君に伝えようと考えていたら、あと五分になりました。

村瀬香

君に伝えようと考えていたら、あと五分になりました。


――心臓よ、止まれ。


――いや、やっぱり動いて。


「……な、なぁ、ゆず

「んー?」

「は、話が……ある、ん、だけ、ど……」

「うん?」


 二十九歳最後の日。

 五年付き合った同い年の彼女は、俺とソファーに並んで座ってスマホを見たままで、話しかけた俺を見ようとはしない。

 けれど、今はそれが好都合だった。

 多分、顔は真っ赤だろうし、今から言うことに対する返事を考えると期待と不安が混ざって情けない表情になっている気がするからだ。

 時計を見れば、あと五分で今日が終わる。さらば、俺の二十代。


「えっと……」

「……なんで真っ赤なの」

「っ!」


 言葉が思うように出ない。

 痺れを切らしたらしい彼女が俺の方を向いた。怪訝な顔は、今からどんな顔になるんだろうか。

 ええい、もうどうとでもなれ。


「あ、あのさ……俺達、付き合って、もう五年だよな?」

「そうだね」

「柚も、今年でみそ――」

「んん?」

「何でもないです」


 年齢について触れれば、やや神経質になっている柚の浮かべた笑顔が笑顔ではなかった。

 まぁ、仕方ない。何て言ったって三十路だからな。

 ……って、今はそこは重要じゃない。

 傍らのクッションの裏に手を差し入れ、隠していた小箱を掴む。


「お、俺と……」


 男は度胸だ!


「けっ、結婚してくだしゃい!」


 最悪だ。噛んだ。死にそう。

 手のひらに乗せた小箱を柚に向かって突き出しながら言った言葉は、緊張のせいで台無しになった。

 俯いた顔が上げられない。

 柚は無言のままだ。

 どうしよう、と冷や汗が流れ始めたとき、頭に柚の手が乗った。


「なんで今日なの?」

「……三十路っていう壁に激突するからです」

「ふーん。年齢で追い込まれて結婚するんだ?」

「あ、違う違う! ……いや、追い込まれたのも本当だけど……五年も一緒にいて、同棲もして、『柚となら、最期まで一緒にいたい』って思ったから……!」


 年齢なんてただの口実だ。

 柚といる時が一番安心できるし、こんな頼りない俺のこともちゃんと見てくれる。「好き」という気持ちはずっと変わらない。むしろ、好きでは収まらない。

 だから、ちゃんと将来を考えて、周りにも相談してプロポーズすると決めた。

 ……半年前に。

 突然、顔を上げた俺の話を聞いた柚は、呆れ半分、子を見る親の目線半分で言った。


「じゃあさ、もっと段取り良くできなかったの?」

「き、緊張してました……」

「……もー。バカ」

「え」


 予想してなかった答えだったのか、がっくりと項垂れた柚の反応に、また冷や汗が流れる。

 これは、もしかして――


「私じゃないと面倒見られないだろうし、しょうがないから結婚してあげる」

「柚……! 一生、ついていきます……!」

「ちょっと。逆でしょ、それ」


 午前十二時。

 独身最後の五分が終わって、新しい生活が始まった。


「まぁ、婚姻届出してないから、まだ独身だけどね」

「……あああああ!!」


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君に伝えようと考えていたら、あと五分になりました。 村瀬香 @k_m12

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