104:困ったときは。仲間が助けてくれるって話


 俺は全力で宿営地を離れていく。

 ところが、走り出してすぐに、あたりが霧で覆われていることを知る。

 先ほどの天気とはえらい違いだ。


 だが、躊躇している余裕はない。

 俺はためらわずに霧の中へと突っ込んでいる。


 だが……、そこはまるで霧の牢獄だった。

 牛乳でもぶちまけたんじゃないかと錯覚するほどの濃霧。

 俺はマイナを抱えたまま、飛び込んだ霧の中で、あっという間に迷子になった。


 これでも元冒険者だ。太陽や星を見れば、ある程度の方角くらいわかる。

 だが、厚く重い霧は、全体的に薄らぼんやりとするだけ。


 濃霧というのは、太陽の光を拡散するらしく、霧の中にいると、180度全てが同じように、うっすらと白く輝いているようだった。


 ここで少しだけ思い出してもらいたい。

 湿地帯はおおきく三つのタイプに分かれる。

 外周の広い部分を占める、浅瀬と草の場所。

 次に、浅瀬や川の中に、マングローブやらガジュマルなんかがちらほらと姿を見せる中間部。

 最後に、それらの植生が大幅に密度を増し、水に沈んだ森と思えるような危険な中央部。


 そしてカイルを中心に宿営地を設置したのが、この中間部と中央部の境目あたりだ。

 明確にわかれているわけではない。

 その中でも比較的開けた場所に、宿営地を設営していたわけだが、八ツ首ヒュドラのせいで全員ばらばら。


 そしてヒュドラが運んできたようなタイミングで、濃霧が発生。

 世界は白く染まることになった。


 俺は湿地帯をでたらめに走り回り、どうにか戦闘音の聞こえない場所まで走り抜ける。


「はぁ……はぁ……」


 限界を超えて走り続けていたので、スタミナポーションを飲んではいたが、少しばかり疲労が出ていた。

 抱えているマイナはとても軽いのが救いである。


 俺はあたりを見渡す。


 湿地の外に向かって走っているつもりだったが、あたりの植生を見る限り、若干中央部に潜り込んでしまったようだ。

 周りの木々が先ほどより大きく、また林や森のような密度になっている。


 まさかここまで感覚が狂うとは……。


 スタミナポーションのおかげで、そこまでの疲労は感じていないが、迷いの森に入り込んでしまったような感覚で、精神が摩耗してしまっていた。


 背後を振り返るが、八ツ首ヒュドラが追ってきている気配はない。

 俺はまだしも、マイナにはそろそろ休憩が必要だろう。


「マイナ、もうちょい我慢してくれ。休めるところを探すから」

「……ん」


 マイナが俺の袖をきゅっと握る。

 俺はその感触に力をもらい、あたりを捜索、人が数人潜り込めそうな根をもつ、巨大なガジュマルを見つけた。


「マイナ、あそこで休もう」

「……ぅ?」


 湿地帯なので、当然、根の大部分は水に浸かっている。

 マイナが変な顔をするのも当然だ。


 だがご安心!


 俺は空間収納に突っ込んである土嚢を、どかどかと根元に放り投げる。

 あっという間に、簡易的なシェルターのできあがりだ!


 まず、マイナを中に入れて、魔法で強引に服を乾かしてやる。脇に抱えていたとはいえ、湿地帯を走り回ったのだ。びしょびしょである。

 俺自身の服も乾かしつつ、乾いた土嚢に上がり込むと、精神的なものかどっと疲れが出た。


 土嚢と木の根のシェルターは以外と快適である。


「マイナ。大丈夫か?」

「……」


 マイナの表情は暗い。

 泣き止んでいるだけでも、上等だろう。

 元冒険者の俺ですら恐ろしいと感じる魔物を目の前にしたのだ。その恐怖は尋常ではないはず。


「……寒い……です」


 消えるような声でマイナが訴える。


「よし、待ってろ」


 俺は空間収納から薪束を取り出し、火魔法で着火する。

 すぐに大きな火が立ち、根の中を照らす。


 ぱちぱちと小さく爆ぜる音と、炎の熱が身体を温め、緊張感が薄れていくのがわかった。


 煙は風の魔法で外に出ないようコントロールしてある。

 コントロールした煙は、その辺の水の中に溶かし込んでいるので、外に煙が出ることも、酸欠の心配もない。


 マイナを心配していたが、ちゃんと自分のことをしゃべって、意思を伝えてくれたのが嬉しい。

 もしかしたら、俺が思っているより、マイナは強い子なのかもしれない。


「マイナ、今からレイドックに通信をするから、これを食べててくれ」


 水と保存食をマイナに渡して、通信の魔導具を起動する。


「レイドック。戦闘中か? 大丈夫なら精神感応してくれ」


 カイルに繋げなかった理由は簡単だ。もし、逃げている途中だったりしたら、慌てると思ったのだ。

 レイドックなら、どうとでもするだろう。

 それにすでに合流してる可能性も高いからな。


『クラフト! 心配していたぞ! 無事か!?』


 ヤツの声を聞いて、俺はほっと安堵の息を漏らす。レイドックが無事なら、どうとでもなるからな。


「無事かどうかはなんとも言えん。カイルと……というか本隊とはぐれた。八ツ首ヒュドラの野郎が、宿営地のど真ん中まで突進してきてな。みごとに分断させられた」

『怪我は!? それとマイナ様も大丈夫なのか?』

「ああ。マイナは大丈夫だ。食欲もある」

『そうか』


 レイドックが安堵したのが伝わってくる。


「それで、ジタローとキャスパー三姉妹がおとりになって、俺とマイナを逃がしてくれたんだ。……あいつら無事だろうか」

『それなら安心しろ。俺たちと合流してる』

「さすがレイドックだぜ。カイルとも合流できてるのか?」

『いや、俺と一部の冒険者でヒュドラの注意を引くのが精一杯だった。だが、そのあいだにカイル様は撤退された』


 よかった。カイルのことだからレイドックたちを見捨てられないと、無茶な判断をしなかったんだな。

 あいつはやはり凄いヤツだ。


『……ついでだが、ザイード様も救出している。今のところ無事だ』


 レイドックの視界が動いて、ちらりとザイードに向く。

 貴族然とした態度で、食事をとっているのが見えた。


 ……ま、死なれてるとカイルが悲しむからな。

 だが、ザイードなどどうでもいい。問題はカイルだ。


「そうなると、カイルたちは無事なのか気になるな……」

『それなら確認してる。おまえの師匠、ジャビールさんから通信の魔導具で連絡が来たんだ』


 なんだって?

 俺には来てないぞ!?

 なんでレイドックにだけ?


『魔力的に複数へと連絡するのが大変らしい。おまえからは放っておけば連絡がくるはずだからと言ってた』


 俺の心の声が読まれたのか、レイドックが苦笑気味に教えてくれる。

 そうか。そりゃそうだな。

 カイルと一緒にいる有能な錬金術師が、魔力を無駄遣いする必要はないもんな。


『ああそうだ。先に俺に連絡があったら、クラフトに「通信をするならカイル様にではなく、私にするのじゃ」と伝えてくれと』


 なるほど。カイルは忙しいだろうから。

 さすが先生である。


「カイルたちの様子は?」


 俺がそう口に出すと、それまでもむもむと保存食を咥えていたマイナが、顔を上げる。


『全員無事だ。けが人は続出したらしいが、現在は距離をおいたところで態勢を立て直しているらしい』

「よかった」


 俺はマイナに笑顔を向ける。


「全員無事だそうだ。一応ザイードもな」

「……ん」


 ようやく、マイナが少し笑みを見せてくれた。

 やっぱり強い子だな。この子は。


『だが、問題がある』

「なんだ?」

『カイル様の部隊だが、霧のせいで、完全に方向を見失ってるらしい』


 俺と一緒か。


「こっちも同じだ。外周に向かって逃げたつもりで、中心部に足を踏み入れちまったらしい」

『なんだと? まずいな……』

「なにがまずいんだ?」

『中央部のヒュドラは強さの桁と、数が違う。お前とマイナ様は二人なんだろ? この地形と霧の中じゃ、移動すら危険だ』


 逃げ回っている間、散発的にヒュドラに出くわしたが、たしかに首の数が多い個体が多かった。大群に出くわさなかったのは運がよかっただけらしい。


「レイドックは自分の位置を把握してるのか?」

『ああ。といっても八ツ首ヒュドラをギリギリで監視できる位置って程度だけどな』

「十分凄いだろ。ヒュドラの様子はどうなってる?」


 さすがレイドックである。


『今からソラルと斥候に出る。三〇分たったらもう一度通信を繋げてくれ。お前も直接見た方がいいだろう』

「わかった。無理するなよ」

『任せろ』


 つまりヒュドラとは、隠れながら進んで三〇分程度の距離に冒険者とリザードマンの合同部隊が控えているのだろう。


 俺はレイドックとの精神感応を切って、ジャビール先生に通信を飛ばした。


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