4章 目的地への向かいかた

「オレたちを雇う、だと?」


 アレニエさんの突然の提案に、私だけではなく男たちも驚いている。それはそうだろう。さっきまでお互い命の取り合いをしていたのだから。


「「ただ」で情報提供するのがダメなら、「ただ」じゃなければいいんでしょ? 情報料、というか依頼ってことにすれば、教えるのもありじゃない?」


 それは……あり、なんだろうか。私は助かるけれど。


「フっ……見くびるなよ、『黒腕』。少々のはした金で動かされるとでも――」

「ちなみにこれが依頼料」


 そう言って彼女は、金貨を惜しげもなくフードの男の前にちらつかせる。ちなみに、金貨一枚で半年は楽に暮らせる。


「――受けよう」


 ええー……


「正直なところ、好感の持てん類の依頼人だったからな。神官のお嬢さんの肩を持つ、ちょうどいい言い訳になる」


 なる、かなぁ……?


「冒険者は、危険を買って報酬を貰う仕事だからね。報酬が魅力的なら、少しくらいの危険は買ってくれるよ。特に下層の住人は」


 冒険者って……

 いや、ちょっと引いてる場合じゃない。ともかくも情報を入手するチャンスなのだ。私は改めてフードの男に質問する。


「私を狙うよう指示した人物は……もしかして、ヴィオレという司祭ではありませんでしたか?」

「リュイスちゃん、心当たりがあるの?」

「……私が師事しているクラルテ司祭さまと対立している派閥があるんです。その派閥をしは……まとめているのが……ヴィオレ司祭」


 クラルテ司祭さまとヴィオレ司祭さまとは、次期司教の座を競い対立している。

 貴族出身のヴィオレ司祭は政治的に優位を誇っているが、一般の信徒たちからの人気はクラルテ司祭のほうが圧倒的に多い。

 というのも、クラルテ司祭さまは先代の勇者の仲間として旅に同行した、神殿でも随一の実力をもつ神官だからだ。


「あの、『聖拳』クラルテ・ウィスタリアか……! なるほど、君は彼女に師事していたのか。奴の鎧が陥没している理由に得心がいったよ」


 私が戦った戦士を指してフードの男が納得したように頷く。なんだか、改めて指摘されると、ちょっと恥ずかしい……。


「それで、依頼者がそのヴィオレという司祭かどうかという質問だが――」


 フードの男は一度言葉を区切ったあと、短く告げる。


「わからん」


 わからない?


「依頼主は、ローブで全身を覆った中年の男だった。ローブの下から覗いていた身なりや言動からは、

 上層の貴族の使い走りという印象を受けた。それが件の神官と関係があるかは、正直なところわからん」

「裏を取ったりは……」

「下層に持ち込まれる依頼というのは、ほとんどが公にできないものだ。下手に詮索すればこちらの身が危ない。

 逆に言えば、うちに持ち込まれた時点で、素性を隠したい「誰か」の差し金なわけだが」


 貴族ならヴィオレ司祭と関係があっても不思議じゃないし、素性を隠そうとしてるのも納得できる。

 今回の件は、彼女がクラルテ司祭を支持する私を潰すために起こしたものなのだろう。


「聞きたいことは聞けた?」


 気づけばアレニエさんがこちらを見ていた。


「……はい。ありがとうございました」

「それじゃあ、次はわたしの番だね」


 ……次?


「雇う、って言ったでしょ? 依頼料は、今のリュイスちゃんへの情報提供と、これからしてもらう仕事の分を合わせて、だよ」

「ほう。それで、我々になにをさせようというんだ?」


 アレニエさんはフードの男の質問に、一言だけ答える。


「勇者の旅の妨害」


 ………………


「「「はぁっ!?」」」


 おそらく、この場にいた全員(一人を除いて)の気持ちが一致した瞬間だった。



「アレニエさん!? なに考えてるんですか!?」


 勇者の旅の妨害なんて、そんなことをすればどんな罰を受けるか……


「この人たちに襲われたせいで出発が遅れたんだし。ちょっと時間稼いでもらってもいいかな、って思って。あんまり遅れるとマズいでしょ?」

「それはそうかもしれないですけど、さすがにちょっと……」


 彼女の言いたいことはわからないでもなかったが、方法が乱暴すぎる。

 そして当然ながら、男たちからも非難の声が上がる。


「ふざけんな! そんなことできるか!」

「よりにもよって勇者の旅を妨害しろだと!?」

「下手すりゃ極刑だぞ!」


 男たちは口々に文句を言う。至極もっともな反応だろう。



 勇者というのは特別な存在だ。

 魔王を倒せる神剣の持ち主、というだけではなく、象徴的・政治的にも影響力を持つ、というより「持たされてしまう」稀有な人間だ。

 その理由は、パルティール王国の初代国王が最初の勇者だったことからきているらしい。

 初めて神剣を与えられ、魔王を倒し凱旋した初代勇者。

 人々は、勇者を王として担ぎ上げ、国を作り上げた。それが、『始まりの国』とも呼ばれるパルティール王国であり、その子孫が今の王族・貴族の発祥だとされている。

 無事に魔王を倒し王国に帰還した勇者とその仲間たちには、莫大な報酬と名誉が与えられる。

『勇者の仲間』という権利を欲する者は多く、特に貴族は既得権益を守ろうとしてその座を狙い、自分たちの息がかかった優秀な人材を送り込む。

 最終的に誰を選ぶか、という選択は勇者本人に一任されているが、一般の冒険者が選ばれることはほとんどない。

 勇者自身も命がかかっているのだから、できる限り優秀な仲間を集めようとする。その過程で集まるのは、先述の貴族の関係者が大半だ。剣帝のような例は非常に稀だった。

 そういった、勇者という立場の特異性ゆえに、その旅路を邪魔する者などがいればかなりの重刑が下されると言われている。そもそも、その場で勇者に退治されるおそれもある。

 したがって、後ろ暗いことをしている人間は、関わること自体避けようとするのが、勇者という存在だった。



「ふむ……意図を聞かせてもらえるか?」


 突拍子もない提案を冷静に問いただしてきたのは、フードの男だった。

 男に対してアレニエさんは一つ頷き、説明を始める。


「実は、勇者の命が狙われてる……かもしれない、って情報があってね」

「――!?」


 アレニエさん、その話は……!

 焦る私に、彼女はわずかに目配せをしてから説明を続ける。


「犯人は、勇者が来るのを待ち伏せして襲うつもりだとかなんとか。わたしたちは、その犯人が潜んでるかもしれない場所に実際に行って、

 情報が本当かどうか確認、犯人がいたら退治、っていう依頼を受けて現地に向かうところだったんだけど……」


 情報が本当で、勇者がその犯人がいると思しき場所に辿りついてしまえば、最悪の場合勇者は殺されてしまうかもしれない。

 それを防ぐための依頼を受けたが、その途中、というか出だしで男たちに襲撃されて時間を取られた。

 だからその遅れをカバーするために、今度は男たちに勇者の足止め、具体的には、勇者がいる場所近辺で騒ぎを起こしてほしい。要約するとそういう話だった。

 一応肝心なところはぼかして説明してくれているが、それでも私はハラハラしながら成り行きを見守っていた。

 男たちが彼女の話を怪しんで踏み込んだ質問をしてきたらどう誤魔化せばいいのか。


「勇者の命を狙う者か。無い話ではないな」


 無い話ではないんですか。


「『選定の儀』の結果や、同行する者を不満に思って、刺客を差し向ける貴族などもいるらしい。大方その類だろう。勇者は、半ば政争の道具にされているからな」

「多分そんなとこ。まあ、実際行って確かめてみないとなんだけど」

「なるほど。先刻の「急ぐ旅」というのはそういうことか」

「うん。少なくとも、勇者よりは先に現地に行かなきゃ行けないからね」


 怪しまれるどころか、フードの男は納得していた。しかも彼女はそれに自然に受け答えしている。なんですかその演技力。


「勇者の滞在場所付近で騒ぎを起こす。つまり困っている民草を見過ごせないという勇者の良心を逆手にとるわけだな?」

「そうそう。野盗のふりでもして暴れて、それが噂になって勇者の耳に入れば、多分事態を解決するために動くと思うんだよね、『善良な勇者さま』なら」

「クックック……随分と悪知恵が働くな」

「いやー、わたしなんてまだまだ」


 なんだか二人してすごい会話してる気がするんですが……。

 しかし今の説明だけでは納得がいかなかったのか、他の男たちはなおも不満を漏らす。


「そんな不確かな情報だけで騒ぎを起こせってのか!?」

「そもそもどこからの情報だよ!」

「出どころなんて知らないよ? わたしたち、依頼を受けただけだし」

「裏は取っとけよ!」


 男の一人がもっもな指摘をする。といっても、彼女は「内密に」という私の頼みを聞いてとぼけてくれているのだが。


「とにかく、そんなあやふやな情報で捕まるような真似できるわけねえだろ!」


 一瞬、上手い話しに乗せられて襲ってきたくせに、とか思ってしまったが、実際言ってることは正論だと思う。確証もなしに危険を犯すのは誰だって難しい。


「やってくれるなら、さっきの報酬に加えて、一人金貨一枚あげるよ。こっちは成功報酬ね」

「……え?」


 が、追加の報酬額を聞いて男たちの目の色が変わった。


「わたしたちが無事に依頼を達成できたら、あなたたちにもさっき言った金額を払うよ。その前に勇者が来ちゃった時は、依頼は失敗ってことで報酬は無しね」

「ほう、内容の割には破格だな」

「前金だけでも結構もらったからね。あと、それだけ急いでるって思ってくれていいよ」


 実際、捕まれば極刑の可能性もあるとはいえ、別に勇者自身を襲えというわけではない。

 騒ぎを起こして注目を集め、足止めさえできればいいのだし、その後は勇者が現れる前に逃げてしまえばいい。依頼の難度自体は決して高くなかった。


「あー……」

「えーと……」


 男たちは見るからに迷っていた。さっきまであんなに文句を言っていたのに。

「ほ、本当に、勇者を足止めするだけでそんなにもらえるのか?」

「うん。まあ成功報酬に関しては、わたしたちが無事に帰れたら、だけど。もし帰れなかったら、そっちは諦めてもらうしかないかな」


「………」


 男たちは黙考している。報酬と、それに付随するリスクとを天秤にかけているのだろう。


「よし、受けよう」


 声を上げたのは、当初から興味を示していたフードの男だった。


「オレはどのみち受けるつもりだったからな。そのうえ追加の報酬まであるなら、断る理由は特にない」

「俺もやるぜ。この怪我が治るまでは退屈だからな」


 フードの男に続いて声をあげたのはジャイールさんだった。これには、私がたまらず抗議する。


「なに言ってるんですか! 激しく体を動かさないようにって言ったでしょう!」

「心配すんなよ嬢ちゃん、無理はしねえさ。それに戦うことになったとしても、冒険出たてのひよっこの相手なんざ、激しい運動のうちに入らねえよ」

「戦い自体控えてください!」


 たしなめてはみたものの、こちらの言うことを素直に聞く気はないようだった。結局依頼は受けるつもりだろう。

 迷っていた他の面々にとって、彼らの言葉は渡りに船だった。

 そのあとは結局、全員がアレニエさんの依頼を受けることを決め、縄を解かれてから早々に出発していったのだった。



 わたしたちは彼らが乗っていた馬を「譲り受けて」、次の街までの道のりを急いでいた。


「アレニエさん、やっぱりあの依頼はまずかったんじゃ……」


 というのは、先刻の依頼の件だ。

 もし、彼らが捕まって事情を話してしまえば、私たちも一緒に罪に問われるかもしれない。そんなことになったら、司祭さまにまで迷惑がかかってしまう可能性が……。


「そんなに心配しなくても、多分大丈夫だよ」

「うう……初めて冒険に出たと思ったら犯罪者になりそうだなんて……司祭さまになんて説明すればいいか……」

「リュイスちゃんは心配性だなぁ」

「アレニエさんが楽観的すぎるんです」


 私が悲観的すぎるのかもしれないけど。


「……ジャイールさんたち、上手くやってくれるでしょうか」

「一応、全員実力のある冒険者みたいだし、なんとかしてくれるんじゃない? 仮に失敗したとしても、最終的にわたしたちが勇者より先に目的地につければそれでいいしね」

 

それは……確かに。


「ほら、まずは次の街まで急がないと。ね」


 先を行くアレニエさんに促され、私も彼女に遅れないよう、手綱を握る手に力を込めた。



 日が完全に落ちる前に、私たちは今晩の野営の場所を探す。

 今日は朝から晴れていたが、雨が降った場合も考慮して、雨よけになりそうな大きな木の下で夜を明かすことにした。

 日中の気温は過ごしやすいくらいだったが、屋外で過ごす夜は思った以上に体温を奪う。

 夜の寒さをしのぐため、私たちは手分けして火がつきそうな枯れ木を集め、火打石で火をつける。

 魔術が使えればそれで火をつけることもできるが、私は使えないため道具に頼るしかない。

 アレニエさんも魔術を使う様子はない。そういえばそもそも、アレニエさんは「魔力がない」とユティルさんが言っていた気がする。


「とりあえず、ご飯食べよっか」


 そう言って彼女は、荷物から包みを取り出す。

 手早く解いた包みから出てきたのは、パンに豚の塩漬け肉とチーズ、刻んだ野菜を挟んだもの。

 それは、出発するときに剣の継承亭のマスターから受け取った餞別だった。


「はい、リュイスちゃんのぶん」

「あっ、ありがとうございます」


 手渡されたそれを受け取り、二人で夕食を取ることにする。

 私はまず食前の祈りを唱える。神殿では毎日そうしているので、普段とは違うこの状況でも自然と祈りを始めていた。

 アレニエさんにはそういった習慣はないようだったが、私の祈りが終わるまで黙って待っていてくれた。その後、二人でありがたく食事をいただく。

 塩漬けにした肉とチーズの旨味に、一緒に入れられた野菜と、それらを包む少し固いパンが、単体だと少し強すぎる具材の味を和らげてくれる。


「美味しい……」

「良かった。上層の神官さんの口に合うか、ちょっと心配だったからね」

「前に言ったように、私、孤児ですから……」


 少し困ったように笑いながら、私は神殿での食事を思い出す。

 広い食堂のテーブルに並ぶ、食事の数々。

 質素倹約を旨とする神殿でありながら、そこには貴族の子女に合わせた豪華な料理が盛りつけられている。

 私はそれを、周囲の妬みや蔑みの視線を感じながら、喉に流し込んでいく。

 それは食事というよりは、ただただ栄養物を体に摂りこむだけの、作業だった。


「貴族の子たちは、孤児の私が総本山にいることが、まして司祭さまに目をかけられていることが、気に入らないみたいなんです」


 太陽や月、夜空の星々、そしてこの大地を創造されたアスタリアさまは、神々の中で最も信仰を集める最高神だ。

 そのアスタリアさまを祀る神殿で最も歴史のある総本山もまた、人々からの支持を集める最上位の神殿として、権勢を誇っている。

 そこに務めるのは、一握りの実力ある神官を除けば、王族や貴族の子女ばかりだった。

 彼らから見れば私は、紛れ込んだ異分子に他ならない。

 しかもその異分子が、先代の勇者と行動を共にした司祭に師事しているのだから、なおさら気に食わないだろう。


「そんな状況でしたから、食事の味も良く分からなくて……でも今は、素直に美味しい、と思えてます」


 旅に出ることに対する不安は確かにあったが、反面、普段の環境から抜け出せるチャンスでもあった。少なくとも旅に出ることで、食事は美味しく感じられている。


「そっか……うん。それなら、良かった」


 そうやって話をしている間に、彼女はいつの間にか一つ目のパンを食べ終え、二つ目を食べ始めていた。

 実際、素直に美味しかったし、今日は色々あって疲れているのでお腹も空いている。

 普段は小食なのだが、私も今のぶんを食べ終え、二個目に手を伸ばす。

 それからしばらくは声も出さず、二人で黙々と食事に集中した。



 食事を終え、一息ついた私たちは、野営の準備を整えて寝る準備をしていた。夜の寒さに対しての備えと野生動物対策に、火はそのままつけておく。

 大陸の南西端に位置するパルティール王国。この国のさらに端、海に面する場所には、アスタリアさまが眠ると言われているオーブ山がある。

 その山の麓に立てられた王国とその付近には、アスタリアさまのご威光によって魔物は近づけないと言われている。

 真偽は不明だが、実際この付近には魔物はほとんどいない。野生の獣のほうがよほど危険だった。

 就寝中に襲われることを警戒して、二人で交互に眠ることになった。最初はアレニエさんが火の番をすると言うので、私は自分の番がくるまで先に眠らせてもらうことにする。


「そういえば、聞きたかったことがあったんだけど」


 木の幹にもたれかかり、毛布代わりのマントで身を包んだ状態のアレニエさんが話しかけてくる。


「リュイスちゃん、あの時、「目の前で人が死にそうなのに黙って見てられない」って言ってたよね」

「はい……」


 あの時、というのはジャイールさんと戦ったあとのことだろう。確かに私はそう言ったけど……彼女がしてきたのは予想もしなかった質問。


「……黙って見てられないのは、『人』だけ?」

「え?」


 人だけ……というのは、どういう意味だろう。


「あぁ、え~と……例えば、さっき食べたお肉とか野菜とか。元々は生きてて、食べるために殺されたわけだけど……そういうの、どう思う?」

「???」


 彼女自身も今考えながら言葉を発しているのか、いまいち要領を得ない質問。これまで何に対しても簡潔に受け答えしてきた彼女にしては、どこか遠回りだった。


「動物とか、植物とか、人間以外のものが目の前で殺されそうになってても、リュイスちゃんは止める?」


 今の質問で、なんとなく聞きたいことは見えてきた気がする……けど、どうしてそんな質問を?

 疑問には思ったが、彼女の瞳は私を真剣に見ていた。少し緊張しているようにも見える。

 それはなにかを期待するような、もしくは不安に思うような、普段の彼女からは感じられない揺らぎを含んだ瞳だった。

 自分でもよく分からないが、適当に流していいものではないような気がして、私も真剣に答える。とはいえ――


「……正直に言えば、分かりません。あの時も、ちゃんとした考えがあってああ言ったわけじゃないんです。ただ、とにかく放っておけなくて……」


 そう。別段立派な考えなどがあったわけではなく、反射的に体、というか心が動いただけなので、恥ずかしい話、その時になってみないと自分でもどう思うか分からなかった。

 少なくとも頭では、生きていくために他の生き物の命を犠牲にする必要があると理解している。

 それでも、実際に目の前で殺されようとしていたら、私はもしかしたら止めようとするのかもしれない。

 こんな答えでいいのだろうかと若干思いながら彼女を見ると、むしろ先ほどよりも緊張が増しているように見える。そして続けて聞かれる。


「そっか。…………じゃあ、魔物は?」

「……!?」

「人間とはだいぶ違うけど、魔物や魔族も生きてて、命があるでしょ? 

 それが目の前で死にそうになっていたりしたら、リュイスちゃんはどうする? 助ける? それとも……見捨てる?」

「それは……」


 一般的に、魔物は厄災であり、恐怖の対象であり、倒すべき敵だ。

 特に神殿では、アスタリアさまに敵対する邪神とその眷属である魔物は忌避しており、見つけ次第滅ぼすように教えているほどで、

 私もそれに特別疑問を持ったことはなかった。けれど……、


「わか、りません……」


 彼女に言われるまで深く考えたことはなかったが、魔物も確かに生きている。

 襲ってくるなら、私は自衛のために戦うかもしれない。だけどそうでない場合は? 敵意も無く、死にかけていたら?

 私は、人が死にそうになったときと同様に止めるだろうか。

 それとも、敵とみなして切り捨てるだろうか。

 先ほどと同様に、今ここで考えただけではその答えは得られなかった。


「そっか……うん、わかった」


 けれど、彼女はそんな私の返答に、なにか納得したようだった。

 彼女が本当に聞きたかったのは、最後の質問だったのだろうか。


「あの……どうしてこんな質問を……?」

「へ? あー、えーと……これから魔族を倒しに行くし、リュイスちゃんがどう思うか聞いておきたくて?」

「なるほ、ど……?」


 なんだか、如何にもとってつけたような理由な気がする。疑問形だし。

 とりあえず、彼女はそれ以上の説明をする気はなさそうだった。

 結局、どういう意図で先ほどの質問をしてきたのかは分からずじまいで、頭に疑問符を浮かべたままその日は床についた。

 眠れないかとも思ったが、疲労がたまっていたところに食事をして一息ついたからか、睡魔はそれからすぐに私を眠りにつかせた。


 *****


「はぁ、はぁ、はぁっ……!」


 朝日がほとんど差し込まない森の中を、枝や下草で傷を作るのも構わずに走り続ける。


「(なんだ、あいつは……なんで、「こんなところ」にいる……!?)」


『森』に入り、魔物の増減、動向を調査し、報告する。俺が近くの村で受けたのはそんな依頼だ。

 簡単な任務のはずだった。これが終わったら、少ない依頼料で酒でも飲むつもりだった。それが……


「はぁ、はぁ……! くそっ……!」


 魔王復活の報は聞いていた。いずれはここも魔物で溢れるだろう。

 だが、それはもうしばらく先のはずだ。領土の境目のこの場所は、出没する魔物もたかが知れている。危険は少ないはずだった。なのに……!

 走りながら後ろを見る。追手の姿はない。撒いたか? 一度立ち止まって様子を窺う。が、

 ゴォっ!

 森の奥から、とてつもない勢いで『牙』が襲ってくる。


「うわあああぁぁっ!?」


 寸前で避けたが、さっきまで自分がいた場所は『牙』によって抉られている。もし当たっていたら……

 いまだ追っ手はこちらを捕捉している。早く逃げなければ。立ち上がって走り……だそうとしたところで気づく。動かない。なぜ。

 いつの間にか、手足が凍り付いていた。氷は徐々に全身にのぼり、視界が固定される。

 もう眼球を動かすこともできないのに、意識や視覚、聴覚だけは働いていた。その耳に、男の声が聞こえる。


「ようやく追いついたぜ。手間かけさせやがって」


 男は、固定されたこちらの視界に入り、わざわざ顔を覗き込んでくる。

 赤い肌に紋様のようなものが浮かび、頭部には角がある。それ以外はほとんど人間と変わらないが、その身から感じる魔力は人間ではありえぬほどに禍々しい。――魔族だ。


「運がありませんでしたね。「今」この森に入ってくるとは」


 今度の声は女だった。

 少し離れた位置に、声の主であろう青白い肌の女が現れ、こちらを見ている。この女も、その肌の色や耳の長さなどを除けば、人間と変わらない容姿をしている。


「(こんなところに、魔族が……二体……!?)」


 いや、違う。「もう一体」いる。

 いつの間にか俺の前方に、漆黒の鎧を全身に纏い抜身の剣を携えた、騎士のような外見の魔族が現れていた。

 こいつだ。

 先の二体を従えてこちらを睥睨するその姿。こいつが、横の二体の主だ。

 その証拠に、漆黒の鎧からはこれまで以上の強大な魔力を感じる。

 黒い鎧の魔族は、兜に隠された口を厳かに開く。


「……人間共に、我らの存在を知られるわけにはいかぬ」


 そう言うと、黒い鎧の魔族は手にした剣を頭上に掲げる。その刀身からはゴウゴウと音を立て、風が渦巻いて……


「(ちくしょう……ちくしょう……!)」


 俺の脳裏には、すでに走馬燈が渦巻いていた。

 それと同時に、この魔族たちと遭遇した先刻の情景も浮かび上がってくる。目の前の魔族は、こう聞いてきたのだ。


「貴様は、勇者か?」と。


「(こんなところで……勇者を、待ち伏せしてる、ってのか……? ちくしょう、誰か……誰かに、知らせ……!)」

「さらばだ」


 その剣から、『牙』が放たれる。

 俺の意識は、そこで途切れた。


 *****


 まぶた越しに感じる光で目を覚ます。薄っすらと目を開けると、朝日が昇り始めるころだった。

 屋内と違って直接浴びる陽の光は、昇り始めでも眼球を刺すほどにまぶしい。

 いつの間にか火は消えており、若干の肌寒さを感じた私は、マントを手繰り寄せ自分の体に巻き付ける。

 わずかながら意識が覚醒したことで、肌寒さと同時に体の痛みを感じた。おそらく、固い地面で寝るという初体験によるものだろう。

 ちゃんとした寝具での睡眠というものがいかにありがたいか、身に染みて実感した。

 しかし今は、寒さや体の痛みよりも眠気が勝っている。一度は目を覚ましたが、アレニエさんとの交代の時間までもう少し寝ようとまぶたを閉じようとして……、


「(……!?)」


 ようやく、すでに朝であることを認識する。


「えっ、あれっ、交代の時間は……!?」


 ひょっとして、時間になっても全く気付かずに朝まで眠り続けてしまったのか。サーっと、顔が青くなっていく。

 慌てて目を覚まし、眠気や痛みを訴える体を無理矢理ねじ伏せ、気合いで体を起こす。

 すぐに隣の寝床を確認するが、誰もいない。周囲を見回し彼女の姿を探そうとしたとき、


「あ、おはようリュイスちゃん」


 声をかけてきたのは、今まさに探そうとしていた当の本人だった。


「あ、おはようございます……じゃなくてっ!」


 反射的に挨拶を返してから、すぐにそれどころじゃないことを思い出す。


「すいません! 途中で交代するはずだったのに私……!」


 罪悪感からすぐさま力いっぱい謝るが、


「なにが?」

「なにが、って……」


 彼女は、ただ柔らかく微笑んでいる。わたしが朝まで寝ていたことを責めるような気配は全くなかった。

 ……もしかして、起こさなかったのはわざとだろうか。私が疲れていると思い、気遣ってくれたのだろうか。事実、朝までぐっすり眠ってしまったのだけど。

 ありがたくも申し訳なさをを感じるが、私がずっと眠っていたということは、彼女が寝ていないのではないだろうか。


「まさか、夜通し起きて見張り番をしてたんですか?」

「大丈夫。仮眠は取ったから」


 それは果たして大丈夫なのでしょうか。

 心配になって彼女の様子を見るが、少なくとも私が見る限り寝不足という感じはしない。いや、彼女が本気でそれを隠そうとしたなら私には見抜けないのかもしれないが。


「ほらほら、とりあえず今日中に次の町に着きたいし、片づけて準備しよ」


 そう言って彼女はテキパキと自分の荷物をまとめ始める。

 見ればすでに火は消され、消し炭も片付けられていた。私が寝ているあいだにほとんど終わらせていたらしい。ますます持って申し訳ない。

 アレニエさんは本当に気にしておらず、ただ私を気遣ってくれたのかもしれないが、これ以上の迷惑はかけたくない。

 せめてもの思いで、私は自分の荷物を出来る限り手早くまとめ、出発の準備を整えた。


 王都を旅立って二日目。

 初日とは打って変わって平穏な旅路だった。

 食事のとき以外はほとんど休憩することなく進み続け、大きな問題もなく次の街、クランに辿りつく。

 とはいえ、ほぼ一日中馬に乗り続けるというのは私にとって初体験であり、後半はへとへとになって頻繁に休憩を入れていたため、

 辿りついたのは予想よりもかなり遅い時間だった(アレニエさんはケロっとしていた)。

 日が落ちてから結構な時間が経ってからの到着になったが、街に設えられた門の番兵は快く通してくれた。

 アレニエさんの話では、主に夜に活動するものが多い魔物を警戒して、日が沈んでからは門を締め切るところが多いため、夜間にここまですんなり入れてくれる街は珍しいらしい。

 ここは王都の近郊であり、戦場からは遠いこともあって基本的に平穏なのだろう。


「多分、リュイスちゃんがいたことも理由の一つだけどね」

「……私?」


 敬虔なアスタリア信徒が多い王国内では、神官に対してはなにかと融通をきかせてくれるらしい。

 ほとんど神殿内で生活していた私はあまり実感したことがなかったが、今までも知らないところで恩恵を受けていたのかもしれない。

 門を潜った私たちは、まず宿に向かう。

 街は日が落ちても大勢の人が出歩き、活気がある。通りには店先に明かりをつけた飲食店や飲み屋などがたくさん並んでいるようだ。

 ここは、もともとこの地域の開拓団の基地だったものが、そのまま街になった場所らしい。

 開拓が進んでからも、各地へ物資を届ける中継基地の役割を担い、また、各地を行き来する冒険者の胃袋を満たす場(海が近いこともあって魚介類が豊富らしい)でもあったため、

 食と流通の街として発展してきた。

 近年はさすがに当時ほどの隆盛はないが、王都のお膝元ということもあって人の行き来は多く、今でも多くの食事処や、それを目当てに来る人々などで賑わっている。

 時間があれば見回ってみたい気持ちも少しあったが、残念ながら私たちの目的は観光ではない。それはまたの機会だ。

 昔から冒険者をやっていただけあって、アレニエさんは幾度もこの街に来ているらしい。彼女の先導で宿に向かう。

 案内された宿は、三階建てで外観も装飾を凝らした立派な建物だった。

 観光客向けだというその宿は、見れば何人かの冒険者が建物の周辺で警護についている。

 ある程度値は張るが、ここのようにしっかりと警備を雇っている宿のほうが安全、との理由でここを選んだそうだ。それはつまり……


「値段が安いところは、安全じゃないってことですか……?」

「部屋に荷物置いてたらいつの間にか盗まれてた、なんてとこも結構」


 良かった……旅の資金を多めに貰っておいて本当に良かった……。

 少しひやっとしたが、気を取り直して中に入り、受付を済ませたあとで食事を取ることにする。

 ここは一階の一部が食堂になっており、外でお店を探さずとも街の名物などは一通り食べることができるという。正直、足もお腹ももう限界なので非常に助かる。

 注文を終え、食堂の席につき、受け取った料理を二人で食べる。食の街というだけあって、出された料理はとても美味しかった。



 満腹になるまで食べたあと、割り当てられた部屋に入り荷物を降ろす。

 部屋は、ベッドが二つと調度品、観葉植物などが置かれただけの簡素なものだったが、観光客向けの宿だけあり、清潔感を感じる綺麗な部屋だった。


「今日はいろいろあって疲れたねー」


 全く疲れてなさそうな声でアレニエさんが私に言う。

 他の冒険者に襲われたり、一日中移動に費やしたりと、条件は同じなのになんでここまで差が出るんだろう……と、もはや一歩も動けない私はベッドに体を預けながらぼんやり思う。

 いや、思い起こせば昨夜の見張りも彼女に任せきりだった。

 条件が同じどころか、彼女のほうにより負担がかかっているはずなのに、ほとんど疲れは見えない。熟練者と初心者の違いなのだろうか。

 そのアレニエさんは、荷物からなにか丸めた紙状のものを取り出し、それを広げながらベッドに腰をかける。私もそれを見ようとして体を起こしかけるが、


「あ、いいよ、そのままで」


 アレニエさんに制止される。ベッドに寝転んだ態勢で話を聞くのは失礼だと思ったのだが、正直もう色々限界だったので申し出をありがたく受けることにする。

「寝る前に、これからの道順まとめとこうと思って」

 それは、簡略化されて描かれたこの世界の地図で、地図ギルドが今年更新したばかりの最新のものだった。


 その名前が示す通り、地図ギルドはこの世界の地図を作ることを生業とするギルドだ。

 昔、自らの足で現地に赴き風景を描くことに情熱を傾けた《家を持たない画家》と呼ばれる人物がいた。

 彼は、まだ地図という概念が無かった当時に、自身で描いた土地の平面図(地図の原型と言われている)を元に旅をしては、その土地土地の風景を描き続けていたという。

 それを見た一人の貴族が、彼の絵とその発想にいたく感動し、この世界の地図を作り人々に広めるべきだ、と提唱したのが地図ギルドの発祥だと伝わっている。

 魔物の領土はいまだ調べることができないのであくまで判明している範囲のものだが、その範囲内での正確性は非常に高く、特に冒険者の間で重宝されている。



「今わたしたちがいるのがここ、クランの街」


 そう言いながら、地図の左下、大陸南西のほぼ端を指で示すアレニエさん。

 彼女はそこから右斜め上にスーっと指を動かし、地図の一点で指を止める。


「で、例の人が見た、勇者が死ぬ場所がここ。だよね?」

「……はい」


 彼女が示した場所は、地図上の中心からやや下、この街から東北東にしばらく進んだ位置にある、『黄昏の森』と呼ばれる場所。


「まっすぐこの森まで行ければ早いんだけど……この辺りはペルセ川が流れてるからね。ちょっと遠回りになるけど橋を渡らないと……」


 この土地にはペルセ川と呼ばれる大きな川が流れている。

 古くから人々に恵みをもたらしてきた水源だが、川幅が広く流れも速いため、旅人にとっては難所となっている。

 泳いで渡るのはもちろん船を使うことも難しいため、向こう岸に行くには、比較的川幅の狭い場所に何か所か架けられた橋を渡るしかない。


「……だから、……の朝一番で街を………て……」


 段々アレニエさんの声が途切れ途切れになってゆく。ベッドに体を預けたまま聞いていたのが災いした。

 昨夜の固い寝床とは正反対の、ふわふわとした柔らかなベッド。そのベッドに全身が包み込まれていくような、極上の心地。

 疲れ切った体はその気持ちよさに抵抗できず、もはや指先を動かすことすら億劫になってしまう。

 まぶたが緩やかに落ちていく。意識も、もうほとんど働いていない気がする……。


「……ここから……森まで………馬で……くらい……途中で……」


 アレニエさんの声も、もうほとんど聞こえない。ああ、もうダメだ。申し訳ないけれど、きょうはこのままねむらせてもらおう……。


「……橋の……にある、《フェルム村》で……して……」


 ……ふぇるむ……? あれにえさん、わたしのことをよびましたか……? 

 すみません、いまとてもねむくて……でも、どうしてわたしのなまえのむら……? ふぇるむむら…………フェルム村……!?


「……――!?」


 眠りにつこうとしていた意識が急速に覚醒する。彼女は今何と言った?


「あれ? でもここ、今は廃村になってる? ……ん? フェルム?」


 そしてアレニエさんも、言いながらなにかに気づいたのか、地図から目を離しこちらを見てくる。


「リュイスちゃん……この村ってもしかして」


 若干こちらに気を遣うような口調で聞いてくる彼女に、私もどう言えばいいかわからぬままに返答する。


「……はい。私の、故郷です……」

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