「その声のチカラを、また貸してくれないか?」

 襄陽学園の「塔」から見晴らす眼下には、いびつな街並みが広がっている。


 昔は複雑な道筋が迷路みたいで、それがまたおもしろくて風情があるってんで、全国的にも有名だったらしい。キレイな港町だったんだって。清潔で、公園も街路樹もあって、川の水も澄んでいて。


 今では、道路にせり出して建つ自己主張の激しいビルもあり、吹っ飛んで崩れたビルの跡地が平らに均されて道路に変わっちゃったところもあり。緑はないし、隣町との間を流れる川はほとんどドブだ。


 スズメバチの巣にそっくりな、俗に言う「ダンジョン」が、そこかしこにある。折れたビルが茶色く膨れ上がっている。れきの山を呑み込んだダンジョンが道路をふさいでいる。


「きったねー町」

 おれは吐き捨てた。


 あっちこっちにボコボコ発生したダンジョンを見ればわかるとおり、治安もどんどん悪くなってるそうだ。何せダンジョンってやつは、何人もいっぺんに死なないと形作られることのないモノだから。


 こうして眺めてる間にも、薄汚れた背の低いビルからポンッと煙のかたまりが噴き出して、人らしきものが落ちていく。車の流れが緩慢にルートを変更する。厄介事のあったエリアに小さな空白ができて、それだけ。騒ぎすら起こらない。


 今の中高生は、終末世代と呼ばれる。おれたちが生まれたころから急速に世界が壊れ始めて、人口が激減してるんだとか。そんな世界で育つおれたちは、大人から見て、とんでもなく壊れてるんだとか。


 知ったことかよ。


 今、おれの目に映る世界が壊れているのかどうか、これじゃない世界を知らないおれには、判断がつかない。


 いや、まだ壊れてやしねーだろ、ってのがおれの正直なところ。壊れるとか死ぬとか滅びるとかってのはもっと絶望的なモノだと思うから。


 世界はまだ、こうして広がってるじゃねーか。町が町の形をしてて、車が走ってて、終末世代だって学校に通ってて、社会的な影響力さえあればキレイな建物の中で過ごすことができて。十分だろう。


 ビルの高さがそのオーナーの社会的なランクをそのまま表している。

 ここ、襄陽学園の塔にはどういう実質的な機能があるんだか、おれは知らない。でもまあ、社会的に「襄陽学園はランクが高いんです」って示すには十分だ。


 似たような塔は隣町にもある。KHANカァンって企業の本社ビル。


 KHANは医療機器メーカーだ。胞珠が本来持つ「生体エネルギーの増幅」という効果を活用したデバイスで、バカ当たりした。新手の電動義肢とか、異色の人工臓器とか、そんな感じの商品ラインナップだ。


 社会貢献の一方で、KHANには黒い噂が絶えない。その技術を使って、違う用途のデバイスも作っているらしい。ドーピング検査に引っ掛からない筋肉増強システム、とか。法律的には武器に分類されない武器、とか。


 くすんだ四月の日差しを受けて建つ、黒鉄の釘みたいなKHANビルを見る。


「ラスボスの風格だ。胞珠を商品にしてんでしょ? おれとおたくさんと、縁がないわけないよね~」


 埃に汚れたガラスに目を凝らせば、おれの顔がうっすらと映っている。

 生まれつき朱みがかった髪と、額のほとんどを占める朱い胞珠。


 こんだけデカい胞珠はめったにない。少なくとも、おれは今までの人生で一度しか、おれと同レベルの胞珠の持ち主に出会ったことがない。姉貴の死体のそばにいた、あいつだ。


 胞珠は、左右どっちかの目の中にあるか、手の指の爪のどれか一枚の代わりか、ってパターンが多い。姉貴は、淡いピンク色の直径二センチくらいの胞珠が左胸にあったから、ちょっと珍しい部類だった。


 エレベータが動く音がする。塔のエレベータを使えるのは限られた人間だけだ。

 親父だろうな、と思った。おれのこういう勘は、恐ろしくよく当たる。


 エレベータのドアが開いた。ほらね。親父が大げさな様子で両腕を開いて、百点満点の笑顔を作っている。


「ここにいたんだな、ひと。授業中に抜け出すとは、感心しないぞ。でも、理仁が約束どおり学校に出てきてくれて、ホッとしたよ」


 右手の親指のショッキングピンク。親父は、あの胞珠のある手でいつだって大げさにジェスチャーしながらしゃべるけど、おれは、あの手が高くひるがえるたびに背筋や胃の底に冷たい震えが走る。叩かれた記憶と撫でられた記憶。うずくまって吐きたくなる。


「何か用?」

「今夜は家に帰ってくるだろう? 久しぶりに一緒に食事をしよう。いいレストランがあるんだ。おまえの好物を作らせよう。できれば、姉弟ふたりとも無事に帰ってきてほしかったがね。覆水盆に返らずだ。あの子のことは仕方がないとして、今後について考えよう」


 うざい、と思った。


【失せろよ。姉貴のこと、二度と口にすんな】


 額の胞珠が、カッと発熱する。

 音を伴わない声を、まっすぐ親父へと飛ばした。思念を太い槍に変えて、その槍で腹の真ん中をぶち抜いてやるくらいのつもりで、おれは言葉を投げ付けた。


 普通なら。相手が親父でないのなら。


 おれが命じた言葉は、対象者の行動を縛る。何でもさせることができる。対象者の抵抗の意思が強いときには、くたびれるほど集中してチカラを使わなきゃいけないけど。


 号令コマンド、と名付けた能力だ。


 世界には、まれにおれみたいな異能者がいるらしい。そいつらは軒並み全員、巨大な胞珠を持っている。昔からそういうものなんだそうだ。古文書が残ってた。


 でも、おれのチカラはちょっとした欠陥品だ。


「その声のチカラを、また貸してくれないか? 理仁、父を助けると思って、協力してほしい」


 親父は笑顔を崩さない。太い槍でぶち抜かれたダメージは一切ない様子で。


 おれは舌打ちする。やっぱり、古文書にも載ってたとおりだ。チカラは血で使うものだ、と。チカラある血を色濃く引く者にマインドコントロールは効かない、と。


 親父におれの号令は届かない。姉貴にも効かなかった。


 どんな金持ちの資本家でも、おれが一言命じるだけで札束でもクレカでも出してくれるってのに、おれは親父を屈服させることができない。むしろ、おれのほうが親父の言いなりだった。ガキのころはそんなんだった。


 自由をくれたのは、姉貴。


 一緒に行こうって、遠くへ連れていってくれて、おれと姉貴と二人だけで生きた。アパルトマンの薄暗い部屋に閉じこもって、息のできない場所に溺れていくような、盲目的な幸せだった。それでいいと思った。


 なのに、たった一年だ。自由で孤独な逃亡生活は、いきなり終わりを告げた。硬い地面の上に、おれだけ引き上げられてしまった。


 何でおれはここにいるんだ。

 どうせくだらない人生しかこの先に残ってないんなら、感情なんか捨て去って、親父の道具に成り下がるほうが気楽なのかな。


 親父がおれの名前を呼ぶ。

「なあ、理仁」


 おれは応えず、エレベータに向かう。エレベータの扉は鏡みたいにツヤツヤに磨かれていて、親父の顔が見えた。視線が合った。


「理仁、気を付けるんだぞ。胞珠を集める闇業者の動きが活発化している。おまえは守られなければならない」


 ご忠告、どうも。

 どこ行ったって聞かされるよ。闇業者だの人さらいだの、呼び方はいろいろだけど。人の臓器の中でも、胞珠って、いちばん高く売れるらしいね。


 それでさ、胞珠の買い取りをやってる金持ちが誰なのか、って話。世間がどんな噂を流してるか、親父も知ってる?


 知ってるよね、そりゃ。エゴサーチとか、するでしょ? 親父さ~、真っ黒な噂だらけだよね。隣町のKHANといい勝負。


 だって、この学校の生徒、よく変なことになってるらしいね。特に、おれがいなくなってから。ちっこい胞珠でも、集めて効率よくエネルギーを加えてやれば、おれの胞珠の代用品になるかもしれないし?


 エレベータのドアが開く。おれは箱に乗り込む。ドアが閉まる。箱が静かに降下する。


「おれの中にも、あいつ由来の腐った血が流れてる」


 その血を流し切ってやろうと、ナイフで自分の腕を刺してみたことくらい、笑えてくるほど何度もある。結論としてはね、自分で自分を刺して死ねるほど、おれは度胸がよくないってこと。


 塔を出て、ひとけのない廊下の角を一つ曲がると、途端にそこは学校になった。

 ブレザーの制服。案外楽しそうな同世代の人たち。ちょうど休み時間で、男子も女子もそれぞれにしゃべったり笑ったりしている。


 何となく、気まぐれなことを思い付いた。教室、行ってみよっかな。友達って呼べるやつくらい、いるし。


 歩き出して、すぐのことだ。

 女の子がおれにぶつかった。それがけっこうな勢いだったから、女の子はふらついた挙句に転んだ。


「きゃんっ! ご、ごめんなさい!」


 黒髪ショートボブの、色白な子だ。華奢な体つきで、めくれたスカートから、ほっそりした太ももがのぞいている。


 目を惹かれた。


 かなりの美少女。しかも、おれを見上げる両眼が不思議な色をしている。金とも銀ともつかない色合いで、光を反射する。両眼とも胞珠だ。まるで、見事なカットがほどこされた大粒のダイヤモンド。


「だいじょぶ? どっかケガしてない?」


 おれは女の子の前に膝を突いて、ニッコリしてみせた。

 神秘的な色の目に反して、女の子の表情がクルッと変わる様子は、ごくありふれていた。


「すみません、わたし全然大丈夫ですけど、むしろケガなかったですかっ? というか、ケガなくても痛くなかったですか、すみません!」

「おれも全然大丈夫。急いでた? 前見てなきゃ危ないよ~」


 女の子の頬が真っ赤に染まっている。キレイな形のピンク色の唇に、繊細そうに長いまつげ。校章の色を見るに、一年生だ。入学したてで、まだ化粧すらしてない。


 姉貴とは違うタイプだけど、この学校で出会った中では最高の上玉だ。本能的に、さわりたい、と思った。


【ねえ、きみさ、おれとデートしない?】


 しようよ、デート。

 学校なんか抜け出してさ、どっか行こう。いや、校内でもいいよ。誰も近寄らせないように号令かけるから、二人っきりで遊ぼう。怖くないよ?


 女の子が、ひゃっ、と喉の奥で小さな声を出した。


「や、えっとその、デ、デートって、そんなっ! わたしではセンパイに釣り合わないですし、まだ授業ありますし、放課後ちょっと行く場所ありまして、すみませんっ!」

「え……」


「おおおお誘いいただくのはすごくとっても光栄なんですけれどもっ、わたし、すっ、好きな人がほかにいまして、その人のことしか今は考えられなくて! 生意気を言ってごめんなさいですけど、そういうわけなのでごめんなさいっ!」


 折れちゃいそうに細い、かわいらしい声が、おれに驚愕を与える。


 ふられたから、っていうんじゃなくて。

 何でおれの号令コマンドが効かないんだ、って。


 慌てふためいた様子で自分の顔や髪をさわる女の子の手に、流行りのブレスレットがはめられている。天体モチーフのお守りとかいうやつ。持ち主の胞珠と同じ色の石を埋め込んで、持ち主の生年月日から割り出した守護天体の形を模してあるんだ。


 それ、自分のやつ持ち続けてるってことは、彼氏はいないって意味だよね。いや、いても別にかまわないんだけどさ。まあ、気になるじゃん、一応。


「あ、行っちゃうんだ? そんな怖がんないでよ」

「いえあの怖がってるとかじゃないので、ほんとに! でもえっと、約束あるので、すみませんっ」


 女の子はペコリと頭を下げてから立ち上がって、もう一回ペコリと頭を下げた。元気よくひるがえったサラサラの黒髪から、ふわりと甘い匂いがした。彼女は真っ赤な顔を上げもせずに、走っていってしまった。


「チカラある血を引く者、か?」


 あの子自身からは何も感じなかったけど。

 調べてみよう。あの子の素性。おもしれーじゃん。号令で言いなりにすることができない女って、姉貴しかいなかったのにさ。


 チカラが効かない上に、ほかに好きな人がいる。あんな子を落とせたら、おれって本物じゃん?

 おれは、そっと笑った。


 たまたま、おれと同じ三年の女子と目が合った。左目に、黄色っぽい半月型の胞珠。確か、けっこうよかったよね、この子。尽くすのが大好きでさ。


 宙ぶらりんになった欲求を思い出して、おれは笑顔を作り直した。甘くとろけるナンパ師の笑顔だ。


【ねえ、おいでよ。楽しいコトしよう?】


 ぼうっと、彼女の表情がにじむ。おれが言葉に込めた思念のままに、みだらな笑みが口元に浮かぶ。真っ赤に塗られた唇から、ぬらりと濡れて男を誘う舌がのぞいた。


 ああ、くだらねー。

 簡単すぎるゲームはつまらない。

 遊びでも狩りでもないこれは、ただの時間つぶしだ。

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