13 俺は〈白鷲〉なんかじゃ(完)
どうしようかと戦士は迷った。プルーグの言葉に従うのも悔しい気がするが、生憎と情報屋は「先に行け」と「あとにしろ」の両方を言った。彼の言葉を気にしてしまった以上、どちらを選んでもプルーグの思う壺という感じだ。
(気にしながら酒も飲めんな)
(戻るか)
〈霧桜屋〉まで遠い訳でもない。タイオスは息を吐いて、定宿に足を向けた。
情報屋が何を示唆していたか、彼は戸口をくぐってすぐに知ることとなる。
「ああ、タイオス、戻ったか」
宿の親爺が戦士を認めて大きく手を振った。狭い玄関口だ、そんなことをしなくてもよく見えるのに、と彼は苦笑した。
「何だ?」
「お前に、書が届いてる」
「書だって?」
そんなもの、滅多にやってこない。ハルディールからの手紙だろうか、とふと思った。
「半刻も前じゃない、使者殿がきて、置いていった」
「使者殿お?」
タイオスは素っ頓狂な声を出した。
「何だ、それは」
「わしに判るもんか。お前さん、何をしたんだ?」
「何をって……」
すっかり戦士は困惑していた。
「お偉いさんの使者だったぞ。ヴォース・タイオス殿はいらっしゃるか、なあんて訊いてきてな。いない、いつ戻るか判らない、今夜は戻らないかもしれない、と言ったらこれを置いていったんだ」
宿の親爺は一通の封書を指の間に挟んだ。胡乱そうな顔をしながら、タイオスはそれを奪い取るようにする。
「読めるか?」
「馬鹿にすんな」
すらすらとはいかないが、余程難しい言葉でなければ、どうにか読むことができる。彼はまず封書の裏を見て、見覚えのない印章に首をかしげた。
「シリンドルのものじゃ……ないな」
少し拍子抜けする。
「何だ。何なんだ。わしにも教えてくれ」
「まだ読んでないだろうが」
タイオスはもっともなことを言ってから、封筒を破った。白い便箋には、流れるような文字が綴られている。彼は順々に文字を追っていって、次第に口をぽかんと開けていった。
最後の署名を目にし、その目をしばたたいて、もう一度見る。
署名はもちろん、見直しても同じだった。
ナイシェイア・キルヴン。
記憶が蘇る。それは、ハルディールを助けたカル・ディアの伯爵だ。
「何だってんだ、こりゃあ?」
「やっぱり読めないのか」
親爺はしたり顔で言った。タイオスは顔をしかめる。
「そうじゃない、読めたとも。ただ、内容が……」
貴殿を〈白鷲〉と見込んで、頼みがある。
伯爵はそんなことを書いていた。
至急、カル・ディアまでやってきてほしいと。
「俺は〈白鷲〉なんかじゃ」
ない、と飽きるほどに繰り返した台詞。
いい思い出が一気に、嫌な思い出となって蘇った。
「ええい」
タイオスは封書をぐしゃりと握り締めた。親爺が慌てた顔をする。
「何をするんだ、お前さん」
「知らん、俺は何も知らん!」
戦士はぶんぶんと首を振った。
「俺はな、名もなき戦士として引退して、穏やかに」
小国の王子様の次は大国の伯爵だと?
「冗談じゃない!」
叫んだ瞬間、プルーグのにやにや笑いが頭に浮かんだ。
「ちくしょう。あの野郎、何か知ってやがる」
一年前なら、無視をした。
だがその仮定は無意味だ。一年前なら、彼はキルヴン伯爵と面識がない。
そして、彼は諦めが悪くなっている。
英雄のような活躍で名を残したいと思うのでこそないが、何と言うか、もう少し――。
彼が形にならない曖昧な考えに思いを馳せた、そのときであった。
「タイオス」
呼びかけが聞こえた。
宿屋の親爺では、ない。
声は正面からではなく、彼のすぐ近く、腰の辺りから、聞こえた。
「何をしている。急げ」
「お、お前っ」
戦士は、泡を食った。
そこで彼の腰帯をつんつんと引っ張ったのは、黒髪の――子供。
「何だ?」
宿屋の親爺は驚いた顔をした。
「さっきからいたのか。気づかなかったが」
「あー……うー」
彼は妙なうなり声を上げるしかなかった。
「ははあ、さては隠し子か、タイオス」
「そんなはずがあるかっ」
彼は親爺に抗議をした。そのときには、子供はするりと扉の向こうに消えてしまっていた。
「ん? いま、扉が開かなかったような……」
親爺は目をごしごしとこすった。戦士はうなる。
カル・ディア。キルヴン伯爵のいる街。
それは、ヨアティアを追ったルー=フィンの行き先でもある。
「くそう!」
タイオスは叫んだ。
「判った、判ったよ!〈白鷲〉でも〈黒兎〉でも、何でもきやがれ!」
くしゃくしゃにした手紙を隠しに突っ込むと、親爺の好奇心を満足させてやることも忘れ、戦士タイオスは〈痩せ猫〉を探しにコミンの町へと飛び出した。
「シリンディンの白鷲」
-了-
シリンディンの白鷲 一枝 唯 @y_ichieda
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