106:誤解って、自分じゃなかなか気づけないって話


 ――聖女の涙。


 マイナの涙が、紋章の上に落ち、はじけると同時に脳裏に素材・・としての利用法や錬金法が頭に流れ込む。


「こ、これは……」


 マイナが不思議そうに俺を見上げた。

 まだ、止まりきっていない涙が彼女の頬を伝っている。


 俺は慌てて空の試験管型ポーション瓶を取り出し、マイナの……聖女の涙をすくい取った。


「……う?」

「ああ、突然びっくりしたよな。俺もびっくりしてるけど」

「……なに?」


 たぶん、なんで涙を採取してるんだ的な質問を投げかけられたんだと思う。

 至極まっとうな感情だろう。

 いきなり試験管に涙を取られたら、誰だってびっくりする。


「えーと……なんて説明しようかな?」


 できるだけ簡単に、わかりやすく伝えよう。

 しばらく考えて、俺はこう言った。


「マイナ。お前は聖女だ」


 うん。わかりやすい!

 自画自賛だな!


「……ん……う? ……はぅ!?」


 これ以上ないってほど、簡単に説明したのに、マイナは顔を真っ赤にして頭をせわしなく動かし始めた。

 あれ? ここは「わーい! 私って聖女だったんだ!」って喜ぶところでは? まぁ、マイナがそんなふうに喜ぶとは思ってないが。


「はうっ! はうっ!」


 ばたばたと手を振って、顔を真っ赤にして、左右を見て、また俺を見て、さらに顔を赤くする。

 ……あれ? なんか伝わってない?


「いいかマイナ。誤解がないように言い直すぞ。これから先お前が泣いたとき、その涙は全て俺が拭ってやる! なんたって、お前は俺の聖女だからな!」


 あ。俺のじゃなくて、俺たちの聖女か。

 まぁ、ちょっとした言い間違いだ。

 ようは、マイナが聖女であることと、涙に特別な力があることが伝わればいい。


 おそらくだが「聖女」という「紋章」があるのだろう。

 黄昏の錬金術師の紋章と同じで、きっとレアな上位紋章だと予想できる。マイナはその紋章の適合者で間違いない。


 そして聖女の涙は、錬金素材としてとてつもなく貴重だ。

 ドラゴンの素材でもないのに、万能霊薬エリクサーすら作れる。

 さらにレアな霊薬やんかも作れるのだが、マイナの涙は止まってしまった。もったいない。もうちょい欲しい。


 いやいや!

 マイナが元気になる方が重要だろう!

 反省。


 それにしても……なんでマイナはさっきから、百面相を繰り返してるんだ?

 しまいには、なんだかニヤけたまま、俺をポコポコと殴り始める。

 まったく痛くないけど。


「うー……クラフ……兄様……ばか」

「お、おう。馬鹿なのは自覚してるぜ」


 なんか急にディスられた。そんなに頼りないかね、俺って。

 若干凹むが、気を取り直して、現状打破に関して思考を巡らす。


 聖女の涙は非常に優秀な素材だ。

 中でも今回、ヒュドラに対して切り札たりえる品を錬金できる。


 現状ではどうやってそれを使うか、まだ考えがまとまっていないが、いつ事態が動くかわからないのだ。

 俺はとにかくその切り札を錬金することにする。


「マイナ、ちょっと作業するぞ」

「……ん」


 先ほどまでの不安な顔はどこへやら、終始照れたようにニヤけっぱなしのマイナが、ようやく俺を叩くのをやめてくれる。

 聖女ってのは照れるけど嬉しいのだろうな。


 俺は錬金釜を、空間収納から取り出し設置する。

 今回は珍しく持ってきたのだ。


 マイナが面白そうに俺の作業を眺めている。

 元気になったのならよかった。


 さらに貴重な中間薬や、素材を取り出していく。


「……大丈夫だ、材料は足りるな」


 最初に作るのは、聖女の涙を使った中間薬だ。

 貴重な素材を惜しげもなく釜の中に放り込み、最後に先ほど採取した聖女の涙も加える。


 錬金釜に手をかざし、魔術式を構築。魔力を込めて、錬金魔法を発動させた。


「〝錬金術:神聖九九九番錬金薬〟」


 魔方陣が釜を包むように輝き、一気に魔力が流れ込む。

 ぼふんと、煙があがり、完成した。

 尋常ではない神聖力が込められた中間薬が。


 この中間薬を、さらに別の中間薬や素材と錬金することで、様々な錬金薬を作成するのだ。


 神聖九九九番と名付けた中間薬を少し取り分け、すぐに別の中間薬や素材を放り込む。これまた貴重な素材のオンパレードだ。


 かかった費用は、あとでゴールデンドーンの予算から出してもらえばいいのだが、金を出してもなかなか手に入らない素材が多いのがネックだろう。

 しかし自重はしない。後先考えずに、全部突っ込んでいく。

 真の強敵を相手にしたとき、金のことを考えたヤツから死んでいくからだ。


 俺は準備を終え、切り札を錬金する。

 釜が再び魔方陣に包まれ輝いた。


 釜の中に、琥珀色の液体が満たされる。ちょうど樽1つ分くらいだろう。

 俺は慎重に樽に切り札を移す。


 残った神聖九九九番中間薬で、ちょうどエリクサーを一つ作れるので、ついでに錬金しておく。


 万能霊薬エリクサーは、死んでさえいなければ、病気や怪我を完全に治療することができる凄い薬だ。なんと中度の呪いすら治すことができる。まさに万能薬だ。

 塗り薬で、しかも食べるとおいしいことはあまり知られていない。


 エリクサーを小瓶に詰めていると、マイナがちょいちょいとマントを引っ張ってくる。


「なんだ?」

「……これ、なに?」


 マイナが指しているのは、切り札の入った樽だ。

 俺はニヤリと笑って答えてやる。


「それは、〝神酒しんしゅ〟だ」


 俗に御神酒おみきと呼ばれる、一般的なお供え物とは全く違う。聖なる力の込められた、本物である。


 ◆


 神酒を改めて鑑定。

 この琥珀色をした酒は、主に神事に使うものだ。

 どんな神事にどのように使うかは、神官の紋章持ちや、教会の偉いヤツでもなければわからないが。


 それだけなら、たいへん貴重ではあるが、ただのお供えものである。

 しかし、この神酒には別の凄い効果があるのだ。

 それは「一部の酒好き魔物が飲むのをあらがえない。神酒を飲んだ魔物は、極度に酩酊する」という効果だ!


 あの八ツ首ヒュドラは間違いなく酒好きだ。絶対に神酒の誘惑にかなわないだろう。

 いかに強大な魔物といえど、酔っ払ってしまえば敵ではない。

 いつもの軽いノリで、さっくりと退治してくれるわ!


 勝利を確信して、気持ちが軽くなったせいか、鑑定で判明したもう一つの事実が気になってしまう。

 どうやらこの神酒「とてつもない美酒」らしいのだ。


 実は、さっきからずっと、樽から芳醇な香りが漂ってきている。

 ゴクリと喉が鳴った。


「ま……まぁ一口くらい味見しても……」


 柄杓ひしゃくで一杯だけ。

 樽いっぱいあるんだから、このくらい大丈夫と、自分に言い訳しながら、一口飲み込む。


 ほわああああああああああ!

 芳醇な香りが鼻腔を突き抜け、優しく喉を焼き、胃袋を幸せに焼く!

 とても柔らかい口当たりなのに、余韻を残さぬ切れ味!


 ああああ!

 幸せが口の中から消える!

 も! もう一口!


 酒を啜れば、幸せが再び訪れる。


「あああ……これが……神酒……」


 すでに美味さを言葉で表現するのは諦めた。

 とにかく……美味い。

 そして、すーっと、味が消えていく。


「も、もうちょっとだけ……!」


 だ、大丈夫!

 まだまだたっぷりあるから!


 夢中で柄杓を動かしていると、マイナに強くマントを引かれ、はっとする。

 正気に返ったのは、五杯目を飲み干した時だった。


「これはなんていうか味見というか、テストと言うか……」


 そこで俺は言葉を切って、思いっきり頭を下げた。


「ごめんなさい! お酒に夢中になっておりました! 反省します!!」


 ちらりと、視線を上げてマイナを覗き見ると、半目で俺を見下ろしていた。

 めっちゃ呆れておられる!


 俺はぺこぺこと頭を下げまくった。コメツキバッタのように!

 ううう……なんかさっきから、マイナに幻滅されることしかしてないぞ……。

 俺は猛烈に凹みつつ、レイドックに通信を飛ばした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る