから指を突っ込んで、肌のすぐ上に付けたペンダントを引っ張り出した。ありふれたシルバーチェーンはすぐにくすんで傷むのに、ペンダントトップは汚れも濁りもしない。


 朱く透き通る宝珠。それを守るように巻き付いた、金とも銀ともつかない輝きのメタル。触れれば、鼓動と体温と思念が宿っていることが感じられる。


「こいつ、おれの宝珠。本物ってわかるでしょ?」


 目を見張った煥が答えるよりも先に、ドクンと、煥の胸で宝珠が脈打つ気配があった。おれの指先で、朱獣珠がなつかしそうに、気配だけでそっと笑った。


 ――久しいな、白獣珠よ。


 煥はおれと同じように、少し緩めた襟元からペンダントを取り出した。白い輝きの石、白獣珠がそこにある。


 ――朱獣珠、来たか。

 ――ああ、時が来てしまった。


 煥は白獣珠を見つめて言った。

「四獣珠は集まっちゃいけないもんだと聞かされてた」


「原則はね。でも、引き寄せ合うチカラが働き始めてんだから、もうしょーがないんじゃない? おれはね~、二年前の高校の入学式で、あー何かヤバいこと始まっちゃうんだろうなって知ったよ」

「二年も前に?」


「おれのチカラってさ、王さまゲームみたいなもんなんだけど、一人だけ命令に従わないイレギュラーがいたんだよ。本人は能力者じゃなくても、異能のポテンシャルは血の中に潜んでんだろうね。文徳は、おれにとって衝撃だった」


 かったりー話が延々と続く入学式で、おれは、登壇者以外を漏れなく全員、居眠りさせて遊んだ。会場の人数は多かったけど、話を聞きたくないやつらに「おもしろくねーと思ったら寝てろ」って命じるのは簡単だった。


 ついでに何かいたずらでもしてやろうかと思ってキョロキョロしたら、文徳が同じことをしていた。何かやらかしてみようかなって、目をキラキラさせて、キョロキョロ。


 微妙に眠くなりはしたらしい。でも、まわりが一斉に眠りに落ちたのはなぜだろうって、好奇心が働くほうが強かったらしい。おれと目が合った文徳は、楽しそうに言った。


 これをやったの、きみなんだろ?


 衝撃だった。面倒くさいとも思った。初めて出会うタイプの相手で、不気味にも感じた。したに出たくないとか、別にしっぽをつかまれたわけじゃないとか考えて、とにかく強がっておこうと決めた。


 探りながら友達付き合いを始めて、そして、本当に友達になった。おれの言いなりにならない、ちゃんと対等な友達だ。


「おれは文徳から、あっきーの話をいろいろ聞いてたんだよ。四獣珠のことがよくわかんないうちに両親と死に別れちゃったって話もね。文徳が情報をほしがってたのもあって、おれ、ばあちゃんちの古文書をキッチリ読んだりしてさ~」


 崩し字も古文も勉強したことがないのに、おれには古文書が読めた。理解できてしまった。


 実は、おれは言語全般に強い。古い日本語も、強烈な方言も、外国語も、文字を見たり音を聞いたりするうちに、何となくテレパシーみたいなものが伝わってくる。波長が噛み合って、文脈が頭に落ちてくる。


 おれがフランスで一年間、割とフツーにやっていけた理由がそれだ。おれのチカラは、王さまゲームの号令コマンドに典型的に表れるとおり、言葉というモノに特化している。音ではない声を操って、発信するのも受信するのも、自然とできてしまう。


 長江家に伝わる古文書を漁った結果、血筋の束縛を実感した。


「おれ、マインドコントロール系のチカラを使えるわけだけど、預かり手の血はそういうのに対して、かなり高いレベルの耐性を持つんだってさ。宝珠を奪われないために。だから、あっきーはもちろん文徳にも、おれの王さまゲームは通用しねーの」


 同じく、姉貴にも。そして、親父にも。


 煥は眉間にしわを寄せたまま、じっとおれを見つめて話を聞いていた。おれが口を閉ざすと、白獣珠を服の内側にしまいながらうなずいた。


「オレも兄貴からあんたのことを聞いてた。会ってみる気がなかったわけじゃない。でも、毎度すれ違いになった」

「たぶん、出会うタイミングじゃなかったんだろね。四獣珠のうち、あと二つの準備ができてなかった、とかさ」


「今はもう準備ができてるってことか?」

「すぐ会えるんじゃないかなーって思うよ。おれ、勘は鋭いんだよね。ちょっと本気で覚悟したほうがいい事態になるかもよ? まあ、あっきーはバトルに強いから、頼りにしてるけど。ケンカ強すぎて、他校の不良からは、銀髪の悪魔って呼ばれてんでしょ?」


 煥はこの上なくイヤそうに顔をしかめた。


 本人は好きこのんでケンカをするタイプではないらしい。でも、ケンカを売られると、逃げるでもなく避けるでもなくりちに受けて立って、必ずしっかり相手をボコボコにする。おかげで、悪魔なんていう二つ名が付いた。


 今どきの高校生ってさ、ケンカする前に話し合いや金銭でケリ付けるもんじゃないの? そういう便利な解決方法をまったく図らずに、素直に相手をボコる煥って、運動能力が高いだけの不器用さんなんだろね。


 しかし、鬼じゃなくて悪魔って呼ばれるのは、容姿のせいかな。全体的に色素が薄い感じ。白獣珠の預かり手として、白、という色に縛られてんだろう。朱いおれと同じだ。


 金色の目を光らせて、煥はおれに凄んでみせた。


「くだらねぇ二つ名なんか、口にするな。変なニックネームも付けるな」

「変なニックネームって? あっきーって呼ぶの、ダメ?」

「やめろ」

「じゃあ、あきらん☆ とか」

「殴るぞ」

「照れなくても、あっきーでいいじゃん」

「照れてねえ」


 煥はそっぽを向いた。そして、バンドメンバーがみんなしてクスクス笑ってるのに気付いたみたいで、ものすごく不服そうに口を尖らせた。


 なるほど。こいつ、かわいいゎ。からかい甲斐がある。


 文徳と目が合った。文徳は口を開かなかったけど、心の底から嬉しくて楽しいときの笑い方をしていた。生徒会長で優等生の営業スマイルじゃない顔って、おれにはわかるから。


 弟のこと大事なんだなー、って。

 おれはとっさに姉貴のことを思い出した。

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