三津凛

第1話

陸奥の山奥には鬼がでる。

旅人を襲っては、その肉を喰ろうていた。恐ろしいことに、この鬼は人の生き肝を好むということだ。麓の村人は鬼を知って山には近づかないが、何も知らない余所ものたちは迂闊に近づいては腕や脚を喰われていた。

たまに命の助かるものもあったが、腕や脚の一本をなくしてそれはそれは惨めな姿と成り果てて、何処へとも行方知れずになってしまった。


この話を、京の都から遍歴してきたある坊さまが聞いて、「妙な噂もあるものよ」と首を傾げた。

京の都にも怪しげなるもの、恐ろしきものは多く聞く。悪霊や怨霊、生霊や狐の類いはでるけれども、やはり一番恐ろしいのは生きた人間の念である。坊さまはお師匠からまだ小坊主だった時分に、一つ不思議な話を聞かされていた。

それはこんなものであった。



京の都のある位の高い貴族のお屋敷に、「きぬ」という乳母がおった。お家柄のよいお屋敷であったが、なかなか子どもに恵まれず、ようやくお嬢さまが産まれたものの、そのお嬢さまは前世の因縁か産まれた時から不具でおまけに知恵も遅れているようだった。きぬは心を痛め、なんとしてでもこれを癒せないのかと奔走した。そこであるおぞましい話を、いかがわしい町医者の男から吹き込まれてしまった。

曰く、赤ん坊の生き肝を食せばお嬢さまの不具や知恵遅れは癒せるというものであった。

我々が聞けば「なにを馬鹿な」と笑うものを、元来真面目で忠義のあつい哀れなきぬはこれを硬く信じて、まだ乳を求める我が子のことも捨て、身ひとつで陸奥を目指した。京の都でことをおこせば噂が立つと案じたのであろう。陸奥の山奥で小さな宿を開いてひたすら赤ん坊を抱えた女がやってくるのを待ち続けた。

そして、ついに腹の大きな女がひとりできぬの宿を訪ねて来た。きぬは女の隙を見て襲い、大きな腹を割いて赤ん坊も取り出し、この腹も割いて念願の生き肝を手に入れた。

事が終わって、きぬはふと女の持ち物に目をやると、どこかで見覚えのある御守りがあるではないか。

あぁ、なんということであろう。自分が都を離れる時にまだ乳飲み子であった我が子に与えた御守りと同じものであったのだ。

きぬは自分の手で我が子とその孫を殺してしまったのだ。

それから、きぬは本物の鬼になった。人を襲ってはその生き肝を喰らう、鬼になったのだ。

陸奥の山奥には今でも鬼がでるという。



坊さまは、古い話だと思って信じていなかったが、「これはもしや」と思い鬼のでる山の麓の村まで訪ねていった。

村人に聞くと、確かに恐ろしい鬼がでるという。よくよく聞けばその鬼は、婆のようで伸びた白髪に枯れ枝のような体をしているものの力は恐ろしく強く、捕まれば生きて帰ることは無理であろうと村人は口を揃えた。

坊さまはこれこそは、あの話に聞いた「きぬ」の成れの果てであろうと気の毒に思った。未だに赤ん坊の生き肝を探しているのか、罪を重ねているのである。



坊さまは鬼となったきぬを慰めるために、魚をさばいていた村人に頼んで小さな生き肝をもらい、これを持って山奥へと歩いていった。

月のない夜のことであった。気味の悪い夜で虫の音も聞こえない夜であった。

坊さまは荒れ果てた宿を見つけると、臆することなく踏み込んでじっとしていた。念仏を唱えて夜が更けるのを待っていると、怪しげな気配が背後からする。

坊さまはゆっくり振り向くと、そこには鬼が立っている。一目見ると、それは婆の姿であったが角と牙が生えていて、やはりただの人ではない。

坊さまはものも言わずに、持っていた魚の小さな生き肝をその面前に投げてやった。

その瞬間、鬼はまるで女のような声で叫んだ。

「あぁ!嬉しや!ようやく生き肝を手に入れたわ!」

鬼は老婆のように腰を曲げて生き肝を拾い上げると、何処へともなく姿を消した。

それから、この陸奥では鬼のでることはなかった。


哀れなきぬは我が子と孫を殺しても飽き足らず、まだ生き肝を求めて人を襲っていたのである。

坊さまはきぬの魂が浮かばれるよう念仏をあげながら、都へ戻った。

都でも、陸奥でも、それから婆の姿をした鬼のでた話は聞かない。

恐ろしいのは、鬼の姿ではなくやはり人をそのようにさせる念の強さである、と坊さまはあとの小坊主たちに話して聞かせたことである。

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三津凛 @mitsurin12

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