105:家族は絶対に、守ってやるって話


「ジャビール先生、クラフトです。大丈夫なら精神感応をお願いします」


 レイドックと連絡を終えた俺は、すぐにジャビール先生に通信を飛ばす。

 先生はすぐに応答してくれた。


『おお、貴様か。待っておったのじゃ』


 先生の返答とともに、彼女の視界が共有された。

 乳白色に染まっているのは同じだが、カイルやアルファード、ヴァンの姿が見える。


「よかった。ご無事のようですね」

『うむ。危ないところじゃったが、レイドックら冒険者たちが来てくれての。ヒュドラを引きつけてくれたおかげで逃げられたのじゃ』


 俺は安堵の息を吐く。

 さすがレイドック頼りになるぜ。


『じゃが、この霧で方向を完全に見失ってしまっての。現在は野営しておる』

「レイドックから聞きました」

『マイナ様はご無事かの?』

「はい。一緒です」


 俺の視界は見えているだろうが、言葉にすると先生が安心した。


『ちと待つのじゃ』


 先生がカイルを呼び止める。


『カイル様。今クラフトとつながっておるのじゃ。なにか伝えることはあるかの』


 先生の言葉に、カイルが跳ねるように顔を上げ、駆け寄ってくる。


『よかった! ご無事だったのですね! クラフト兄様! マイナは大丈夫ですか?』

「ああ。怪我一つない」


 ジャビール先生がすぐに俺の言葉を伝えてくれる。

 カイルとも精神感応してしまえばいいが、魔力がごっそり持って行かれるから、このまま先生に伝えてもらう。


『よかったです』


 張り詰めていたカイルの表情が、明らかに和らぐ。


「それでカイル。これからどうするつもりだ?」

『撤退と退治で意見が分かれています。どちらにもリスクがありますから』

「そうだな」


 カイルたちが撤退すれば、俺とマイナ。それにレイドックたちが追い詰められることになる。

 まぁレイドックの部隊であれば、強行突破も可能だろうが。

 逆に八ツ首ヒュドラを退治できれば、全員が合流できる。

 一長一短だな。


『レイドックさんに、ヒュドラの偵察を頼みました。その様子を確認してから結論を出そうと思っています』

「そうだな。どのみちこの霧だ。慌てない方がいい」


 カイルはしっかりと指揮官をやっているらしい。さすが俺の弟。


『クラフト兄様、レイドックさんと相談して、意見をくださると助かります』

「もちろんだ」


 軽い情報交換をしたあと、ヒュドラの状況を見極めてから、結論を出すことに決めて、通信を終えた。


「よかったなマイナ。カイルは元気で、兵士も全員無事だったぞ」

「……うん」


 安心したのか、マイナが俺に寄りかかってくる。

 俺はローブでその身体を覆って、頭をなでてやった。


「さて、そろそろレイドックに連絡をとらないとな」

「ん」


 俺は、通信の指輪に魔力を流し込む。便利なのだが大量に魔力を消費するので乱用できないのがつらい。

 特に今は、いつ何が起こるかわからない状況だ。マナポーションもエヴァに全部渡してしまったしな。


「レイドック、問題なければ繋げてくれ」

『ちょうどいいタイミングだクラフト。俺の視界は見えるか?』

「ああ」


 脳内に、レイドックの視界が浮かび上がる。

 ソラルと二人で茂みに隠れているようで、やや遠目に巨大なヒュドラの姿が見えた。


 本来八ツ首のヒュドラなど、レイドックにとっては瞬殺対象なのだが、このヒュドラは雰囲気からして別格。

 サイズといい、オーラといい、ドラゴンに匹敵するのは間違いないだろう。


「しかし、なんでこいつは宿営地のど真ん中を動いていないんだ?」

『よく見ろ、首の一つを』


 俺は目を細めて(意味はないが)よく観察する。


「あ、放棄された食料を漁っているのか?」


 ヒュドラが居座っているのは、ちょうどマイナと一緒にいた、食事の準備をしていたあたりだ。

 いや、飯も漁っているようだが、ヒュドラが首を突っ込んでいるあの樽は……。


「酒か!」

『やはりそうか。あのヒュドラ野郎、ずっとあの樽に首を突っ込んでんだよ』

「魔物の中には、酒が好きな種類がいるが、ヒュドラもそうだったのか」


 衝撃の事実だな。

 レイドックも頷いている。


『あんがい、ヒュドラがまれに人の村を襲うのは、酒のためだったりしてな』

「ありえる話ではあるな」


 リーファンの住んでいた村も、ヒュドラの大群に襲われて滅んだ。

 スタンピードが起きたと推測していたが、もしかしたら酒が目当てだった可能性もあるのか。鉱小人ドワーフ土小人ノームは酒好きらしいからな。

 今考えてしょうがないことか。


「それにしても八ツ首ヒュドラのやつ、舐めるように酒を飲んでやがるな」

『飲み終わるまで時間が稼げそうで助かるが……どうする?』


 どうするとは、退治かカイルを撤退させるかを聞いているのだろう。


「この霧が晴れるなら、全員がバラバラに逃げる手もあるんだが……」

『まるであの八ツ首が霧を運んできたみたいだな。そうだ、あのヒュドラだが、例の黒い植物を喰ってた』

「……なに?」


 ドラゴンが定期的に食べ、コカトリスも食べていた謎の植物か!


『そのあたりは、後日話そう。ただ、油断できない相手だってことを伝えたかった』

「ああ」


 黒い植物の謎も気になるが、今大事なのは、あのヒュドラをどうするかだな。


「……少し考えたい。魔力がもったいないからいったん切るぞ。あとで連絡する」

『了解だ。俺はもうしばらく様子を見てから、部隊に戻る』

「わかった」


 レイドックとの精神感応を切る。ヒュドラの動向が判明したのは大きいだろう。

 それにしても酒か……。強力な催眠薬でも仕込んで飲ませられないものか。


 討伐か、撤退か。

 だが、現状では撤退の方がリスクが高いだろう。

 できれば討伐する方向性でいきたいが、あのヒュドラは強い。


 しかし戦うとなると、問題は立地と準備だ。

 ドラゴン戦は徹底的な準備と訓練をしていたが、ここはヒュドラのテリトリー。

 しかも、あんな大物に関する準備はしていない。


 退治するにしても、なにか決め手が欲しい。


 そんなことを考えていたら、マイナがマントを引っ張ってきた。


「……ああ。レイドックと、このあとどうするか考えていたんだ。無言ですまなかったな」


 俺がマイナの頭をぽんぽんとなでると、少し表情が和らぐ。

 マイナは不安なのだ。今、彼女が頼れるのは俺だけなのだから、もっと気を配ってやらないとだな。


 とりあえず、何か話でもしてやったほうがいいだろう。


 何か面白い会話はないかと、あたりを見渡しても、牛乳をぶちまけたかのような濃霧しか見えない。


 だから、俺は何も考えずに、ポロッと言ってしまったんだ。

 

「……まるでおとぎ話にでてくる、魔女の森だな」


 うかつだったと思う。

 俺のつぶやきに、マイナがびくりと身体を震わせて、顔を歪める。


「魔女……森……帰れ……ない……ひっく」


 そして、今までの我慢が決壊したように、大粒の涙をぽろぽろと流し始めてしまったのだ。


「あああ! すまん! そういう意味じゃないんだ! 大丈夫だ! 俺が絶対なんとかしてやる!」


 本当に俺は馬鹿か!

 守るべき者を不安にさせてどうする!


「まも……る?」


 マイナが顔を上げ、こちらにすがるような視線を向ける。


「ああ! カイルもマイナも、俺が絶対に守ってやる! 約束する! だから泣かないでくれ!」

「……」


 マイナはひっくひっくと、喉を鳴らしていたが、俺にしがみついて、ゆっくりと呼吸を整えていく。


「不安にさせて悪かったな。こんな霧も、あのヒュドラも、俺たちがどうとでもしてやるさ!」


 それは虚勢でもあったが、頼りになる仲間がいるのだ。絶対にどうにかなるという謎の自信もあった。


 本心から言っているのが通じたのだろう。マイナは少しずつ落ち着いていく。


「……ずっと?」


 ぽそりとマイナがつぶやく。


「ああ! ずっと守ってやるとも!」


 力強く宣言してやると、マイナはゆっくりと頷いた。


「……ん」


 どうやら不安は取り除けたようだ。

 だが、まだ涙は止まらない。


「だから泣き止んでくれよ……」


 そっと、彼女の頬を流れる涙を、指ですくった。

 左手で。

 彼女の涙が、黄昏の錬金術師の紋章へと落ちる。


 その時だった。


 例の、電撃のように紋章から知識が流れ込んできたのは。


「なっ!?」

「……?」


 紋章のささやきと呼ばれる、新たな知識の本流に、軽いめまいを覚えるが、そんなのはどうでもいい。

 重要なのは、マイナの涙だ。

 俺はささやきの知識を確かめるべく、マイナの涙に鑑定を使った。


 聖女の涙。


 それが、マイナの涙の名称であった。


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