拾弐 地球外生命体はレコードを聴いたか 

 五月十日、午後一時。レインボウレコードからの器材を積んだボンネットトラックが蕪島に到着した。運転席から飛び出て、器材を運び出したのは菊池だった。後続の車から上村も降り立った。蕪島入り口周辺にはテント張りの本部ができていた。既に、到着していた穴見が本部から出て来た。

「菊池、上村、遠路はるばるありがとう。疲れただろう」

「穴見室長、ぐうたらでダメな僕を指名下さってありがとうございます…」

「菊池の耳っていいジャナイデスカ。なあ菊池」

 菊池のいつもの口調を真似て笑った。

「お前の得意な耳のいいとこ発揮して録音してくれ」

「はい!」

 菊池は、まるで自衛隊員のように敬礼すると器材の運搬に戻った。

「上村もありがとうな」

「智也くんのためですから」

「いや、今は智也だけではなく、未来の世界のためにも成功させないとな」

「変わりましたね。室長がそんなこと言うなんて」

「そうだな。あんだけ嫌いだったデジタル世界を先頭切って、取り戻そうとしてるんだからな…」

 十五分の休憩後、レインボウレコードの社員、クロフォードら調査隊合わせて数十名が手分けして、島中にマイクロフォンを設置し始めた。蕪島は既に関係者以外立ち入り禁止になっていて、神社の宮司や家族も退去、残ったのは四万羽のウミネコだけだった。

 島の要所要所に設置されたマイクは七十八本。マイクから伸びたコードは本部に置かれたミキサーの卓に繋がれた。レコード制作のマスターテープを製作する録音機が回った。卓の前に座った菊池はヘッドフォンを両手で押さえ、祈るように目をつぶっている。

 三十分の録音を三回繰り返した。この内から一番、ウミネコの鳴声が密集しているテイクを菊池が選んだ。菊池はただの「じゃないですか男」ではなかった。絶対音の持ち主だったのだ。すぐに選んだテイクのノイズを除去する作業が始まった。これにはパソコンが必需品だった。さまざまな種類の音がすべて、オシロスコープに波形となって現れた。この波形と耳を頼りに、先ず羽音を消し、波の音を消し、風の音を消し、そのほかのノイズを消すという気の遠くなるような作業を延々と続けた。

 

五月十一日の朝を迎えた。寝袋に入っていた穴見たちが起き始めた。結局、菊池は徹夜だった。顔色が悪かった。だが、それは徹夜だけのせいではなかった。

「どうだ、完成したか」

 穴見が訊いた。

「不本意な出来でした」

 菊池が肩を落とす。

「ある程度のノイズは消せるんですが、僕の技術では限界がありました」

 菊池の周りに糠塚、クロフォード、上村などが集まっていた。

「聞がせで下さい」

 糠塚がヘッドフォンを装着した。

「いや、なかなかの出来だ」

「じゃあ、カイビョウオンは完成ですか!?」

 全員の顔が期待感に変わった。

「いやあ、しかし、私が思い描いていた純粋音とは違うがなあ。私自身、本物の純粋音、カイビョウオンを聞いだごどがあるわけではないが、私にはハッキリとしたイメージがあるんです、確信があるのです、これは、未完成ですね」

 糠塚は白濁の目で、みなを見回すように言った。

「分かりました、糠塚博士。やり直しましょう。菊池、少し仮眠したら、また最初からやってみてくれ」

「いや、室長。もう、私ではもう無理です」

「だが、他に適任者がいない」

「私に心当たりがあります。東京、戻っていいですか」


 世田谷区経堂の奥尻さやか邸の前に幌付きジープが横付けされていた。菊池は、さやかに会い、デジタル・イーター海猫作戦の詳細を説明した。

「私ニ、デキルデショウカ?」

 さやかは、喉に人声帯をあて話した。

「これまでの、さやかさんのお仕事が証明しています」

「コレマデ私ガ、愛用シテイタ機械ト、同ジモノガ、ソノ島デハ、使エルンデスネ?」

「ええ、島ではデジタル機器が完璧に動きます。さやかさん、作戦が成功すれば、さやかさんは、また前のように音楽活動ができるようになるんです!」

「…ソウデスネ。実ハ、私、ロストデジタル以後、色々考エマシタ。私ノ、ヤッテキタ音楽ハ、デジタル機器に頼リキッタ音楽ナンテ、所詮、タダノ合成音楽ジャナイカッテ…」

「そんなことは、ありません、さやかさんの音楽はデジタル機器を駆使した、本物の歌声を作り上げたんですよ」

「ソウハ思エナクナッタノ…」

「さやかさん、ここでめげちゃ…」

「デモ、ソレハ別ニシテ。私ノ力ガ、オ役ニ立ツトイウノナラ、ゴ協力イタシマス」

「はい、分かりました。ありがとうございます」

「さ、準備はできました。出かけましょうか」

 由美子がナップザックを抱えて、まるで登山をするような格好で居間に現れた。

「ロストデジタルじゃなくなるのなら、私たち、何だってやりますわよ! そうそう、菊池さん、あちらに行っても、みなさんにはさやかのこと秘密ですよ、分かってますね」

「はい、それはもう。既に、対人恐怖症で変人の歌手であるという情報は知れ渡っています。気安く声をかけないようにも伝えてあります。その点は、ご安心ください」

「なら、い-けど。さ、出かけましょ!」


 翌日、さやかは蕪島のミキサー室となっているテントの中にいた。

ヘッドフォンをして、ミキシングの卓に向かい、一心不乱に作業を続けていた。その様子を上村と菊池が入り口から覗いていた。

「へえ、あの、人付き合いの超悪い、業界でも評判の変人歌手を、よく説得したわね、菊池さん」

「はあ、それはもう。努力してますので」

「いったい、どんな手を使ったのよ、教えて」

「それはまあ、色々あるじゃないですかあ」


 さやかがミキサー室にこもって十六時間が経った。さやかがテントから出て来ると、前にいた由美子に目配せし、仮眠室に入って行った。それに気付いた菊池が走って由美子の側に来た。

「もしかして完成ですか?」

「そのようですね」

 ミキサー室に、さやかを除いた全員が集まった。最初にヘッドフォンを着けた糠塚が、即座に言った。

「これですじゃ」

「本当ですか!?」

 穴見が糠塚からヘッドフォン受け取ると、はやる手で耳に装着した。

「これが…!」

「スピーカーから出しましょうよ!」

 菊池が思わず言った。

「そうですよ、スピーカーから出しましょう」

 すっかり日本語がうまくなったクロフォードが言った。

「そうだな、菊池、スピーカーから音出せ」

 穴見の指示で、菊池がスピーカーのボリュームを上げた。

「ワーン…!」

 その音は、ミャアとは聞こえなかった。四万羽のウミネコの鳴声の純粋音は、まるで耳鳴りのような音だった。

「ミャアが四万集まると、こんな音になるとはね」

「この後、このカイビョウオンをロケットに搭載し打ち上げるってわけですよね。えーと、出来上がったこの音をアナログ録音しなくちゃいけないから、テープですよね、カセットテープですか」

 上村が穴見に尋ねた。

「そこだ、さすが上村だな。いや、テープでは再現力が不足だな」

「ということは、まさかレコードですか…?」

 上村が、怪訝そうに言った。

「その、まさかだ。俺も悩んだが、カイビョウオンを、一番、きちんと再現するのがレコードではないかと思うんだ。上村、アナログレコードが、デジタルソフト全盛の時代に、それでも人気があるのは、なぜだか知ってるな」

「はい。例えばCDでは人間の耳には聞こえないという二十kHz以上の周波数帯域を、機械的にカットしてしまいます。でも、レコードは、そんな二十kHz以上の周波数帯域でも録音されています。結果、それが、アナログレコードの心地良さの要因ではないか、と言われています」

「さすが、レインボウの博識女子だ。そう、デジタル・イーターには最良のアナログソフトでカイビョウオンを聴かせるのさ」

「博識女子ってのはオヤジ臭い表現ですが、なるほど、室長らしい。そうそう、今のお話で思い出しました。たしか一九七七年に…」

「そうだ、さすが博識女子。NASAが打ち上げた無人惑星探査機ボ

イジャーには、地球外知的生命体へのメッセージなどが収録されたアナログレコード、通称・ゴールデンレコードが搭載されたんだ」

「へえ、そんな前例があるんですか!?」

 菊池が目を丸くした。

「プレーヤーもですか?」

「いや、プレーヤーは積んでなかった」

「えー、それじゃ地球外生命体が聴けるわけないじゃないですか」

「だから、その不備を我々の作戦で完全なものにするのさ。ロケットにレコードと再生装置を搭載するのは、我々が人類初となるわけだ。菊池、ワクワクするよなあ!」

「そうスかねえ。僕はそこまで熱くは…」

 菊池は得意の冷ややかな態度をとった。


 作戦隊の宿泊施設として、蕪島から二百メートルほどの鮫漁協組合の建物が提供された。

 その和風な一室で、さやかと由美子がぼんやりと座っていた。襖がノックされた。

「どうぞ」

「失礼します。さやかさん、本当にありがとうございました!」

 入って来るなり、さやかに深々と頭を下げたのは菊池だった。

「あれで、本当に良かったのかしら…さやかが、そう言ってます」

 さやかの手話を由美子が通訳した。

「完璧です…と、糠塚博士が言ってましたから、大丈夫ですよ」

「でも、カイビョウオンが完璧にできたとしても、それが本当に、あのデジタル・イーターを駆逐する能力があるのかしらね。あ、これは、さやかと私の話をまとめてみました」

「あ、そこですよね。それに関しては、大きい声じゃ言えませんが、誰にも確信はないんですよ」

「ふーん、それじゃ困るわよね」

 由美子はそう言ったが、さやかは窓の外を見て、何やら手話で言った。

「海猫はいいなあ、自分の声がいっぱい出せて…さやかは…そう言ってます」


 五月十三日、午後、日本で唯一のレコードプレス工場である、世界音盤化学工業の工場長・神戸勝がボンネット・バスで到着した。また、後続の自衛隊の旧式トラックも到着した。トラックから、大きな機械が次々に出され、新設のテント内に運ばれて行く。

 神戸を穴見らが出迎えた。

「神戸さん、いらっしゃい」

「へへへ、こんな形で穴見ちゃんと仕事するとは思わなかったな」

「まったくです」

「セッティングが終わったらすぐに始めよう。へえ、この島だけデジタルが使えるなんてねえ」

 テント内に持ち込まれたのは、カッティングマシンだ。音を最初にラッカー盤と呼ばれるレコードに刻み込む作業が行われるのだ。

さやかが完成させた音が再生され、シングル用ラッカー盤に溝を掘っていった。出来上がったラッカー盤の溝を丹念に顕微鏡で調べていた神戸が、首を振り、自らダメ出しを出した。

 溝に歪みを発見したために、もう一度、最初からカッティングが行われ、2度目でオーケーを出した。完成したラッカー盤を手に、神戸は隣のテントに入って行った。

 隣のテントには盤をメッキ処理する職人が待っていた。世界音盤に長く勤めるベテランらしく、無言でメッキ処理をした。この作業で出来上がるのがマスター盤で、この状態では溝がないので、これに再びメッキ処理。その膜を剥がすと、溝の凹部が現れ、これがマザー盤となる。神戸は無口な職人から、そのマザー盤を受け取ると、中を覗き込んでいる穴見らに言った。

「本来ならば、市販品をプレスするために、これから強度のあるスタンパー盤を作るのですが、ここではそれは必要ないので、これで完成です」

「うぉー…」と全員の口から小さな歓声が漏れた。

「念のためにマザーは後、二枚ほど作っておきましょう」


 本部のテントに神戸と穴見、菊池、上村が集まった。机の上には、出来上がったばかりのマザー盤と、ハンバーガーのような丸い小さなレコードプレーヤーが置かれていた。

「まるでハンバーガーみたいで、可愛い!」

 上村がプレーヤーを見て言った。

「見たまんまでね、ハンバーガープレーヤーって言って、レコードを両側から挟んで固定し再生するんですよ。私が一九六九年に考案しましたが、会社の事情で発売されませんでした。当時はプラスチック製で持ち運べる若者向け製品でしたが、今回、その設計図を元に、材料をできるだけイイもの使って、この世で一番堅牢なレコードプレーヤーを目指し作りました」

「 Gがかかるロケット内でも再生可能ですかね」

 穴見が手に取って、覗き込む。

「問題はそれですよ。会社では、屋上から落としたり、ハンマーで叩いたりしましたが、しっかり再生してましたね。こいつはタフだと思いますが、Gショックに耐えるかどうか…。アンプは小型で強力なヤツを独自に私が作りました」

「スピーカーは?」

「張り付ければ、どこでもがスピーカーになる製品を使います。ロケットの表面そのものがスピーカーになるようにしたいんだが、ロケットの技術者と相談しないとね」

「あ、それ知ってます。段ボールでも、ガラス瓶でもスピーカーになっちゃうヤツですね」

 菊池が頷いたとき、本部に一回線だけ引かれている電話が鳴った。

「はい、蕪島本部!」

 穴見が電話に出た。電話の相手は福部首相だった。

「総理、それはすごい話ですね。はい、分かりました。関東地区には現在、出島作戦隊長とクロフォード博士がおりますので、すぐに向かわせます。総理、ありがとうございました!」

 受話器を置いた穴見を全員が凝視した。

「デジタル・イーターの要因らしきモノを超常現象の研究家が採取したそうです」

「本当ですか!? 要因っていったい何なんですかね」

「よく分からんが、総理の話では、火の玉のような、不思議な物体らしい」

「しっかし、超常現象研究家って怪しいじゃないですかあ。…いや、怪しくないですかね」

 菊池は穴見に注意される前に、“じゃないですか言葉”を言い直した。

「だば、カイビョウオンが雲に効くかどうか試せるな」

 糠塚博士がのっそりとテントに入って来ると言った。

「そうですね。試す価値はありますね。レコード聴かせましょう」

「室長、レコード、僕が運びます」

 菊池が名乗り出た。

「分かった、菊池、怪しい研究家と会って来い」


 五月十四日、午後六時、菊池を乗せたジープが神奈川県川崎市の綱島街道を走っていた。中原区木月2丁目を右折、古ぼけた神社の境内に入って来て停車した。神社の隣に、木造住宅があった。菊池が降り立ち、「沼袋超常現象研究所」の看板がかかる木戸を抜けて行った。

 まるで、昭和三十年代の小学校の理科実験室のような部屋に裕史、クロフォード、その通訳、そして沼袋作次がいた。菊池は挨拶もそこそこに、バッグからケースに収納されたレコード盤を出した。

「ありがとう、菊池くん」

 レコードを受け取ったのは裕史だ。

「うまくいくといいですね。で、雲の要因ってのは、こ、これですか?」

 部屋の中央に熱帯魚の水槽を逆さにしたような大きなガラス容器が置かれていたが、菊池はそれを覗き込んだ。容器の上部で、小さな黒い綿のような物体がゆらゆらと蠢いていた。

「空に浮かぶ、デジタル・イーターのミニチュア、というわけですね」

 クロフォードの日本語はますます上手くなっていた。

「これを、どこでどうやって?」

「沼袋先生が、先週、都内で採取したんですよ」

「あるテレビの下請けプロダクションが潰れましてね。そこの社長が首を吊ったんです。私は、たまたま、同じビルの隣の部屋で仕事をしていたのですが、首吊り騒動が起こり、すぐにその部屋に入ることができたんです。そこで、私は見たのです」

「何をですか?」

「首を吊った人間の鼻の穴から赤いピンポン玉くらいの物体が飛び出たのを」

「た、魂ですか?!」

「私は、それが天井あたりでフワフワ浮いていたので、私は咄嗟にコップを見つけ、机に乗って、その物体にかぶせた。こうして採取することに成功したのです!」

 沼袋は白い髭を少し、自慢そうに指でひねった。

「それが、これ、ですか?」

 菊池は再び、容器の中を覗き込む。

「そうです。玉は、やがて灰色から黒っぽくなり、時々、小さな稲妻を発生させることもあります」

「正に、空の、デジタル・イーターと同じものだと思います。沼袋先生、これは、すごい発見です」

「すぐに実験をやってみましょう」

 裕史は、既に用意していたレコードプレーヤーにマザー盤をセットした。菊池は持参した張り付け型スピーカーのコードをアンプから伸ばし、先端をガラス容器に張り付けた。

「では、いきますよ」

 裕史がプレーヤーのアームを持ち、マザー盤に針を落とす。針が盤をトレースし、やがて、カイビョウオンが聴こえた。

「ワーン…!」

 全員が固唾を飲んで見守った。わずか数秒後だろうか、容器の中の小さな雲は、バチバチと放電のような火花を散らし始めた。そして、消えた。

「消えた、雲が消えましたね!」

 全員が、何度も容器の中を覗き込むが、雲は既に跡形もなく消え去っていた。

「沼袋先生、ありがとうございます! これで、作戦に弾みが付きます」

「これで、デジタル・イーターを退治できますね」

 菊池がはしゃいで言ったが、それを聞いた沼袋は、少し首を傾げた。

「うーむ。退治ですか…。あの雲は、果たして苦しんで消滅したのだろうか」

「それは、どういうことですか?」

「そうですね。説明しにくいんですが、私には、カイビョウオンに雲が破壊されたようには見えなかったんですね」

「破壊でなければ?」

「それが、よく分からないんです…」

 裕史、クロフォード、菊池は、沼袋の言葉の真意が計りかね、一様に首を傾げた。


 同日、午後八時。宇宙研に裕史、クロフォード、その通訳、菊池が到着した。

 天井の高い研究室に数人の研究者が忙しそうに動き回っていた。戸倉が全長五メートルほどのロケットを見上げ、何やら計算をしていた。そこへ、四人が入って来た。

「戸倉さん、レコードとプレーヤーが届きました」

 裕史はテーブルの上にレコード盤とプレーヤー、アンプ、プレーヤーを置いた。

「これが、カッパ型ですか」

 クロフォードの質問に戸倉が答える。

「K-六型。第一段が直径二十五センチ、第二段が十六センチ、重量は二百五十五キログラム、全長は五.四メートルあります。一九五八年に性能のアップしたポリサルファイド推薬を用い、高度四十キロの打ち上げに成功しました」

「ということは、わずか五千メートルの雲には簡単に到達しますね」

 裕史の質問に戸倉は、少し馬鹿にしたような表情を浮かべ答える。

「だから難しいんです。推薬の調整が。今、青森県上空には二つの雲が観測されてますが、その内の太平洋側寄りの雲がターゲットです。そこまで四.三キロ。雲の中心部に入る前に推薬を使い切り、ロケットの音が消えた瞬間、プレーヤーにスイッチが入り、レコードが再生されなければなりません。このタイミングが大変です」

「大丈夫ですかね」

「それをやるのがプロフェッショナルです。アナログパワー全開で挑みますよ」

 戸倉はそう意気込むと、例のボサボサ頭を掻き上げた。


 「対デジタル・イーター海猫作戦」の決行日は五月二十六日に決定

した。この作戦は非公開で、極秘になっていたが、すぐにマスコミに嗅ぎつかれ、新聞、ラジオ、アナログ地上派テレビなどで報道された。

<青森県蕪島で、ロストデジタルの原因である雲を破壊する作戦が、二十六日決行か!?>、<対デジタル・イーター海猫作戦は、ロストデジタルを解消できるのか?!>などの、大きな見出しの号外新聞が街中で配られた。裕史は、作戦終了後に大々的に発表する気だったが、すっぱ抜かれ、大いに悔しがった。

 

この報は西多摩郡瑞穂町の文明後退幸福連合会にも飛び込んだ。会長室で夢路会長と脇坂副会長が号外を手に向かい合っていた。

「脇坂、どう思う」

「マズいですね。これが万一成功したら、我々の理想は遠くなります」

「よし、首相官邸攻撃計画は後回しだ。先にそっちを阻止するしかないな」

「そうですね」

「戦闘に使えるヤツはどれくらいいる?」

「三十名くらいでしょうか」

「勝算は?」

「こんな世の中では、警察も自衛隊も大した力は発揮できません。奇襲をかければ充分に」

「よし、すぐに海猫作戦阻止部隊を結成しろ!」

「はっ!」

 脇坂は立ち上がり、軍隊式の敬礼をして、足早に部屋を出て行った。

 脇坂が向かったのは、室内射撃場だ。折しも、会員たちが小銃による射撃訓練を行っていた。「パアン!」「タララッ!」といった、甲高い発射音が充満していた。使用している銃はロシアの軍用AK四七である。

 十人ほどの会員の中に相沢裕介と高野麻紀の姿があった。元雑誌のデザイナーだった相沢とネット・トレイダーだった高野が標的にしてるのはパソコンである。ロストデジタル以前には、命の次に大切だったはずのパソコンに向かって鉛の弾丸を撃ち込んでいるのだ。二人は共に同じ言葉をつぶやきながら引き金を引いていた。

「くそっ、くそっ、くそっ! 憎い、パソコンが憎い!死ねパソコン!」

「撃ち方、やめえ! 全員集合しろ!」

 脇坂の号令で、射撃場にいた五十名ほどの会員が整列した。

「夢路会長より指令が下った。ついに、我らがこの腐れきった文明社会に鉄槌を振り下ろす瞬間が訪れたのだ」

「おう!」

 全員が声を揃えた。

「我々の思想を後押しするロストデジタル現象を消滅させようとする奴らがいる。これは、絶対に阻止しなければならない。これより、阻止部隊を結成する。乗馬訓練で一級、二級もらった者は前に出ろ」

 三十名ほどが前に出た。中に相沢と麻紀もいた。

「お前らが阻止部隊に選ばれた。いいか! それではスローガンを三唱する」

「文明は敵だ、文明を戻せ、文明後退こそ幸せへの道だ!」

 拳を振り上げながら叫ぶ脇坂に合わせ、全員が連呼する。既にその目は、常軌を逸していた。

 三十分後。本部前に木炭を燃焼して走るトラックとバスが停められた。トラックの後ろにはコンテナが繋がれ、次々に馬が運び込まれた。その作業が終わると、銃やヘルメットを冠った黒ずくめの会員が本部前に集合した。ゆったりと夢路会長が現れた。

「青森までは実に遠い道程だが、みんなめげずに頑張ってくれ。この最初の作戦が成功すれば、我々の未来は明るい。文明後退幸福論が、これほど素晴らしいものだったのかを実感できるのは、まさにこの初戦にかかっている。みなさん、頼みましたぞ!」

「おう!」

 脇坂を隊長とした部隊は旧式のボンネット・バスに乗り込み、農園を出発した。

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