2章 二人の旅の始めかた

 私は遠目に大男の様子を見る。気絶しているようだが、一応生きてはいるようだ。

 下手をすると、首から上が飛んでいったのではないか、と思うほどの衝撃だったので、無事(ではないかもしれないが)だったことに安堵する。

 脚力、それとも技術だろうか。私とそう体格も変わらないように見えるのに、どうやったらあんな威力が出せるのか。

 その蹴りを放った当の本人は……すごく爽やかに微笑んでいた。


「――はぁ……すっきりした」

「すっきりした……じゃねーよ! なに盛大にブッ飛ばしてんだ!」

「オレらが我慢してたのが台なしじゃねーか!」


 結局巻き込まれた周りの冒険者たちが、口々に女性に文句を言う。なかには料理の皿やコップを持ったまま抗議している人もいる。

 そういえば壊れたテーブルの付近に料理や食器は落ちていなかった気がする。いつの間にか自分たちの食事を持って避難していたらしい。


「いやー、ウチを壊すとか言ってたから、ついカっとなって」

「だからってお前が壊してどうする!?」

「店は壊してないよ。テーブルとイスだけだよ」

「店の備品だろうが!?」


 周囲から浴びせられる指摘も、件の女性にはたいして効果がないようだ。

 彼女たちのやり取りを見ながら、私は内心興奮していた。

 自分より大きな男を簡単に(少なくとも私にはそう見えた)倒してしまったあの手際。同じ女性で、あそこまで実力のある人はそういないのではないだろうか。

 倒された大男のほうは、ちょっと気の毒な気がしたけど……


「ろくな目にあわなかったろう」

「わっ!?」


 急に声をかけられてビクリとする。声をかけてきたのは、それまで静観していたマスターだった。


「腕はいいんだが揉め事が絶えなくてな。大抵一人で仕事をしている」


 私が彼女に熱い視線を送っていたのを察してか、マスターが簡潔に説明してくれる。

 揉め事が絶えない、というのは気になったが、一人で行動しているのなら「少数で」という依頼の条件にも合致する。私にとっては好都合だ。

 説明はさっきので終わったのか、マスターは次に彼女に向かって声をかける。


「修理代はお前の稼ぎから引かせてもらうぞ」

「えー……わたし、一応ウチを守ったつもりなんだけど」

「どこがだ」

「元凶なんだし、そこに倒れてる人から貰えばいいでしょ?」

「そのうえで払えと言ってる」

 どうやら倒れた大男からもしっかり徴収するつもりだったようだ。さすが一店舗の主人、しっかりしている。

「がめついなぁ」

「誰のせいだ」


 お互いに、少し呆れたように文句を言いあっている女性とマスター。でもなぜだろうか、それでも仲が悪いようには見えなかった。


「まあいいや。なんか疲れたし、今日はもう寝る」

「さっきまで寝てただろう」

「途中で起こされて消化不良。だから寝直してくるね。おやすみ、とーさん」


 とーさん……お父さん? 親子? ああ、だからお互いに遠慮がなくて仲が良かったのかな……。でも親子にしては年齢が……?

 そんなことをぼんやり考えているうちに、女性は既に広間の奥にある階段から二階に上がろうとしているところだった。


「! 待ってください!」


 私は半ば反射的に駆けだしていた。

 あれだけの実力で、一人で冒険をしていて、しかも同性(異性と旅をするのはさすがに抵抗があった)。現状で彼女以上の適任はいないように思える。

 先刻の衝撃に突き動かされている自覚もあったが、私はその勢いに押されるように、彼女を追いかけて階段を駆け上がった。



「待って! 待ってください!」


 二階に上がり周囲を見回すと、女性は廊下の端にある部屋の扉を開けようとしているところだった。慌てて呼び止める。


「?」


 部屋に入ってしまう前に私の声は届いたらしく、彼女はこちらを振り向いてくれた。

 良かった……。もし部屋に入ってしまったあとだったら、一部屋ずつ訪問するしか見つける手段がなかった。(そしてそんな迷惑なことはおそらく実行できなかったと思う)


「ハァ…ハァ……少し……ハァ…お話、が……」

「……大丈夫?」


 呼び止めた事情を説明しようとしたのだが、荷物を背負った状態で急に階段を駆け上がったものだから、息が……。

 しばらく荒い息をついてから、ようやく私の体は落ち着いてくれた。その間彼女は、私の呼吸が整うのを黙って待っていてくれた。


「……失礼、しました。私は、アスタリア神殿協会本殿から来ました、リュイス・フェルムと申します」


 顔を上げ、彼女の目を見て、できるだけ丁寧に名乗る。ようやくきちんと挨拶できた。と、


「……かわいい……」

「え?」

「や、ごめん、なんでもない」


 私の顔を見て彼女がなにか呟いたのだが、よく聞き取れなかった。


「とりあえず。ここわたしの部屋だから、中に入る? 荷物重いでしょ?」


 そう言って、彼女は部屋の扉を開け、中に入って手招きする。

 確かに、ちゃんと説明するなら立ち話で済む話ではないし、他の誰かに聞かれるおそれもある。落ち着いて話ができる場所は必要だった。荷物も重いし。


「……わかりました。お邪魔します」


 

「ぅわあ……」


 彼女に招かれて部屋に入ったのだが、驚きでつい声が漏れてしまった。

 大きさから見て、元はおそらく二人用の部屋なのだろう。

 そこそこ広い部屋にベッドが二つ、それに机やクローゼットなどが置かれている。そしてその家具のすき間を縫うように、物がそこかしこに積まれていた。

 木箱に無造作に入った金貨(!)や銀貨、銅貨の山。小型の調理器具や食器類。ナイフやロープ、火付け石などの道具。武器や防具、マントや防寒具――。

 おそらくは、冒険に必要と思われる大半のものが、そしてその冒険の結果得たであろうものが、この部屋に押し込められている。

 一応、ある程度は用途ごとに分けられているようなのだが、基本的には大ざっぱに積み上げているだけに見えた。


「……ここ、宿の一室ですよね……?」


 あまり詳しくはないが、少なくとも一般的な宿でこんなに私物を溢れさせていたら怒られるのではないかと思う。


「最初に無理言って、この部屋もらったんだ。とーさんにはよく片付けろって言われる」


 そういえば、推定、マスターの娘さんだった。ある程度の無理は利くのだろう、と納得する。

 女性は、机の前にあったイスをベッドのあるほうに向けると、私に座るよう促し、自身はベッドに腰をかける。


「そういえば、まだ名乗ってなかったよね。わたしはアレニエ・リエス。この店で冒険者をしてます」


 そう言って、ぺこりと頭を下げる。丁寧、というよりは、私の緊張を解すためにおどけてくれているような感じがする。

 ただ、わざとおどけてくれているせいなのか、それとも別の理由からか、その笑顔はわずかに作り物めいている気もした。


「アレニエさん、ですね。よろしくお願いします」


『アレニエ・リエス』……変わった名前だと思う。

『アレニエ』というのはこの国の言葉で『蜘蛛』という意味だし、『リエス』という姓に至っては私は聞いたこともなかった。他国のものだろうか。


「好きなように呼んでいいよ?「アレニエ」でも「リエス」でも、なんなら愛称でも」

「あ、う……と、とりあえずアレニエさんで」


 人見知りの私に、出会ったばかりの人を愛称で呼ぶ勇気はなかった。


「あ、わたしはリュイスちゃんて呼ばせてもらうね」

「リュイスちゃん……は、はい」


 普段そんな呼ばれ方をされることはないので少々くすぐったいけど、嫌な気はしない。


「えーと、それで。わたしになにか話があるんだよね?」


 そうだった。呼び名に照れている場合ではない。


「『上』の神官さんがこんなとこまで来るなんて珍しいけど……あんまり人には言えない感じの話かな?」


 ……鋭い。

 洞察力は、経験の賜物だろうか。私の要件は彼女の言う通り、上層や中層で公にはできないものだった。

 私は、神殿から依頼を託されてとある場所まで旅をすること。かなりの危険が予想されること。機密のためできれば少数が望ましいこと、などを説明し、それから報酬額を提示する。

 しかし、概要を聞いた彼女は少し困ったような笑顔で私を見る。


「なんだか、全体的にぼかした説明な気がするけど、それも、人には言えないから? 内容聞いたら、もう断れないとかかな」

「はい……すみません、機密事項の多い件なので……」

「もし、聞いたうえで断る、なんて言ったら、制裁とかくる?」

「……もしかしたら、そうなる、かもしれません」

「うーん、総本山はあんまり敵にしたくないけど、内容確認できないと受けづらいなぁ……それに、わたし護衛任務苦手で。どうしようかな……」


 う。警戒されてる。

 いや、当たり前なのかもしれない。

 冒険者は、極端な話、自分の命を切り売りしているようなものだ。

 内容と、報酬と、自分の腕などを天秤にかけて、その依頼を受けるかどうかを決めるのだろう。依頼内容が不明なら、慎重にもなる。

 けれど私は、どうしても彼女にこの依頼を受けてほしい。


「……断ったとしても、アレニエさんが咎められないように、私が掛け合ってみます。ですから、依頼の詳細な内容を聞いてから、判断していただけますか?」


 実際になにかあった時、私の嘆願が聞き入れられるかは分からないが、今はこれが精一杯だった。


「え? あ、うん。教えてくれるなら」


 少し驚いた表情でアレニエさんが頷く。

 断られた際の今後を想像すると不安が残るが、今は彼女への説明に注力すべきだ。


「……目的地は、魔物の領土の入り口、『黄昏の森』。そこで……」


 私はここで一度言葉を切り、彼女の目を見つめながら改めて続ける。


「私と一緒に……勇者さまを助けてください!」

「………はい?」



「勇者を……助ける?」

「はい……順を追って説明します」


 発端は、新しい勇者が選ばれたことだった。


 魔物の王たる魔王は、不滅の怪物である。

 強大な力もさることながら、なにより恐ろしいのは『滅ぼす』手段がないことだった。通常の武器や魔術では傷をつけることさえ難しく、できたとしても倒すことができない。

 唯一アスタリアさまより賜りし《神剣》だけが、魔王を倒すことができるのだが、それでも完全に滅ぼすことはできず、一時的に眠りにつかせることしかできない。

 およそ百年の眠りの後、魔王は再び蘇るという。

 神剣もまた、役目を終えると力を失い、眠りにつく。

 魔王が眠りから覚めるとき、それに呼応するように神剣も目覚め、新たな主を求めると言われている。

 つまり神剣が目覚めるということは、同時に魔王の復活も意味する。

 先日、およそ十年ぶりに神剣の目覚めが確認され、『選定の儀』と呼ばれるしきたりに則って新たな使い手――勇者が選ばれた。

 そして、問題はそこで発生した。


「神殿には『流れを見る』という特殊な『目』を持つ人がいるんですが……」


 《流視》とよばれるその『目』の持ち主は、物事の流れを見ることができる。

 人やものの動きの流れ。目には見えない魔力の流れ。普段見えるのは、そういった小規模なものに限られている。

 けれど時折、大きな流れを見ることがあるという。

 戦の趨勢。村や街の興亡。そして――人の一生。

 その『目』が、今回よりにもよって、勇者の命の流れを映した。

 しかも勇者は、魔王と対峙するどころか、旅の序盤で命を落としていたらしい。


「えっ、それまずいんじゃない?」

「とってもまずいです」


 魔王が目覚めれば、それと同時に魔物が増殖、活発化する。

 なにもないところから現れるのか、地面から湧き出しているのか、真っ当に繁殖しているのか、詳しいことはわかっていない。あるいはその全部かもしれない。

 魔物の勢力が増え続ければ、遠からず人類は敗北するだろう。現状、それを防ぐには、魔王を倒す以外に手がない。

 そして先刻述べたように、魔王を倒せるのは、勇者の持つ神剣だけ。


「勇者さまは『黄昏の森』で、全身に漆黒の鎧を纏い、強大な風を操る魔族と戦っていたそうです」

「漆黒の鎧に、風……もしかして――」

「はい……おそらく、『暴風』のイフです」


 魔物の中でも、特に知能が高く人に近い姿のものは、他と区別して魔族と呼ばれている。

 総じて、知能だけではなく戦闘能力にも秀でているため、人間たちから恐れられている。

 そして問題の魔族の特徴は、通常の魔物や魔族以上に恐れられている存在と一致する。

 魔王直属の将軍、《魔将》の一柱。『暴風』のイフ。

 魔将とは、魔王と同じように不死を誇り、強力な魔力を自在に操る、通常の魔族以上に極めて危険な存在だ。

 しかも『暴風』のイフといえば、一説によれば、初代の勇者とも戦ったことがあるという、半ば伝説のような存在だ。

 さらに勇者の旅の流れでは、この王都を旅立ってからあまり時を置かずに魔将とぶつかっているらしい。

 十全に備えてもなお勝てるかわからない難敵。経験の浅い勇者ではなおさら歯が立たないだろう。

 そんな相手が、今まさに、勇者の命をつけ狙っている。


「その人が『見た』ことは、確実に起こるの?」

「……放っておけば、ほぼ確実に。ですが……」


 まさにそれが、今回の依頼の本題だった。

 例えば、私が道を歩いているときに頭上から石が落ちてくる、という流れを事前に『見た』とする。

 その場合、石が落ちてくる場所を避けて通れば、『頭に石が直撃する』という未来は回避することができる。

 勇者の命が途切れる、という流れでも、それはまだ起こっていない未来の出来事。あくまでこれから起こるかもしれない流れでしかない。

 それなら、その流れ自体を変えてしまえばいい。


「……そういう力技ありなんだ」


 力技と言われると否定できないけれど。


「とにかく、勇者さまが命を落とす、という流れを変えるためには、その流れの元凶を取り除くのが最も効果的だ、と司祭さまは考えられました」


 元凶を取り除く。すなわち、問題の魔族を排除すること。それが、この依頼の目的だった。

 勇者が殺されないようどこかに匿う、という案も出されたが、前述の理由によりそれは却下された。

 勇者が死ぬことはもちろん回避するべきだが、だからといって魔王を放っておくこともできない。


「なら、騎士でも冒険者でもいいから、勇者に沢山護衛をつけるとかは? 事情を説明すればできそうな気がするけど」

「過去に、それを実行した勇者さまもいたそうなんですが……」


 大人数で行動したその一行は、魔物に度々発見され戦闘になり、しかも勇者が率先して狙われるのを守りながら行軍する羽目になったという。

 今はそうした事態を防ぐため、大陸中央の『永遠戦場』と呼ばれる場所で魔物の目を引きつけ、その間に勇者が少数の仲間を連れて魔王を急襲するようになっている。


「それに、『目』のことは総本山でも機密扱いで、あまり公にできないんです」

「ふーん……?」


 事情を説明するためには、件の『目』についても明かさなければならない。

 しかし、未来を予知するにも等しい『流視』は、下手に知られれば誰に、どのように利用されるか分からない。そのため、この件は神殿内でも限られた人間しか知らなかった。 


「なるほど。それで少数の冒険者に依頼、って話になったんだ」


 アレニエさんの言葉に私は頷く。

 今回の依頼は、『流視』を明かす相手は極力少なく、そのうえで魔将を倒さなければいけない、という極めて危険なものだ。

 騎士団なら、人数と統率された動きによって、魔将と戦うこと自体はできるかもしれないが、その人数ゆえに機密を扱うには不向きだ。

 対して冒険者は、少数で行動することに長けているため、秘密が広まる危険は少ないが、魔族と戦えるかどうかはその冒険者個々人の実力に大きく左右される。

 だからこそ私は、剣帝を探しに来た。彼ならば、単独で魔将と戦うことも十分にできると期待して。

 その結果は知っての通りだったが、そこで私は、アレニエさんと出会った。

 子供のころ、おとぎ話を聞いて心を躍らせたように、彼女が戦う姿を見て私の鼓動は高鳴った。彼女なら、魔将とも戦うことができるのではないか、と。

 問題は、その彼女が依頼を受けてくれるかどうかだ。


「…………」


 彼女は見るからに悩んでいた。目線を下げ、一言も発さずに黙考している。

 しばらくして、アレニエさんが口を開く。彼女の返答は――

 

 *****


「クソっ!」


 怒りを抑えきれずに、飲み干したグラスを叩きつける。叩きつけた衝撃でグラスは砕け破片が飛び散るがそんなことはどうでもいい。

 あの後、気が付いたらオレは、あの店からは離れた路上に寝かされていた。

 全身が、特に側頭部がひどく痛んだ。なにがあったのかを思い出したのはしばらく経ってからだった。

 怒りと羞恥で頭が沸騰しそうだったが、その度に蹴られた部分がズキズキと痛んで苛んでくる。それがまた怒りを倍増させていた。

 馴染みの酒場に辿りついたのは深夜。とりあえずは飲んで鬱憤を晴らすつもりだった。

 だが憂さを晴らすために飲んでいるはずなのに、飲めば飲むほどイライラが溜まっていく。それもこれも……


「どうした、えらく荒れてるな」


 顔馴染みの冒険者が話しかけてくる。

 フードを被った痩せぎすの男で、オレと同じ裏家業を主にこなす類だ。下層には(特にこの辺りは)こういうのが多い。


「今日は、あの店に行くと息巻いてただろう。返り討ちにでもあったのか?」


 そのものずばり言い当てられ、さらにイライラは増していく。


「まさか、ホントにそうなのか? ハハハっ、あんなに自信満々だったのにな」

「うるせぇ! あんなもんは負けたうちに入らねえ!」


 クソっ、どいつもこいつも癇に障りやがる。


「まともにやってりゃオレが負けるはずがねえんだ! それをあの女ぁ……狸寝入りで騙し討ちなんぞしやがって……!」

「女? 狸寝入り? ……ひょっとして、白い鎧に黒い左篭手の女か?」

「あ? あぁ……言われてみりゃそんな格好だったかもしれんが……お前、知ってるのか?」

「……ああ。そいつはおそらく《黒腕(こくわん)》だ」


 こいつの話によれば、あの女は結構な有名人らしい。

 まぁ外見だけは整ってるうえに、左腕の篭手だけが黒いなんてのはどうしたって目立つ。オレは知らなかったが。

 基本的にはあの店に腰を落ち着けているが、気まぐれに他の冒険者の店に現れては騒ぎを起こしているとか、迂闊に近づくと折られる(?)とか、ろくな話が出てこない。


「ちなみにあの女、本当に寝たままで反撃してくるらしい」

「そんなもんどっちでもいいんだよ!」


 とにかくオレはあの女が気に入らない。なんならすぐにでも報復に……!


「……ふむ。なら、他の連中にも声をかけてみるか? 黒腕に恨みを持つヤツは多い。探せばすぐに集まるだろう。先刻、急ぎの依頼が入って人数を集めるつもりだったからちょうどいい」


 普段の自分なら、徒党を組んで女を襲いに行く、なんて話はおそらく断っていた。

 だがこのときは、いかんせん頭に血が昇っていたし酒も入っていた。このイライラを解消できればなんでもよかった。


「ふん、いいなそいつは。乗ったぜ」


 これであの女を叩きのめせば溜飲も下がるだろう。

 わずかにだが気分も回復し、支払いを済ませて帰ろうと懐から財布を取りだしたところで、


「…………クソがぁっ!?」


 ご丁寧に財布の中身だけが綺麗に抜かれていた。


 *****


 目が覚めた。

 時刻は、太陽が昇って間もないぐらい。大体いつもこのぐらいの時間には目が覚めてしまう。

 普段は依頼のために旅に出ることが多く、ウチに帰って寝ることができる時間は貴重なのだが、身に着いた習慣が早く起きるように急かしてくるので、仕方なく目を開け、体を起こす。

 隣のベッドでは、まだリュイスちゃんが眠っている。

 昨夜、依頼の話を聞いたあと、今晩の宿をどうするのか尋ねると、まだ決まっていないとのことだったので、わたしの部屋に泊めたのだ。

 最初は遠慮しようとしていたが、結局は彼女が根負けする形になった。

 なんで部屋に泊めたのか? リュイスちゃんが好みのタイプだったからです。

 ……そっちの趣味なのかって? 違うよ、わたしはどっちもいけるだけだよ。 

 結局、わたしはリュイスちゃんの依頼を受けることにした。

 報酬に惹かれた部分もあるけれど、それ以上に、依頼自体に興味があった。

 彼女が言っていた『目』に、勇者や魔将……

 それに、依頼を持ってきた彼女自身にも興味がある。

 最初は、総本山やその関係者と関わるのは遠慮しようかと思っていたのだけど、彼女からは総本山、というか上層の住人らしさがあまり感じられなかった。

 依頼を持ってきたのが彼女以外だったら、それこそ断っていたかもしれない。

 わたしは、その当の本人を起こさないようにそっと部屋を出ると、階段を下り、一階の広間に向かう。

 広間は、昨夜の騒ぎが嘘だったかのように綺麗に片づけられていたが、わたしが壊したテーブルの位置にだけはなにも置かれていなかった。


「起きたか」


 突然声をかけられるが、特に驚きはなかった。毎回こうだからだ。だからわたしも、いつもと同じように挨拶を返す。


「おはよう、とーさん」

「ああ」


 とーさんは、昨夜と同じくカウンターにいた。今からもう開店の準備をしているのだろう。

 長年一緒に暮らしているが、わたしより遅く起きる姿を見たことがない。たまにあそこから動いてないんじゃないかと思うことさえある(そんなはずはないが)。


「あの依頼、受けるのか」

「うん」


 とーさんの話はいつも唐突で簡潔だ。

 言葉数が少ないのは喋るのが苦手だからだが、それとは裏腹に察しはいいので、口を開くと大体こうなる。

 依頼の詳しい内容を聞けば、わたしがそれに興味を抱くことは察しがついていたのだろう。あのあとリュイスちゃんが降りてこなかったことも、推測の理由の一つかもしれない。


「……あまり、こだわりすぎるなよ」

「わかってる。ただ、ちょっと会ってみたいな、と思って」


 そもそも、「陰から勇者を助ける」という依頼なので、本人に会う機会もないかもしれないが。それならそれでもいい。


「分かっているなら、いい。いつも通り、気を付けて行け」


 これも、毎回のことだった。

 依頼を受けて冒険に出るというのはつまり、自分の命を危険に晒して賃金を稼ぐ、ということだ。場合によっては、今こうして話しているのが最後の挨拶になるかもしれない。

 だからとーさんの「気を付けて行け」は、命がかかっていることを常に意識しろ、という忠告だ。

「いつも通り」という言葉の通り、毎回ウチを出るときにはこう言ってくれる。要は心配性なのだ。

 それが分かっているから、わたしも「いつも通り」に言葉を返す。


「うん。気を付けて行ってくる」

 

 *****


 目が覚めた。

 窓から入る陽の光が、否応なく朝であることを告げてくる。

 しばらく瞼と格闘したあと、なんとか目を開くが、そこに映る部屋の光景は見知ったものではなかった。


「……? ……??」


 軽く混乱してからようやく、自分がいつもとは違う部屋で寝泊りしていたことを思い出した。


「そうだ……アレニエさんの部屋に泊まったんだった……」


 そのことを思い出すと、連想して昨夜のやり取りも頭に浮かんでくる。



 あの後、アレニエさんは私の依頼を引き受けてくれた。

 精一杯の感謝を伝えた後に、まだ今晩の宿を取っていないことに気づいた私に、アレニエさんがこの部屋に泊まっていいと提案してくれた。

 申し訳なさから最初は遠慮していたのだが、結局押し負けて彼女の厚意に甘えることにした。

 ちなみに、一緒のベッドで寝ようという提案は固辞させてもらった。

 隣のベッドで眠るアレニエさんは、鎧や服を脱ぎ、下着姿になっていたが、なぜか左手の黒い篭手は着けたままだった。

 それを疑問には思ったが、まだ知り合ったばかりで聞いていいものか憚られた。

 そして今はそれ以上に、彼女の体に意識が向いていた。

 無駄な脂肪がほとんどなく引き締まった、均整のとれた肢体。

 これまでの仕事でついたものか、体にはいくつか目立つ傷跡もあったが、それらを含めて綺麗だと思った。さっきとは違う胸の高鳴りを感じて寝付けなかった。


「(私って、女の人が好きだったのかな……)」


 普段、そういった方面のことは考えたことがないから分からない。

 それに、神殿では各人に個室が割り当てられているので、他人の素肌を間近で見るような機会がなかった。

 多分、見慣れていないからドキドキしているのだ。きっとそうだ。

 とはいえそれも最初だけで、程なくして訪れた睡魔によって、昨夜はいつの間にか眠りについていた――」



 隣を見れば、既にベッドには誰もいない。

 アレニエさんはもう起きて部屋を出たらしい。私も、いい加減きちんと起きなければ。

 簡単に身支度を整えてから、私は部屋を出て、一階に下りて行った。」



「えーと、そのダガー十本と……あと、銀の短剣も二本もらおっかな」

「おう、毎度あり」


 アレニエさんは年配のおじさんに代金を渡し、注文したものを受け取る。

 彼女は腰のポーチや鎧の裏などに手早くそれらをしまい込む。傍目には買い物をする前と変わらない外見だった。

 私たちは今、下層の商店街で、これからの旅に備えて買い物に来ていた。

 こうして明るいうちに出歩くと、昨夜は目に入らなかった部分が色々と見えてくる。

 劣悪な環境だと言われている下層だが、実際に見ると噂に聞いたほどではないように思う。

 建物自体は古いがしっかりと補修されているし、足元の道も石畳が敷かれてある。

 治安が悪いとも言われているが、活気のある商店街の様子からは、特に不穏な雰囲気も感じられない。

 とはいえアレニエさんによれば、この辺りは下層の中ではかなりマシな部類だそうだ。場所によっては私が聞いた噂通りのところもあるらしい。できれば近づきたくない。


「よう、アレニエ」


 不意に、アレニエさんに声が掛けられる。

 声は、若い女性のものだった。そちらに振り向いてみると、露店を開いている1人の少女の姿があった。

 年齢は、私と同じくらいだろうか。綺麗な水色の髪の毛を大きな帽子で覆い、上半身は動きやすそうな薄着、下半身はダボっとしたズボンに身を包んでいる。

 名前を呼んでいたし、アレニエさんの知り合いだろうか。


「あれ、ユティル。帰ってたの?」

「おう。少し前にな」


 少女の名はユティルというらしい。やっぱり知り合いだったみたいだ。


「……珍しいな。あんたが誰かと連れ歩いてるなんて。しかもその聖服、総本山のもんだろ。『上』のヤツと一緒だなんて、ますます珍しいじゃないか」

「この子は、その総本山から依頼を預かってきた依頼人。その依頼を引き受けたから、旅に備えて買い出しにきたの」

「へぇ……」


 彼女――ユティルさんが、私を値踏みするような目で見る。

 その視線に多少身を固くしながら、私は彼女に対して自己紹介する。


「は、はじめまして。リュイス・フェルムといいます」


 睨みつけるような視線で私を見ていたユティルさんは、私の言葉を聞いた途端目を丸くする。なんだろう、そんなに変なこと言ったかな、私……?


「……あんた、本当に総本山の神官?」

「えっ? はい、一応……」

「だって全然そんな感じしないよ。無意味に偉そうじゃないし、あたしに普通に挨拶してくるし。あそこの連中なら、まともな反応返ってくるわけないのに」

「ね、変わってるでしょ、リュイスちゃん」


 なぜかアレニエさんが得意げに言う。


「こっちの子はユティル。ふらっと旅に出ては、変なもの仕入れてこうやって露店開いてるの」

「変なものとはなんだよ」


 ユティルさんは一言アレニエさんに文句を言ってから、私に向き直る。


「ユティルだ。さっきは悪かったね。『上』の連中にはあんまりいい印象がないから、つい警戒しちまって」

「いえ、気にしないでください」


 正直、彼女の気持ちは理解できる。できてしまう。「私も同じ」だからだ。


「ありがと。やっぱあんた、『上』の人っぽくないね」


 彼女は笑いながらそう言う。


「そうだ、アレニエ。あんたを呼び止めたのは、それこそ新しいのを仕入れたからなんだ。見ていかないか?」


 彼女は続いて私に向き直る。


「そっちの神官さんも。さっきのお詫びに、少しまけとくよ?」

「え、ほんと?」

「あんたは普通に買え。依頼で稼いでるだろ」

「えー」

「とりあえず、これとかどうだ? 強い衝撃を与えると煙が噴き出す道具。起動すると周囲の魔力を燃料に煙を撒いてくれるから、魔力がないあんたでも使えるよ」

「あ、いいね。便利そう。まけてくれる?」

「だから普通に買え」


 そのやり取りに、少し笑ってしまった。

 私は彼女の言葉に素直に甘え、アレニエさんと一緒に露店の品を見ることにした。



 ユティルさんのお店で買い物を済ませ、彼女と別れたあと、私たちは宿への帰路についていた。

 私が買ったのは、傷薬や解毒薬などの薬類。

 神に仕える神官は、信仰する神に祈りを捧げることで《法術》と呼ばれる術を使い、他者の傷を癒すことができる。が、もしものための備えは多いほうがいい。

 アレニエさんは、先刻の煙を出す道具を含めていくつかの品物を買っていた。ちなみにまけてはもらえなかった。

 二人で下層の街並みを歩いていく。

 アスタリアさまが眠ると言われるオーブ山の麓。そこに築かれた王都グランディールは、

 王族や貴族が住まう上層、一般市民が暮らす中層、そして、なんらかの理由で中層以上に住めない人々が生活する下層に分かれた積層都市だ。

 今でこそ三層に分かれ、上層や中層に都市機能のほとんどが集中しているが、元々はこの下層が王都の基礎だったらしい。

 住人の増加、建築技術の発展、そして信仰心(オーブ山の山頂に近づくほどアスタリアさまの加護が受けられると言われている)などの理由から、

 徐々に街は拡大し、上昇し、格差が広がっていった。

 古くから国に従事していた人間のほとんどは、貴族として上の階層に移り住んでいったが、中には住み続けた下層に愛着を持ち、残りたがる住人もいたらしい。

 残った仲間に配慮してか、国は下層に不必要に干渉しないようになり、その姿勢は下層が貧民街となった今も続いているという。

 結果としてこの街は、貧しい者や訳ありの人間が逃げ込み、なおかつ国の手が届きにくい、という特異な場所となった。

 だからこそ、表に出られない実力者が隠れている可能性があるのだが。


「アレニエさんは、この街はもう長いんですか?」


 歩きながら、なんとはなしに聞いてみる。


「わたしが住み始めたのは十年くらい前からかな。まあ、十年も住んでれば地元かもしれないけど」

「じゃあ、元々は違う国の出身なんですね」


 初めて彼女の名前を聞いたときに思ったとおり、他国からの移住者のようだ。

「実は、アレニエさんのリエスって姓、この国ではあまり聞かないな、と思って気になってて……」

「あー、そうだね。かーさんが北の国の出身で、そのあたりの姓らしいから、この辺じゃ聞かないんじゃないかな」


 なるほど、聞き覚えがないはずだ。私は国外に出たことがないし、他国から移民してきた人と接する機会もなかった。


「アレニエさんのお母さんも、この国でご一緒に住んでいるんですか?」

「ん? いないよ? わたしの両親もう死んでるから」

「えっ――」


 亡くなってる……? あれ、じゃあお店のマスターは……?


「とーさんはわたしが物心つく前に。かーさんはわたしが子供のころに。そのあと、今のとーさんに拾われてこの街に来たんだ」

「あ……え、と……」


 ……こういうとき、私は相手になんて言葉をかければいいのかが分からない。謝るのも話題をそらすのも違うような気がする。

 かといって、気が利く言葉が思い浮かぶわけでもない……


「……リュイスちゃん?」

「え、あ……すみません! 不快に思われたなら……!」

「いや、そんなことないけど。それより、気を遣わせたならごめんね。昔のことだから、あんまり気にしないでね」


 アレニエさんはそう言って笑う。それは、昨夜感じたのと同じ、わずかに作り物めいた笑顔。

 彼女のそれは、心からのものではなく、処世術のようなものなのかもしれない。自分の感情を封じ込めて、穏便にやり過ごすための……


「…………私は……私も、両親はもういないんです。私が幼い頃に死別して、その後、司祭さまに拾っていただいて……」


 その笑顔に、なにか無性に心が締めつけられるような気がして、気づけば私は口を開いていた。

 私の事情を知っている人は、家族に関する話題自体を必要以上に避ける。

 事情を知らない人は、家族がいないことを告げると、ひどく申し訳なさそうな態度になる。

 どちらにしても、罪悪感を感じてしまう。

 先ほどは、そういった自身の経験からああいう反応になってしまったのだけど……


「そっか。似たような境遇なんだ」


 彼女はそう言って、再び微笑む。

 それは、先刻までの作り物めいた笑顔とはかすかに違う、彼女の本来の笑顔が垣間見えたような気がした。

 その笑顔に、なにを言うべきか分からないまま口を開きかけるが、ちゃんとした言葉になる前に彼女に遮られる。


「ごめん、ちょっと待ってね。あ、後ろ振り向かないで歩き続けて」

「……?」

「さっきから、誰かに見られてるみたい」


 彼女が言うには、少し前から誰かが後をつけてくる気配や、監視されてるような視線を感じていたらしい。


「私たちを監視なんて、一体誰が……」

「えーと……多分、わたし目当てだから先に謝っとくね」

「……はい?」

「わたし、あちこちで色々やらかしてるから……ほら、昨日みたいな」


 そう言われて、つい納得しかけてしまった。

 そういえば、マスターが彼女について、「腕はいいがトラブルが絶えない」と言っていたのを思い出した。


「たまにあるんだよね、こういうの。ちょっと久しぶり」


 いつ襲撃されるかも分からないのに、アレニエさんは気楽に言う。

 さっきまでの気まずさは、もうどこかに霧散してしまっていた。


「様子見だけみたいだし、街中で仕掛けてはこないかな。とりあえず一旦ウチに戻ろっか」

「はい……」


 どのみち、買ったものも含めて旅の荷物をまとめる必要があるので、宿には戻らなければいけない。

 私は、本当にこの人で良かったのだろうか、と、今さらになって若干の不安を感じつつ、宿までの帰路についた――

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