第2話 一身上の都合により活動を無期限休止とします。
ご飯を食べてお風呂に入って寝て起きてご飯食べて学校に行ったら愛美が「七海おはよ〜」って寄ってくる。私も「おはよ〜」って返事をする。
「足大丈夫だった?」
「がっちりテーピングしてるから歩くくらいは全然平気。けど激しい運動は一週間禁止だって」
「うわー、大変だ。でも靭帯切れたとかじゃなくてよかったねえ」
「転んだくらいで大袈裟な」
「昨日送った動画見た?」
愛美の言葉には接続とか脈絡というものがほぼ無い。ラリーとかも無い。
「見たよ。正直コメントに困るけど」
「面白くなかった?」
「面白いと怖いと気持ち悪いの間くらい」嘘。怖いと気持ち悪いが八割で面白いは押し負けている。
あのあと結局、例の「よつばちゃん」のチャンネル「よつばちゃんねる」をチャンネル登録してしまった。私もあの疲れてるっぽい人たちの仲間になってしまうのだろうかと思わないではなかったけど、だって、可愛い。
部活を禁止されても授業を免除してもらえるわけではなくだから私は今日も下敷きで顔を仰ぎながらどうにかこうにか七時間を乗り切る。暑くて集中できないから休みというのが夏休みの真実ならば、三十度を超えた時点で学校が休みになったっていいのに。クーラーもないんだし。
佐倉先生に怪我の状態の説明をして部活はしばらく休み、マネージャーくらいのことはできると言ってみたものの参加できないテニスをずっと眺めているのは結構つらくて、私は結構げんなりしながら帰途につく。痛いのは右の足首だけなので残りの体九割くらいがうずうずしていて壁打ちくらいならできる気がしたけど無意識に体重移動しちゃうからだめだって佐倉先生に言われて諦めた。
「そう落ち込まなくてもさ、一週間でしょ? すぐだよ。試験前の部活禁止と同じじゃん」
「試験前の部活禁止はみんなできないけど今は私だけができないから悔しいの」
「あー。ぐうの音も出ない」
ぐうの音も出ないって日常会話で使う? 使わなくない?
「見てるだけがつらいなら部活まるっと休んで帰っちゃえば? 英語の小テスト近いし」
「休んだってどうせ気になるもん」
最初はプリキュアに憧れて(しかも憧れたラクロスではなくなんか似てるというだけで選んで)始めたテニスだったけど、今となっては割と本当にちゃんと好きなのだ。禁止されればうずうずする。うずうずしたところで足首が早く治るわけではなく、大会に出られないどころか悪化してテニスももうできませんみたいなことになったら困るので我慢はする。我慢はするけどストレスは溜まる。
帰ってご飯を食べて宿題を片付けて英語の小テストの勉強をちょっとしてお風呂に入ってまた机に向かう気にはなれなくてYoutubeをひらいたらよつばちゃんねるで生放送をやっていたので見る。バーチャルYoutuberの生って何だろう。
『今日は折角の生放送っていうことで、画面の右側にチャット欄があると思うんですけど、そこに書き込まれた質問や相談にリアルタイムで答えていこうと思います』
なるほどよつばちゃんの言う通り画面の右側にはコメントの流れる欄があって、画面の一番下にはコメント入力欄がある。生放送だけでも驚いたのに、いつの間にこんなに高機能になっていたのだろう。
『あ、さっそくコメントだーありがとう! 最近よく筋肉痛になります。心当たりが無いのですが――えっと、熱中症の症状だと思います。どうしようなんか普通に答えちゃったけど、うん、ちゃんと休んでください。えっとー、えっとー、次!!』
初手からゆるふわ通り越してぐだぐだな雰囲気を醸している。大丈夫なんだろうか。
『次の質問。よつばちゃんはお医者さんなんですか? えっと、お医者さんではありません。昔お医者さんになりたかっ……間違えました。今のなし。今のなーし! 聞かなかったことにしてください! 次!』
バーチャル女子高生、すっかり大学を出ていることを生放送で漏らす。運用が甘い。
その後も体調が悪いとかやる気が出ないとか視聴者層を想像してしまうような薄暗い質問が続く。そのうちに、わたしの話も聞いてもらえるんじゃないかという気がして、つまるところほとんど魔が差して、私はコメント欄にコメントを打ち込む。
『次の質問。えーと、怪我をして部活に出られなくて落ち込んでいます。上手に気分転換する方法があったら教えてください。ふむ。学生さんかな? この時期は大会前だし、焦ったり落ち込んだりしちゃうよね。でも焦って怪我が良くなることはありません。今はしっかり休んで、治してください。それで、退屈なときは私の動画を見て元気出してくれると嬉しいなー、とか、えへ。宣伝』
それだけだった。ただの無難なコメント。ただの無難なコメントだったのに、私はなんだか感極まってしまって枕を抱きしめて布団にうずくまる。すごい。なんだかすごくすごい。よつばちゃんに私のコメントが届いて、ちゃんと返事が来た。アニメのキャラクターはいつも画面の向こうだけにいて、私は一方的に憧れるだけで、コミュニケーションなんてできたことがなかった。すごい時代だ。未来だ。
その後うっかり夜中まで動画を見てしまって完全に寝不足でしかもその日は朝から全校集会があって風通しの悪い暑い体育館で突っ立っていたら貧血を起こして倒れた。意識を失ったとかじゃないんだけど手足に力が入らなくてぼんやりしたまま保健室に運ばれて冷やされて寝かされた。涼しい保健室ですやすや眠っていたら夢を見た。誰かに呼ばれる夢だ。
「大槻さん」
誰かが呼んでいる。私はその声の主を探す。でも周りがあんまりよく見えない。なんだかぼやけて、声の主がそこにいるのにピントを合わせることができない。私はこの声を知っている。
あ、違う。違うとわかる。私は目を閉じている。そうか、じゃあ見えなくて当然だ。目を開けなきゃ。
「大槻七海さん」
「――よつばちゃん?」
目を開けたとき私の顔を覗き込んでいた養護教諭は「よつばちゃん」の名前に激しく動揺し、後ずさりながらお尻から転ぶみたいにして隣のベッドに着地しつつカーテンを巻き込んでちぎった。あーあー。
「……大丈夫ですか?」
言いながらちょっと身体を起こす。五月田先生は「……何か、踏んで、……滑って、転んだだけです」とぶつ切りの日本語で答える。それだけ青褪めていてどこに説得力があるつもりなのだろう。隠すならもうちょっとちゃんと隠してほしい。生放送もだいぶ迂闊だったけど。
とはいえ私もまだ頭が重く、内臓がどろどろに溶けているみたいに気持ち悪くて、それ以上突っ込む気力がわかない。中途半端に起こしていた上半身をまたベッドに沈める。
「体調はどうですか」
「まだ、だめです。頭痛と、お腹。痛くはないんですけど、なんか気持ち悪くて」
「少し起きて水分を摂ってください。昨日はどれくらい眠りましたか」
「……二時くらいまで起きていたので、五時間とか」
「寝不足は貧血と熱中症を誘発します。寝苦しいのはわかりますができるだけきちんと眠ってください」
五月田先生の声にてきとうに相槌を打ちながら、わたしはまた微睡んでいる。ショックとかはあまりなかった。眠くて気持ち悪くて頭が痛くて、それだけだった。
午後くらいには気分も回復して教室に戻って授業を受けて部活は行かないで家に帰ってよつばちゃんの動画を見ようとしたらチャンネルが消えていた。慌ててツイッターを確認しに行くと、そこには「一身上の都合により活動を無期限休止とします。今までありがとうございました」というメッセージが掲載されていた。
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