8章 魔将の倒しかた

「(アレニエさんが、剣帝さまの弟子――……?)」


 十年ほど前、表舞台から唐突に姿を消した剣士『剣帝』。

 彼女、アレニエ・リエスは、その剣士の弟子だと告白したのだ。

 それに驚いたのはもちろんなのだが……同時に、どこか納得もしていた。

 それは、彼女の強さの理由に、あの剣の継承亭に居たことに、納得のいくものだと思ったのだ。


「……貴様が、剣帝の弟子……噂に聞く剣帝の剣筋とは、随分と異なるようだが」

「弟子って言っても、ひたすら死にそうな模擬戦繰り返して、心構えみたいなの教えてもらっただけだからね。戦い方は似てないよ」


 死にそうな模擬戦てなんですか。


「……我にその真偽は分からぬ。だが、貴様の実力は本物だ。剣帝の弟子を名乗るに不足のないほどに。故にあとは……」


 魔族は、言いながら幅広の長剣を右肩の高さで掲げ、腰を落として力を溜めていく。

 彼女もそれに応じ、剣を持った右手を後ろ手に、軽く腰を落とし半身の姿勢を取る。空気が、張り詰めていく。


「……この剣で、真かどうか確かめさせてもらおう!」


 黒鎧が大地を蹴る。重量のある全身鎧を纏っていながら、その動きは素早く、真っ直ぐにアレニエさんに向かっていく。

 そして彼女の眼前で、掲げた長剣を袈裟懸けに振り下ろす。

 太刀筋はいたってシンプルなもの。まるで剣術のお手本のような軌跡を描くその剣は、反面、熟練者なら見切るのもたやすいだろう……振るうのが魔族でさえなければ。

 軌道は同じでも、その威力は人間と大きく違った。

 人間を超えた膂力で振るわれたその斬撃は、想像以上の鋭さで彼女に襲い掛かる。風圧で地面が抉れる。土煙で視界が奪われる。


「(アレニエさんは――!?)」


 視界が遮られたのはわずかのあいだ。

 土煙が晴れて見えたのは、長剣の軌跡の内側に入り攻撃をかわした彼女が、反撃に転じる姿だった。

 黒鎧は剣を振り下ろした姿勢からすぐには戻れない。

 反撃するには絶好の機会、なのだが、相手は全身に鎧を纏っており、生半な攻撃は通りそうにない。にもかかわらず彼女は剣を振りかぶる。

 アレニエさんは軸足を捻り生み出した『気』を、体を連動させて剣を握る腕に伝えていく。そして、

 キイィンっ――

 彼女の一閃は、黒鎧の胴体の側面を――鎧ごと断っていた。


「なにっ……!?」


 魔族は右手だけで薙ぎ払うように剣を振るい、彼女を遠ざける。危なげなくかわした彼女は、距離をとって黒鎧を見据える。


「フ……フハ、ハ、ハ! この鎧を裂くか、ただの剣の一撃で!」

「……思ったより浅いなぁ」

『気』を込めた一撃によって鎧ごと切り裂いたものの、その傷は浅いようだ。

 黒鎧は満足そうに哄笑をあげ、反対にアレニエさんは少しだけ不満げに呟く。寸前でかわされたのかもしれない。

 傷の影響はあまりないらしく、魔族は再びアレニエさんに向かい剣を振るう。

 最初の一撃と同じく、素早く、そして鋭く振るわれる魔族の剣は、並みの人間であれば反応することも難しいだろう。

 魔族の身体能力に加えて技術まで身につけたそれは、人間にとって脅威以外の何物でもない。

 しかしアレニエさんは、その全てをかわし続ける。

 確かに魔将の剣撃は鋭いが、彼女ならその動き始めを見るだけでかわすことができるのだろう。

 そう思いながら見ていると、黒鎧が横薙ぎに振るった剣を後方に飛んでかわしたアレニエさんが、背後の木を蹴り黒鎧に向かって跳躍、黒鎧の右肩部分を切り裂いたところだった。


「ぐっ……! ハ、ハハ、ハ……! 全く以て不可解だ。力で劣る貴様らになぜこんな真似ができるのか。動きを再現するだけでは足りぬのか?」


 再び斬られたにもかかわらず、黒鎧の声は楽し気だ。ダメージはあるはずだが、未知の剣術に触れているという高揚感のほうが勝っているのかもしれない。


「その辺は秘密。……というか、独学でここまで身につけたあなたにもびっくりなんだけど」

「剣帝の弟子に褒められるとは光栄だ。……これまで、貴様意外の人間にはここまで後れを取ることはなかった。認めるのは癪だが、剣のみでは分が悪いらしい……」


 言葉の終わりと共に、辺りに急に風が吹き始める。それは黒鎧を中心に吹いており、徐々に強く、激しくなっていく。

 そうだ、相手はまだ剣を使った戦いしかしていない。しかし魔族が恐れられているのは、その身体能力に加えて強大な魔力を持っていることだ。つまり――


「このままなにもせず、おめおめと帰るわけにはいかぬからな。次は、我が魔力も味わってもらおう」


 つまり、ここからが、魔将『暴風』のイフの本当の姿……

 黒鎧は、その場でゆっくりと剣を頭上に掲げる。

 宣言とは裏腹に剣での勝負を続けるのかと訝ったわたしの目に、黒鎧が掲げた剣に魔力が集まっていく様子がかすかに見えた。

 魔将はその場から動かずに、掲げた剣を――魔力を纏った剣を――振り下ろす。すると――

 ゴオォっ!

 ――轟音を上げて、剣閃の軌跡をなぞるように、『風』がアレニエさんに向けて飛んでいく。


「――っ!」


 アレニエさんは咄嗟に横に跳んでそれをかわす。

 さっきまで彼女がいた場所は、風の刃――というより、まるで獰猛な牙――が地面を抉り、背後の樹々を飲み込み、薙ぎ倒し、ズタズタに引き裂いていた。


「(なんて威力……)」

「さて、これはどう対処する。剣帝の弟子よ」


 魔将は先ほどと同じように剣を振りかぶり、次々に剣を振るう。その一撃一撃ごとに風が放たれ、アレニエさんを喰らおうと迫る。

 アレニエさんは自分を狙う風をかわしつつ、相手との間合いを詰めるべく隙を窺う。全てよけてはいるものの、あの威力を見れば迂闊には近づけないだろう。

 魔族が放つ風は、時に枝葉の天蓋を喰らい、時に大地を抉り、辺りを破壊していく。

 完全に傍観者に徹していた私も、当たらないように気をつけなければならなかった。

 さしものアレニエさんも近づくのは難しいか、と思ったのだが――彼女は直前の風の牙を横に飛んで避けると、その先にあった木の一本を蹴って空中で方向を変えつつ加速する。


「……ぬぅ!?」


 黒鎧はアレニエさんの姿を目で追おうとするが、樹々を、地面を軽快に跳び回る彼女を追いきれない。

 とうとう魔将の背後を取ったアレニエさんは、高く伸びた木の半ばを蹴り、鋭角に向きを変え突撃。黒鎧を斬りつける!


「がっ!?」


 空中を跳び回りながらも『気』を込めていたのか、彼女の剣は再び魔将の鎧を切り裂き、その背に浅くない傷を残す。

 苦悶の声を上げながらも反撃しようとする黒鎧だが、すでにそこにアレニエさんはいなかった。

 彼女はそのまま地面を蹴り跳躍、その先の木で方向転換し、再び黒鎧に追撃を加える。


「ぐあっ! ……さすがだ! だが……!」


 ゴゥっ!

 魔将は剣を両手で頭上に掲げると、自身を中心に風を立ち昇らせる。まるで局地的な竜巻だ。

 しかも自然のものと違い、魔力によって高密度に凝縮されたそれは、周囲のものを巻き込み切り刻んでゆく。


「――ぅわっ……とっ――!」


 さらに追撃しようとしていたアレニエさんは、足場の木に咄嗟に剣を突き立てて慌てて停止。そのまま木の幹に張り付くようにして止まった。

 仮にあのまま竜巻に突撃していれば、彼女は全身を引き裂かれて死んでいたかもしれない。止まってくれてよかった……

 張り付いた状態のままわずかに逡巡する様子を見せたアレニエさんは、幹に刺していた剣を引き抜き、落下する前に木を蹴って跳躍、相手から少し離れた地面に着地する。

 黒鎧はいまだ竜巻に包まれている。

 このままならこちらの攻撃は通りそうにないが、あちらも攻撃できないのではないか。そう考えた直後――竜巻がアレニエさんに向かって前進する。


「(動いた!?)」


 気のせいではない。竜巻は少しづつ、しかし確実に動いている。

 かすかに見える暴風の向こう側で、魔将が歩を進める姿を確認する。それに追随して竜巻も動き、前進するごとに周囲の樹々や地面を削り取ってゆく。

 これでは手の出しようがないどころか、逃げ回るしかできない。

 しかし彼女は、その場から動かなかった。


「(アレニエさん!?)」


 彼女は剣を腰の鞘に戻し、深く息を吐き、また吸い込むと、右腿を振り上げその勢いで反時計回りに回転し始める。

 一回、二回、三回……彼女が回転するあいだにも竜巻は近づいてくる。その距離が残り五、六メートルほどになったあたりで、アレニエさんが動いた。

 回転を軸足のつま先でピタリと止め、そのエネルギーを全身を使って右足に伝え収束させて彼女は蹴り放つ。

 真っ直ぐに突き出された右足からは、黒鎧より小規模だが同じように高密度の竜巻が発生――


「(――って、えぇっ!?)」


 実際にこんなことができる人を初めて目撃した。

 彼女が生みだした竜巻は轟音を上げて目の前の敵に食らいつく。

 縦にそびえ立つ黒鎧の竜巻に、真横に直進するアレニエさんの竜巻が衝突する。

 それは、魔将が作り出した暴風に比べれば儚いものだったが、彼女の竜巻は数瞬のあいだだけ、確かにその暴風を相殺し、風穴を開けた。


「なっ……!」


 黒鎧の驚愕する声が一瞬聞こえた気がした。

 そして、その一瞬で十分だった。――開いた風穴に向かって投げ放たれた短剣が入り込むには。


「ぐあぁぁっ!?」


 黒鎧が、『暴風』のイフが、苦悶の叫びをあげる。

 彼女は先刻の蹴りを放ったあと、即座に短剣を取り出し再回転、全身の力を、気を込めて、右手でそれを投げ放っていた。

 彼女が作った竜巻のトンネルを抜け、開いた風穴に尋常じゃない速度で突き進んだ短剣は、魔将の鎧を貫き、その胴体に深々と突き刺さっていた。

 受けたダメージのためか、魔将が纏っていた風は霧散し、片膝をつく彼だけが残される。


「銀の短剣、か……なかなか、堪えるな……」


 『魔を払う』と言われ、魔物退治に重宝している銀だが、その効果は魔族にも通じるようだ。

 しかも刺さっていたのは、人間で言えば心臓の位置。一般的な魔物なら、いや、例え魔族でも、致命傷のはず、なのだが……

 魔将にとっては、急所に突き立った銀の武器でもその命に至らないのか、ふらつきながらも倒れることなく立ち上がり、わずかに震える腕で短剣を力任せに引き抜く。

 当然、その傷口からは血が噴き出るのだが、それは最初だけだった。不意に出血は止まり、そして傷がふさがってゆく。自身の魔力で再生したのか。

 しかし、このまま消耗させ続ければ、いずれは魔将も倒れるはずだ。


「正直、ここまで圧倒されるとは思わなかったぞ、剣帝の弟子よ……だが、このまま座して滅ぶわけにもいかぬのでな……」

「……まだなにか隠してたの?」

「いや、単純に好かぬだけだ……が、そうも言ってられぬ相手だ、貴様は」

「えぇ……買いかぶりすぎじゃないかな。わたしも結構いっぱいいっぱいなんだけど」

「そう言うな。ここまでやり合ったのだ、最期まで付き合ってもらうぞ」


 黒鎧は言葉を終えると剣を構え、魔力を放出する。

 一瞬だけ、黒鎧を中心に風が吹くが、それはただの風、と言えばいいのか、先刻までのような殺傷力があるものとは違うようだった。

 その風が吹いて、何かが変わったようにも見えない。少なくとも、ここから見た限り……いや、周りの魔力の動きが、なにか……

 そしてもう一つ。今までは自分から積極的に攻撃を仕掛けていた黒鎧が、今回は慎重に間合いを測っている。

 ここまで自分から攻めて反撃を受けていることから、彼女の動きを警戒してのことかもしれない、のだけど……なんだろう、この感じ……

 上手くは言えないが違和感を感じる。違和感……いや、危機感? 焦燥感?

 とにかく嫌な感覚、嫌な予感、としか言えないものが、胸の奥に淀んで消えてくれない……そして――目に、チリチリとしたかすかな感触がある。

 私は一度、目を閉じる。

 目を閉じて、意識を、魔力を、閉じた瞳に集中させ、そして目を開く。

 左目に変化はない。閉じる前と同じ景色が映る。

 けれど右目は違う。その視界は、淡く、青く、色づいていた。

 外から見れば、今の私の右目は青く光り、その光が水のように、あるいは炎のように、不定形に揺らめいて見えるだろう。

 私は、私の予感がただの気のせいであって欲しい、と願いながら、青く染まった視界でアレニエさんと黒い鎧の魔族の戦いを見た。


 *****


 嫌な予感がする。

 見た目には特に変わっていないけど、相手の様子が違う。

 ついさっきまで、こないだ戦ったなんとかくんと似たような感じだったのに、急に落ち着いてこっちの様子を見るようになった。

 いや、様子見だけじゃなく、多分、なにかをしてる。なんとなく、ぞわぞわする。こういう時の勘はよく当たるから気をつけないと。

 とはいえ、ずっとこうしていても埒が明かない。

 注意はしなきゃいけないけど、向こうが動かないならこちらから動くしかない。

 わたしはナイフを左手で二本抜くと、こちらの様子を窺う魔族に二本まとめて投げ放ち、自分もそれを追いかけるように駆け出す。

 狙いは、鎧で保護されていない目の部分と、ついさっき銀の短剣を刺したばかりの心臓。

 今投げたのはただの鉄製のナイフだけど、当たればそれなりにダメージはあるし、防ごうとするなら態勢が崩れるかもしれない。

 特に心臓のほうは、さっきのイメージが残っていれば優先して防ごうとする可能性もある。そう思ったんだけど……

 黒鎧は、目を狙ったものはわずかに頭をずらし、兜の側面に当てて直撃を防ぎ、心臓のほうは剣を盾のように構えて前進しながら弾いてしまう。

 その無駄のない対処に、なんとなく違和感を感じた。動き、というか、狙いを読まれた? 

 相手の態勢は全く崩れてない。ナイフを弾いた黒鎧は悠々と剣を構え、こちらの機先を制して横薙ぎに剣を振るってくる。

 剣での追撃を諦め、わたしは走る勢いを緩めずに咄嗟に跳躍、斬撃を回避。ちょうどいい位置に相手の顔が見えたのでとりあえず反射的に蹴っておく。


「ぬっ!?」


 わたしの足は黒鎧の兜をかすめるものの、寸前で避けられる。

 でも今回は読み切れなかったのか、無理にかわそうとしたせいで相手は態勢を崩してる。

 わたしは着地するとすぐさま再跳躍。目の前の木を蹴り――一度左側に跳んでから、その先の木を経由して黒鎧に向かっていく。多分、上から見たら三角形の軌道に見えると思う。

 変化を入れたのは、さっき一度背後から攻撃してるので同じ軌道は警戒されてる気がして。

 これなら、仮にすぐに振り向いても奇襲になるし、気づかれたとしても簡単には防げないはず――


「(――あれ?)」


 黒鎧は振り返っていない。それどころか、わたしの姿を探す様子もない。ただ静かに剣を構えている。

 怪訝に思ったけど、もう相手に向かって跳んだ後なので突っ込むしかない。

 勢いと体重を乗せて斬りかかろうとしたところで――前触れなしに黒鎧の剣がこちらに突き出されてきた。


「――~~っ!」


 即座に予定変更。突き出された相手の剣に自分の剣を叩きつけ、それを起点に体を捻ることでかろうじて難を逃れることに成功する。


「(……危なかったー――!)」


 けれど安堵するのも束の間。膝立ちで着地したわたしの頭上には、両手で剣を握りしめた魔将の影が覆いかぶさっていた。


「今のをよくかわした……だが、取ったぞ!」


 剣を振り下ろしつつ、勝利を確信し叫ぶ黒鎧。

 まともに正面から受ければ、この剣ごと両断されるかもしれない。わたしは――自身の剣を斜めに傾けつつ、両の手で柄を握り、頭上に掲げる。

 ギャリイィィィっ――!

「――!?」


 鋼が擦れる硬質な音が響き、わたしの剣の上を黒鎧の剣が滑り降りていく。そのまま地面まで到達した剣は、大地を抉り土砂を巻き上げる。

 予想された衝撃がなく、予想外の軌道で剣を地面にめり込ませた黒鎧は、大きく態勢を崩している。

 窮屈な姿勢から地面を蹴ったわたしは、前転するように眼前の相手を斬りつけるが、


「――っ!」


 黒鎧は握っていた剣から片手を離し、体を開いてわたしの攻撃をかわしてから距離を取る。惜しい。急所を斬れそうだったのに。


「……恐ろしい女だな、貴様は」

「お互い様」


 男性は股間が弱点が定番だけど、魔族もそうなのかな。今の反応を見るに。

 お互いに攻め手を欠いたわたしたちは、再び距離を取って睨み合う。

 ……今のはかなりギリギリだった。ちょっと本気で死ぬかと思った。

 わたしの動きに気づいていたらしい黒鎧は、直前まで予備動作を隠して、そしてしっかりと狙いをつけて攻撃してきた。

 さっきナイフを投げたときもそうだけど、こちらの動きを読まれてるような感じがする。

 かと思えば、そのあとの苦し紛れの蹴りは当たりそうだったりとよく分からない。あの時は反射的にかわして咄嗟に蹴っただけなんだけど……


「(――ん?)」


 もしかして……反射的に蹴ったから当たりそうになった?


「……」


 相変わらず兜の奥の表情は読めないけど――反応した気がする。

 わたしは即座にダッシュ。目の前で静かに剣を構える魔族に再び斬りかかっていく。

 当然相手も応戦態勢に入るけど、お互いの間合いに入る前にわたしは、左手で小さい球状のものを相手の顔に向けて投げる。ユティルから買った煙玉だ。


「ちぃっ……!」


 黒鎧はそれを、剣でも鎧でも受けずにやり過ごす。やっぱりだ。相手は、中身がなんなのか分かっている。

 黒鎧が煙幕をよけようとしてできた隙を目掛け、わたしは首を取るために横薙ぎに剣を振るい、相手はそれを防ごうと縦に構えた剣で遮る。

 剣と剣が交差し激突する――その寸前で、わたしは剣を握る手首を外側に寝かせ、相手の剣を受け流しつつ斬ろうとする。

 こないだのなんとかくんにも使った、一応わたしの必殺技、みたいなもの。今まで初見で見切った相手はいないのが密かな自慢。

 その、言わば初見殺しの剣を黒鎧は、自身の剣を引きつつ時計回りに回転し、わたしの剣を押さえつけることで完全に防いで見せた。


「――……」


 わたしたちは、お互いに剣を押さえ合う態勢のまま視線を交わす。


「……まるで、わたしがどう動くのか分かってたみたいだね」

「……まさか、倒しきる前に気づかれるとはな」


 それは、おそらく肯定の言葉なのだろう。

 目の前の魔族は、おそらくわたしの考えを読んでいる。

 わたしがどうやって、何を使って攻撃しようとしてるのか、そういうのを全部読み取っているんだと思う。

 距離を取ってわたしが攻撃するのを待っていたのは、そのほうが思考が読みやすいから。

 時々攻撃が当たりそうだったのは、わたしが反射で――つまりなにも考えずに――動いたから。あと、読めていても動きを修正するのが間に合わなかったから、かな。


「……概ね、貴様の想像通りだ」


 予想は当たっていたみたいだけどあんまり嬉しくない。思考を読むとか反則だと思う。というか、


「最初から使わなかったのはどうして?」


 最初から使われてたら困ってたけど。


「先刻言った通り、好かぬからだ。他者の思考が漏れ聞こえてくるなど、煩わしいだけだからな」

「好き嫌いの問題なの?」

「優先順位の問題だ。我にとって、この力を使うことは敵に敗れた証のようなもの、耐え難い恥辱だ。

 が、魔将の地位を預かる我が、なにも為さずに滅ぶことはそれ以上の罪悪。このままでは、陛下に顔向けができぬからな」


 えーと、つまり。


「誇りとかより、命優先ってことかな」

「そう纏められると心苦しいが」

「わたしは好きだよそういうの。そのほうが分かりやすいしね」

「気が合うな。……だが残念だ。貴様の命はここで終わる」


 黒鎧は手に持つ剣にさらに力を込める。当然そこで劣るわたしは徐々に押されてゆく。


「そう言われて、素直に聞くと思う?」


 このまま押し切られるわけにはいかないし、どこかのタイミングで相手の剣を受け流さなきゃいけないんだけど……


「思わん。だがどうする? 我が力を見破ったことは称賛するが、明確な対処法はないのだろう」


 そうなんだよね。

 わたしの考えを読んでいるなら、どこからどうやって攻撃するかを事前に知られてしまう。どんなに虚を突こうとしても引っかかってくれない。

 それに今のこの状況。

 至近距離のほうが戦いやすいかと、推測を確かめるついでに接近してみたけど、押し合いになったのは失敗だった。

 さっきからタイミングを計ってるけど、こっちが仕掛けようとすると相手もそれに合わせて動いてくるので、なかなか今の状態から抜け出せない。

 かといって距離を空ければ、近づくあいだに考えを読まれる。

 なにか行動しようとするなら、どうしてもある程度「こうしよう」「こうやって動こう」っていう意識が頭に浮かんできてしまう。

 完全に無意識で動くのは難しい。難しいけど……こうなったらやるしかない。

 わたしは一度目を閉じる。そして――静かに目を開ける。



 目を開けると、世界が一変する。意識も感情もそぎ落とし、ただ敵を斬るための世界。静かで、孤独な、わたしだけの世界。

「……む?」

 黒鎧がわずかに困惑する様子が伝わって――わたしはそれを無視して剣を引――

「なにっ?」虚をつかれた相手に後ろ回し蹴――「ぐぁっ!?」足に手ごたえ……足ごたえ?――吹き飛んだ黒鎧を追いかけ――

「はっ!」受け身を取った相手が風の刃を――危な――ギリギリ――余波で傷が――そのまま駆――――どうなってい――……なぜ読めぬ!」

 ――がなにか言――剣を振りかぶっ――かわして懐に潜りこ――剣を――「くっ!」ギィン――!

 ――防がれ――ぐに――反転――跳躍――る――斬る――きる――きるきるきるきるきるきるき――――「――おおぉぉっ!――ゴウっ!


「っ――――……!」

 強烈な風を体に受けて吹き飛ばされ、わたしの意識は引き戻される。

 若干覚束ないながらもなんとか着地したわたしは、とりあえず現状確認。

 左半身にいくらか傷を負ったものの、致命傷は無し。戦うのにそこまで支障はないと思う。

 黒鎧のほうもさっきより傷が増えている。とはいえ向こうも致命傷は無い。

 そして膠着状態は脱したものの、再び距離は開いてしまった。


「……なんだ、今のは」

「……これも、一つの技だよ。まだ未熟なんだけどね」


 雑念を払い、敵の動きに只対処する。言葉にすればそれだけの、けれどとても難しい、一つの技。

 わたしの場合、雑念を払うというより、払った結果本能で動くようになってしまい、いつもより強引に動くようになってしまう。

 思考を読ませないことはある程度成功してたみたいだけど、うっかりと受けた攻撃で正気に返ってしまった。

 未熟な技は怪我の元だけれど、その未熟な技に縋らないと今の状況を変えられそうになかった。


「そんな技もあるとはな……貴様らの剣術は本当に興味深い。だが、そろそろ終わりだ。この距離で貴様に勝機はない」


 ――わかってる。今のままならわたしは負ける。さっきよりはましというだけで、結局あまり好転はしていない。


「……魔将なんて立派な肩書持ってるのに、わたし1人相手に警戒しすぎじゃない?」


 せめてもの抵抗に挑発してみるけど、


「なにを言う。既に我は剣で劣ることを認め、忌み嫌う力まで引き出された。もはや命以外に失うものはない」


 だよね。乗ってこないよね。

 そうじゃなくても考え読まれてるんだから、兆発だってバレバレなわけで。

 でも、それなら、どうする。どうしよう。

 一瞬だけ、左手に意識を向ける。そこだけ色の違う左篭手を。

 この子を、《クルィーク》を起こせば、なんとかなるだろうか? でも……


「……『牙』、だと? まだなにか手があるのか? いや、それよりもなぜ貴様が我らの言語を知っている?」


 ――――だから考え読まれてるんだってばわたし!

 じっとしていても余計に余計なことを考えるだけだ。

 意識を追い出すように息を吐きながら、わたしは目を閉じた――そして、目を開ける。



 再び、世界が変わる。わたしはその世界を真っ直ぐに駆け出――「一度破られた技に縋るか。よほど焦っているようだな」――

 黒鎧が武器を上段に――まだ距離が――振り下ろされた剣から風の――横に跳んで――

 ――確かに――上手く思考が読めぬ。だが」――前進――近づいて――右手の剣を――

 「先刻より、動き自体は読みやす――、剣帝の弟子よ――――

 相手の目の前――足元に違和――――しまっ――風圧――衝撃――――――――いたい――



 ――――――。

 ――浮いている。

 気が付けばわたしは空中に投げ出されていた。さっきと同じように全身に強い風を受けて吹き飛ばされたみたいだ。

 さっきと違うのは、全身に痛みを感じること。それから、後方にではなく上に向かって飛ばされていること。……これは、まずいかも――。


「貴様との戦いは、実に有意義だった」


 下から聞こえてくる男の声。

 この状況では当然一人しか該当しない。今の今まで戦っていた相手、全身に漆黒の鎧を纏った魔族。魔将『暴風』のイフ。


「神剣もなしに我をここまで追い詰めた者など皆無だ。誇るがいい」


 イフは剣先をピタリとわたしに定める。その剣の周囲を風が渦巻きはじめる。

 ――まずい。ほんとにまずい。

 痛いけど、体は動く。

 けれど、態勢を崩されたうえで不安定な空中に浮かんでいるし、手足が届く位置にはなにもない。掴めるものも蹴れるものも。

 道具は?

 ダガーの予備。煙玉。ダメだ。どれを投げても止められる気がしない。そもそも多分当たらない。

 他には? 今の状態で出来ることは? なにか――


「では、さらばだ……剣帝の弟子よ」


 渦を巻いて暴風が襲い来る。

 わたしをすっぽりと覆う程度の小さな竜巻。

 けれどそれは、破壊的な風の牙をこの一点に凝縮させたような、荒れ狂う螺旋の尖塔だった。

 その竜巻の塔が、轟音と共にわたしに向かってくる――


「(あっ――これ、死んだ?)」


 即座に、そう感じた。

 わたしはあれを、避けることも防ぐこともできない。それが、感覚で分かってしまった。

 わたしの危機にクルィークが目覚めようとしているのも感じたが、間に合わない。そして間に合ったとしても、防げない――

 竜巻はゆっくりと迫ってくる。時間の感覚が重くなり、景色も緩慢に流れ、体の感覚も鈍くなっているのに、意識だけは活発に働いている。


「(わたし、ここまでなんだ……)」


 死にたくなんてない。死ぬのは怖い。

 だからこれまで、自分以外の命を奪って生きてきた。

 他の命を食べて飢えをしのいできたし、殺されそうになったときは逆に殺して生き延びてきた。

 ――でも、だからいつか、自分が奪われる側になることも、分かっていた。

 どうやっても逃れられないと悟ったからか。訪れたその時を、わたしは静かに受け入れてしまっていた。


「(ごめんね、かーさん……)」


 わたしに、笑って生きてほしいと言っていたかーさん。

 ごめん。頑張って生きてきたけど、わたしはここまでみたい。


「(ごめんね、とーさん……)」


 死なないように気をつける。出発前、とーさんにそう言って出てきたのに、わたしは結局約束を破ってしまった。

 とーさんが知ったら怒るだろうなぁ……それとも泣くかな? ないか。

 まあ、負けたのが魔将なら、なんとか格好はつくかな。面白い魔族だったし、最期の相手としては悪くない気がする。

 それから――


「(一人にしてごめんね……)」


 真面目で、素直で、他の人ばかり助けようとする神官さん。

 彼女のおかげで、結構楽しい旅になった。できればもっと一緒にいたかったけど、ここで終わりみたいだ。


「(じゃあね、リュ――)」

「――――アレニエさんっっっっ――!!!」


 不意に耳に届く声。


「(リュイスちゃん――?)」


 その声と共に、わたしを引き裂こうと迫る竜巻を遮るように、彼女が法術で生み出した光の盾が現れる。


「なんだと?」


 黒鎧がわずかに驚いた声を上げる。

 ああ――見つかっちゃった。

 せっかく、わたし一人で仕掛けたのに。そのまま隠れてくれていれば、逃げられたかもしれないのに。

 それに、これは彼女の盾で防げるような威力じゃない。一緒に巻き込まれて壊されるだけだ。意味がない。彼女だってそれを分かって……


「(……意味がない?)」


 ――本当に?

 疑問を抱いたわたしの耳に、彼女の短い叫びが聞こえる。


「――跳んでっっっ!!」

「――っ!」


 わたしは反射的に光の盾を蹴って跳躍――どちらかというと落下――する。

 そしてその最中、目覚めかけていたクルィークを抑え込む。彼女の前で起こすわけにはいかない。

 寸前までわたしがいた空間を竜巻が飲み込み、リュイスちゃんの盾を引き裂いていった。あと少しでも遅ければわたしも同じようになっていただろう。

 死に体からからくも逃げ延びたわたしは、不格好ながらもなんとか着地。即座にポーチから取り出した煙玉を地面に投げつけ、すぐさま駆け出す。

 この程度の煙幕、黒鎧が風を起こせばすぐに払われるだろうけど、視線の先には盾を出した姿勢のままの彼女がいる。


「リュイスちゃん!」


 走りながら彼女に呼びかける。


「煙を「守って」!」

「! はい!」


 すぐに理解してくれたらしい彼女が、煙幕を囲うように光の盾を張る。

 煙を吹き飛ばそうとしてか、魔将が風を吹かせる。

 周囲を飲み込むように吹いた風はしかしリュイスちゃんの盾に阻まれ、煙幕はわたしたちの姿を覆い隠してくれる。

 それを確認すると、わたしはリュイスちゃんの手を取ってそのまま森の奥に向かって走り続けた――



「はぁっ……はぁっ……さすがに……ちょっと、きつかったね……」


 ここまでリュイスちゃんの手を引きながら全力疾走してたので、酷使した肺が不満を訴えていた。彼女の方はどうかと視線を向けると、


「ひゅーっ……ひゅーっ……げほっ、げふごほっ……!」


 不満どころか悲鳴を上げていた。無茶させすぎたかな。


「あぁぁ、ごめん、リュイスちゃん。引っ張りすぎた」

「……いえ、大丈夫で……えほっ、ごふっ……!」


 うん。どう見ても大丈夫じゃないね。

 とはいえ、相手もすぐに追ってくる様子はない。呼吸を整える時間くらいは取れそうだ。

 リュイスちゃんが落ち着くまでしばらく待つ。

 彼女の様子をずっと見ててもいいんだけど(可愛いから)、その間にとりあえず現状を考えることにする。

 といっても状況は、なんていうか、どうしようもない。

 相手は風を自在に操り、剣術を使いこなし、こちらの思考まで読んでくる強敵だ。

『気』を扱うことまではできないようだけど、その剣の威力は人間を凌駕する。

 離れていれば風で攻撃され、近づけても考えを読まれて有効打を与えることができない。


「(でもそういえば……)」


 さっき、わたしが死を確信した時。あの時のリュイスちゃんの盾には――ううん、リュイスちゃんの存在自体、気づいてなかったみたいだった。


『(……距離が離れていれば、読めなくなる?)」


 仮にそうだとしても、問題は、どのくらいの距離なら読まれずに済むのか、だ。

 それに、なんの工夫もなしに遠くから攻撃しても、多分当たってくれないだろう。どうしたものかなぁ……

 と、こっちの考えがまとまる前に、リュイスちゃんが落ち着いたみたいだ。


「……すみません……もう、大丈夫、です。今度は、本当に……」


 まだちょっと大丈夫じゃなさそうだけど、大目に見ておく。時間の猶予がどのくらいあるかも分からないし。

 だからとりあえず、言わなきゃいけないことを言っておこう。


「さてリュイスちゃん。今わたしは、助けてくれてありがとうって気持ちと、あんな危ない場面に出てきたのを怒ってる気持ちとが同居してます。だから聞くけど」

「……はい」

「……どうして、出てきたの? リュイスちゃんは見つかってなかったんだから、そのまま逃げても良かったんだよ?」


 自分でそう言いながら、この子はそんなことできなかったんだろう、とも思う。敵だったなんとかくんも助けようとしてた子だし。

 それでも、あえて聞いた。彼女はわたしを心配してくれたのだろうけど、わたしも彼女が心配だった。


「……嫌な、感じがしたんです」

「嫌な感じ?」

「魔将が、胸に刺さった短剣を引き抜いてから、風を吹かせて……あの後から、すごく嫌な感じが消えてくれなくて……」

 それは、わたしもなんとなく感じていた。今思えばあれは、こちらの考えを読む力を使うために、必要ななにかだったんだろう。

「だから、この『目』で見てみたんです。そうしたら、周りの魔力の動きがおかしくて……」


 そういえば、リュイスちゃんの目はそういうのが見えるんだっけ。

 彼女が言うには、普段は辺りにある程度均等に散らばっている魔力が、あの風が吹いてからわたしたちの周りに集中し始めたらしい。


「まるで、周りの魔力が二人を覆うような形になっていて……そうなってから、アレニエさんが苦戦し始めて……」


 魔力で覆われた空間。その大きさは、黒鎧を中心におおよそ半径十メートルほど。戦いの場にしていたあの広場をほぼ覆う広さだったらしい。

 ――もしかして、それが思考を読むために必要なもの?


「……それに、見えたんです……アレニエさんが……貴女が、あの魔将に……」

「……そっか」


 彼女には見えてしまったんだろう。――わたしが死ぬ流れが。

 実際あの時は、自分でも本気で死んだと思った。。

 だから彼女は、危険だと分かっていて飛び込んできてくれたのだ。

 わたしは彼女の頭にぽんと手を乗せる。


「ありがと。リュイスちゃん」


 そのまま、子供をあやすようによしよしと撫でる。


「リュイスちゃんのおかげで助かったし、なんとかなりそうだよ」

「……え、え? なにか、手があるんですか?」

「うん。だからあとは任せて、リュイスちゃんはここから逃げて」

「――え?」


 最初、彼女はなにを言われたのか分からないようだった。


「逃げて。できれば村まで。いい?」

「ど、どうしてですか? 私も一緒に……」


 そう声を上げる彼女の手は、かすかに震えている。それでも彼女は戦いに行こうとしてる。

 それは、任務に対する責任感や、勇者の命を助けるためもあるのだろうが、多分、わたしを想ってのことでもあるんだろう。

 その気持ちはちょっと嬉しいのだけど、できれば、これから先は見せたくない。というか――見せられない。


「えーと、なんていうか、これ以上は危ないから。それに、最初会ったときに言ったでしょ。わたし、護衛苦手なんだ。だから……ね?」


 だからわたしは、なんとか彼女をこの場から離れさせようとする。

 彼女はしばらくわたしの顔を見つめていたが、やがて折れてくれたのか、渋々といった様子で頷く。


「……分かり、ました。……でも、無事に、帰ってきてくださいね。……死んだら、許しませんから」


 なんか静かに怒ってる気がする。でも、思ったより素直に聞いてくれて良かった。これで少しは安心して行ける。


「うん、なるべく頑張る」

「なるべくじゃなくて、絶対ですよ!」


 リュイスちゃんはわたしに念を押してから踵を返し、走っていった。

 これでいい。あとは、あの黒鎧を倒せれば問題ない。


「それじゃ、行こっか」


 わたしは左手の篭手を反対の手で撫でながら、さっきの広場に向かって歩き出した。



 魔将は、広場の中央で地面に突き刺した剣に両手を置き、佇んでいた。もしかして、わたしたちが去ってからずっとそうしていたんだろうか。


「存外、早かったな」


 特に足音も隠していなかったからか、相手はすぐにこちらに気づき向き直る。


「てっきり、追ってくると思ってたけど」


 わたしは目の前の開けた空間の入り口で足を止め、声をかける。この辺りならギリギリ範囲の外のはず。


「そうしても良かったのだがな。貴様が本気で逃げようとしたなら、闇雲に探しても追いつけぬと判断した。それに……貴様は、戻ってくるような気がしていた」

「……あなたを倒すまでが依頼だからね。それに、この子のことまで知られちゃったし」


 わたしは、右手で左手の篭手を押さえながら、五指を開いた左手を前方に突き出す。


「それが、先ほどの『牙』とやらか。ここまで隠していたということか?」

「あなたと理由は違うけど、あなたと同じで使いたくなかっただけだよ。使うと、色々面倒なことになるから」

「そうか……いいだろう。見せてみろ、貴様の奥の手を」


 返答の代わりに、わたしは『詠唱』を開始する


「『――星の欠片を喰らうもの。

    空を引き裂き喰らうもの。

    剣(つるぎ)のごときその咢(あぎと)。

    魔獣の牙が魔を喰らう――』」


 バギンっ――

 左篭手から――篭手だったものから、異音が響く。


「『――黒白(こくびゃく)全て飲み尽くし。

    我が身に変えて進みゆく。

    その血を啜り肉を喰らい。

    叫べ我が牙、我が同胞――』」


 異音は止まず、変化は進む。そして最後に、その名を呼ぶ。


「……起きて、『クルィーク』」



 わたしの声で目を覚ましたクルィークは、メキメキと音を鳴らして形を変え、わたしの左手を飲み込んでいく。

 肘から先を飲まれた左手は一回り以上大きくなり、硬質で禍々しい、鉤爪のような黒い腕に変化する。

 それと共にわたしの左目が赤く輝き、髪も一部赤く染まっていく。

 左耳がわずかに尖り、側頭部からは山羊を思わせる短い角が生えてくる――


「なんだ、その姿は――」


 その姿は、部分的にではあるけれど、まるで――


「貴様、まさか我らの血が――?」

「――半分だけね」


 ――まるで、魔族のように見えるはず。



 わたしは、人間でもなく、魔族でもない、《半魔》、もしくは《人魔》と呼ばれるもの。

 人間には恐れられ忌み嫌われ、魔族には半端者と蔑まれる存在。

 どちらにも受け入れられなかったわたしはどちらに拠ることもできず、どちらになることもないまま生きてきた。

 人間の世界で暮らしているのは、とーさんがわたしを保護してくれたからというだけで、とーさんに会わなければ、今のような生活はしていないと思う。

 リュイスちゃんに見せられないのはこれが理由。

 総本山の神官が、まさか半魔と一緒に過ごしていたなんて、醜聞どころの騒ぎじゃないだろう。

 なにより――彼女が受け入れてくれる保証なんてない。


「……些か驚いたが、なるほど……その篭手は、《魔具》か。魔族の血と魔力を抑えておくための」

「そ。普段は眠りながら、わたしの魔力を食べてくれてる」


 魔具は、魔族が作る道具のこと。稀に生まれる、魔具を作る能力を持った、『職人』と呼ばれる魔族しか作れないらしい。

 今のクルィークは、魔族の魔力を抑えつつも、それをある程度使えるようにした状態。使えるといっても、身体能力が上がるくらいだけど。


「だが……それをどこで手に入れた? 魔具を作ることのできる職人は、今は絶えているはず」

「……」

「……いや、待て……確か、魔族の本能が薄い、変わり者の『職人』がいたな……

 人間と通じていたという理由で始末に向かったと報告を受け、その後、始末に向かった者も職人も消息が途絶えたと……それを、半魔の貴様が持っているということは……」


 察しがいいなぁこの魔族……あと、今聞き捨てならないこと聞いたような。――「報告を受けた」?


「……あなたが命令したの?」

「む? 我が命じたわけではないが……いや、そうか……貴様にしてみれば、仇には相違ないか」


 ……かーさんの命を奪った魔族の……確かに、直接の仇じゃないけど……


「……あなたを殺す理由が、一つ増えたみたい」


 わたしは腰の剣を引き抜く

「悪いが、甘んじて受け入れるわけにはいかぬのでな……貴様の剣で、討ち果たして見せるがいい」


 黒鎧も、地面に刺していた剣を引き抜いて、改めて構える。

 さっきは結局逃げることしかできなかった、魔将との再戦。けれどさっきとは状況が違う。

 わたしは赤く染まった視界で敵を見据える。そこには、先刻までは見えなかった、周囲を漂う淡い光のようなものが映る。これが魔力らしい。

 普段は全く見えないけれど、この姿になると薄っすらと魔力が見えるようになる。多分、リュイスちゃんの眼にはこれらが、もっとはっきりと映っているのだろう。

 彼女が言っていた通り、その魔力が黒鎧の周りに滞留し、薄い幕のようなものを形成している。

 あと数歩も踏み込めばその幕の内側に入り込んでしまい、わたしの思考は事前に相手に伝わってしまうのだろう。その前に。


「そうそう、言い忘れたんだけど」


 わたしは左手を相手に向けながら、言葉を付け足す。


「クルィークが食べるのは、わたしの魔力だけじゃないよ」

「……なに?」


 歩を進め、掲げた左手のひらを眼前の「幕」に触れさせる。すると……

 ズ……

 目の前の、魔力が密集した空間は触れた部分から崩れていき、手のひらに吸い込まれていく。魔力を「喰った」のだ。

 黒鎧は相手の思考を読むために、この魔力でなにかしている。

 多分、自分の支配下に置いた魔力を経由することで、範囲内の敵の思考を読んでいる。

 だからわたしは、自分の周りの魔力を「喰らった」。黒鎧の魔力が触れていなければ、考えを読まれずに済むんじゃないかと推測して。


「貴様……!」


 なにをされているか気づいた黒鎧が、即座に風の刃を撃ち放つ。反応を見るに、推測は当たっていたみたいだ。

 轟音を立てて迫りくる暴風の牙。

 さっきは避けるしかなかったそれを、わたしは……クルィークと一体化した左腕で引き裂き、食い散らした。


「なっ……!」


 続けて、左腕を撫でるように振るうと、わたしの前方に宙に浮かぶ五本の短剣が現れる。

 クルィークが持つ、もう一つの力――『喰らった魔力の操作』。

 本来は媒体――いわば燃料でしかない魔力。その魔力自体を操作することができるのが、クルィークが目覚めている時だけ使えるこの能力。

 目の前で浮かぶ短剣は、それによって生み出した魔力の塊。わたしの意思を受けて、自在に動いてくれる。形が短剣なのは、使い慣れてるから。

 もう一度、今度は払うように左腕を振って、五本の短剣を一斉に相手に撃ち出す。そしてそれを追いかけるようにわたしも駆け出した。

 魔力の短剣は普通のものとは違い、緩やかに孤を描きながら飛来する。

 一斉に敵に到達したそれらは、剣や鎧に阻まれ三本までは叩き落されるも、一本は左肩に、一本は右足に突き刺さる。


「ぐっ……!」


 敵の前に到達したわたしは畳みかけるように一閃。右手の剣で黒鎧を断ち切ろうとしたその斬撃は、相手が引き戻した剣でかろうじて防がれる。鋼のぶつかる音が響く。

 いつもならここですぐに離脱し、別方向から追撃するところ。だけど今は、この左手がある。

 魔力を操作し左手に纏わせ、わたしはその五指を魔将に振るう。

 半分とはいえ、魔族の腕力と魔力を備えた巨大な鉤爪は、剣を弾き、鎧を砕き、敵の胸板を抉る。少し浅いが、肉を裂く手ごたえ。


「がああぁぁぁあ!?」


 胸から血を吹き出し、魔将が苦悶の声を上げる。

 奇襲に成功しここまで接近した今、あとは手数と反応で押し切れるはず。それに、距離を空ければすぐに態勢を立て直されてしまう。ここで一気にとどめを――


「なめるなっ!」


 叫びと共に、魔将の足元から暴風が吹き荒れる。さっきも見た、自身を覆う竜巻だ。寸前で感づいたわたしは、不本意ながら再び距離をとって、改めて剣を構える。

 魔将は肩で息をしながらも、興奮した様子で声を上げる。


「気が早いぞ、剣帝の、弟子よ……ようやく、面白くなってきた、ところだろう……!」

「わたしはそろそろ終わりにしたいんだけど……」


 そう言いつつ、わたしも少し昂っていた。魔族の血が騒いでるみたいだ。


「さあ、続けるぞ……!」


 黒鎧は再び剣を頭上に掲げ、魔力を収束、そして――振り下ろす。

 斬撃の威力を乗せた風の刃は、地を穿ちながらこちらに向かってくる、のだけど……今度のそれは、先刻までに比べれば明らかに小さく、威力も落ちていた。

 ……? もしかして、魔力が無くなってきた?

 怪訝に思いながらも、さっきと同じように左手で防ぎ、反撃するべく敵を見据えたわたしの視界に――

 振り下ろした剣を即座に斬り返し、続けざまに風の牙を撃ち放つ魔将の姿が映っていた。


「――!?」


 二撃目を慌てて横に跳んで避けたわたしを追って、狙いすましたようにさらに次の風が迫る。咄嗟に左手を突き出す。伝わる衝撃――


「う……く……!」


 反応が遅れたため、完全には防ぎきれない。直撃は免れたものの、風圧や、巻き上げられた土砂に耐えきれず、後方に吹き飛ばされる。

 空中で体を捻り、なんとか着地するものの、正直動揺していた。今まで、こんなに短い間隔で撃ってきたことはなかったのに、急に――


「……貴様と戦っているうちに、気づいた……一つの技を当てるために、さらに多数の技や、創意工夫が、必要だという、ことに……」


 ……まさか……


「故に、「工夫」した……一撃で完結するのではなく、二撃、三撃目へ繋ぐ動き、あえて威力を……ハハ、ハ……! 剣の術理は、まだまだ、先が見えぬ……」


 ……まさか、今、戦ってるあいだに理解したってこと? ギリギリまで追い込まれて閃いた? ……嘘でしょ?

 魔族が独学で剣術を覚えた時点でおかしいけど、まさかここまでだとは思わなかった。

 しかも、魔力のほうも尽きてなんかいない。自分で威力を調整してただけだった。

 見れば、それも魔力によるものか、出血は止まり、傷自体も塞がってきているように見える。このまま長引けば、今度こそこっちがやられるかもしれない。

 それに……わたし自身にも、長引くとあまり良くない理由がある。主に左半身に。

 わたしは、右手の剣を水平に掲げる。その刀身の根元に左手を沿わせ、剣先に向けて滑らせていく。

 触れた箇所から魔力が宿り、刀身は徐々に淡い光を帯びていく。そのまま左手を、剣先のその先、本来ならなにもない空間にまで滑らせ続けていく。

 魔力は刀身全てを包み、さらに先まで伸びて刃を形作る。

 魔力を操作しての剣の強化。これに、今ある魔力の全てを注ぎ込んだ。

 狙うは必殺。仕切り直す間はもう与えない。


「もはや、こんなものは無粋だな……」


 一方の黒鎧は、再び周囲に風を吹かせる。それが解除の合図なのか、周囲を覆っていた魔力が散っていく。こちらの意図を汲んだのか、勝負に応じるつもりらしい。


「さあ、来るがいい……貴様の剣を喰らいつくし、我はさらなる剣の深奥に迫ろう……!」


 いや、これ以上強くなられても困ります。――だから、ここで殺す。

 わたしは即座に地面を蹴る。

 相手まではまだ距離がある。当然、最初に届くのは黒鎧の放つ風の牙。横に跳んでかわし前進しようとするが、やはり斬り返しの風が即座に飛んでくる。

 今度は予測していたわたしは、これもかわして再び近づこうとするが、先ほどの繰り返しのようにさらなる風が迫る。三撃目。

 

「(ここ……!)」


 わたしは、三つめの風の牙を飛び越えるように跳躍。一気に黒鎧との距離を詰めようとする。

 このままの軌道なら、相手の頭上から全力の一撃を叩き込める。――が、


「読んでいるぞ……!」


 相手もこちらの動きを予測していたのか、魔将は即座に構え直し、わたしがいる空中に風の牙を撃ち放つ。空を裂いて牙が迫る。


「くぅっ……!」


 再び左手で受け止め、防御する。

 掌が触れた部分から魔力を吸収するが、この一瞬で全部を喰らうことはできず、残された風がわたしの体を打ち付ける。

 体を丸めて耐えようとするが、暴風は容赦なくわたしを吹き飛ばす。

 跳躍の勢いを殺され、なにもない空中に投げ出されるわたしを見据え、魔将がこちらを狙い定める――

 さっきやられた時と同じ状況。手が届く距離にはなにもなく、今度はリュイスちゃんもいない……


「最後の最後で攻め急いだな、剣帝の弟子よ――今一度、さらばだ」


 別れの言葉と共に、黒い鎧の魔将が再び竜巻の尖塔を放とうとする。

 吹き飛ばされた勢いで空が足元に、地面が頭上になっていたわたしの目に、まさに今、剣から撃ち出されようとしている暴風が映る。それを見て――わたしは笑った。

 即座に足元に(つまり空に)左手を翳し、直前に喰らった魔力を操作する。そうして作り出したそれを思い切り蹴って、わたしは地面の魔将に向かって跳んだ。


「――なっ……!」


 リュイスちゃんに助けられたのが、ヒントになった。

 あの時、リュイスちゃんは空中に盾を出して、わたしを逃がしてくれるための足場を作ってくれた――同じことが、クルィークの能力でもできるのではないか、と。

 そう考えて、直前の相手の攻撃を喰らい、その魔力でわたしは空中に壁(というより天井?)を作った。

 それを足場にすれば、宙に投げ出されて追撃されてもかわせるし――そのまま反撃に転じることもできる。

 今なら、攻撃する瞬間なら、こちらの剣をかわせない――!

 直滑降するわたしとすれ違うように、暴風の槍が通り過ぎる。

 すれ違っただけで何か所か皮膚が裂けたようだけど、構わずわたしは右手を振りかぶり、全身の力を込めて――振り抜いた。

 ――手ごたえは、ほとんどなかった。けれど確信がある。倒した――命を奪った、という確信が。

 着地の勢いを殺しつつ、わたしは即座に振り向いて警戒する。確信があるとは言ったけど、なんにでも例外はあるので念のため。 

 魔将は、中空に剣を突き出した姿勢から動いていなかった。そしてその状態のままで、うわごとのように声を出す。


「宙に、足場を……なるほど、してやられた……その前の我の攻撃すら読んで…………見事だ」


 黒鎧の体から思い出したように鮮血が噴き上がり、前のめりにゆっくりと倒れる。

 一応警戒は解かずに、しばらく様子を見る。まだ生きてはいるみたいだけど、起き上がる力はなさそうだ。

 ――なんとか、生き残れた……一回本気で死んだと思ったけど。リュイスちゃんがいなかったら死んでたけど。それでも、勝ちは勝ちだ。

 と、倒れていた黒鎧が、わずかに動いているのが目に入った。

 まさか、まだ戦う力が残ってるわけじゃないだろうけど、念のため、まだ剣は抜いておく。

 といっても、黒鎧はうつぶせだった体を転がして、仰向けになろうとしているだけのようだった。苦労して体を入れ替えた黒鎧は、倒れたままでわたしを見上げる。


「……我の負けだ、剣帝の弟子……見事な剣だった……」


 それを言うためにこっち向いたのかな……律儀というかなんというか。


「……剣帝とは似ても似つかない、邪道の剣だけどね」


 あんまり真っ直ぐ褒められるので照れくさくなってしまった。


「戦に、正道も邪道もあるまい……貴様の剣は本物だ。この身で受けたのだ、疑いの余地はない……」


 ……だから照れくさいってば。

 どうもこのひと調子狂う。思えば、わたしが半魔だって知っても全然態度変わらなかったし。今まで会った人間や魔族は、露骨に嫌な顔してたのに。

 と、黒鎧の体から、なにか、砂のようなものが出始める。


「……そろそろ、限界のようだな……この身が朽ちる前に、貴様の名を聞いておきたい……」

 ……あんまり名前広めたくはないけど……まぁ、最期くらいいいか。

「……わたしは、アレニエ・リエス」

「……アレニエ・リエス、か。その名、覚えておく。……またいつの日か、まみえようぞ……」

「へ?」

「……此度は実に充実していた……いつになるかは分からぬが、貴様と再び剣を交える日を……」

「あの」

「では、さらばだ……」


 そう言うと、黒鎧こと魔将「暴風」のイフは、纏っていた武具だけを残し塵と化し、風に吹かれて消えていった。

 勝手に満足して勝手に消えられた…… 

 ……そういえば、魔将は不死身なんて話もあったっけ……え、また来るの?


「――はぁぁぁ~……」


 ようやく終わったという安堵感と疲労感から、思わず大きく息をつきながら、右手の剣を鞘に納める。なんだか、どっと疲れた気がする。

 物腰は静かなのに、嵐みたいなひとだった。

 彼の最後の言葉が本当なら、この先また会うこともあるのかもしれない。

 ともあれ、これで依頼は達成したことになるだろう。

 あとは、リュイスちゃんと合流して王都に帰ればいい、のだけど――久しぶりに解放した左腕は、戦いが終わってもなかなか鎮まってくれなかった。


「(ちょっと、使いすぎた、かも……)」


 普段はクルィークに抑えてもらっている魔族の血。

 解放しているあいだは、魔族の容貌や本能が表出する。それは、解放している時間が長いほど、人間としてのわたしの心身を蝕む。

 外見もそうだけど、今は魔族の本能のほうが問題だ。

 壊したい。傷つけたい。――殺したい。そんな欲求が、沸々と湧いてくる。

 さっきまでは戦うことで解消できていたが、終わった今は捌け口がなく、衝動が募っていくばかりだった。

 このままじゃまずい。しばらくこの辺で発散してからじゃないと、戻れそうにない――

 ――ガサ

 背後から草を踏む音が聞こえる。野良の獣か、魔物か。相手には悪いと思うけど、ちょうどいい。この欲求を満たさせてもら――


「――アレニエさん……?」

「リュイス……ちゃん……?」


 獲物の姿をとらえようとしたわたしの目に映ったのは、ここから逃がしたはずの神官の少女だった――


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