エピローグ(1)


 放課後、咲命館高校の屋上に呼び出されたぼくは、一人で佇む彼に声を掛けた。

「やあ」

「…………」

 屋上の柵に寄りかかっていた彼は、ぼくの方に顔を向ける。

 扉から手を離したぼくは、ゆっくりと歩み寄りながら彼に尋ねた。

「なんていうかさ。ここに来る直前までは、君に怒鳴り散らしたり殴りかかるとか、まあ荒っぽいことを考えていて、色々と頭の中が一杯になっていたんだけどさ」

「…………」

「でも道継って、もっと上手くやれたよね。ぼくを引き込むなんてこと、いくらでも手段があった。でもしなかった――あえて美作大地に会わせたよね」

「…………」

「彼からデバイスを貰ったとき、これを渡すだけなら他の誰かでもいいだろうとしか思えなかった。特に、デバイスで超過能力を抑制できるという確証を得るだけなら、尋之君との出会いは最悪だ。彼は一般人で、どうやらエリーゼ達に姉を人質にされていたらしいし。ぼくの中で超過能力者たちへの反感が非常に高まったよ。それにエリーゼの真っ赤なデバイス。あれ、どう考えても大地が造ったものだよね。さらに言えば、ぼくよりも前に、道継を通じてエリーゼに手渡した。窮地に陥ったエリーゼが口走ってくれたよ、道継って。道継が、超過能力者集団のボスだってことは、サキさんの口にした理想のこともあって分かりやすかった。ここまでだと、いったい道継が何を考えているのか訳わからなくて理解に苦労したよ。そこまで、ぼくに嫌われたくて仕方ないのかなって。でも違う。本当は、ぼくを本気にさせたかっただけだ。だから、ぼくに道継は居場所をくれた。〈ルーツ〉っていう、自分とは正反対の思想に位置する組織を用意したんだ」

「……恨んでいないのか。俺は、おまえの母を殺したんだぞ」 

「母さんは事故で死んだ。君にとっては、それでいい」

「違う、違うんだ……!」

「いいんだよ、君のせいじゃない」

 すでに涙の枯れ果てた今の自分は、彼に空虚な微笑みを浮かばせているのだろう。

 ……そもそも最期に見殺したのは、他ならぬぼくだ。

 この期に及んで帰りもしない父親を望んだ母に、否定しようがない絶望と殺意を憶えてしまった。だから見殺してしまった。耐えきれず見限ってしまった。

 そして、きっかけは自分が母親を理由に将来のことから逃げていたから。

 都合のいい免罪符として母を利用してきたから。

 道継は、ぼくと母の間を引き裂いた。

 ぼくが母を言い訳にせず、ぼく自身の未来を決めさせるために。

「ところで君は、誰かな?」

「……え?」

「道継の姿に見える君は、いったい誰なのかな?」

「なんで、わかった?」

「道継なら、ぼくの母親を殺したところで悲しまない。というより死ぬことが折り込んであったと思うけどね。あの事故も、想定していたかは知らないけど……どの道、これから邪魔になる障害を排除しておきたかっただろうし。母さんが、あの日に死ぬことは道継にとって確定していたと思う」

「お、おれは……」


「もう無理をするな、布袋一成(ほていひとなり)」


 突然、背後から声が聞こえた。

 顔だけ振り向くと、屋上の塔屋裏から本物の都城道継が姿を現していて、ぼくの隣で震える〝彼〟を制止した。

「そいつの超過能力は〈擬態〉――対象の〝見たがっている者〟に成り済ます能力だ」

「なるほど。だから、ぼくには彼の姿が君のように見えたんだね、道継。それに兄ということは――」

「……あの時は、弟が」

「下がってくれ。空が話したいのは、この俺だ。自分の擬態姿で分かるだろう」

「でも、おれは」

「いいんだ。むしろ弟の二巧(ふたくみ)を気に懸けてやれ。はじめて間近で他人の死を見たショックで鬱気味になってるんだしさ」

道継の言葉に、彼は一滴の涙を零すと走り去ってゆく。

その後ろ姿は、もう道継と同じものではなく少々華奢で幼さの残るものだった。

「彼ら、もしかして中学生?」

「ああ、一卵性双生児のな。高校生もいるが、過半数が中学生だ。無才能者であることに悩みはじめる年代は、進路を意識する中学二年くらいだからな。このあたりが超過能力を求めやすい」

「……たとえ死んででも?」

「そうだな、まずは誤解を解いておこうか。蘇芳、来てくれ」

「はい、ボス」

 道継が呼んだとき、ぼくの背後にもう一人の気配が現れた。ちらりと首を傾げて後ろを窺うと、エリーゼの〝超過能力覚醒〟を重ね掛けさせられ、暴走した超過能力を撃ち放って事切れたはずの少女が姿を現した。

「言っとくが幽霊の類じゃない。本物の、あの日に超過能力を限界まで行使して死んだ奴だ。エリーゼが言っていたが、こいつが死んで激怒したんだっけ? 空」

「そう、だけど。超過能力で無理やり生き返らせたんじゃないの? 生き返らせるために命を削るなんて、超過能力としては破綻している気がするよ」

「あながち間違ってはいないが、根本は異なる」

 隣まで来て、彼は柵に寄りかかる。

 ぼくが屋上から虹ヶ丘市内を眺める一方で、彼は反対側の校舎の方を見つめていた。彼の見ている先には、きっとたくさんの連れてきた超過能力者たちがいるのだろう。ふたたび後ろに振り向かないかぎり、ぼくには見えない。

 背中合わせの隣同士。

 どちらも物理的には、現実的にはおかしな表現だけれど、でも今のぼくらを言い表すには、その言葉以外にありえなかった。

「……長い話になるが、いいか?」

「別に平気だよ。家に帰ったところで、ぼくを待ってくれている人はいないから」

 関係に支障をきたす大喧嘩は一度もしたこと無い癖に、どこかで友人以外の関係であればと望みかけている二人組。

 それが好き嫌いの問題じゃないから、ここまでちぐはぐに捻じれてしまっている訳で。


 ただ確実に言えるのは――今日、間違いなく、ぼくらの関係は破綻して別物になる。


「空。おまえに一つだけ、美作大地が明かしていないであろう才能開発システム〝ブルーミング〟の真実を教えてやる。TMIは有才能者に人工才能ソフトウェアを与える。だが無才能者は、中枢サーバーのスカイアとは別の場所に登録され、計測時に〝彼らの人格を複製する〟。人工才能ソフトウェアを作るための人格とは別にな。この複製した魂を保管する中枢サーバーを、俺たちは〈人工天国〉と呼んでいる」

「……魂の保存って奴?」

「ああ。もちろん計測当時の人格データだから、リアルタイムで更新しなければ本人とは言い難いだろう。そこで実験としてエリーゼには、おまえの対となるデバイスを美作大地から装着してもらうことにした。見たか? 実物を」

「うん……あの真っ赤な指貫グローブ型デバイス、だよね」

「そうだ。あれはエリーゼが超過能力者に接触することで、才能計測器と同様に中枢サーバー〝人工天国〟へと対象の人格を写し取る。そして、エリーゼが超過能力を暴走させるときは、必ず対象の超過能力者の脳細胞から電気信号を取り出し、それらを元に存命していた頃の記憶と超過能力、最終人格データを生成して〈人工天国〉に転送する」

「……それで?」

「あとは簡単だ。回収した死体を、エリーゼ自身に目醒めさせた〝もう一つの超能力〟――〈再生〉によって元通りに〝直す〟……治療する訳じゃない。正確に言うなら肉躰から採取した細胞片と遺伝子等を元に〈再生〉で培養した〝代替人体(クローン)〟を造るという方が一番近いか。それに保存した人格データをインストールすれば、生まれ変わった超過能力者の出来上がり。すなわち、死んだ超過能力者の蘇生――より正しい言い方だと転生が可能となる訳だ」

 要するに、それって――

「人造人間の製造って奴だよね」

「そうだ。ちなみに、エリーゼと同じ〈再生〉を超過能力者として獲得した者たちは、予備のクローン体製作のため、俺たちから採取した細胞を元に能力開発研究所で働いてもらっている。今回、予備のクローン体があった蘇芳が生き返るまで、死んでから十数分とかかってない」

「不老不死の超人集団っていう感じ?」

「まあな。これで超過能力者は、生命の代償という欠陥を解消できた。それにおまえの母親の人格も過能力者ではないにしろ保存してある。あの首輪型のデバイスは、いわゆるエリーゼと赤のデバイスを合わせた小型版でな……量産前の試作品だったが、不幸中の幸いで、こちらも上手く動作してくれたよ。その意味が、おまえにもわかるだろ?」

 おもむろに道継は制服の内ポケットに手を入れると、そこから鈍い赤色――乾いた血の付いている、母さんに装着させられていたであろう首輪を取り出す。

それを横目で見て、ぼくは思わず身体ごと振り返りそうになったけれど、なんとか堪えて屋上の手すりを掴む。ひやりと手に染みわたる冷やかな金属の感触が、ぼくを落ち着かせてくれた。

 道継は、その輪っかに指を通し、ぷらぷらと揺らしながら掲げている。トラックとの衝突のせいで、ぐにゃりと形が歪んでいることが確認できる。

 ……これは想像、できなかった。

 母が殺される理由は推察できたけれど、一度は失われた命を〝人質〟に取られるというのは――正直、親友であったとしても度し難い人でなしとしか思えない。身体の奥底から叫びたくなるくらい本気で憤らざるを得なかった。

 ぎしり……と人肌の熱を帯びてきた手すりを、渾身の力で握りしめる。

「どうだ? これでおまえも満足だろう?」

「なにが?」

「〝すべての人々が特別で唯一の、素敵な存在になれる理想の世界〟――かつてのおまえが、よく口にしていた将来の夢だ」

「うん、懐かしいね……それで?」


「――おまえが実現できなかったそれを、俺がTMIと人工天国により生み出される〝九九%の天才と一%の超過能力者〟で、ようやく実現してみせたと言っているんだよ」


 いつから彼は、ぼくのことを親友として認めてくれたのだろう。

 たしか最初は、とても意地悪ばかりされた気がする。なんでも「おまえは俺のライバルだ」とか、変な対抗意識を持たれてうんざりしていた記憶があった。

 でも一緒にいるうちに仲良くなっていって、いつの間にか対等な親友という形に落ち着いていた。

 ちらりと横目で、彼の、ぼくではない空を小馬鹿にするように見上げる顔を窺う。

 ……懐かしいな、この得意げな表情。

 今更、こんなにも彼が躍起になって、ぼくに勝ち誇ろうとするなんて子どもじみて仕方がない。でも、これまで全部、このためだったんだなってわかる。彼が全力で超過能力を肯定するのに対して、ぼくは超過能力を抑制するまでに否定する立場に至った。さらに彼は自身の許嫁すらも利用して、ぼくを〈ルーツ〉という無才能者側の組織に回している。

 すべては、道継が仕組んだことなのだ。

 彼が超過能力者によって世界を変えると決意したとき、誰が立ちはだかって欲しいのか言うまでもなく明白だろう。

 たった一人の親友として認めた相手以上に、好敵手として相応しい存在はいない。

 素直に嬉しく思う。

 色々と禍根はあるし、正直、母のことで恨んではいるけれど。

 今日、ぼくは誰かの代わりではなく、ぼく自身を〝ライバル〟として必要としてくれた道継に救われていたことだけは事実だった。

 だから、ぼくは彼の思い通りの存在になってあげようと思う。

 彼は挑発するように、傲岸な笑みを浮かべて言った。

「俺と一緒に来いよ、空。かつてのおまえが求めた世界に、俺が連れて行ってやる。おまえの母親も人工天国で造り直してやるからさ」

「…………」

「俺の未来世界には、おまえが必要なんだ。命を失う必要の無くなった超過能力者たちが暴走して過ちを犯そうとしたとき、超過能力の抑制は必要不可欠なものとなる。おまえという抑止力がいなければ、この世界は超過能力に歪み過ぎてしまう」

「……うん」

「これが超過能力の抑制デバイスを、美作大地に造らせた理由だ。わかるな、空? 超過能力を覚醒させて人工天国を運営するエリーゼと、超過能力者の抑止力となるおまえが世界の均衡を保つことこそが、俺の理想における要諦なのだということが」

「あのさ、道継」

「なんだ?」 

 ――今こそ、あのとき答えられなかった解答を告げる。


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