拾壱 伝説のカッパが日本を救うか 

 五月になった。弁地良文は秋葉原にある大型電器店の裏手にいた。弁地はIT企業を若くして起業し成功、その後、絶対に車が生物を撥ねない装置・ハネナイザーを開発発売、一躍、マスコミの寵児になった。しかし、ロストデジタル以降、完全に運命は逆転してしまった。ロストデジタルの瞬間、ハネナイザーを搭載した車が全国で五十五台、人身事故を起こしたのである。八人が即死、重軽傷者数十人という惨事を引き越してしまったのだ。

 その要因の大部分がハネナイザーだとして弁地は訴えられた。またハネナイザーの所有者からも詐欺商法だと訴訟が相次ぎ、返金を求める客が会社に押し寄せた。こうして、弁地は破産。何もかも失ったのだった。茫然自失の八ヶ月、自殺も考えたが踏みとどまり、一から出直すことに決めたのだ。そして、就いたのが、電器店が不要となったパソコンを廃棄する仕事だった。

 弁地はパソコンが入った箱を何台も軽トラックの荷台に積み込んだ。黒いTシャツが、すぐに汗で滲んだ。肩で大きく息をついてか

ら、車に乗り込み発進させた。もちろん、その車は、ハネナイザーは搭載されていない、錆びた旧式の軽トラックだった。


 ゴールデンウィーク前の平日、江戸川橋にある、小さな喫茶店に穴見と裕史がいた。

「いや、せっかくだが、いくら甥の頼みでも、それは無理だな」

 そう言うと、穴見はお気に入りのカプチーノを飲み、口の周りに着いた泡を手の甲で拭いた。

「でも昭一おじさん。当時の 日本軍の研究が分かれば、あの黒雲を退治するヒントが得られるかも知れない。そしたら、世の中は元通りに…」

「でも、そのために、父を担ぎ出すのは…。政府の力で捜しだせるんじゃないの、そのときの関係者」

「それが、既に研究所の記録は廃棄されてるようで、皆目、分からないんです」

「悪いがやっぱり、力になれないよ。第一、オヤジがどうにも口が重いんじゃ、しょうがないよ。だけどさ、僕は今のこの日本が結構、気に入ってるんだ。あまり大きな声じゃ言えないが、このアナログな日本が永遠に続けばいいと思っているだよ。ごめんな」

「そうですか、残念です」

 穴見は、落胆する裕史を残して喫茶店を出た。

 

 5月のゴールデンウィークに入った。海外旅行者もいることはいたが、旧式の船では安全面が不安で、極端に少なかった。ロストデジタル以降、人々の観光は国内の近場というのが定番になっていた。

 穴見家の場合は、五月の連休はほかの家がスバル三六〇を使うことになっており、必然的にごく近場で休日を過ごすことになった。今日は五月五日子どもの日。穴見と智也は家から自転車で三十分ほどの運動場に来ていた。

「ほら、次は早いぞ!」

 穴見が智也に向ってボールを投げた。智也はキャッチし、すぐに投げ返した。

「へえ、うまくなったな智也。でもな、ボールは自分の都合のいいとこばかりに飛んで来るとは限らない。こんな球、取れるかな!」

 穴見は智也の頭上めがけて投げた。

「あっ!」

 ジャンプしても捕れなかった智也はボールを追って、走った。

「そらそら、全力で追わないと、ランナーがホームインするぞ!」

 穴見が煽った。

 智也はボールを追い、道路に飛び出た。

「智也、止まれ。道に出るな!」

 そう叫んだとき、一台の軽トラックが現れ、智也を撥ねた。

「智也ぁ!」

 穴見は形相を変え、走った。

「キキイイイー」

 急停車した軽トラックの荷台には段ボール箱が満載になっていた。停車の衝撃で一台の箱が道路に落ちてグシャグシャになり、中からパソコンが飛び出した。窓に男の顔が見えた。一瞬だったが、穴見には見覚えのある顔だったが、思い出せない。軽トラックは後輪から煙を起こしながら走り去った。

「轢き逃げ! 轢き逃げだあ!」

 穴見は叫んだが、周囲には誰もいない。

「智也あ!」

 穴見が智也に倒れ込むようにしがみついた。

 智也の頭から血が流れ出した。

「智也、待ってろよ。すぐに救急車…!」

 ポケットをまさぐり、我に返る穴見。

「そうか、ケータイは…! 誰か! 誰か救急車を呼んでくれ。救急車ぁ!」

 穴見は狂ったように叫び続けた。


 智也を轢いた軽トラックは猛スピードで走っていた。ハンドルを握っているのは弁地だった。血走った目のまま、つぶやいていた。

「人を撥ねた、人を撥ねてしまった…。だから、ハネナイザーは必要なんだ!」


 救急車が到着したのは四十五分後だった。穴見はストレッチャーに横たわった智也のそばに付き添っていた。

「ロストデジタルの日から救急車が不足してましてねえ。昔のコンピューターを一切使っていない車を作るのは難しいらしいんですよ」

 救急隊員が言訳をするように言った。

 それでも十五分で病院に着いた。穴見には随分長く感じられた。

智也はすぐに集中治療室に入れられた。穴見は、今日ほど、携帯電話が使えないことを呪った日はなかった。

 ほどなくして澄子がやって来た。

「あなた、智也は!?」

「集中治療室だ。すまん、僕が付いていながらこんなことになった」

「あなた、自分を責めないで。大丈夫、智也は大丈夫だから」

 やがて集中治療室のドアが開き、看護師に押されてストレッチャーが出て来た。

「智也!」

 穴見と澄子が駆け寄る。

「取りあえずの処置はしましたが、予断を許さない状況です。お話がありますので、こちらへどうぞ」

 後から出て来た医師・村上が二人に言った。

 脳外科の診察室に穴見、澄子、村上医師がいた。

「智也くんは頭を強く打ち、脳を損傷していると思われますが、その箇所が特定できません」

「レントゲンは?」

「昨年のロストデジタル以降、今まで使っていた医療器着はほとんど使えなくなりました。レントゲンも、ようやく旧式の機械が導入されましたが、鮮明度が最新機器に比べ、格段に落ちます。本来はCTスキャンをしなければならないんですが…」

「使えないんですね」

 澄子の目から涙が溢れた。

「それだけではなく、レーザーメスも、酸素吸入器も、最新鋭のものはほとんどダメです。現在の日本の医療レベルはおそらく昭和四〇年代半ばころと同じじゃないでしょうか」

 肩を落とし、ため息をつく村上。

「でも、智也の治療はこの後、何かするんでしょ?! 先生!」

「これ以上は、無闇に頭を切るわけにはいきませんし…後は薬で…」

「それで、持ってどれくらいなんですか」

 涙を拭い、澄子が気丈に聞いた。

「持って一ヶ月でしょうか。いや、死なない場合もある」

「植物人間になるってことですか!」

「そんなあ…」

 また、澄子が泣き出した。

 智也は病室のベッドで昏々と眠り続けていた。その前に、憔悴しきった穴見と澄子がいた。

「そうだ、この手があった」

 穴見は病室を出て、村上の部屋を訪ねた。

「村上先生、デジタルが動く地域があるんです! そこで手術ができませんか!」

「デジタルが動くところがあるんですか?! それはどこです!?」

「青森の八戸です!」

「八戸…それは遠すぎる。患者をそれだけ移動するのはリスクが多すぎます。ロストデジタル前なら新幹線で三時間で行けましたが、今は最高時速はせいぜい八十キロと聞いています。今、新幹線は以前の三倍以上も時間がかかるんです。リスクが大きすぎます」

「そ、そうですか…」

 穴見はこぶしを握りしめ、部屋を出た。

 穴見は茫然自失となって廊下を歩いた。窓から、あの雲が見えた。

「くそ、殺人雲!」

 穴見は窓ガラスを握ったこぶしで叩いた。

「そうだ…。あの雲を消せばいいんだ。消せば、智也は助かるんだ!」

 背後に澄子が立っていた。

「あなた、大丈夫?」

「澄子、僕、八戸に行く。智也を助けるために蕪島に行って来る!」


 五月六日。裕史は政府が組織した調査隊と共に既に蕪島入りしていた。ノートパソコンやiPodやCDプレーヤーなどデジタル機器を島周辺に持ち込み、その動作状況をチェックしていた。その様子を海猫たちは訝しく思ったのか、普段よりも大きく鳴いているようだった。五月は、卵を抱いた親鳥と孵化したばかりの雛鳥が混然となって蕪島を覆っていた。特に卵を抱いた親鳥は鋭敏になっており、近付く隊員を威嚇し、鳴いた。

「すごい。毎日、毎日、デジタル機器の動作が安定していきますね」

 裕史を十六ミリカメラで撮影しているのは関口カメラマンだ。政府に調査隊のリーダー役に任命された裕史だったが、ジャーナリスト魂も忘れてはいない、その調査の一部始終を撮影する許可、その後、テレビ放映する権利をも得ていた。

「どうですか、ミスター智也」

 片言の日本語を話すようになったクロフォードが、体中にウミネコの糞を着けてやって来た。

「博士、やっぱりデジタルが作動するのはウミネコの影響なんですかね。僕にはさっぱり分かりません」

「そうですね。わたしにも、、まったく…、しかし、このウミネコの島はアメージングですねえ。こんなに人間の住む所に近く、しかも、なぜ人を怖がらずに生活しているのでしょう。ミステリアスです」

 二人が揃って、上空のウミネコを見上げたとき、スバル三六〇が急停車した。スバルから穴見と源太郎が降り立った。

「昭一おじさん、おじいちゃん!?」

 穴見が裕史に走り寄り、頭を下げた。

「すまん、裕史くん。僕は間違っていた。あの雲をなくすために協力する!」

「おじさん…」

「裕史くん、実は智也が交通事故に遭って危篤状態なんだ…」

「智ちゃんが?!」

「ロストデジタルとなった日本の医療では智也の手術もままならないんだ。あの雲さえ消えてなくなれば、智也の手術が可能になる。…すまない、裕史くん、手伝う動機も自分本意で、我ながら情けなない」

「わしも、裕史くんの協力要請ば断っだ。許してください…」

 源太郎も深々と頭を下げた。

「お願いです、頭を上げて下さい。もういいんです。智也くんのためにも、日本のために、御協力お願いします!」

 裕史は二人の手を取り、頭を下げた。源太郎はその手を握りながら言った。

「蕪島の研究所にいた糠塚博士に聞いたごど話すべ」

「お願いします」

「研究所ではアメリカ軍が開発したレーダーを何とか撹乱でぎねえがど、金属片を飛行機からばらまく作戦を考え出したんです」

「アルミ箔を撒くというのは聞いたことがあります」

「そうですな。だけど、じり貧だった日本は物資不足。特に余分な金属なんてなかったんだな」

「まさか、その代用品がウミネコですか? でも、ウミネコの何が代わりに?」

 クロフォードが通訳を通して言った。

「海猫を捕獲し、翼や羽毛をむしり取り、それと金属粉を混ぜ、代用品にしようとした」

「オー・マイ・ガッ! それで、どうだったんですか?」

「実験の結果は散々。まったく、使い物にならなかったそうじゃよ」

「失敗して良かったですね」

 裕史がホッとした表情で言った。

「そうだべ? おらがその話を裕史くんに、したぐながったのは、わが郷土が愛するウミネコをそったらだ、軍事目的に利用しようとしてだごとを公にしたぐながったからだ…」

「そうだったんですか」

「でも、ウミネコでレーダーを撹乱する研究は、その後、違う形で続けられ、ほとんど完成の域にあったと当時、糠塚博士がら聞いだごとがあるんだ。でも、終戦となって、それも実際には使われながったわげだが」

「その糠塚博士は…?」

「八戸生まれの人だがら、探せるべ。もし生ぎでればの話だが」


 五月七日。調査隊の大型ジープが八戸市庁正門前に停まった。降り立った一行は市長室に向った。市長室には、市長ら数人に囲まれて、一人の老人がソファに腰かけていた。穴見、裕史、源太郎、クロフォード、関口カメラマンらが部屋に入って来た。老人を一目見るなり、源太郎はツカツカと歩み寄り、両足を揃え、軍隊式の敬礼をした。

「糠塚博士、お久しぶりです!」

「おや、なんだが、聞き覚えのある懐かしい声だ」

 老人は糠塚勝一、九十三歳。白い杖を手にしていた。

「自分は元弘前歩兵第五十二連隊少尉の穴見源太郎であります。昭和二〇年一月より三月まで八戸要塞構築の折りには度々お世話になりました!」

「いやはや、長生きはするもんだ。この歳になっで、あのとぎの熱血少尉に出会えるどはなあ」

 源太郎と糠塚は互いの手を取り、しばし感激の余韻に浸った。

 再会ショーが終わると、会場が別室に移され、本題に入った。

「糠塚さん、源太郎の息子の昭一です。昨年秋から、ロストデジタル現象になっていることはご存じですね」

 穴見が先ず切り出した。

「ああ。わだすは目が見えないがらよぐ分がらないども。パソコンが使えなくなったわげですな。そうそう、最近、嫁がら無理矢理持だされだケータイ、あれも使えなぐなった」

「その原因が日本上空に居座る黒雲であると我々は考えています」

「昨日、市長さんから概要ば聞いでる。というごどは、あの蕪島で研究したごとが、その黒雲退治に効果があるのではないか。そういうごどですな」

「はい、その通りです」

「うーん、しかし、アメリカのレーダーば、撹乱させようと研究したカイビョウオンが、あの黒雲にも通用しますかな…」

「カイビョウオンというのが、開発された…?」

「はい。ウミネコの鳴声を採取したものを、我々は海猫音(カイビョウオン)と呼んでいましたな」

 通訳から聞いた後、クロフォードが英語で何やら言った。通訳は糠塚に伝えた。

「ということは、ウミネコそのものを利用したのではなく、ウミネコの鳴き声を使ったのですか?」

「はい、その通り。もちろん、ウミネコの鳴声、単体では、なんの効果もありません。それは百や二百でも同じ。少なくとも一万羽以上の声が採取できると、何らかの効果が上がるごどが分がったのです」

「ということは、つまり、鳴声の採取は、ウミネコが一番集まるこの季節が最適というわけですね」

 穴見が頷きながら言った。

「最盛期の春に集まった三万から四万羽のウミネコの鳴声を録音。それを再生すると、実験では攪乱というほどではないが、微妙にレーダーを狂わせるという結果を得られたのです」

「録音はどうしていたんですか、第二次大戦中というとまだテープレコーダーは…」

「息子はレコード会社に勤めてますんで、その辺は詳しぐで」

 源太郎が少し自慢げに言った。

「もちろん、テープじゃなくて、レコード盤に直接録音したわけですな」

「コウモリやイルカはある種の超音波を発していますが、その実験もウミネコの鳴声の集合体に、ある種の超音波のような効果があったということなんですね」

 クロフォードの言葉を訳し、通訳が言った。

「そうですな。だが、その超音波効果を最大限に発揮するには、雑音が邪魔だったんです」

「風の音、波の音など、その他の音が障害になった」

「はい、それにウミネコの羽音も邪魔でした。今なら、録音後ノイズを消す方法があったでしょう。しかし、あの時代には無理だった。つまりは理論上でしかなかった。だが、私には絶対の自信があった。ウミネコの四万羽の鳴声は、レーダーを撹乱させると」

「そういえば、レーダーは日本が最初に開発したのでは?」

 穴見が糠塚に言ったが、それに答えたのはクロフォードだった。

「そうです。八木アンテナです。しかし、それをいち早く開発し、レーダーとして活用したのは米軍でした。しかし、日本軍は八木アンテナなぞ見向きもしなかった」

「はい、それがミッドウェー海戦で米軍はレーダーを駆使して大勝利を納めました。日本軍は慌てて、それから研究に入ったのです。その研究の中に、敵レーダーを攪乱する、このカイビョウオン開発も含まれていたのです。しかしながら、そんな大昔の米軍レーダーを攪乱するために研究したカイビョウオンが、果たして、あの黒雲退治にも役立つのでしょうか」

 糠塚の言葉は懐疑的だった。

「絶対とは言いきれませんが、何らかの効果があることは確かでしょう。蕪島にウミネコがほとんどいない冬の間は、ほかと同じようにデジタル機器が使えなかったのに、春の訪れともに、徐々に使えるようになった。それは、春の影響というより、ウミネコの影響だったことは、もう明らかな事実でしょう。あの黒雲から、何らかのデジタルを狂わせるものが地上に降り注いでいる。ところが、今の蕪島ではデジタル機器が使える。これは、島を覆う四万羽の海猫の鳴声がバリアとなってその怪光線を阻止、または錯乱させていると考えられませんか。怪光線は、ウミネコの鳴声が苦手なんですよ。ということは、鳴声を採取、カイビョウオンができたなら、黒雲の活動をもっと阻止、いや壊滅状態にできるかも知れない」

 裕史が全員に対して力強く言ったが、すぐに肩を落とした。

「と、僕は素人なりに考えたのですが。でも、そのカイビョウオンを使って、どうすれば雲を退治できるんでしょう。僕には分からない」

「そうですな、私にも分かりません」

 糠塚も肩を落とす。

「鳴声を、カイビョウオンを雲にぶつける、直接聴かせるってのはどうでしょう」

 穴見が立ち上がって言う。

「雲に聴かせるって、どうやって?」

 源太郎が首をひねる。

「カイビョウオンを録音、再生装置を搭載したロケットでも雲に打ち込みますか…なーんてね。すいません、無責任な発言でした」

 裕史が首を竦める。

「いや、それいけるんじゃない? どうですか、クロフォード博士」 

通訳は穴見の話を伝え、またクロフォードの話をみなに伝えた。

「蕪島海岸の広さがあれば小型ロケットくらい発射できると思います。でも、打ち上げ後、すぐにコンピューター類が狂い、制御不能に陥るでしょうね」

「そうか、ロケットは、コンピューターなしには無理ですよね…」

「いや、ロケット、飛ばせるがもなあ」

 糠塚ががっかりした裕史に向かってボソリと言う。

「本当ですか、糠塚博士!」

 全員が糠塚に注目した。

「何も成層圏まで飛ばそうというわけじゃないんだがら、昔のロケットを打ち上げればいい。昔はコンピュータなんて、なくても何でもやってた」

「昔のロケット?」

「糸川博士ご存じかな」

「知ってますよ、ペンシルロケットの糸川英夫博士。日本の宇宙開発の元祖だ!」

 穴見が興奮して話す。

「糸川博士が戦後開発したロケットなら、ロストデジタルの影響なんか受げないでしょう。雲の高度はどれぐらいがね」

「四、五千メートルです」

「その程度なら、昔のロケットでも充分に到達するでしょうな」

「だけど、その昔のロケットが簡単に再現できますかね」

 穴見が訊いた。

「確か二〇〇五年に、日本の戦後の宇宙開発を記念してペンシルロケットが再現、発射されましたよ。その研究者たちに連絡が取れれば…」

「もちろん、探します。みなさん、ロケット作戦、賛同していただけますか!」

 全員が頷いた。

「僕はすぐに研究者、探し出します! 市長、電話貸して下さい!」

 裕史が部屋を脱兎のごとく飛び出して行った。

「とは言ったものの、果たして、これで雲が退治できますかな」

 糠塚が、お茶をすすった。

「分かりませんが、今はこれを試すしかありません。糠塚博士、昨年、是川遺跡で見たのですが、太古の昔、村を襲ったであろう巨大な怪物を鳥で退治したという土器がありました」

「もぢろん、知ってます。実は私たちも、当時、それを心のよりどころとして、必ずやカイビョウオンは敵レーダーを攪乱できると研究してきだもんです」

「ならば、きっと、海猫の鳴声は、カイビョウオンは、あの空の怪物を退治しますよ、絶対に」

 穴見が全員の気持ちを奮い立たせるような強い口調で言った。とは言うものの、本音は「智也を助けたいために、藁をも掴みたい」という必死の思いから出た言葉だった。自分勝手な考えを推し進めようとしている自分が恥ずかしく、自己嫌悪に陥った。

 とはいうものの、ほかに、方法はなかった。作戦は「対デジタルイーター海猫作戦」と命名され、それぞれが動き出したのだった。


 穴見は東京に戻り、智也が入院している病院を訪ねた。ロストデジタル以降、集中治療室は、ほとんど機能せず、智也は普通の病室に入れられているのだ。

 穴見が病室に入ると、疲れきった澄子が智也のベッドサイドに座っていた。智也の細い腕には点滴の管が刺さり、痛々しい。

「どうだ?」

「眠ったまま。でも、ときどき、私とあなたの名前を呼ぶわ。医師(せんせい)は、このまま集中治療室が使えなければ、危ないって…どうしよう、あなた」

 澄子の目にどっと涙が溢れた。

「澄子、祈ってくれ。僕たちの作戦が成功することを! 智也、頑張れよ。父さんは全力を尽くすから!」


 病院を出た穴見は、永田町で裕史と合流、首相公邸に向かった。

 公邸の会議室に、いつものように福部首相と森安官房長官が現れた。すぐに、裕史は、作戦のあらましを説明し始めた。その隣に穴見も立った。穴見は正式に今回のプロジェクトの副リーダーに任命されたのだった。

 最初の説明が終わると、目をつぶって聞いていた福部が話し出した。

「うーむ、想像を絶する話ですな」

 森安が憮然として言った。

「荒唐無稽な計画です。認められませんな」

「だが、今、それを否定する材料もない。それに代替案もありませんよ森安さん。ここは決断のときですな」

「しかし、総理、民間人に何もかも任せるというのは前例がありません。これが失敗したら、支持率が…」

「何もやらなければ、もっと支持率は下がります。私はゴーサインを出しますよ」

「総理、お待ち下さい!」

「いえ、待ちません。私は日本国の総理大臣です。私がゴーと言ったらゴーなんです! 出島くん、穴見くん、すぐに作戦、『対デジタルイーター海猫作戦』を開始して下さい! 必要なものは何でも使えるように便宜を図ります!」

「ありがとうございます、総理!」

 穴見と裕史は、福部に挨拶し、足早に会議室を辞した。公邸内の広い廊下を並んで歩きながら、二人は打ち合わせを始めた。

「これからレインボウで、録音機器を調達して、すぐに蕪島に輸送する手続きをするけど、ロケットはどうなってる?」

「これから、宇宙開発研究所の研究者と会いますが、どうなりますか…」

「そうか…。これまで、親戚といっても、冠婚葬祭だけの付き合いだった、本当にすまん」

 穴見は、急に表情が曇り、裕史に唐突に謝った。

「いきなり、どうしたんですか、昭一おじさん」

「いやいや、急に何だか、自分の身勝手さが嫌になって。僕は自分の息子を助けたいがために、こんな途方もない計画を煽り、進めようとしている…」

「いやいや、それは前にも言いましたが、違いますよ。僕も智也ちゃんを助けたい気持ちでいっぱいですが、既に、これは僕らだけの問題ではなくなっています」

「だからこそ、怖いんだよ。僕はただの一介のサラリーマンだ、それも音楽で飯を食ってる。音楽なんて、生活必需品じゃないだろ。それなのに、そんな音楽やってる人間に日本の運命託していいのかよ! 首相も首相だ…」

「いや、音楽は生活の必需品でしょ。おじさんがそれを一番分かってるくせに。今回の作戦だって、おじさんの音楽の知識があればこそですよ。そりゃあ、僕だって、一介の若造テレビマンが国の作戦のリーダーなんですから、ビビってますよ。でも、こんな経験、滅多にできるもんじゃない。そういう意味じゃ、ロストデジタルのおかげですかね」

 裕史はフッと笑い、さらに続けた。

「おじさん、ここで引いたら負けですよ。なーに、作戦失敗したら、第二作戦を考えればいい。おじさん、怖いのは僕も同じです、ここは勇気を振り絞りましょうよ」

「分かった。すまん、随分年下の甥に教えられた。ここで、迷ってはいかんな。軌道修正するよ」

「ええ、お願いします」

 公邸前から出てきた穴見と裕史は、玄関前に待機していた自衛隊の旧式ジープの後部席に乗り込んだ。


 同日、午後。裕史は神奈川県相模原市にある宇宙科学研究本部、通称・宇宙研を訪ねた。

 日本におけるロケット技術は戦前から盛んだったが、敗戦で、しばらくその研究は封印され、戦後、ようやく解除されたのは一九五二年のことだった。そして、戦後のロケット研究は糸川英夫博士が牽引する形で始まった。

 最初は、手のひらに収まるほどのサイズからペンシル・ロケットと命名されたロケットを打ち上げることからスタートした。東京国分寺市の工場跡地で、水平飛行実験に成功。やがて、飛距離が長くなり、都内で飛ばすこと無理と判断され、秋田県に実験場を移した。 一九五五年夏、秋田県由利本荘市の道川海岸に糸川博士ら研究者が集まった。糸川らは重量わずか二百三十グラムのペンシル・ロケットを打ち上げた。到達高度は6百メートル。大成功だった。この日が戦後のロケット開発を記念する日となったのだ。

 裕史は宇宙研の研究室で、研究員から、そんなロケット開発の歴史を聞いていた。研究員は戸倉直之、五十九歳だ。戸倉は二〇〇五年、宇宙研の記念イベントで、ペンシル・ロケットの飛行再現を担当したメンバーの代表であった。

「飛距離が五千メートルで、しかも何らかの再生装置を搭載するとなると、ペンシルでは当然無理でして。ベビー、いや、カッパということになりますね」

 ぼさぼさ頭で、分厚いレンズのメガネをかけ、ヨレヨレの白衣を着た、いかにもな風体だった。

「カッパ型、懐かしい名前ですね。で。どれくらいで出来上がるもんなんですか」

「一からまともにやったら、一ヶ月もかかるでしょう。パソコンもありませんから、データを計算するのもままなりません」

「そこを何とか超特急で」

「もちろん、そのつもりです。幸いにも、ロケットの詳しい資料は紙で残ってますから、それを見れば何とかなると思います。いやはや、ロストデジタルで学びましたよ」

「は?」

「電子データに頼っているだけでは駄目だということですよ。若い連中はパソコンが使えなくなったら、その後、何もできなくなった。私が若いころはそんなもん、なかったんですから。電子データはほんとに怖い。消えたら一瞬ですからね。先日も、市役所行ったら、住基ネットが不能になってるから大騒ぎですよ。前から住基ネットは文字化けがあったり利便性は疑われてたけど、ありゃあ酷いですよ。そうそう、機体の製作でしたね。展示室に、当時のカッパがあります。それを使うしかないでしょうな」

「それ、できるんですか?!」

「所長を脅すしかないです」

「えっ?!」

 戸倉はニンマリ笑い、ボサボサの髪を掻きながら言った。

「なーに、たかが若造ですよ。定年前に、中年のアナログパワーを若いもんに見せつけてやりますよ」

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