参 太陽ってひとりぼっちジャナイデスカ

 智也の通う十間橋第二小学校へは、智也の足で約十五分の道のりだ。新あずま通りを北に向うと十間橋通りとぶつかる。小学校はその交差点から東一分のところにあった。

 小学生の群れが校門へ向っている。智也もその群れの中に入った。

「おい、智也!」

 智也を呼ぶ声に振り向くと、クラスメートの田口翔平が太った身体を揺らしながら近付いてきた。

「翔平くん、お早う」

「智也、クリアした?」

「何を?」

「スペース・キッズ・ウォーズだよ」

 ポケットからゲーム機を取り出す翔平。

「全然まだだよ。第二ステージも終わってないんだ」

「トロいなあ、ったくよう」

「家ではゲームは1時間だけって決まってるんだ」

「電車で出かけるときとかできるだろ」

「お父さんが電車の中ではやるなって」

「けっ、ダッセーの。智也の父さんいくつだっけ?」

「え、またあ…。ご…じゅう…五十七だよ」

「げっ、五十七! 歳食ってんなあ。だから、ゲームが理解できねえんだな。それより智也、来月、運動会あるんだぞ、大丈夫か?」

「大丈夫って?」

「運動会は父兄参加の競技あるんだぜ。お前んちのじいさん、走れるかなあ、と思ってよ」

「父さんは…じいさんじゃ…ないよ」

 怒りが込み上げたが、智也は大声を上げることができない。

「翔平、もうさっさと消えて! じゃないとゲーム、学校に持って来てること先生にチクっちゃうよ!」

 智也と翔平の間に割って入ってきたのは千原瑠璃香だ。やはり智也の同級生で、押上駅近くで有名な煎餅屋の娘だった。

「げげっ、おっかない瑠璃香だ。じゃあなあ、お先!」

 翔平は智也と瑠璃香を残し、駆け足で校門を抜けて行った。

「瑠璃香ちゃん、お早う…」

「ったく翔平のやつ…。ごめんね智也くん。あたし翔平は昔から知ってるけど、最近ますますひねくれたね。智也くん、ごめんね」

「瑠璃香ちゃんが謝ることないよ」

「いいえ。せっかく、こんな下町にやってきてくれたお友だちに対して、こんな対応ではまずいと思うのよ。下町生まれの人間はもっと優しく寛容でなければならない。これは、先祖代々、我が家に伝わる家訓なの」

 瑠璃香のあまりに大人びた言葉に、智也はすっかり呆れ気味だ。

「行こう、遅刻しちゃうよ」

 二人が歩き出すと、「トゥルルル」という呼び出し音がした。瑠璃香は上着のポケットから真っ赤なケータイを取り出し「メールだ」とつぶやき、液晶画面をチラリと見、素早く文字キーを打ち、返信した。

「学校にケータイ持って来てること内緒だよ」

 にこりと笑いながら智也にそう言うと、瑠璃香は顔にかかった長い髪をさっとかきあげた。


 穴見は蔵前で都営大江戸線に乗り換えた。穴見は先頭だったが、後ろから続く男女が穴見を押し退け、開いていた優先席にドカドカと腰かけた。穴見はその後に、押されるように優先席の前に立つことになった。

穴見は優先席の前に立つのが嫌いだった。優先席に座っている若者たちを見ることが大嫌いだったからだ。今日も、目の前に座っているのは、さっき穴見を押し退けた、どう見ても老人ではなく、ハンディキャップもありそうにない男女三人だった。

 しかも、右端のスーツ姿の三〇代男性は膝の上にパソコンを広げ、パチパチパチとせわしなくキーボードを叩いている。真ん中の女は茶髪で、てっぺんの髪の毛を鬼の角のようにとんがらせている。目をつぶり、アイポッドで音楽を聞いている。シャカシャカシャカという音がヘッドフォンから漏れている。そして左端は金髪の女子高生。大きな鏡を堂々と広げ、これ見よがしに化粧をしている。

「このアホども」

 こんな光景に出くわすと、穴見はいつも心の中でこう叫んでいた。

 新御徒町駅で地下鉄が停まり、ドアが開き、何人かが降り、何人かが乗り込んできた。その中に杖をついた老人がいた。趣味のいいブレザーに白いコットンパンツ。かぶったソフト帽がなかなか似合っている。その老人が穴見の隣に立った。それをきっかけにしたように、パソコン野郎がスマホを取り出し、何だか分からないがゴチャゴチャしたゲームを始める。ヘッドフォン女も携帯電話を取り出し、画面を見つめた。化粧が終わった金髪女子高生も、ピンクの携帯電話を出し、メールを打ち始める。もの凄いスピードだ。何通も何通も出すが、その倍以上にその返事が返ってくる。しかも、その度に「ピロロン、ピロロン」という耳障りな電子音を立てるのだ。さらにその間に、派手な音楽の呼びだし音が鳴った。

「もっっすぃ。今、電車の中。ったく、話はメールにしてって言ってるじゃん。ええ~、放課後ォ? カラオケ? 金ねーよ。え、出してくれんの、ラッキー。四時半、センター街でね。ええ、マジイ?…」

 大声でおしゃべりをやめない金髪女子高生を睨み付ける穴見の握った右こぶしが怒りでプルプル震えている。だが、女子高生は気が付かないのか無視しているのか、一向にやめる気配がない。

「ガタン」

 電車が大きく揺れ、ソフト帽の老人がよろめき、とっさに穴見が老人を支えた。

「大丈夫ですか!」

「いや、申し訳ない。情けない、足が弱っておりましてな」

 その会話にも、まったく動こうとしない三人。穴見はついに切れた。

「どなたか、この方に席を譲ってくれませんかね」

 穴見は押し殺した声で三人に話しかけた。

 三人は、一瞬一様にギクリとしたようだったが、三人とも構わず視線を落としたままだ。

「いや、それには及びません。座らなくても結構ですから」

 老人は穴見に懇願するような表情をした。

「申し訳ない。こんな若者をほったらかしにし、甘やかしてきた私たち大人に責任があります」

 穴見は、パソコン野郎の足を自分の足で軽くこずいた。

「何するんですか?」

 パソコン野郎はメガネの奥の細い目を一層細くして、穴見を睨んだ。

「足が悪くもないようだな。席を譲ってはもらえないかな」

「み、見た目で何が分かる。ぼ、僕はこう見えて、体力がないんだ」

「そうか、虚弱体質くん、せめて、優先席ではケータイの電源を切ってくれないか。後のお二人も」

「これはケータイではなく、アイフォン、スマートフォンです」

 男はそう言いながらも仕方なく電源をオフにする。

 女子高生は「ちっ」と舌打ちをして携帯電話の電源を切る。だが、ヘッドフォン女は知らんぷりで、相変わらず音楽に聞き入っている。穴見は、女の右のヘッドフォンをグイと抜いた。

「何すんのよ!」

 女の眉が浄瑠璃人形の仕掛けのように釣り上がった。

「安物のヘッドフォンから音が漏れてるよ。おじさんたちには、流行りの音楽は騒音にしか聞こえないんだ。ここは優先席、せめて静かにしてくれよ。そして、金髪のおねえちゃん…」

 穴見がしゃべり出そうとすると、女子高生は立ち上がった。

「痴漢、このオヤジ、痴漢ですよ!」

「僕が、この体勢でどうやって君を触れるんだ!」

「足をあたしの股の間に入れてきたでしょ!」

 一瞬、車内がざわめく。

「お嬢さん、この方が痴漢でないことは、私が証人になるよ」

 助け舟を出したのは老人だった。女子高生の顔がどんどん紅潮していく。

「優先席に人を押し退け、我先に座るなんて、若者として恥と思わないのか! しかもその上、テレビに化粧にうるさい音楽、ここはお前らの茶の間じゃないんだ!」

 と、穴見が啖呵を切ったその瞬間、音楽が鳴った。イタリア映画「太陽はひとりぼっち」のテーマ曲でにぎやかなツイストのリズムを刻んでいる。音は穴見の胸から聞こえているのだ。

「あわわ!」

 穴見は慌てて上着のポケットから携帯電話を取り出し、その音を止めようと必死にボタンを操作する。だが、音は逆に大きくなり、「黙れ!」と携帯電話に向って怒鳴った。三人は穴見をバカにした表情を浮かべ、女子高生がさらにバカにした顔で言った。

「マナーモードにしてねえ奴が、エラっそうなこと言うんじゃねえよ!」

「このマナーモードはうっかりミスだ。君らのマナー違反とは違う! まったく、君たちはどんな教育を受けてきた、親の顔が見てみたい!」

 穴見の剣幕にたじたじになってきた三人を救ったのは電車だった。本郷三丁目駅でドアが開くと、パソコン、ヘッドフォン、金髪の三人が脱兎のごとくホームに飛び出して行った。

「痴漢、痴漢て言う前にケツが見えるほどのスカート履いてくるな!」

 穴見は、逃げていく女子高生の背中に向って叫んだ。その後、乗客らの方に向き直り、頭を下げた。

「お騒がせして申しわけありませんでした!」

 それに応えるように数人がそっと拍手をしたが、多くの乗客は冷ややかな表情や無関心を装っている。老人がそっと穴見の労を称えるように、肩を軽く叩いた。

 しかし、空席となった優先席には、乗り込んできた若いサラリーマンたちが、穴見と老人を押し退け、ドカドカと無遠慮に座った。


 飯田橋駅のホームに穴見と老人が降り立っていた。

「あの三人と一緒に恥をかかせてしまいました。本当に申しわけありません」

 深々と、穴見は、また老人に頭を下げた。

「いやいや、とんでもない。あなたは近ごろ、稀に見る好青年」

「それが五十七歳なんです」

「ははは。八十五の私に比べれば、あなたは青年です。こんな乱れた世の中に、あなたのような青年を発見したことは、本当にうれしい。失礼だが、お名刺をいただけますかな」

「はい、喜んで」

 穴見が懐から名刺を出すと、老人も名刺を出し、お互い交換した。

「穴見昭一さん、レインボウレコードにお勤めでしたか」

「それでは、私急ぎますので、これで」

 穴見は、老人の名刺をろくに見もせずに懐にしまい、会釈をすると有楽町線のホームへ急いだ。

「おじさん、昭一おじさん!」

 穴見を後ろから呼び止めたのは細いジーパンを履いたボサボサ頭の男だ。

「あれ、裕史くん」

 ジーパン男は穴見の甥の出島裕史だった。

「さっきの全部見てましたよ。カッコよかったあ。おじさん、見直しちゃいましたよ」

「君も大江戸線乗ってたの。恥ずかしいよ。おとなげなくて」

「何をおっしゃいますか! あれこそ日本人の大人が忘れていた行動です。おかげで、企画を思い付きましたよ。ありがとう、おじさん。これはきっとヒットしますよ。期待しててくださいね。じゃあ!」

 裕史はやって来た電車に飛び乗り、穴見も反対側に来た電車に乗りこんだ。

「さっきの電車のドタバタをテレビに?」

 出島裕史は三十歳。穴見の姉・徳子の息子である。関東第一テレビ局勤務で最近、ディレクターに昇進したばかりだった。


 穴見は江戸川橋駅を降り、長い地下通路を急ぎ足で歩いた。今日は、午前中に会議がある日だった。遅れるわけにはいかなかった。歩きながら、さっき電車の中で鳴った携帯電話のことを思い出した。

「あんなタイミングで、かけてくる奴は誰だよ」

 携帯電話を取り出し、着信履歴を確認する。履歴には「穴見源太郎」とあった。

「親父かよ…」

 地上に出ると、穴見は携帯電話をコールバックした。

「源太郎さん? さっき電話しただろ、珍しいね、自分からかけてくるなんて」

 穴見の父・源太郎の張りのある大きな声が穴見の携帯電話のスピーカーから聴こえた。

「ははは、昭一、なして電話出ながった? さっきの時間だば、まんだ通勤時間じゃながったべ?」

 大きな声に、思わず携帯電話を耳から離した。

「ふだって、今日は早朝会議だ。さっきは電車に乗ってたんだ。電車で呼び出し音が鳴って大変だった。なんが、急用だったが?」

 源太郎の訛りに釣られ、穴見も訛りが出てしまった。

「なんだ、そういうときはマナーモードにしろって教(おせ)でけだのは、昭一だったべ。あいかわらンず、機械に弱えーなあ」

 やりこめられ、穴見は頭をかく。

「ンにゃあ、急用ってほどでも。そのな、ケータイを新すぐしたんだよ、ははは」

「機種交換したってが? オレが買ったやづどうした?」

「違(つが)う。あのお前からもらったやづは、ホレ、シルバー世代向けで、まあそれなりに使いやすかっだんども、ホレ、あのメールってやづができねえべ? だがら…」

「メールができる機種買っだっでが?! はあ、そりゃあ、お若いごって」

「今まんだ練習中だがら、マスターすたら、先んず、お前さメールするがらな」

「源太郎さん、オレはそんなもん苦手なんだよ。知ってるくせに」

「ほうだっけか? いやあ若ゲェのにメールもやらねえで、もってえねえなあ」

 穴見の会社、レインボウレコードは駅から五分、もう目の前だった。

「穴見室長、おはようございます」

 穴見の後ろから声をかけたのは穴見の部下、上村響子だった。

「もう会社に着いだがら、メール待ってるよ」

 携帯電話をそそくさとしまうと、上村に微笑んだ。

「おはよう。八時台の出勤、慣れてないから、辛いね」

「故郷(おくに)の青森、津軽弁、いいですよね、あったかくて大好き」

「何度も言うけどなあ、津軽弁じゃなくて、南部弁」

「あっ、すみません! 課長のご出身は南部地方なので、津軽弁ではなかったですね。青森県出身だからといって、全員が津軽弁ではないって、何度も言われてたのに…」

「ま、いいけどな。十人中九人が、青森ご出身ですか、いやあ、津軽は良いところですよねえって。青森=津軽じゃないっての!」

 くすりと笑う上村に、穴見は照れて頭をかいた。

「また、この話でむきになったな」

「はい、そこが故郷思いの課長らしいです」

「たは、やっぱりそうか?!」

 二人は笑いながら、会社の中へ入って行く。その上空では例の黒雲 がますます渦を複雑にこねらせていた。


 穴見の会社、レインボウレコードは創業昭和七年、業界四番手の老舗である。実は大手出版の大文字館の子会社だ。だから、戦前戦後と大文字館が出す絵本と連動した童謡レコードを多くリリースした。また、その流れから戦後はテレビアニメのテーマ音楽も多く手がけている。また、歌謡曲の分野でも多くの人気歌手を輩出し、洋楽部門でも、フランス、イタリアなどヨーロッパレーベルが強く、特に一九六〇年代にミリオンヒットが連続した。

 しかし、一九八〇年代半ばころより、日本の音楽シーンの変化などに立ち遅れ、新しいスターを作り出せずヒット曲が激減。また、多くの海外レーベルも手放すこととなり、今は「既に倒産しているレコード会社だが、親会社で持っている」と業界内で揶揄されるまでに業績は落ち込んでいた。

 会議室に第三企画部の五人が集まっていた。穴見、上村、そして茶髪で細身のスーツを着た菊池大輔、そして企画部長の師岡正、企画部課長の沢島修二が円卓を囲んでいる。

「次に穴見室長から出されている、『昭和歌謡のシングルレコード復刻案』ですが…みなさんの元にレジュメが、あらら、いつものように穴見室長の手書きですが、これまた手作り感たっぷりで暖かいですな。字が汚いのが難点ですが」

 師岡が穴見の作った手書きレジュメの説明を始めると、上村がクスリと笑った。

 それを受けて穴見は慌てて、バッグからアナログレコードを数枚取り出し、テーブルの上に並べ出した。その様子を一瞥した菊池は明らかに軽蔑の表情を浮かべ、レジュメを机に乱暴に置き、かけていた黒縁メガネをクイと右の人さし指で持ち上げ話し出した。

「最初から僕、この企画、反対してるじゃないですかあ。もうアナログレコードの復刻からは撤退したらどうでしょうか。たしかに、一時期はアナログ、カッコイイって風潮ありましたよ。でも、そんなちっちゃなブームって今はもう頭打ちじゃないですかあ。そんな状態なのに過去の遺物的歌を復刻なんて。売れますかねえ。大体がダウンロードの時代に、レコードって、邪魔じゃないですかあ」

「邪魔、ジャナイデスカ…って。君は邪魔かもしれないけど、俺は邪魔だと思ったことはない。自分の価値観がすべての人間に当てはまるような表現はいかがなものかな」

 穴見が菊池を睨むと、菊池も穴見を睨み返す。

「それでは言い直します。私は邪魔だと思います。いや、私は単に、今どき、アナログレコードなんか売れるんでしょうか、と発言しているんです」

「う、売れると思うよ。団塊世代はこだわりの世代だよ。懐かしの曲をCDじゃなく、オリジナルのレコード盤で聴きたいって人たちは、いるんだから。そうそう、レコード盤もそうだけど、このジャケットがいいんだなあ。君たち、若い人たちだって、分かるだろ? CDジャケットより大きい方がインパクトあるってこと。音楽にスターのブロマイドが付いてきたって感じ。こりゃあ、PCでダウンロードして音楽だけを聴くのとは大いに違う楽しみがあるわけだ」

 力説する穴見をさらに小馬鹿にしたような目で見つめる菊池がまたメガネをずり上げた。

「このシングル盤を週二枚リリースするわけですね。つまり、分冊百科的な売り方になるわけですか」

 師岡がシングル盤を手にして、穴見に言った。

「そうです、それも誰でもが知っているありきたりなヒットは控え目に、どちらかというとスマッシュヒット的な佳曲、売れなかったが名曲…などの独自のユニークな選曲でこれまでにないコンピレーションにします。ですから、レインボウの音源のみならず他社音源もできるだけピックアップします。こうして一年で一〇〇枚。希少盤懐かしの昭和歌謡の大コレクションが完成するわけです!」

「でも、今どき、一般家庭にレコードプレーヤーってないじゃないですかあ」

 菊池のまたまた「ジャナイデスカ」発言に、穴見は「てめえ、また」と言いかけたが、グッと我慢して話しを続けた。

「そう、いや菊池はイイこと言った。そこで、当企画では、一年間の予約をした客には、このポータブルレコードプレーヤーを漏れなく進呈するというわけです!」

 穴見がテーブルに出したのは、レモンイエローのレトロな小型レコードプレーヤーで、複数枚のレコードを自動演奏できるタイプだった。

「へえ。6枚のレコードがオートで演奏できるタイプですか」

 沢島課長が身を乗り出し、プレーヤーを覗き込む。

「キュートですよね。これなら、何も団塊世代だけでなく、女の子も欲しがるかも知れません」

 上村も立ち上がって、プレーヤーを触り出した。

「トロイ・ドナヒューの映画とかでこんなプレーヤー出てこなかったっけ?」

「えっと『二十歳の火遊び』、いや『避暑地の出来事』だっけ?」

師岡も興味深げに、老眼鏡をはずし、プレーヤーの間近まで顔を近付ける。

「でしょ、でしょ、でしょ!? このプレーヤーは電池でも動きますから、外でもオッケー。ガーデンパーティでも、海岸でも聴けるわけです」

「あれだ『太陽の下の十八才』だ!」

「そうですよ、浜辺で太陽を浴びながら『サンライト・ツイスト』が踊れちゃうわけですよ!」

 穴見はシングル盤をセットし、プレイボタンを押した。

「歌はジャンニ・モランディだっけ? 主演はカトリーヌ・スパーク! 懐かしいねえ」

 師岡がツイストの真似を始めた。

「スパークするサンライト・ティーン!」

 沢島もツイストに加わり叫ぶ。

 呆れて傍観していた菊池は、顔をしかめ、やおら立ち上がり、プレーヤーを覗き込む。

「盛り上がり中に悪いですが、回転スピードおかしいですよ」

 そう言うと、スピードの微調整ダイヤルを回し、ムッとしたまま席に戻った。

「へえ、菊池くん、君、耳がいいんだね」

「復刻シングル盤には日本語盤の『太陽の下の十八才』も入るのかね」

 木の実ナナのシングル盤を手に踊っていた師岡が穴見に言った。

「ええ、もちろん。この復刻アナログは、歌謡ポップスのマニアックなものも多く入っています。団塊の世代は洋楽ファンが多く、演歌は好みませんから」

「なるほど。そういえば、このプレーヤーにしても、従来あった、レトロ蓄音機とは一線を画していますね」

 沢島が踊りをやめ、席に着き、言った。上村も、それに続いて言う。

「そうですね。今まで、私、こうしたプレーヤーには、どうしても、年寄り臭いというイメージがあったんですが、これなら全然オッケーですね」

 我が意を得たりという顔で穴見は、全員を見回しながら言った。

「その通り。団塊の世代はジイサン趣味には決してならないんですね。おい菊池、お前、反対なんだから、もっと意見を出せ」

 菊池は顔を上げると、早口でしゃべり出した。

「一年でやっとシングル盤一〇〇枚。一枚二曲でたった二〇〇曲じゃないですか。こういうマニアックな購買層って、もっと曲がいっぱい欲しいじゃないですか。たとえば、三〇〇以上、曲、五〇〇曲とか」

「それは分かるが、それではレコード枚数が増えて、予算が合わん」

「だから、アナログ盤はダメだって言うんです。今や、アイポッドで1万曲を持ち歩くのって可能じゃないですかあ。そんな時代に、今さら蓄音機でアナログ…そりゃあそんな酔狂な人もいるでしょうが。団塊世代だってアイポッド人気じゃないですか。普通にCD発売、もしくはデータ配信で事足りませんかね」

 穴見がムッとして立ち上がった。

「だが、それではジャケットはどうする」

「アイポッドって、画像も見られるじゃないですか。曲がかかったら、そのジャケット画像が画面に出るようにします」

「それは、いいねえ。ジャケットの刷り代もバカにならないし、やはり、アナログ盤はもうダメかなあ」

 師岡が手にしていたシングル盤をテーブルに戻しながら言った。それに対抗するように穴見がそのシングル盤を取って話し出した。

「この味わいのあるジャケットを電子画像で見るなんてあまりに味気ない。我々は人間なんだから、こう触って、いろいろ感じたいでしょ!?」

 穴見の熱弁を遮るように菊池が話し出す。

「肝心なのって音ジャナイデスカ。我々の仕事って音を売ることジャナイデスカ。だったら、ジャケットとか、余計なことより、音を客にどう届けるか考えましょうよ。アナログの音は癒されるとかなんとか言うけど、結局CDより音、悪いジャナイデスカ。今はデジタルの時代なんだから、いい加減で、“アナログ良かった幻想”から脱却しませんかね」

 穴見が突然、両手でバタンとテーブルを叩いた。

「いい加減にしろ菊池。われわれは音を売る会社だと。なーことは分かってらい。でもなあ、菊池、我々は音だけでなく、夢も売らなきゃねえんだよ。ユメ! そのためにこうやって工夫をしているんだ。それによ菊池、ジャナイデスカ、ジャナイデスカ、ジャナイデスカって耳障りなんだよ。一見、優しい言い回しで、相手に自分の価値感を押し付けやがって、俺はその“ジャナイデスカしゃべり”をする奴ぁ、デーッ嫌いなんだ。以後、ウチの部署ではジャナイデスカは禁止だ!」

 穴見の激しい口調に菊池は顔を歪めた。そんな菊池に助け舟を出したのは師岡だ。

「まあまあ、その辺で。大声出すと、腹減るジャナイデスカ。あははは、こりゃ失礼。お昼です。結論は午後にしましょうか」

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