エピローグ(2)


 ルーツの活動拠点である喫茶店で、ぼくは彼女と再会した。

 でも言葉を交わすのは、その日が初めてだった。

「私の名前は、錺葉子です」

「…………」

 一見すると少女の姿をしていて、老化現象が止まって大分若返ってはいるけれども……それでも躰の衰えは隠せないのか、その声はか細く響いた。

 これから無才能者として、超過能力に健康を奪われた身体で彼女は生きてゆく。

 結局、ぼくは道継の忠告していた事態に陥っていたのだ。

 せっかく躰を蝕んでいた超過能力が無くなったというのに、帰ってきたばかりの世界は残酷で、彼女の未来を容赦なく奪っていた――ように、ぼくは思っていた。

 が、しかし。

「ありがとう」

「……え」

「弟の尋之から事情は一通り聞いています。私の命を助けてくれて、ありがとう。そして、申し訳ありませんでした。私たちのせいで、貴方の母を……」

「…………っ」

「立花さん?」

「いいんだ。謝らなくて、いいんだよ」

 言葉が喉につっかえて、上手く出せない。

 母を喪ったばかりのぼくに、たとえ無才能者になったとしても、自分は救われたのだと感謝の言葉を述べてくれたのだから。

「葉子さん。今の貴女は肉体的にハンデを背負った無才能者です。それでも生きててよかったですか?」

「……はい。あのまま弟の顔を見ることなく、たったひとりで死ぬよりも」

「――――ぁ」

 ルーツの皆を前に、ぼくは堪えきれず涙を零して嗚咽する。

 以前、ぼくは超過能力者を無才能者に戻すことの正当性を、道継に答えられなかった。だけれど今、ようやく自分が本当に間違っていなかったと確信できたのだ。


         *


「君の望んでいる未来で、子どもたちは〝将来の夢〟を語るかな?」

「…………」

 そう、ぼくは彼に尋ねた。

 現在、TMIに支配された子供たちは〝将来の夢〟を語らなくなってしまっている。

 ぼくらが研究所にいた頃は、たくさんの夢を語る子どもたちがいたというのに。

 ――与えられた才能に支配された現代の世界は、かよわく幼い夢を完全に否定してしまっているから。

「どうなのかな、道継?」

「…………」  

 道継から、その答えは返ってこなかった。

 あの無才能者サークル〝ルーツ〟は、世界から己の存在を否定されようが、彼ら彼女らが互いに自身の価値を認め合い、いつかは自分の納得できる生き方に辿り着ける道を模索していた。

 そこには以前、ぼくが道継に答えられなかった〝超過能力以外の可能性〟があった。


 ――将来の夢という、彼らが掲げた目標があった。


「ぼくにはあるんだ、新しい将来の夢が。つい最近になって決まったんだけどさ」

 ルーツに所属し、彼らの元で超過能力者になりうる無才能者たちを保護してゆく。

 超過能力に苦しんだり、それを持て余して問題を引き起こしている子どもたちが、この街にはたくさんいる。そういった超過能力者も、ぼくの手にしたデバイスで解決したい。

 現在の世界が無才能者が拒むというのなら、ルーツで無才能者が必要とされる新たな世界、生き方を作ればいい。これからのぼくは、それを実現するために生きてゆく。

 ……それがぼくの、将来の夢だ。

 他人の受け売りと言われても構わない。

 でも、ぼくは無才能者サークル〈ルーツ〉の〝答え〟を尊重する。

 だから道継、ぼくは君の理想に賛同できない。

 ぼくが尋ね返した質問に答えられない君に、付いていく訳にはいかない。

「俺の提案(プロポーズ)に対する拒否の返答として受け取るが……母親はいいんだな?」

 指先で摘まみ直した母さんの首輪をぼくに突き出し、まるで人質のようにして彼は訊いてくる。それを横目で見て、胸が痛いほど苦しくなったけど、それでも決意を揺らがせることはなかった。

「……あのとき母さんが、ぼくに見殺しにされて死んだことを嘘にしたくないんだ」

「まるで本当に死んでほしかったかのような口ぶりだな」

「他ならない君が言うのか、それを」

「そうだな。おまえの枷となっていた母親を、俺は殺したくてたまらなかった」

「余計な、お世話だったよ」

「ああ、悪かったな。なら、これはこちらで破棄する」

「――――、わかった」

 喉元まで出かけた制止の言葉を押しとどめて、ぼくは了承する。

 いまさら何をしようが……最後の最期まで、母さんを愛してあげられなかったことは事実だ。やり直すことなんて、もう二度とできない。

 道継は母さんの首輪を、ゆっくりと制服のポケットに仕舞い込む。

 ぼくはしばらく目を瞑って、それが終わるのを待っていた。いま目を開けば、未練がましい視線を送ってしまうに違いないから。

 衣擦れの音が止み、しばらくすると、あの日と同じ質問を彼は問いかけてくる。

「最後に一つだけ訊いておこう。おまえは才能計測を、どう思っている?」

「そもそも才能計測システムは必要なかった。超過能力に苦しむ、ごく僅かな人々だけを判別できる機能だけで十分だったんだ。今のぼくがTMIを消し去りたいのは紛れもなく事実だよ」

「日比野自由――あいつのような造られた天才を否定するのか、おまえは?」

「甘い夢に浸るよりも、ぼくは傷付きながらでも前に進みたい。たとえ力尽きて夢に辿り着くことはなかったとしても、自分のことを誇らしく思えられるのなら、それだけでいいんだ。ただ与えられた綺麗な宝石よりも、本気で掴み取った傷だらけのガラス玉の方が、本当に誇れる宝物だと思えるから。そういう意味では、もう彼女のことを肯定できない」

「そうか。俺には力のない綺麗事としか思えんよ。だが……それでもいい」

 どうやら道継は完全に理解したようだった。

 もう、ぼくらは互いに相容れない。

 好敵手(ライバル)として認め合ってしまったのだと。 

「……俺たち〈オーヴァーズ〉は超過能力に基づく新世界を目指す。いつか才能計測器を才能譲渡器と改め、超過能力者の輪廻転生システム〈人工天国〉を世に放つ。九九%の天才たちを基盤に、一%の超過能力者が君臨する未来を誕生させるためにな」

「なら、ぼくは〈ルーツ〉で超過能力者たちの超過能力を抑制し、無才能者が生き抜ける世界を実現してみせる」

「ああ……それでこそ、おまえは俺の敵に相応しい」

「ずっと仲良くやってきたのに? さっき一緒に来て欲しいってのは嘘だったのかな」

「それと同じくらい喧嘩したくてたまらなかった。おまえしか、俺の理想と戦ってくれないだろう?」

「ぼくもだよ。無才能者の未来を賭けて、君と戦ってやる」


         *


道継たち超過能力者集団〈オーヴァーズ〉が屋上から姿を消したあと、二人の少女が塔屋の陰から、一人残された空の様子を窺っていた。

「どう? 生きててよかったかしら?」

「……そうですね」

「感謝してほしいわ。貴女が道継の大切な〝家族〟じゃなければ、後から貴女の焼死体を回収して〈再生(リジェネレート)〉することなんてしなかったのに」

「勝手に殺さないでください、全身火傷で重傷とはいえ生きていました。でなければ人工天国を経由せず、貴女単体の異能〈再生〉による蘇生は不可能でした」

「はいはい」

 少女のうち一人はエリーゼ、もう一人は――哀神方舟。

「わたしを一人の人間にしてくれたように、きっと空は世界中の超過能力者を救うでしょう。そして無才能者の未来も、新たな仲間たちと共に掴み取ってみせる」

「どうして、あんな奴のことをそこまで思うのよ」

「それは貴女と違って、わたしは空から人間らしくなれるように望まれたから」

「――っ」

「貴女は空に望まれることなく、自分のためとはいえ人を殺し過ぎてしまって殺されたから、何もわからないのかもしれないですね」

「なによ、それ。殺されたいの」

「…………」

 全幅の信頼を寄せいていた哀神方舟に、エリーゼは無性に苛立った。

「でも貴女も、今の彼なら――」

「道継が世界を変えるわ。空なんて欠陥の異能者なんて、もう用済みよ。道継には、私がいればいいのよ」

「そうですか」

「だから貴女は、さっさと私の前から消えなさい」

「……はい。では道継のことを、よろしくお願い致しますね」

「は?」 


         *


 ぼくと道継は、屋上を最期に離別した。

 絶交とか、そういうつもりはないけれど、いつの日かぼくらが互いに衝突し合うのだろうことは明白だった。

 道継たちが屋上からいなくなってから、ぼくは背後の気配に気付いて振り返る。

「そうだ……ぼくは君にも救われたんだ」

「…………」

「思い出したよ、君のこと――方舟さん。そしてなにより無事でよかった」

 ぼくの異能〝能力操作能力〟は天然物で、制御が利かなくて生物を枯れ果てさせたり、腐らせることしかできない欠陥品だ。

 たった一人だけ、はじめて、ぼくの超過能力抑制以外の使い道で『ありがとう』と言ってくれた葉子さんを除いて、ぼくは自分の異能が誰かの為になんてならなかった。

「これ、返すね」

「……ほんと、貴方という人は」

 制服のポケットから取り出して、ぼくが彼女に差し出したのは先日、誤って彼女の胸元から引き千切ってしまったボタン。

 それに手を伸ばした彼女だったけど、途中で止めて腕を引き戻してしまう。

「もう、いいです」

「へ?」

「……貴方の家、散らかっているようですね。だいぶ引き籠っていたようですし」

「あ、うん。まあ……最近は、ちょっと」

「早速ですが上がらせていただきます。そして当分の間、掃除や炊事などでご奉仕させてもらうついでに滞在しますから」

「どういうこと?」

「あの日をもって都城家のメイド……ハウスワーカーを退職したということです。家出と捉えてくださって構いません。結果、現在のわたしは宿無しです。なので――」

姿勢を正した方舟さんは、すっとぼくに顔を近づけて言った。

「……責任を取って欲しい、ということです」

「え、嫌だ。これ返すからメイド服だけ頂戴」

「いいでしょう。しかし、これを脱いでしまっては、わたしに着る物がありません。ですので先に、貴方を裸にひん剥いてやりますから覚悟しなさい」

「ひえっ!」

 まあ、そんな訳で。

「待ちなさい、冗談です。しばらくすれば申請しておいた寮に入れます。泊めて頂きたいのは、その間だけです」

「それは残念。もっとウチで奉仕(サービス)してもいいんだよ、時間無制限で」

「てめぇさっきから言ってること滅茶苦茶じゃねぇか……こほんっ、とにかくです」

「はい、なにかな?」

「わたしも、その、さっき貴方が仰っていた将来の夢に――」

 何もかもを失ったと思っていた。

 でも、それは違った。

 無才能者としてのぼく、異能者としてのぼく、そして誰かの代わりでもないぼくという人間として受け入れてくれる居場所と、彼女がいた。

 ぼくは彼女に手を差し伸べる。

「……ありがとう」

 唐突に、ぼくの口から感謝の言葉が零れる。

 目の前にいた彼女はきょとんとしていたけれど、やがて微笑んでぼくの手を握ってくれた。きっとぼくは彼女だけではなく、すべての無才能者と有才能者、超過能力者に亜人を巻き込み、道継と大喧嘩をしながら世界を変えてゆくだろう。

 つまり――

「よろしく」 

「ええ、こちらこそ」

 これからぼくは、ありったけの青春を謳歌する。

 与えられた才能も、超過能力も、生まれついての立場や人種の区別なんて関係のない、本来あるべき世界を求め続けるのだ。

 ……いつの日か、子ども達が将来の夢を語り合う光景を取り戻すために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空√ ― 99%の天才と1%の超人世界 しーた @negureru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ