7章 魔族の探しかた

 日中活動する私たち人間とは逆に、魔物は基本的に夜行性だ。

 昼間は眠っていたり、動きが鈍ったりするため、夜になってから活動するものが多い。

 その魔物たちの出現報告は、この黄昏の森付近を境に急増するという。

 人間たちの領域の境界となっているこの場所を、魔物が増え始める予兆となっているこの森を、いつしか人々は『黄昏の森』と呼ぶようになった。

 ここから先は『夜』の、『魔物』の世界だと警告するために。



 枝葉が頭上を覆い、まばらに陽の光が入る森の入り口。

 その入り口を越え奥に入ると、さらに繁茂した樹々に出迎えられる。

 今も差しているはずの陽光も遮られ、まだ日中だというのに辺りは薄暗い。常に薄闇がわだかまっているようだ。

 ある程度開けた道を選んで歩いているが、それでも見通しは悪く、道を外れたらすぐに遭難しそうな気さえする。

 足元には丈の短い植物。所々土が見えるほどにまばらな生え具合なので、足を取られる心配はなさそうだが。

 この森に足を踏み入れた途端に、ここまでの旅ではほとんど出会う機会のなかった、魔物の姿を散見するようになった。 

 ほとんどはアレニエさんが事前に察知し、気づかれないようにやり過ごしているが、稀に、目ざとくこちらを発見して襲い掛かってくるものもいる。


「ARRRGH!」


 下草しか生えていない開けた場所に差し掛かったところで、わたしたちは一匹の魔物に遭遇する。

 巨大な狼のような姿をしたその魔物は、先行するアレニエさん目掛けて跳びかかる。

 しかし彼女は、その魔物よりも高く跳び、体を傾けながら右足で回し蹴りを繰り出す。


「……ふっ!」


 アレニエさんが短い呼気と共に繰り出した蹴りは、跳びかかる魔物のさらに頭上から襲い掛かり、その身を地面に叩きつける。

 強い衝撃に魔物は受け身も取れず、叩きつけられた体は地面を跳ねる。

 アレニエさんはそのまま回転しながら剣を抜き放ち、落下の勢いを乗せて眼下の魔物を斬りつける。

 斬撃は魔物を縦に両断。声を発する器官まで斬られたせいか、魔物はくぐもった呻き声のようなものを発した後に動かなくなった。


「ごめんね」


 アレニエさんは、魔物の死体に一言謝罪の言葉をかける。

 それは、「魔物」=「倒すべき悪」とするこの世界では、奇異なことだ。

 脳裏には以前のアレニエさんとの会話が浮かぶ。

 魔物にも命がある。

 それが失われようとしたとき、私は助けようとするのか。見捨てるのか。

 目の前には、すでに死体となった魔物の姿。

 倒さなければこちらの命が危ないのも理解しているが、それでも一度命と認識したものがこと切れる様子を見て、胸の奥でなにかが零れそうになる。


「リュイスちゃん?」

「はいっ?」


 見れば、アレニエさんが少し心配そうにこちらを見ている。


「大丈夫? 間近で死体見たのがショックだった?」

「あ……いえ、それもあるんですけどそうじゃなくて……」


 いけない、また考え事に没頭していた。


「以前、アレニエさんに言われたことを考えていたんです。魔物や魔族にも命がある、って」

「あ~、あの時の……ごめんね、余計なこと言っちゃって」

「いえ、そんなこと……以前は、なにも考えていませんでしたから……こうやって考えるだけでも、意味はある気がします」

「リュイスちゃんは真面目だなぁ」


 アレニエさんが感心しているとも呆れているともつかない感想を漏らす。

 私としては、私にはない考えを持っていた彼女のほうが真面目な気がしているのだけど。


「そういえばアレニエさんは、実際に魔族に会ったことはあるんですか?」


 以前の彼女の発言は、過去になにかしらの経験があってのものだろうか。そう思っての質問だった。

 人間と魔族は敵対しているのだから、会っていたとしても戦いの場かもしれないが――


「戦ったこともあるし、話したこともあるよ」


 えっ!?


「会話した経験があるんですか……!?」

「うん。昔、少しね」


 魔族との対話経験。それは、結構すごいことなのではないだろうか。

 会話が成立するのなら、不必要に命を奪わなくても済むかもしれないのだから。


「そのひとは、魔族の中でも変わり者扱いだったらしくてね。本能が薄いって言ってたかな。人間を見ても、敵対心より好奇心のほうが湧くんだって。

 他の一般的な魔物とか魔族は、基本、こっちを見つけたら殺そうとしてくるから、あんまり期待しないほうがいいよ?」

「そう、ですか……」


 革新的な事実かと思ったのだが、現実はそう甘くないらしい。


「で、でも、そのひととは話が通じたんですよね?」

「うん。そのあと、他の魔族から裏切り者って言われて殺されちゃったんだけど」

「……」


 私は顔を手で覆う。世界はなぜこんなにも無情なのだろう。ふとそんな考えまで浮かんでしまった。 


「だから、これから戦うはずの魔族も、話が通じるとは思わない方がいいよ」


 アレニエさんはさっきよりも少しだけ固い口調で私をたしなめる。


「なにせ相手は、勇者を殺しに来てるんだから」


 忘れていたわけではないが、彼女の言葉で改めてそれを認識する。

 私たちはこれから魔族と相対するのだ。このままであれば確実に勇者を害する魔族と。……今さらだけど緊張してきた。


「まあそんなわけで、頑張って探そっか」


 そう言って彼女は探索を再開する。こんな時でも彼女は緊張とは無縁そうだ。

 私は、自身の緊張を解す目的も兼ねてなおも会話を続けようと試みる。


「そ、そういえば、魔族と戦ったこともあるって言ってましたよね? そっちはどうなったんですか?」

「ん? 問答無用で襲ってきたから、問答無用で殺し返したけど?」


「……ですよね……そうなりますよね……」


 再び世の無常を感じつつ、私も探索を再開した。



「見つけた」


 樹上から聞こえたのは、アレニエさんのそんな呟き。

 彼女は、上からのほうが見やすいと言って手早くそこらの木を登り、携帯用の望遠鏡で辺りを見渡しているところだった。というか見つけた? もう?


「全身真っ黒の鎧着た魔族、だったよね?」

「……はい」


 禍々しい意匠の漆黒の全身鎧に、頭部を全て覆う兜。腰には幅広の剣を帯びている。それは、私が幻視した魔将の特徴と同じだった。


「あと、その横にもう二人ほどいるけど。男と女」

「……えっ?」

「肌が青白かったり赤だったりだから、分かりやすく魔族だね」

「ちょ、ちょっと待ってください……! もう二人?」

「うん」


 ただでさえ魔将という強敵が相手なのに、他にも魔族が?

 いや、それも問題だけれど、私が『見た』時と状況が違っていることも問題だ。『流視』には確かに魔将の姿しかなかったのに。


「さてと。ちょうどよくこっちに来そうだし、隠れて様子見かな」


 アレニエさんが樹上から飛び降りてそう呟く。


「あの……大丈夫なんですか?」

「見た感じ、横の二人はそこまででもなさそうだから、不意を突けばいけると思うよ。魔将の相手は結構キツそうだけど」


 そこまででもないって……相手、一応魔族ですよね……?

 私では、見ただけで相手の力量を測ることなどできないので、そのあたりは彼女の観察眼を信じるしかないのだけど……


「どのみち、ここで引き返すわけにもいかないでしょ?」


 ……確かに、彼女の言う通りだ。

 時間は稼いだが、いつかは勇者もここに辿りつくはずだ。そうなれば、今まさに発見した魔族に殺されてしまうだろう。それは阻止しなければいけない。

 改めて覚悟を固め、私とアレニエさんは準備を始める。彼らと戦うための準備を。



 土を踏みしめる音が近づいてくる。それと共に、彼らの会話も徐々に聞こえてくる。


「――しかし、本当にここに現れるんでしょうか、勇者は」

「……気に入らぬ奴ではあるが、能力は確かだ。わざわざ我らに無駄足を踏ませる気はないだろう」

「確かに、勇者なんざさっさと殺しちまったほうがいいと思うが……あの女にうちの大将が便利に使われてる感じなのが気にいらねぇな、オレは」

「「あの女」呼ばわりはやめなさい。仮にも魔将の一柱に」

「お前も「仮」って言ってるじゃねーか」


 かすかに聞こえる会話から察するに、やはり勇者さまの命を狙う魔族で間違いないようだ。

 私たちが即座に立てた作戦は、先ほど倒した魔物の死体を彼らに見つけさせ、注意を引いたところで二人で不意討ち、部下と思しき魔族を倒し、黒い鎧の魔族を孤立させる、という単純なものだった。

 私は魔物の死体からは離れた木の陰でその時を待っていた。アレニエさんも別の場所で待機している。

 さっきから心臓が痛いほどに脈打っている。この鼓動のせいで感づかれてしまうのではないかと思うくらいに。

 少しも収まらない自分の心臓の音と、徐々に近づいてくる彼らの気配に私は意識を傾け続けた。そしてその時は訪れる。


「……なんだ? ありゃ」


 荒っぽい口調の男の魔族が、進行方向上にあるものに気づき、怪訝な声をあげる。


「ちょっと見てくる。お前は大将とここで待ってろ」


 黒い鎧の魔族と、青白い肌の女性の魔族に待つように言い置いて、男が一人で近づいてくる。

 単独で様子を身に来るのは、罠などを警戒しての斥候か。一行の中で、ある程度役割分担が決まっているのかもしれない。

 男は視線の先にあるものがなにか、すぐに見当がついたらしい。呟きながらさらに近づいてくる。


「魔物の死体、か。そう前のもんでもない。てことは、やったヤツがその辺にいるな?」


 鼓動がさらに早くなる。

 これ以上隠れていても、見つかるのは時間の問題かもしれない。それなら、少し早くてもここで先手を打ったほうが――

 ――ガサっ

 不意に聞こえた物音に体を強張らせる。

 音は、魔物の死体の近く、近づいてくる魔族の右前方から聞こえてきた。


「あん?」


 魔族が音のしたほうに目を向ける。それとほぼ同時に。

 キン――っ


「――え?」


 続けて聞こえてきたのは、金属が擦れるような音と、誰かの疑問の声。しかもその声は近づいてきた魔族ではなく――

 慌てて木陰から様子を見れば、黒鎧のそばで控えていた青白い肌の女性魔族の首が、わずかに間を置いて落ちるところだった。


「――え?」


 そのそばには、剣を抜き着地姿勢のアレニエさんの姿。


「(そっち!?)」


 思わず胸中で声をあげる。実際に声をあげなかった自分をちょっとだけ褒めたい。


「……ふんっ!」


 黒鎧が剣を抜き、アレニエさんに対して横薙ぎに振るうが、彼女はその一撃をかわし即座に離脱、再び木陰に消える。


「野郎っ!」


 仲間をやられ頭に血を登らせたもう一人の魔族が、アレニエさんが逃げた方向に手をかざし炎を放つ。

 黒い燐光を放つ不可思議な炎はしかし彼女に当たることは無く、手前の木を燃やしただけに留まる。

 自身の攻撃が外れたことを悟ると、魔族は腰に携えた剣を抜きながらすぐさま駆け出し、アレニエさんを追って森の深部に入る。


「待ちやがれ!」

「待て! 深追いするな!」


 黒鎧が制止するが、怒りに我を忘れているのか当の部下に聞こえた様子はない。

 黒鎧は部下の援護をするため追いかけようとするが、男が森に入って程なくして、なにかを地面に叩きつけるような大きな音が響き、続けて苦悶の声が聞こえてくる。


「ガっ……!」


 僅かな静寂。

 そしてその静寂を切り裂いて、なにかが黒い鎧の魔族に飛来する。そのなにかを追いかけるようにして、姿勢を低くしたアレニエさんが木陰から姿を現し、魔将に向かっていく。

 投擲物は、鎧に覆われていない箇所――視界を確保するために開けられた目の部分を正確に目指している。

 魔族は投げられたそれを――短剣を、自身の剣で弾く。金属と金属がぶつかり甲高い音が辺りに響いた。

 短剣を弾いた黒鎧に向かって、地を這うような姿勢でアレニエさんが駆ける。その勢いを乗せて、彼女は魔族に切りつけるのだが、

 ギィン――!

 魔族は即座に剣を引き寄せると、向かってきたアレニエさんの剣の一撃を半身を引きながら自身の剣で受け流し、そのまま回転して彼女の足元を斬りつけてくる。


「――!」


 アレニエさんは突進の勢いを殺さずに跳躍して斬撃をかわし、空中で一回転。着地しつつ反転し、黒鎧と相対する。


「……たいしたものだな。人間がたった一人で」


 今さっき部下を失ったというのにもう落ち着きを取り戻したのか、彼女の攻撃に驚いた様子も見せず、黒い鎧の魔族はアレニエさんを称賛する。


「貴様は何者だ? 話しに聞いていた勇者にしては、腕が立ちすぎるようだが」

「わたしはただの冒険者だよ。ここに来たのはたまたま」

「偶然現れた冒険者が、我が部下を音もなく殺すほどの手練れだった、と? 面白い冗談だな」


 ニコリともせず(そもそも顔が見えないが)黒鎧が言う。


「憎悪から我らを滅ぼそうとする者は多いが、貴様からはそういった気配も感じぬ。

 しかも我らを待ち構えて攻撃を仕掛けてきた節さえある。だとすれば、どこで知った? ……いや、どうやって知った?」

「……わたしも不思議だったんだけど。あなたたち、この森で勇者を待ち構えてたように見えたんだけど……勇者がこの森に来る確証でもあったのかな?」

 

 アレニエさんの言葉にハっとする。

 確かに先ほどの彼らの会話を思い返せば、勇者さまがここに来ることを知っているような素振りがあった。

 私たちは、『流視』で勇者さまの命の流れが途切れたことを『見て』この森に来た。ならば、彼らは――彼らも、同じように……? 私と同じか、似た能力の持ち主が……?


「……お互い、似たような立場らしいな」

「そうかもね」


 黒い鎧の魔族は、かすかに自嘲気味に笑う。


「ところで、あなたこそ何者? 魔族なのに、剣術の真似事なんて」


 彼女がそう言うのには理由がある。

 魔族は、基本的に『努力』というものをしないと言われている。というより、する必要がない。

 私たち人間や他の他種族と比べて、生まれつき魔力も身体能力も優れている魔族は、相手を上回ろうとする動機が薄いのだ。

 当然、相手をより効率よく倒そうとする剣術なども必要がなく、戦い方を工夫するという発想すらも湧かないはずだ。それに、魔族は『気』を使うこともできなかったはず。 

 しかし黒鎧のさっきの攻撃は、動きだけなら確かに剣術のように見えた。


「……我は、魔将の一柱、『暴風』のイフ」


 魔将――イフは、自身の名を大儀そうに告げる。


「話しには聞いてたけど、本当に魔将なんだね……初めて見た」

「アスタリアの張った結界は強力でな。貴様らの領土で、あまり自由には動けぬ。相対する機会は少なかろう。そして――」

「――そして?」

「剣術は――我の趣味だ」


 ――趣味!?


「……我は長いあいだ人間どもと戦ってきた……そしてある時気づいた。始めは力任せに振り回していただけの人間の剣が、年月が経つごとに強く、鋭く、多彩になっていくことに」

 

 すいません待ってください。まだ『趣味』の衝撃から抜け出せないんですが……


「力で劣るにも関わらず、時に我らを打ち負かすほどのその技術。興味を抱いた我は、それらをこの剣で、あるいはこの身で受けた。

 貴様らに斬られた配下の傷を調べ、その剣筋を想像した。そうして得た知識を実践することに愉悦を感じた。

 いつしか、それの研鑽を積むことが我の中で最も重要な関心事となっていた――」


 え~と……


「……変わった魔族もいたもんだねー」


 アレニエさん、変わってるの一言で片づけないでください。


「興の乗らぬ戦だと思っていたが、貴様のような手練れがいたことは僥倖だった。加えてその剣の構え、戦い方。貴様のような剣士は初めて見る。

 しかも貴様は、我がこれまで戦った相手の中でも、類を見ぬほどの実力だ。これから死合えることに正直興奮を抑えきれぬ……」


 方向性は違うけど、このひとジャイールさんと同類かもしれない……ジャイールさん、お元気ですか? 私はかつてないほどの危機です。


「……欲を言えば、音に聞こえし『剣帝』の技を目にしたかったものだがな。すでに貴様らの前からも姿を消して久しいと聞く……直接に対峙する機会がなかったのは、残念でならぬ」


 ぴくっ。と、アレニエさんが反応した気がした。――なにに? 剣帝さまの名前に……?


「そっか、剣帝に……なら、残念がるのはちょっと早いかもしれないよ?」

「……なに?」

「――わたし、剣帝の弟子だから」

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