四幕:滅亡_destruction

「何が終わるんですか?」

 古い樹のような、土くれのような、びた金属のような、何だかよくわかんない物質が、やせこけた男をとらえて呑み込もうとしている。


 いや、逆だ。男を中心に物質が生まれ出ている。男を中心に、この空間の地面も天井も壁も形作られている。


 吹っ飛んでた意識が戻ってきたとき、おれはここにいた。目を見開いたまま土気色になってピクリとも動かないその男のそばに、一人きりで転がっていた。


 おれは男を見上げた。


「総統って呼ばれてたよね? あんた、偉い人なんだ? そりゃそっか。あんだけ胞珠いっぱい持ってたら、チカラのほうもすごいっしょ」


 キラキラまぶしかった胞珠は全部、沈み切った色に変わっている。粒の粗い砂みたいに、ざらざらだ。もともとなかった右腕は、相変わらず空っぽだった。

 生きてるようには見えなかった。でも、総統は応えた。


【確かに、私には何をするチカラでも備わっていた。だからこそ、何もしてはならなかった。何かを成せば、代償として何かが失われる。それが因果の天秤の均衡だ】


「そりゃまた禁欲的なことで。おれなんかさ~、他人にできないことが自分にはできるって気付いた瞬間から、さんざんいろいろやらかしてきたよ。だって、楽しんだもん勝ちじゃん? どーせこんなご時世じゃ、長生きできやしねぇんだし」


【私も長生きを望んではいないのだがね。実際、こうなってしまったからには、もう生者には戻れない。それを惜しんでもいない】

「冷静だね。第一印象は、ネジが何本か飛んじゃってる感じだったけど」


【その表現は正しい。右腕を奪われて体内のチカラの均衡が崩れ、暴走を押さえるのに必死だった。その精神状態のよくないときに、さよ子までいなくなった。そして、きみの思念と感応してしまい、トリガーが引かれた】


 おれは笑った。

「何それ。おれのせいってこと? おっちゃん、偉い人なんでしょ? たかが十七歳のガキに引きずられてトチ狂うとか、ちょっとだらしなくない?」


 総統も少し笑った。

【まったく面目ない。きみと私のチカラは相性がよいようでね、ふっと引き込まれてしまった。気が付いたら、このざまだ】


 おれは笑いを腹の奥にしまった。

「このざまっていうのは、どういうざま? おっちゃん、死んでんの? ここ、おっちゃんが創り出したダンジョン?」


 総統の思念は笑みを含んだままだった。

【人間の肉体としては、私は死んでいる。胞珠のチカラもほぼ流出してしまった。そのチカラと周辺の大地が混じって、いわゆるダンジョンのようなものを形成したようだね。ただ、胞珠の破砕には至っていない。その一歩手前で押しとどめている】


「だよね~。おっちゃんみたいに全身胞珠の人が破砕したら、地球、割れるよね」

【そのあたりは海牙くんが計算したことがあったな。残念ながら、地球を割ったり砕いたりするには、エネルギーが足りないそうだ。とはいえ、人間社会や自然環境を破壊し尽くすには十分なエネルギーだと言っていた】


 総統の語り口は穏やかで、だから不気味だった。こんな場面、危機をあおり立てるような話し方をされるほうがナチュラルってもんだ。


 胃の底がゾワゾワして、吐き気が込み上げた。おれは恐れてるらしい。死んでる男と会話することそのものも、男が平然と語ってのける可能性の話も、両方とも怖くて気持ち悪い。


 おれはぐるっと周囲を見渡した。


 ダンジョンの中は蟻の巣に似てるって聞いてたとおりだ。天井の低い小部屋があって、何本かの道が続いてて、さらに先にも小部屋がある。そんな感じで、見通しが利かない。


 うっすらと明るい。光源が何なのかわかんないけど。あるいは、目で見てる景色じゃないのかもしれないけど。


 おれは総統に訊いた。

「ここから出る方法、あるよね?」


【出て、どうする?】

「どうもしない。ただ、死に場所を選べるんなら、ここよりはマシなとこがいい」


【出られるはずだよ。さして大きな広がりを感じない。目を凝らしても、ろくに見えなくなっているから、具体的なことは言えないが】

「あっそう。んじゃ、おれ、行きますゎ」


 おれは総統に背を向けた。待ってくれ、と言われて、振り返る。


【私が破砕するのを止めてもらえないだろうか?】

「えー、何それ? おれ、大冒険とかするつもりないよ? そんなチカラ持ってないし、そんなガラじゃないし」


【大仰なことを頼みたいわけではない。さよ子だ】

「はい? あのお目々キラキラの美少女が何なの?」


【ここへ連れてきてほしい。あの子が生きている可能性だけを希望に、そのいちの光にすがって、私は自我を保ち、破砕を食い止めている。さよ子さえ確保できれば、さよ子が生きている限り、私は世界を崩壊させずに済むだろう】


 胃の底がまたザワザワして、きつく痛んだ。冷たい手で胃をつかまれて搾り上げられるように感じた。


 不吉の予感。強烈な確信を伴う、最悪の可能性。

 カウントダウンが聞こえ始めた。そう感じた。


「はいはいはい、さよ子姫をお連れすればいいわけね~。割に合わないお仕事な気もするけど、まー、巡り合わせってやつかな。しゃーないね。行ってきますゎ」


 歩き出したおれの背中に、音なき声が触れた。

【運命は大樹の形をしている。私たちが存在するこの世界は、運命の一枝に過ぎない。別の一枝では、同じでありながらまったく別の、私たちそっくりの私たちが生きている。そちらの世界ならば、きみの働きも、割に合うお仕事になり得るのだがね】


 おれは、今度は振り返らずに笑った。

「どっかで読んだよ、そういう話。昔の学者が大まじめに論述した古文書とか。もしも人間が胞珠を持たなかったら、みたいなフィクションとか。でも、想像したってしょうがなくない? この一枝では、平穏無事な世の中なんて、どーせ手に入んないんだし」


【気休めにもならないかね?】

「どうだろ? おれ、考え事するの苦手だから、ちょっとよくわかんねーや」


 会話を続けたくなかった。おれはひらひらと手を振って、総統がご神体みたいに生えた小部屋を後にした。


 うすぼんやりとした空間を歩いていく。風は感じられない。

 通路はときどき膨らんで、小部屋の形になる。右にも左にも別の通路がつながっている。おれは何も考えず、法則もなく、適当に選んだほうへと歩いた。


 いきなり、足音が聞こえた。そして声が聞こえた。

「あっ、やっぱり! 長江先輩! わぁっ、生きてたんですね!」


 女の子の肉声だ。鈴蘭だった。横合いの通路から駆けてくる。


 反射的に笑ってみせたおれの頬は、その形のまま引きつった。鈴蘭が血まみれだったせいだ。制服のブレザーはボタンが取れて、前がはだけられている。白いはずのブラウスは赤黒く染まっていた。


 血は、鈴蘭が流したものではなかった。鈴蘭がごく大事そうに胸に抱いた生首の血だ。


「鈴蘭ちゃんこそ、生きてたんだ」

「はい。ラッキーですよね」


 そうかな? あっさり死んじゃった煥のほうがラッキーだったかもしれないよ。


「おれさ、さよ子ちゃんを探せっていうクエストの最中なんだけど、鈴蘭ちゃん、ヒント持ってないよね?」

「クエスト? さよ子、このあたりにいるんですか?」

「わかんない。でも、探して連れてかないと、ジ・エンドなんだって」

「何が終わるんですか?」

「世界」

「え?」


 血の匂いがした。腐臭はまだしない。あきらの生首はひどくキレイで、つい目を惹き付けられる。


「鈴蘭ちゃん、傷を治すチカラがあるよね? その首、つなげてやれないの?」

「生き返らせるのは無理ですよ。そんなことできる人がいたら、神さまです」

「好きな人が死んじゃって、悲しくないの?」

「悲しいですよ。煥先輩の歌をもう聴けないなんて。でもね、これはこれでいいかもって思うんです」

「いいって、何が?」


 煥の少し長めの銀髪は、鈴蘭が撫で続けるからサラサラだった。髪にも肌にも、血や泥の汚れがない。鈴蘭が拭ってやったんだろう。


 生首のくせに、表情が妙に生き生きしている。ハッと目を見張ろうとする途中みたいな、どこか無防備な表情。


 煥って、つねに眉間にしわを寄せてそっぽを向いてるようなやつだったから、毒気やとげのない表情すると全然違うんだな、って感じだ。頬とか口元とか実はあどけないんだな、って。まつげがめっちゃ長いんだな、って。


 鈴蘭がくすくすと笑った。血で濡れた胸が揺れた。


「見惚れちゃいますよね。キレイですもんね。でも、あげませんよ。わたしのものですから。ちょっと想像できなかった形だけど、手に入っちゃった。嬉しいなあ。早く外に出て、キレイなまま保存できる方法を探さなきゃ」


 鈴蘭は煥の生首を持ち替えて、光のない目と見つめ合うと、額の白い胞珠と唇にキスをした。少し開いたままの煥の唇に、鈴蘭の舌が這う。生首がもう硬直しているのが見て取れた。


 すげーな。おれにはそんな発想、なかったよ。空っぽになって腐ってくだけの死体なんて、もう姉貴じゃないと思った。


 おれは、鈴蘭が来たのとは別の方向を指差した。


「とにかく、どっかから外に出ようと思ってんだけど、一緒に来る?」

「行きます。たぶんなんですけど、この中、ほかにも誰かいるんですよね。不気味な声が聞こえたりしてるので」


「そーなんだ。まあ、このダンジョン、けっこう広範囲に広がってるし、巻き込まれた人がいてもおかしくはないよね。あの海牙ってやつも、たぶんどっかにいるし」

「はい。だから、一人より二人のほうが安心だと思って」


 だよね。おれもそう思うよ。二人のほうが、生きて出られる確率が上がるよね。


 おれが前、鈴蘭が後ろになって歩き出す。相変わらず、向かう先はいい加減。でも、たぶんこれでいい。おれの勘は、おれの頭脳より役に立つ。


 鈴蘭は、話し出したら止まらないらしかった。煥のこと、煥のこと、煥のこと。どれだけ好きなのか。何で好きになったのか。どこが好きなのか。


 煥と交わした会話は全部覚えているらしい。煥が歌った唄も全部データを持っているという。過去の思い出や記録は有限だけど、空想や妄想は無限で自由だから最高なんだとか。


「追い掛けて追い掛けて追い掛けてやっと得られるものって、ほんのちょっとだったんです。悔しいし苦しいしどうにもならないし、大変だったんですけど、今はもう手に入っちゃったんですよね。夢みたい。これからはわたしが独占できるんです」


 独占ってさ、それが恋愛の究極形なんだろうか。相手のこと、もう完璧に思いどおりにできる。

 魅力的なシチュエーションかもしれないね。それはおれにも理解できるよ。自分じゃない人間って、思いどおりに動かせないのがデフォルトだし。


 ふと、風があることに気が付いた。おれは思わず足を止めた。


「長江先輩? どうしたんですか?」

「このへんからどこか別の場所に行けるかもしれない。風が吹いてる」

「あっ、ほんとですね」


 弾んだ鈴蘭の声に、その瞬間、別の声が重なった。いくつもの呻き声だ。意外に近い。


「何だ?」


 呻き声は反響している。四方に道が通じた小部屋の中では、呻き声がどこから聞こえてくるのか特定できない。


 こっちに向かってきている。そう感じる。

 鈴蘭が動揺している。悲鳴みたいな甲高い声で、意味をなさない言葉を口走っている。


 姿が見えた。人の姿が、いくつか。

 直立して二足歩行するって、実は難しいことらしい。そいつらは、ぐらぐら激しく揺らめきながら近寄ってくる。這いずってるやつもいる。


「あー、やっぱ、あれか。抜け殻か」


 鈴蘭が大きな悲鳴を上げた。その声に呼応するように、近寄ってくる抜け殻たちが大きな呻き声を上げた。

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