二幕:乱闘_a_free_fight

「妙なことが起こんなきゃいいけど?」

 夕暮れの駅前の雑踏の中で音楽が始まった。真っ当なロックンロールだ。質のいい、ストレートな響きの、音楽らしい音楽。


「腕、上げたじゃん。もともとふみのりのギター、すげーうまかったけどさ~」


 バンドマスターはおれの友達。文徳。生まれて初めて、友達って呼んでやっていいなって思えた相手だ。


 何をするときよりも楽しそうな顔で、文徳はギターを弾いてる。心地よいエイトビート。吹っ切れたような疾走感。ときどきギュンッと激しくひずませるのがアクセントになって、オーディエンスを油断させない。


 文徳は、両手の人差し指の爪がペールブルーの胞珠だ。外灯の下でギターを弾いてると、爪に光がキラキラ反射して、何か妙にアーティスティックでカッコいい。


 いや、まあ、爪の胞珠みたいにピンポイントなキラキラがなくったって、文徳は際立ってんだけどね。おれから見ても、やっぱカッコいいもん。特に、演奏してるときは。


 長身でイケメンの文徳は、リーダーシップが全身からにじみ出るタイプで、だから人目を惹く。最前列に座り込んだ常連のファンだけじゃなく、たまたま居合わせるだけの通行人まで集まってくる。


 文徳がしきりにアイコンタクトを取る相手がまた、とんでもなく人目を惹く。いや、目だけじゃねーな。耳もだ。


 ヴォーカリストは文徳の弟で、あきらっていう。銀色の髪、金色の目。そして、額にデカデカときらめいてるのは、真っ白な胞珠。


 文徳から話だけは聞いてた。自分の弟もデカい胞珠と異能を持ってるんだ、って。


 だから、そんな血筋の文徳にはおれの号令コマンドが効かない。うぜえ、って最初は思ったけど、そのうち気が変わった。支配関係に持ち込めない相手ってのは案外、気楽だ。


 一曲終わって、拍手が起こって、文徳がコーラスマイクでMCを入れる。


 煥は声がいいくせに、しゃべらないらしい。水を飲みながら、警戒の目でおれを見ている。胞珠の気配が気になるんだろう。


「銀髪の悪魔、って呼ばれてんでしょ? なるほどね~。その強烈な目つきは、確かに怖いゎ」


 文徳のMCにいちいち反応してバカ笑いする連中は、総じてガラが悪い格好をしている。いわゆる不良ってやつ。


 未成年のくせにライヴハウスで演奏したり、普段は不良のたまり場になる駅前でストリートライヴしたりと、文徳たちのバンドはそんなふうだ。「あいつら、イケてんじゃん」って寄ってくる連中は、不良だのヤンキーだのばっかりだった。


 文徳が単なるひ弱な音楽少年だったら、不良どもは食い付かなかったんだろうけど。幸か不幸か、文徳はケンカが強いし頭は回るしバイクも乗れるし。その弟の煥に至っては、ガチのヤクザさえ撃退するほど、腕っぷしが強いらしいし。


 そこまで強いようには見えないんだけどね、煥って。


 身長は百七十センチそこそこで、細い。全体として色素が薄い感じの容姿は、一言でいえば、美少年だ。歌ってるときは、その世界に入っちゃうんだろう、切なそうで一生懸命で表情豊かで、悪魔なんて肩書はまったく似合わない。


 惜しいよな、と思う。文徳たちのバンドは見てくれもいいし、音楽としての完成度だって、昔の音源と比べても遜色ない。まともなご時世なら、メジャーデビューして売れっ子になってたんじゃねーの?


 まあ、もしもの話なんかしてもしょうがないけどね。おれらが生きてるのは、ディストピア一歩手前みたいな、ほどよくとっ散らかった殺伐たる犯罪社会だ


 バンドメンバー、一年前までは五人っつってたよな。ベーシストが紅一点だったはずなの。

 でも今、ステージに向かって左側には不自然な空白があって、そこに花束が一つ置いてある。よく見る風景だ。


 胞珠の売買がビジネスになるって風潮が、凄まじい勢いで日本にも広がってる。たぶんだけど、おれらの世代、じいさんばあさんにはなれない。まさに終末世代。寝て起きたら死後の世界なんじゃないかって、いつも感じる。


 おれがこの町から離れてたのは、たった一年だ。たいした時間が流れたとは思わない。気付いたら過ぎ去ってた。変だよなー。中学くらいまでは、一年一年、もっと長かったのに。


 この一年で駅前の風景は変わった。レトロなヨーロッパ風で有名だった駅舎は、半分以上がぶっ壊れてる。進入禁止のバリケードが巡らされた向こう側は、ぼこりと膨れ上がった暗色の巨大な塊。ダンジョン、って呼ばれるモノ。


 ダンジョンの正式名称って、何だったっけな。やたら長ったらしくて、常用外漢字だらけのやつ。覚える気もしねーから、もうダンジョンでいいや。


 スズメバチの巣と、ダンジョンの見た目は本当によく似てる。スズメバチは、噛み砕いた木と唾液を材料にして、混ぜて固めて壁にして、巣を作るらしい。


 ダンジョンの材料は、そのへんにある土だのコンクリートだのアスファルトだの大気中のなんちゃらだのと、唾液の代わりの人間の肉体。そういうのが砕けてつぶれて揉みくちゃになって固まって、はい完成。ダンジョンに近付くと、腐臭に似た独特の匂いがする。


 墓ん中は空っぽってケース、最近では死者の半数を超えてるらしい。行方不明者は、たいていダンジョンの材料になってる。


 胞珠が壊れることを「さい」と呼ぶ。ごく一般的な、直径五ミリくらいの胞珠が破砕する程度では、たいした衝撃波も起こらないんだけど。ポン、って。メガネが飛ぶとか、そんなもん。


 ただし、破砕が連鎖すると、指数関数的に衝撃波が大きくなる。あるいは、ちょっとでもデカい胞珠が破砕すると、爆弾でも食らったかのようなえげつない死体が出来上がる。


 そして、一定以上にデカい破砕が起こると、まわりにあるモノ全部を呑み込んで、ダンジョンが造られる。


 何でそうなるんだか、二十一世紀になっても未解明。胞珠なんてモノを持つ生物は人間だけだから、霊長類や類人猿ってくくりは疑問符がつけられている。世間一般ではオカルトのほうが根強いかもしれない。人類こそ異星人である、って説。


 胞珠を持たない人類が平和に暮らしてる、なんていう世界線のストーリーがひと昔前に流行った。今でも、掃いて捨てるほどある。おれもそういう夢、見たりするけどね。


 くだらねーよ。おれの額には朱くてデカい胞珠があって、街並みを見晴らせばダンジョンがゴロゴロしてて、それが現実なんだってば。


 ダンジョンの中の構造は、蜂の巣っぽいとも蟻の巣っぽいとも聞く。度胸試し的にダンジョンに乗り込んでいったきり帰ってこないやつが、長期休みのたびに出る。


 今のこの駅前広場みたいに人が集まってる場所にいると、想像しちゃうんだよね。

 文徳たちの音楽に同調した連中。シンクロしたエネルギーを胞珠で増幅して、この空間全体で一つの大きな生き物になってるようなコンディション。


「ここに爆弾が一個、投げ込まれたら、どうなるでしょー?」


 の大破砕、だよね。おれと煥っていう、化け物級の胞珠の持ち主までいるんだからさ。町ごと吹っ飛んで、めちゃくちゃ巨大なダンジョンに生まれ変わるんじゃない?


 死体が残らない死に方って悪くないように思うんだけど、どうだろ?

 だってさ、おれはさ、姉貴の死体、どうしようもなかったからさ。


 ストリートライヴの時間は心地よく流れていく。音楽がほどよく頭ん中を掻き混ぜて、難しくない程度に考え事をさせてくれる。つらつらと、思い出したり思い付いたり、唐突に寂しくなったりむなしくなったり。


 気付いたら、終わりの時間が訪れていた。

 文徳が終演の挨拶をして、あっさりと楽器を片付け始めた。解散して立ち去るオーディエンスと、文徳たちに声をかけるオーディエンスと、人の流れができる。


 帰ろっかなって思ったら、文徳が人の頭越しにおれに手を挙げて、「こっち来いよ」とジェスチャーした。人差し指の爪がキラキラする。

 おれは肩をすくめて、人垣のほうへ歩き出した。


【は~い、ちょっとそこどいて~】


 人垣が割れる。おれから文徳のところまで、まっすぐ。


「よぉ、文徳。久々に聴けてよかったよ。いい気分転換になった」

「そう言ってもらえると嬉しい。でも理仁、げっそりしてるぞ。時差ボケか?」


「寝てないし食ってないし、こんなんで絶好調だったら、むしろおかしいってね。姉貴が死んでからこっち、ボロボロだゎ。文徳も、人のこと言える顔じゃねーぞ?」

「まあ、似たようなもんだな」


「ベーシストちゃんがいなくなったんだっけ?」

「ああ。たぶん死んだ」


 鏡を見てるような気分になった。不健康な色の外灯の下で、力なく笑った文徳は、目の下も頬も肉が落ち切っている。


 文徳の隣で、煥が金色の目をきらめかせておれをにらんでいた。額の胞珠が淡く発光しているように見える。おれの胞珠も、他人から見りゃ、あんな感じなんだろうか。


 号令コマンドのチカラで【どいて】っつったけど、当然ながら煥はそこに仁王立ちしたまま動かなかった。


 そして、動かなかったのは煥だけじゃなかった。煥のいちばん近くまで寄っていってた女の子が二人。


 小柄なほうは、おれと同じように帽子を深くかぶっている。背丈の割に胸の発育がいい。長い黒髪、色白、青い目、驚いた表情、帽子のつばの下にチラつく青い胞珠。


【もしかして、お仲間?】


 音を伴わない声に指向性を持たせて、帽子の女の子だけにぶつける。おれの唇は動いてないけど、それが確かにおれの声だってことは、彼女にもわかったらしい。


 青い目に浮かぶ警戒の色。もしくは、敵対の色。でも、そんな色を満面に出して不用意なことを言うほど、彼女は無防備でも愚かでもなかった。

 ニッコリと、彼女は微笑んだ。


「不思議ですね。チカラある血を持つ者同士が引き合うなんてこと、百年に一度あるかないかって聞いてたんですけど」

【集まっちゃってるよね~、不思議なことに。妙なことが起こんなきゃいいけど?】


 彼女は肉声、おれはテレパシー。アンバランスな会話を、おれはここで止めた。


 もう一人の女の子がおれを見つめていた。長いまつげの下の巨大なダイヤモンドみたいな両眼で、じっと。

 おれは笑ってみせた。


「また会ったね~」

「あっ、ど、どうもこんにちは! じゃなくて、こんばんは! ライヴ聴きに来られてたんですかっ?」


「そーいうこと。おれ、文徳と友達でさ。きみは? ヴォーカリストの銀髪くん狙い?」

「ねねね狙うだなんてそんな滅相もないっていうか恐れ多いっていうか! わたしはただのファンですから!」


 ギャップあるなー、この子。ほっそりした黒髪美少女で、珍しい目の色してて、じっとしてりゃ神秘的な雰囲気なのに、しゃべったら案外にぎやかで、きゃーきゃーしてる。流行りもののブレスレットなんか付けてさ。


 何か笑っちゃうよな。ふっ、と噴き出したら、両眼胞珠の女の子はパチパチとまばたきをした。


「おれさ、嫌いじゃないよ~、きみみたいな子。おもしれーもん。マジで一回、デートしない? 名前、何ていうの?」

「えっ、あ、えっと、平井さよ子っていいますけど、あのっ、デートっていきなりそーいうのは……」

「さよ子ちゃんね。で、もう一人の彼女は?」


 おれは帽子の女の子に視線を向けた。彼女はひかえめなえくぼを作った。


あんぽうすずらんといいます。さよ子と同じで、襄陽学園高校の一年生。あなたは、先輩、ですよね?」


「あー、自己紹介が遅れたね。ごめんごめん。おれは三年の長江理仁。去年は一年間、外国にバックレてたから、今の二年はおれのこと知らないと思うよ~。ね、そうでしょ、文徳の弟くん? きみ、名前は、あっきーだっけ?」


 水を向けると、煥は眉を逆立てた。


「ふざけた呼び方するんじゃねえ。あんたのことは兄貴から聞いてる。会ったのは初めてだけどな」

「フツーにしゃべってても、声、すっげーキレイなんだね~。顔もかなりキレイだけどさ。モテるっしょ?」


「知らねぇよ」

「おっ、否定しないわけだ。モテモテなのをいいことに遊ぶタイプじゃないにせよ、美少女に囲まれるのは悪い気分じゃないよね?」


 煥は眉間にしわを寄せて舌打ちした。サラサラの銀髪。バカデカい真珠みたいな、額の胞珠。

 おれは、煥にだけ聞かせるテレパシーでささやいた。


【額の胞珠、隠しもせずにさ、身の危険を感じたりしねーの? 体積だけで言って、一般人の胞珠の数十倍。でも、エネルギー増幅器としての機能は、体積に比例すんじゃなくて、もっと凄まじい増加率っていうじゃん? あんまり無防備だと、狩られるよ】


 煥が表情を変えた。薄い唇が弧を描いて、見下すような微笑。

「オレを狩ろうなんて身の程知らず、一瞬で返り討ちにしてやるよ」


 男のおれでさえゾッとするほど、煥の危険な笑みは色気があった。血に飢えているみたいだ。銀髪の悪魔という二つ名が、すとんと理解できた。


 ふと。

 ひどく騒々しいエンジン音が鼓膜に引っ掛かった。こっちに向かってくる、排気量の大きな車の音。指向性があるように感じる。こういうときのおれの勘は、だいたい当たる。


「何か来るよ」

 おれがつぶやくのと、煥が首を巡らせるのと、ほぼ同時。


 ひと呼吸ぶんの間が空いて、そして、駅前広場にヘッドライトが躍り込んでくる。黒い車だ。特殊なガラスで、車内が見えない。ナンバープレートはなかった。鼻の長いフォルムから推測するに、スピード自慢の高級外車だ。


 さよ子が体をこわばらせた。

 人影が三つ、車から降りる。そのうちの一つに、おれの視線は吸い寄せられた。


 細身の長身。異様にしなやかで素早い身のこなし。フードをかぶっていても駄々洩れの、圧倒的なチカラの気配。


【久しぶりじゃん? あんた、おれの姉貴のこと知ってるよね?】


 肉声よりもずっと簡単に、おれの思念の声は相手に突き刺さる。

 そいつがまっすぐにおれを見た。やれやれ、イケメンに縁のある日だ。トルコ系の血が入ってるって言われても納得できちゃうような、鼻筋の通った美形。


 この顔がどんな表情を浮かべて姉貴の死体を見下ろしたんだろう?

 おれの額の胞珠が熱を持つ。


【何しに来たの? ちょーっと話を聞きたいんだけど、どう? 話す気、ある? てか、話せよ。あんたがおれの姉貴を殺したんじゃねぇの?】


 そいつの答えは、無言の突進だった。

 まっすぐこっちに攻撃を仕掛けてきやがったんだ。

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