鬼人の花嫁

花緑青

序章 唐梅




なれの望みは何だ?』



 今までに世話になった礼だ。どのような願いでも叶えてやろう。

 朱色の長い髪の女は喉を鳴らして笑った。


 女の顔を彩るのは、まるで魔に魂を明け渡して得たような凄絶な美貌。

 髪と同色の密度の濃い睫毛がふちどる金色の瞳。

 新雪のごとく透きとおった白肌。

 絢爛な小袿から覗く華奢でしなやかな肢体。

 息を呑むほどの絶世の美女。


 ──其れは異形の美しさだった。


 それもそのはずだ。

 美女の額からは禍々しい二本の角が生えていた。

 彼女は人間ではない。都では深山みやまの人喰い鬼だと恐れられている存在だった。


『金か?霊薬か?呪法か?好きなものをくれてやろう』


 鬼人の里の首領だという朱髪の鬼女は、人の望むものなどたかが知れているとばかりにせせら嗤いながら尋ねてきた。


 都の富豪をも凌ぐ富も、不死が得られる霊薬も、古今東西の呪法が載っている経本も。そのどれもが、人間達が欲し、鬼人の里から奪おうと躍起になっている物だ。

 静かな鬼人達の暮らしを踏み荒らそうとやって来るそんな強欲な手合いから里を守る内に生まれたのが、人喰い鬼。

 人間達の身勝手な欲の果てに、彼女が成らざるを得なかった姿だった。


 隣にしどけなく座る鬼を見やりながら答える。


『.....どれも必要ないな』


 彼女は願いを叶えるといったが、つらつらと挙げ連ねられた宝物に興味はなかった。

 自分が欲している事はもっと業が深い願いだ。

 おそらく望んでも、鬼人の里の住人達は赦しはしないだろう。むしろ図に乗るなと八つ裂きにされるかもしれない。

 苦笑まじりに首を横に振ると、彼女は柳眉を逆立てた。

 美しいかんばせを不機嫌に染め上げて、こちらに詰め寄ってくる。


『人ごときが我の情けを退けると?』


 何も望まないことが気に食わないらしい。

 さぁ、吐け。なくても捻り出せ、と無茶を言い始めた。


 大人びた仕草や妖艶な雰囲気を持つ癖に、すぐに向きになる子供じみたところがあると知っていた。

 柑子や甘味に目がなくて、暖かい陽溜まりで微睡むことが好きなことも。

 意外と筆まめで、こちらとの文の遣り取りを楽しみにしていることも、気づかない振る舞いをしながら知っていた。

 知るぐらいには同じ刻を過ごしていた。

 このまま隣で変わらず、共にいられたらと浅ましくも願ってしまった。


 何も言わないままでいることも出来た。

 友として、良き隣人として、見守ることも出来たはずだ。

 だが、鮮やかな朱色あけいろが見も知らぬ男の隣に並ぶ未来を見たくなかった。

 だから......あぁ、つくづく俺も身勝手な人間のひとりだ。

 彼女を傷つけた人間達と何一つ変わらない。

 そう理解していても、止められなかった。

 離したくなかった。

 心は決まってしまった。


 こちらがそんな下心を抱えてるとも知らずに、無防備に衣を掴んでくる手を攫いあげる。

『なら......』と、想いは自然と口から滑り落ちていた。



『──俺と、添い遂げてくれないか?』



 そう告げると初めて女の笑みが崩れた。

 見開かれたまるい目が驚いた猫のようで可笑しかった。

 堪えきれずに笑うと、『巫山戯るな』と噛み付かれたが、ふざけてなどいなかった。


 出会って一目で魅入られた。


 愛おしかった。

 朝焼け色の髪も、満月を写し取ったような瞳も、優しくいじらしい性格も。

 守りたいと思った。

 ......里の為に闘い、傷つき傷つけられ、泣くことも出来ず、血に塗れた自分を醜いと嘲笑っている彼女の心を。

 人だとか、鬼だとか、そんな事はどうでも良かった。

 ただ、彼女の傍にいたかった。


 そっと柔らかな頬に触れる。

 いつもは氷のように冷たい肌が、その時は冬の陽射しのようにほんのりと暖かった。

 動揺してしまったことで、ばつが悪そうにこちらを睨めあげてくるが、その金色に迫力はない。

 むしろ吸い込まれそうな程に綺麗だった。

 振り払われないのをいい事に顔を寄せ、


『......無理か?』


 吐息が触れ合うほどの距離で再度、問いかけた。

 我ながら底意地の悪い卑怯な物言いだ。

『どんな願いも叶えてやろう』と云った彼女の矜持に漬け込んだ。

 突き飛ばされるくらいの覚悟はできていた。

 いや、下手をしたら彼女はもう二度とこちらの前に姿を現さないかもしれない。

 これまで築いてきた全てが壊れてしまう可能性が頭の隅によぎる。


『...........』


 瞳を伏せてしまった彼女は、何も言わなかった。

 けれど、逃げもしなかった。摑まえていた手が握り返される。


 先に動いたのは彼女から。

 不意打ちだった。

 二人の距離が消えたのは一瞬。

 唇に触れた冷たい温度が雪のように溶けて消え、甘い彼女の残り香が思考をかき乱す。

 朱色の髪が肩から滑り落ち、ゆっくりと離れていった。


『我を驚かせた仇返しだ。ふふ、汝でもそのような呆けた顔をするのだな』


 艶やかな笑い声がこぼしながら、『我を娶りたいなどと、相変わらず物好きな変人だな。汝は』と彼女が眦をゆるめる。

 そうして初めて見せた花が蕩けるような笑みを俺は死んでも忘れないだろう。




 ──甘い薫りが咲きほころぶ季節に、俺達は夫婦になった。


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鬼人の花嫁 花緑青 @hanarokusho

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