玖 無農薬なら安全なのか  

 穴見の企画したシングル盤アナログ全集は「昭和歌謡ポップス・幻のレアシングル復刻大全集」のタイトルで十一月二十九日に発売された。結局、夢咲ジュンの「青春ゴーゴーパラダイス」は漏れ、代わりにツイスト・アイドルとして知られた目白誠の「恋は急発進」が加えられた。全集は好調な売れ行きを記録した。当初想定されていた購買ターゲットの団塊世代だけでなく、意外や若い世代にも売れた。要因は全集だけではなく、一枚一枚のバラ売りも敢行したこと。それに、なにより、ロストデジタル以後、復刻とはいえ音楽ソフトの新商品が店頭に並ぶのは、このレインボウのレコードが初、というか、これしかないのだ。こんな効果もあってレコードは売れた。しかも、同時に六枚連続演奏ができるポータブルレコードプレーヤーもドンドン売れ、すぐに追加発注が入ってきた。穴見の企画は見事、大成功を納め、入社以来、初めて社長賞を受賞した。

 一方、他のレコード会社はロスト・デジタル以降、まったくお手上げ状態だった。特にCDやネット配信以外のノウハウがない会社はどうすることもできなかった。それに引き換え、レインボウは細々だが、アナログレコードを発売し続けてきた実績が、ここに来て花開いたのである。

 このアナログレコード人気に、音響メーカーは旧式なレコードプレーヤー、オープンリールテープレコーダーを復刻発売するようになった。中にはトラック野郎に愛された懐かしい八トラプレーヤーなどの発売を決定した企業も現れた。

 ロストデジタル以後、すべての価値観が昔に戻ってしまったかのようだった。今やどの企業も、「若手より即戦力になるのは経験抱負な中高年だ」と考えるようになった。経験のある中高年、いわゆるアナログな頭脳を持った中高年はどの企業でも引く手数多(あまた)であった。こうした中高年を狙ったヘッドハンティングも横行した。穴見も、何社からも引き合いがあった。気持ちは揺れたが、レインボウレコードの定年制度が変わり、希望があれば七十歳まで働くことができるようになった。これで、もう少し、レインボウに残る決意をしたのだった。


 上村響子は大学の同級生・大原さゆりが彼女の夫・須田要の暴力が原因で亡くなったことを知り、これを公にし、社会的に葬るという復讐にいまだ燃えていた。最初はマンガ喫茶から架空名義で須田の製薬会社へメールする作戦だった。だが、これはあのロスト・デジタルの日だったので、失敗に終わった。二回目は同様の文を手紙で送り付けようとしたが、穴見に見つかり、躊躇し、まだ未送付のままだった。

 今日、上村は決意した。今日、十二月二日はさゆりの誕生日だっ

た。上村は埼玉県上尾市にある製薬会社に向った。上村が右手に提げた紙袋には、さゆりの遺言に書かれていた須田の悪行三昧、暴力の限りが克明に書かれていた。さゆりはこれをレインボウの謄写版で二百枚を刷ったのだ。ロスト・デジタル以後、コピー機も使えなくなり、会社には懐かしい謄写版、通称・ガリ版刷りが導入されていた。上村は、両手と頬をインクで汚したまま、紙袋を提げ、早朝の会社を出た。上村はこの文書を須田の会社でばらまくつもりだったのだ。

 江戸川橋からは有楽町線に乗り、池袋で下車。池袋からは湘南新宿ラインに乗り換えた。湘南新宿ラインは、木製のコールタールの臭いがする旧式の車両に変わっていた。スピードもだいぶ遅かったが、何とか上尾駅に着いた。駅を出ると、駅前には白タクや白馬車が止まって、客引きをしていたが、上村はレンタル自転車屋を見つけ、五千円で、古ぼけたママチャリを借りた。

 三十分後、マックス製薬株式会社に到着、すぐに受付を訪ねた。受付嬢の答は意外だった。

「須田要は先月退社いたしましたが…」

「今はどちらに?」

「再就職先は聞いておりません」

 受付に踵を返した上村に白衣の中年男が声をかけてきた。

「あの、須田を探してるの?」

「はあ…」

「まさか、あいつに結婚詐欺でもあったんじゃないだろうね」

「いえ…」

「あいつ、女癖悪くて、別れた女房なんかボコボコ殴ってたというよ」

「そうなんですか」

「ああ、おたく借金取りだね。金の方もだらしなくてね」

「なぜ退職を」

「リストラですよ。あいつバカが付くほどのパソコン男でね。それが、世の中こうなっちゃったでしょ。たちまち、何にもできなくなっちゃったというわけ。何しろ、調べもの全部インターネットで済ましてたから、本で調べるって能力がないのよ。字も下手だし、書類書かせりゃ、誤字脱字。ってわけでリストラですよ。代わりに私が入ったんだけどね」

「はあ、そうですか。良かったですね」

「パソコンアレルギーでキーボード触るのも苦手だった私は、十年前にリストラされてたけど、この度、ロストデジタルのおかげで古巣に戻れたというわけ。そうか、あんた探偵さんだね。教えますよ、須田の居場所。懲らしめてよ、あいつは悪党だからさ」

 おしゃべりの再就職男に須田の現住所を教えてもらった上村は、すぐに、その場所へ向った。

 須田は再婚し、上尾市内の安アパートで暮らしていた。外階段をトントンと上がったところが須田の部屋だった。台所の窓が開いていて、中が見えた。上村はそっと窓から中をうかがった。と、そのとき、ドアが乱暴に開き、ランニングシャツ姿の須田が飛び出してきた。唇が切れて血が出ている。部屋から妻と思われる女が出て来た。金髪の髪を振り乱した大柄なブラジル系の外国人だった。

「あんたねえ、毎日、働きもしないで酒ばっかり飲んでる。たまには働け! ばかやろ!」

「リンダ、分かった、もう酒は飲まないから許してくれ。俺だって、好きで働かないわけじゃない。働き口がないんだ。俺だってパソコンさえ使えれば…」

「そのセリフ聞き飽きたよ。パソコン、パソコンて、そんなもん、今の世の中じゃ、ただの箱なんだよ! つべこべ言ってないで、何でも仕事見つけて来いよ!」

 リンダの回し蹴りが須田の腹に命中する。

「ゲフッ」

 須田の口から血の混じった泡が飛び出る。リンダは、うずくまる須田につばを吐きかけ部屋に戻った。須田はよろよろと立ち上がると、階段を下り、自転車に乗り走り去った。

 しゃがみこんで外廊下に置かれた洗濯機の陰に隠れていた上村が茫然と立ち上がり、須田の哀れな後ろ姿を目で追った。


 その日の午後。紙袋を提げた上村がレインボウの第三企画室にやって来た。

「あれ、上村、今日は有給だったんだろ?」

 デスクで仕事をしていた穴見が顔を上げた。

「もう用は終わりましたから」

 上村の頬にはまだインクが付いていた。

「だからって会社に来ることはないだろうが、お前もつくづく寂しい女だねえ」

「ほっといて下さい」

「上村、ほっぺ、汚れてるぞ」

 上村は部屋の隅に行くと、手鏡を覗き込み、頬の汚れをティッシュで拭った。そして、紙袋から例の文書の束を取り出すとゴミ箱に乱暴に投げ捨て、ふっと笑った。

 その様子をうかがっていた穴見も安堵の表情を浮かべた。

「上村の復讐は終わったか…」


 デジタルが消えてから、約四ヶ月目に突入。このころになると人々の生活は少しだけ安定しはじめた。食料などを運んだ外国船の日本への入港は、極少ないが、復活していた。しかし、もちろん、輸入品に頼っていては、まったく足りないので、国は自給率を高めることを推進し始めた。土地のある地方は、すぐに畑や田んぼを開墾し始めた。土地のない都市部では、すっかり誰も使うことのなくなったコインパーキングの敷地に畑を作る人たちも現れた。そして、日本中で急増したのが、農業への転身者だった。就職にあぶれた学生、IT企業で職を失ったデジタル難民などが、農家の人手募集に群がった。


「はい、そこで作業中止、全員、本部前に集合。行動は迅速に、急げ!」

 メガホンを持った黒服の男たちが牧場中を走り回りながら叫んでいた。牛の乳搾りをしている者、馬の蹄鉄を直していた者、馬糞を掃除していた者、畑で藁束を干していた者などが一斉に仕事を中断し、走った。

 東京都西多摩郡瑞穂町は米軍横田基地に隣接、東京でありながらまだまだ広大な緑地が広がる田園地帯であった。この一角を所有しているのが、文明後退幸福連合会の会長・夢路遥之助だ。夢路は六十一歳、高校生時代から独自の文明後退論を提唱し、父親から譲り受けた土地に同論を推進する本拠地を構え、各地から賛同者を募り、生活を共にして一種のコミューンを作り上げていた。

 ロスト・デジタル以降、農業で生活したいというブームに押され、文幸連にも入会希望社が殺到。夢路は、その中から新たに二十五名を採用していた。本部前に作られた木製の壇に夢路は立った。黒い制服はみなと同じだったが、胸には勲章のようなものを付け、肩にも軍隊の将校のような大袈裟な肩章を付けていた。

「よし、三十秒で集まった。これも訓練の賜物だな、なかなか宜しい。本日より、営業活動が終了後、夜間二時間、剣道、格闘術などの修練を開始する。我が文幸連のモットーは農耕と武術、双方の融合、つまり農武両道である。ロスト・デジタル以降、まさに我々が追い求めて来た文明後退幸福論が現実のものになろうとしている。後、もう少しだ。来年になって見ろ、我々の賛同者は今の数十倍に膨れ上がっていることだろう。さすれば、日本に真の理想郷が実現するのだ。その日まで、全員一丸となって頑張ろう。夜明けは近いのだ!」

 夢路が去り、代わって脇坂謙太郎が壇に上がった。

「副会長の脇坂です。それでは、みなで三唱する。文明は敵だ、文明を戻せ、文明後退こそ幸福への道だ!」

 集まった黒ずくめの集団は男女合わせて五十人ほど。その全員が声を合わせて、脇坂の唱える言葉を復唱した。そして、その中に相沢裕介と高野麻紀の姿があった。

 

出版社を退職後、フリーのデザイナーになったのが相沢だ。相沢は雑誌や単行本のデザインを手がけていたが、ロストデジタル以降、パソコンが使えなくなり失業。途方に暮れていたところ、街の壁新聞で見た文幸連の農業従事者募集に応募したのだった。

 麻紀はネットで株取引をするネット・トレイダーだったが、彼女もまたロストデジタル以降、パソコンが不能になり失業していた。麻紀も相沢と同じように職を求めて辿りついたのが文幸連だったのである。当初、食べるために、仕方なく文幸連で働いていた二人だったが、毎日、夢路の訓示を聞き、モットーを唱えているうちに、文幸連の目指す文明後退幸福論に共鳴、深くのめり込んでいったのであった。

 午後四時。リヤカーを引いた会員たち二十人ほどが文幸連の門を出て行く。農園で獲れた野菜、玉子、果物、また、自家製の豆腐やがんもどき、納豆などをリヤカーに満載し、売り歩いているのだ。また、朝も同じように引き売り隊が出動する。これが、彼らの営業活動なのだ。

 麻紀と相沢は、同じ地区を担当したために並んでリヤカーを引いていた。リヤカーには「文明後退幸福連合会直属・無農薬豆腐の幸福家」の幟が立っている。

「幸福家の無農薬豆腐、安全でおいしいよー!」

「パプー!」

 2人はラッパを吹き、大声を出しながら歩く。叫びながらも、笑顔は絶やさない。ちょっと不気味な二人だった。

「高野さん、ネットで株やってたんですよね。儲かりました?」

「もう、忘れちゃった。馬鹿なことしたと思って後悔ばかりよ」

「そうですね。同感です。僕も、あんなパソコンみたいな道具に振り回されて、人生、棒に振りましたね。世の中に、こんな充実した生活があるとは思わなかった」

「そうよね。私も、パソコンとかインターネットとかって聞くだけで、気持ちが悪くなるの。文幸連に入って、夢路会長にお会いして本当に良かった。すごく良く分かるのよ、日々、成長しているって」「あ、その感覚分かります。僕も、ロストデジタル以降、人間的に成長したって思います。これって、僕の存在が世間のお役に立っていると思うからこそ、実感できるんですね」

「まったく、その通りよね」

 路地を曲がると、住宅密集地だった。待ち構えていたらしい主婦たち十数人人がリヤカーを取り囲む。

「遅かったわね! 待ちくたびれたわ」

「すいません、いつもいつも、ありがとうございます」

「あなたたちが来てくれるおかげで本当に助かるわあ、お豆腐一丁と大根、ニンジンもね」

「私も納豆に、ガンモも。これ、おいしかったのよ!」

「本当、じゃあ私も、もらおうかしら」

 リヤカーの荷物はあっという間に売り切れ状態になってしまう。ロストデジタル以降、文幸連の引き売りは大繁盛していた。

「ところで、この前いただいた、文明後退幸福連合会への体験入会案内、もう少しいただけない? お友だちが関心あるのよ」

「はい、もちろん、どうぞ!」

 麻紀は謄写版印刷の勧誘ビラを主婦たち一人一人に手渡す。

「やっぱり、これからは農業よね。主人にも連合会入会勧めようかな。こんな世の中じゃ、会社、直に潰れちゃうよ」

「その通り、皆様、ぜひ、お誘い合わせの上、体験入隊、お待ちしております!」


 穴見は、社長賞を頭金にして思い切って車を購入した。といっても、一九七〇年以前で、まともに走る中古車は限られていて、ものすごく高価だった。そこで町内の三世帯共同での購入となった。つまり、カー・シェアリングである。

 車種はスバル三六〇だった。昭和三十三年発売の空冷二サイクル二気筒エンジン搭載のミニカーだ。フォルクスワーゲンは「カブトムシ」と呼ばれたが、こちらはその可愛らしさから愛称は「てんとう虫」。錆だらけだが値段だけは高級外車並みだった。だが、動く車を入手できるのは極めてラッキーなのであった。穴見家は、このスバルを年末年始使えることになり、実家の青森に帰ろうという計画を立てていた。

 ロストデジタル以降、東北新幹線は動いていなかったが、十二月より、引退していた懐かしの初代新幹線である零系を復活させ、運行を再開していた。だが、圧倒的に台数が少なく、一日一往復がやっとだった。それでも年末は、往復三便が出ることになったが、当然ながら、切符の入手はとても困難だったのだ。

 十二月二十八日早朝、穴見一家はスバル三六〇で出発した。岩

槻から東北自動車道に入った。車の数は極端に少なかった。走っている車種も乗用車は滅多に出会うことなく、ほとんどがボンネットタイプのバスかトラックの類いだった。五時間後、トイレ休憩のため宮城のあるドライブインに入ったが、レストランも土産物売り場も閉鎖していた。これだけ車の通行量が少ないと、商売が成り立たないのだった。ガソリンスタンドも、極端に少なく、ようやく、この宮城のドライブインで見つけた。給油後、穴見家は持参した握り飯で食事を摂り、再び、スバルで北を目指した。

 十時間後、スバルは八戸自動車道に入った。助手席の澄子と後部席の智也はすっかり眠り込んでいた。

 午後三時、自動車道の八戸料金所で停車、無人の料金箱に高速代千円を入れた。あまりに交通量が少なく、経費削減のために係員が常勤することはなくなったのだ。二〇一〇年より、大都市圏を除く高速道路は、土日と祝日年末限定、しかも一般車両のみだが、高速料金一区間、一律千円というサービスが開始されていた。支持率が史上最低にまで落ち込んだ前首相・高津三郎が唯一残した、国民に愛される政策だった。高速の出入口はゲートも開きっ放し。料金を払うだろうというドライバーの良心だけが頼り。道端にある無人の野菜売り場のような方式が二〇一一年の高速道路料金所に導入されていた。

 八戸市内に入った。高度成長期には新産業都市として栄え、魚の漁獲高で常にベスト三に入り、世間に認知された時代もあったのだが、最近ではさっぱり。東北新幹線の最終駅でありながら、観光地としてのアピール度も弱く、誰が言ったか「通り過ぎるだけの街」という不名誉な裏の称号をもらってから久しい。

 スバルは港に沿った道を走って、ひなびた町に入った。昔はイカ漁で栄えた漁師町で、鮫町と言った。魚の名前一文字の“鮫”という地名はなかなか珍しいが、江戸時代には鮫漁も盛んだったために、この名前が付けられたらしい。

 町のはずれには海猫の繁殖地として知られる蕪島(かぶしま)という島がある。といっても陸続きだ。昔は本当の島だったが、第二次大戦中、軍事目的に使われるために人工的に陸続きになったのだった。

 穴見の実家はこの蕪島の近くにあった。司馬遼太郎の『街道を行く』でこの蕪島や今は廃業してしまった旅館・石田屋が紹介されているが、穴見の実家はこの石田屋のすぐ裏手にあった。ごく普通の平家で、穴見の父・源太郎が教職員を辞してから建てた家だった。

 

茶の間に穴見、澄子、智也、そして源太郎、穴見の母・静代が久しぶりに顔を合わせていた。真新しいデジタルテレビの隣に四十年以上前に買った家具調テレビ「嵯峨」が偉そうに鎮座していた。テレビでは、古い映画が放映されていた。

「あらら、これメキシコオリンピックの年に買った家具調テレビ、物持ちがいいから、こういうときは助かるねえ。源太郎さん」

「古いテレビは見られなくなるがら、処分して下さいってお父さんさんに何度も言ったのに、いつまでも物置に仕舞っててね」

 車椅子に座った静代が言った。

「はは、結局、だから、捨てなかったから良かったわけだろ。ウチではこうしてすぐにテレビが見られてんだ。ほがではテレビまだ見れでねえどごもあるってのに」

「まあ、それはたまたま結果的に良かったかも知れないけど、私は古いもの大嫌い。こんな古ぼけて汚いテレビで観たって、何も嬉しくない。」

「まあまあ、お義母さんもお義父さんも、とにかくテレビが見れて良かったですね」

 澄子が2人をやんわりと収めた。

「そうそう、汚いテレビだけど、この辺りじゃ、ウチしか、なんだっけ、復活したアナ…」

「アナログ放送!」

 すかさず智也が言った。

「そ、そのアナログ放送が復活したとき、この辺りじゃ、どこもその放送を観ることできなかったんだからな。それで、NHKの歌謡コンサート見たいって、近所の老人会の連中がウチに集まったのさ」

 源太郎が自慢げに言った。

「この茶の間さ十五人も。私は嫌だった」

 静代がムっとした顔で言った。静代は四十代後半から股関節脱臼が悪化、そのころから片足を引きずるようになり、以来、その姿を他人に見られることを嫌い、ほとんど近所付き合いをすることがなかったのだ。

「へえ。それって、まるで我が家に昔テレビが入ったときみたいじゃない。あのときも、近所の人が随分、集まったっけね。昭和三十四年だ。ちょうど、皇太子様と美智子様の御成婚パレードの生中継があったときだ」

「あんだ、記憶力があるねえ」

 静代が穴見に言った。

「お陰さまで、立派なテレビっ子、第一号になりましたがね」

「わしもな」

 頭をかく源太郎に、みんなが笑った。

「ところで、あんだだち、明日はどこがいくの?」

 静代が言った。

「是川遺跡を智也に見せたいと思って」

「年末、やっでね」

 静代が、フンという顔で否定した。穴見は、その顔をチラリと見て、頭を振った。静代の否定癖は、病気以後、特に顕著になった。穴見は、子どものころから、そんな静代の否定口調が嫌で嫌で堪らなかった。

「八戸観光案内に年内は十二月三十日までオープンしてるって付いでらよ(載っている)」

「明日は、急に閉館するかもしれないよ。それに、お父さんは邪魔ですよ」

 さらに否定する静代に対抗するように、澄子が言った。

「大丈夫、明日の朝、一番で電話で確認しますから。公衆電話、駅前にあるんでしょ」

 そう返され、静代は小さく舌打ちをした。

「おじいちゃんも行こうよう」

「ほら、孫もこう言ってるべ」

「まったく、このジサマはすかたねえなあ」

「ハハハ、お元気な証拠ですよ。そろそろ、夕食の準備しないと。お義母さん、材料何があります?」

 澄子が立ち上がった。

「澄子さん、あんた、長旅で疲れてるんだから、やんなくていいよ洋風のしゃれた材料ないし、魚ばっかりだから。それに、ウチは前よりもっと味付け薄くなったし、分かんないでしょ?」

 静代はツンとした目で澄子を見ると、車椅子で台所に向かった。澄子は、小さく唇を噛んだ。穴見もそんな澄子と静代の様子を察し、表情が曇った。

 普通ならば源太郎と静代の年齢では、まるでおじいさんとおばあさんだが、澄子にとっては、義父と義母であった。国語教師で話題の豊富な源太郎に、頭の回転が早い、新聞記者の娘だった静代を尊敬していた。

 書くことに自信を失いかけていた澄子を励ましたのはこの二人だった。澄子の書いた童話を何度も丁寧に読み、きちんとした感想を述べてくれる二人には本当に感謝していた。中学生のとき父を亡くした澄子にとって、源太郎を本当の父と思い、接していた。本当の父とは反りが合わなかった苦い思い出ばかりが残っていた。父が他界すると、母は働きに出た。それ以来、どうも母親ともうまくいかなかった。お互い、どう愛情表現していいか分からなかったのかも知れない。その気持ちは成人してからも続いた。

 それが、穴見と出会い、結婚してから変わった。仲のいい源太郎と静代を見ていると、つい居心地が良くなり、二人に甘えたくなるのだ。澄子は嫁としての喜びと、娘になったような喜びをも見つけることができた。

 

…と、澄子は少なくとも二年前までは、そう信じていた。だが、その喜びは、徐々に失われていった。

 二年前、澄子には苦い思い出があった。二〇〇九年春、源太郎と静代は、穴見のたっての希望で押上の家に同居したのだ。高齢の二人だけの生活を心配しての同居だったが、結果的には失敗。半年で同居は解消された。

 原因はさまざまあったが、大きな問題は静代にあった。青森県、いや八戸市以外に、ほとんど出たことのない静代のカルチャーショックは半端ではなかった。ほぼ毎日、衣食住、森羅万象について「これは八戸とは違う」と、念仏のように言い続けた。これには、さすがに呆れ、穴見は、つい静代を怒った。

「ここは八戸じゃないんだから、いい加減、慣れてくれよ!」

 息子に怒鳴られた静代は、すぐに泣いた。これに、源太郎は猛反発、「母を怒鳴るとはなんてざまだ!」と穴見を怒鳴った。

 また、静代は、澄子が作る料理にも不満だった。静代は、とにかく健康第一、「塩分控えめ、柔らかいもの、消化にいいもの」が口癖だった。澄子もその要望に応えるべく、自分なりに工夫した料理を出したつもりだったが、静代は予想を超えて難しかった。表面的には毎食、にこやかに「美味しかったですよ」と取り繕っていた。だが、そんな言葉が嘘だということは、早晩、澄子にバレた。決定的だったのは、昼ご飯を残した後、源太郎と静代がカップラーメンを旨そうにすすっていた現場を澄子が目撃したことだった。澄子は思わず二人に怒鳴った。

「塩分控えめって…インスタントラーメンだったらいいんですかね!」

 以後、澄子は徐々に料理をサボタージュするようになった。穴見が代わりに作ることも増えたし、店屋物も増えた。このことで、穴見にもストレスが溜まり、何度も静代を怒鳴った。静代は泣き、源太郎は激怒、穴見を怒鳴った。最後はこの繰り返し。お互い疲れ果て、半年目に同居を解消したのだった。

 

静代は車椅子から、ゆっくりと立ち上がり、杖を突きながらライスストッカーの前に立った。

「私、ご飯は炊きます」

 後ろから澄子が声をかけ、台所に入って来た。手には昭和三〇年代位の旧式の電機炊飯器を持っていた。

「お義母さん、ご飯、炊くの、あれ以来不便でしょ? 昭一さんが持ってた年代物の炊飯器あったんです。、ロストデジタルの今でも立派にご飯炊けますよ」

「そんな古い炊飯器、不潔で使えませんよ」

「え、でも、ちゃんと洗ってきましたけど」

「いえ、大丈夫。お釜で炊きます。これが一番美味しいんです」

「はあ、そうですか」

 澄子はがっかりして、台所を出た。

 

 次の日。穴見一家と源太郎、車椅子の静代が玄関前に勢揃いしていた。

「午後にはすぐ帰って来るからな。戸締まり厳重にして」

 源太郎が一人留守番をする静代を気遣って言った。

「はいはい、分かってます。あんたも、みんなの足手まといにならないように」

「分かってますって。えーと、ハンカチに財布、よし、ケータイも持ったな。忘れ物なし」

 源太郎が携帯電話を首からぶら下げたので、穴見たちはのけぞった。

「父さん、ケータイ使えないんだよ!」

「そうだよ、おじいちゃん」

「いやいや、いつ、元に戻るかもしれんので、わしは、ずっとこうしてるんだ」

「ほんと、ウチの人は変人だよ。イイ歳して、こんなだから近所で、何言われてんだか」

 静代が早速、源太郎の批判を始めた。

「でも、お義父さんの言うこと、間違ってはいないですよね。これから、すぐにケータイが使えるようになるかも知れませんもの」

「そうだろ、わしは、いつも万全の体勢でいたいんだよ」

「さあ、車に乗って、出かけますよ」

 穴見が、全員をうながしたとき、「ミャア」と小さな声が聞こえた。いつの間にか静代の足下に一匹の野良猫がうずくまっていたのだ。

「きゃあ。早く、どけて!」

 子猫だったが、静代は大袈裟に叫び、持っていたステッキで猫を払おうとした。

「可愛い!」

 静代のステッキが当たる前に、智也がその子猫を抱き上げた。

「おばあちゃん、大丈夫。ほら、こんなに可愛い子猫だよ」

 智也が、抱いた子猫を近づけようとすると、静代はさらに叫んだ。

「気持ち悪い! 智也、野良猫なんか、どんな病気持ってるか分からない。すぐに離して! 手を洗ってきなさい! 猫は不潔なんだから!」

 あまりの静代のヒステリーに、智也もしょぼんとして猫を放した。

 そんな騒動の後、穴見一家と源太郎を乗せた車が出発した。車内の後部席では智也がしょげきっていた。

「母さんも、あんな風に言わなくたって。全然、変わってないね」

「いやいや、年々、酷くなる。暇さえあれば、どこでも消毒薬で拭いてるからな。智也、おばあちゃん、あんなですまんな」

 助手席の源太郎が後ろを振り向き、智也に言った。

「うん、もう平気だよ、おじいちゃん」

「母さん、デイ・サービスにも行かないけど、その理由も、もしかして潔癖性のせいですかね」

 穴見が源太郎に訊いた。

「まあ、もともと、知らない人と会ったりするのが苦手なヤツでな。デイ・サービスに行けば、同世代の人にいっぱい会えるだろうに、行かないんだな。それに、あそこの施設は、たまにアニマル・セラピーがあるんだが、どうもそれが嫌なんだな」

「アニマル・セラピーって、犬や猫を連れてきて、老人に触れさせ、癒させるっていう試みですよね」

 後部席の澄子が源太郎に言った。

「そうなんだけど。ほれ、さっきみたいに静代は動物嫌いだから。いやあ、若いときは犬も飼ってたから、そんなことないんだけど、いつの間にか、動物は病気が伝染るって思い込んで」

「思い込んだら最後、絶対にその自説を曲げないからね、母さんは」

「そう、その通り。猫エイズは人に伝染る、犬のジステンバーも、鳥も…。大変なもんだよ。食べ物も大変だよ、一度、牛が危ないって報道があれば二度と食べない。もちろん、鳥インフルエンザも大騒ぎ、だから、肉はほとんど食わない」

「それじゃあ産地偽装の豚肉だってダメだ」

「ああ、あれっきり豚も、ほとんど食べない。いくら、わしが、そんなに気にしていては、却って体に悪いって言っても聞く人じゃないからな。ははは、まったく歳は取りたくないもんだ…」

 

 一時間後、馬渊川(まべち)を渡り市街地に入り、南下、丘陵地をぬって走ると道路は新井田(にいだ)川に突き当たる。その手前、なだらかな傾斜地の道路脇に「是川遺跡」の案内板が立っていた。

 穴見、智也、澄子、源太郎は車から降りて、「是川縄文館」の看板がかかる建物を目指して歩いた。右手に縄文時代の住居を再現した藁葺き屋根の家が二軒建っている。

「ここが是川遺跡?」

 智也が源太郎に聞いた。

「ああ、ここら一帯がな」

「中居遺跡、堀田遺跡、一王子遺跡の3つを合わせて是川遺跡って言うんですよね」

「その通り。澄子さんはさすが物知りだ」

「いえ、車の中で資料を読んだんです。ちなみに中居と堀田は約二五〇〇年前、一王子はは四五〇〇年前なんですって」

「それって、すんごい昔?」

「ああ、すんごいども」

 四人は資料館に入り、土器を見始めた。

「この模様は縄目でつぐっでる。いわゆる亀ケ岡式といわれる土器だ」

 源太郎が智也に説明する。

「本当にいろんな種類があるんですね」

「お母さん、宇宙人もいるよ」

 智也が指差したのは目が極端に大きい有名な遮光土器だった。

「そうそう。この不思議な土偶は宇宙から来たものだってお話もあるねえ。へえ、鳥の形もあるんだね」

「海猫みたいね」

 その鳥の土器はいくつもあり、目の大きい土偶を取り囲むように並んでいた。

「鳥が宇宙人を攻撃してるのかな」

「そうなんですよ。鳥は怪物を追い払っているんですね」

 智也の疑問に答えたのは、いつの間にか背後に立っていた男だった。資料館の学芸員・苫米地だった。

「学芸員の苫米地です。みなさん、年末にわざわざ当資料館にようこそ。今日は本年最後の開館日ですが、入場者はみなさんだけ。まことにありがとうございます」

「やはり、鳥はウミネコなんですかね」

 穴見が聞いた。苫米地はフケだらけの髪を手でかき、「よく聞いてくれた」と言う顔をした。

「鳥の種類がウミネコだとは確定されていませんが、私はそうだと思っています。なにしろ、この辺りでウミネコは、人々に相当親しまれていますからね」

「そうですなあ」

 源太郎がうなずき、苫米地が続けた。

「ま、ウミネコかどうかは別にして、こうして土器になっているということは太古の昔に鳥信仰があったということでしょうな」

「この土偶は宇宙人ですかね」

 穴見が遮光土器を指し、聞いた。

「宇宙から飛来したかどうかはわかりませんが。たとえば、天変地異などの災害とか、隣国から攻めて来る敵とか、流行り病とか、そういったものを象徴して怪物のような造形にしたものではないか、と私は思っています」

「その怪物を阻止したのが鳥だった、というわけですか」

「じゃ、ないかなあ…と。私個人の見解でして、実はよくは分からないんですよ。なんていったって四五〇〇年前のことですからな、ハハハ」

「この土偶、あの黒雲みたいだね」

 智也は土偶をあの上空に留まる黒雲に見立てた。

「なるほどな、そういえば…似てるかもな。あのグルングルンとした感じが縄文模様に似てるし、怪物にも見えるよな」

 全員が資料館の窓から、空の黒雲を見上げた。

「すかす、あの黒雲だば、不思議だなあ」

「ほんとですな」

 源太郎と苫米地が顔を見合わせた。

 

 四人を乗せた車は、帰り道を走っていた。

「あの鳥の土器ば見て思いだすたが、蕪島でウミネコの研究をしてたっけなあ」

「戦中?」

「ああ、昭和十九年十月。忘れもしない、蕪島から南西へおよそ三十キロに渡って、要塞を作るという作戦が始まってな」

「アメリカの本土上陸に備えるためだね」

「うんだ」

「八戸要塞だ、前に聞いたことあるね。おじいちゃんは、その要塞作りの指揮官だったんだよ」

「すんげえ、おじいちゃん、隊長だったの!?」

「隊長というか、現場監督みたいなもんだべ。結局、その年、敗戦となるわげだから、要塞計画も途中で頓挫したがな」

「海猫の研究というのは?」

「おらんどは、もっぱらコンクリート流し込んだりっていう土木作業だから、よくわがらねえんだな。とにがく、蕪島には洞くつがあったが、そごを研究所として何人もの博士がいろいろやってだ。八戸出身の糠塚って博士がウミネコの研究してだな」

「軍事研究でウミネコ? 食料にしようとしてたんじゃないの?」

「まさがぁ。いくら食料不足の時代でも、それは聞いだごどねえなあ。何さ、使うんだったのがな。あんまり昔のこどだへんで詳しいこと忘れでしまっだ」


 昭和十九年十月、日本陸軍は米軍の本土上陸が予想された八戸市に要塞を築城することを決定した。八戸市是川地区から島守地区に広がる約千四百ヘクタールの山中に、地下道を備えた野戦陣地を作る計画だった。築城には北関東の旧制中学生や女学生ら、のべ約九十八万人、馬車四万三千台が動員された。

 この大掛かりな築城計画は、また県内に食糧難も招いた。労働力の中には多くの農家の人々が駆り出されて、米の生産量がグンと減ってしまったからであった。

 昭和二〇年三月、たった半年で要塞は完成。いかにも急ごしらえの要塞だったが大砲や機関銃も備え付けられ、それらは高舘地区、白銀地区などすべて海側に向けられ、米軍の襲来に備えた。しかし、日本軍は失速、要塞は一度もその能力を試されることなく敗戦を迎えたのだった。

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