12 幻ではなかった

 貴様、とタイオスはうなった。

 何だよ、と情報屋はへらへら笑った。

「よくもまあ、俺の前に平然と顔が出せるもんだな!? 人を売り飛ばしておきながら!」

「あいた、痛い痛い、旦那、暴力はなし、なし!」

 〈痩せ猫〉の異名を取る情報屋プルーグは戦士に胸ぐらを掴まれて悲鳴を上げた。

「そんなに怖い顔をするなよ、判ってるだろ、情報を売るのは俺の仕事なんだから」

「ああ、そうだろうとも。おかげでそれはそれは、いい目を見られたさ」

「だろう?」

「皮肉に決まってるだろうがっ」

「怒るなってば、俺はちゃんと旦那の無事を祈ったんだぜ。得意客が減っちゃ困る」

 それはタイオスがコミンに戻ってきてから、もう半年以上経った頃のことだった。

 戦士は相変わらずの業務をこなし、護衛をしては賊や魔物を追いかけた。コミンに帰っては知った顔と酒を飲み、ティエを抱いた。

 シリンドルからハルディールの即位式への招待状がやってきていたが、迷った末に無視することにした。もう、あの国に彼は必要ない。

 少年王子――いや、少年王は落胆しただろうか。それとも、同じように考えただろうか。

 〈白鷲〉なんて、シリンドルにはいない方がいいのだ。それは英雄であると同時に、波瀾のしるしなのだから。

 もっとも、彼は自分が神に選ばれたなどとは、やっぱり胡乱に思うところがある。のこのこと出向けば、実はあのあと本物の〈白鷲〉が現れましたなんて話になるんじゃないかとも想像した。

 それならそれで歓迎できる話のはずなのだが、苦笑いを浮かべるためにシリンドルくんだりまで行かなくてもいいだろう、などと考えた。

 本音を言えば、伝説の存在というのも格好いいな、なんてことを思ったのである。

 実際にそう言われていたときは気恥ずかしい思いも強かったが、〈昔はいつでも「よいもの」だ〉と言うように、過ぎたことはよい思い出だ。

 そう思っていた。

「だいたいよう、あの銀髪の兄ちゃんを旦那に会わせてやったのは誰の功績だと思ってるんだ?」

「あー……あれな」

 少し前のことだ。

 思い出だと思っていたシリンドルの民――ルー=フィンがコミンにタイオスを訪れてきたとき、これは夢か幻かと思った。

 何でこんなところにいるんだと問い、ヨアティアを探すためにシリンドルを離れているのだと聞いて、どこか不思議な感慨を抱いた。

 自分には、終わったことだった。

 だがシリンドルでは、まだ現実としてあの出来事が継続している。

 当たり前のことなのだが、彼はどこかで、シリンドルが虚構の世界であるような感覚を持っていたのだ。

 現実だと判っている。ハルディールからの書状も、幻ではなかった。

 それでも、無限砂漠コズ・ディバルンに現れては消えるという伝説の都エルテミナのように、入ることも出ることも千年に一度しかできないのではないかと思うような。

 しかしルー=フィンの訪問が、タイオスの幻惑を吹き飛ばした。シリンドルは間違いなく、今日もカル・ディアルとアル・フェイルの南端に存在するのである。

 ルー=フィンは、以前のカル・ディア行の際、ヨアティアが各所の換金屋に金を預けていたことを知り、そこから彼を追ってこれから首都へ向かうところだと話した。タイオスは手を貸そうかと言ったが、丁重に断られた。

 ヨアティアを仕留めたら帰るのかと問えば、ルー=フィンは少しだけ困った顔をした。

(――まあ、いいんじゃないか)

 一種無責任に、タイオスはルー=フィンに言った。

「気持ちの整理がつくまで、少しふらつくのも悪くない。だが、言ったように、シリンドルにはお前が必要だぞ」

 それから、こうも言った。

「もし、どうにも踏ん切りがつかないようなら、また俺を訪ねてこい。蹴り飛ばしてやるから」

 戦士の言葉に若者は目をしばたたき、少し黙ってから、判ったと答えた。

 そうしてルー=フィンは去り、手を借りにきたのでなければ何をしにやってきたものかとタイオスは訝ったが、何となく判ったようにも思った。

 ルー=フィンの方でもまた、タイオスを虚構の人間のように感じていたのかもしれないな、と若い剣士――騎士を見送りながら戦士は考えた。

「だがあんときゃお前は、ルー=フィンから金を取ったんだろうが」

 記憶を振り払うとタイオスは、親切ヅラをするんじゃない、と厳しい目つきでプルーグを睨んだ。

「金をもらうのは当たり前さ。仕事なんだから」

 情報屋は悪びれなかった。

「ありゃ、あれだよな、旦那」

 〈痩せ猫〉はずるそうに舌なめずりをした。

「俺ぁ覚えてるぜ。まるで、どこぞのお偉いさんに仕える剣士みたいな雰囲気の兄ちゃんだったな。そうさ、よく覚えてる」

「……何をだ」

 訊きたくなかったが、訊かざるを得なかった。

「半年以上は前になるか。〈紅鈴館〉で、殺しがあったっけっかなあ」

「この野郎」

 タイオスは毒づいた。

「あれは、お前が」

 プルーグはあのとき、ヨアティアやルー=フィンと接触を持っていたのだ。だからシリンドル国のことを知っていて、タイオスに洩らした。同じ口で、タイオスの情報を彼らに洩らしてもいた。

「そうさ、判ってるとも。俺の口先が招いたことでもある。だから町憲兵隊に告げ口なんかしない。安心しな、旦那」

 にやにやと情報屋は笑った。

「ただ、知りたいのさ。旦那を殺そうとしてた男が、どういう用件だったんだ? いったい、どういう関係に。もしやクジナの」

 タイオスはぴしゃりとプルーグの頬をはたいた。

「殴るぞ」

「そういうことは、殴る前に言うもんだ、旦那……」

 情けない顔と声で、情報屋は頬を押さえた。

「用件も関係も、お前に話してやる必要はないし、義理も何にもない」

 タイオスはプルーグを解放してそう言った。

「そうかねえ、旦那」

 情報屋は容易に掴まれないよう距離を取ってから続けた。

「約束がまだ済んでないよ」

「約束だと?」

「旦那は、必ず、俺に金を払うって」

「阿呆! そんなもんは帳消しに決まってるだろうが!」

「ちぇ」

 プルーグは舌打ちした。

「まあ、下手すりゃ旦那は死ぬとこだったんだもんな。判ったよ、貸しだ」

「貸しのはずもあるか。ふざけるのもいい加減にしろ」

「駄目か」

 にやにやとプルーグは笑った。

「でもまあ、ようやく挨拶できてよかったよ。俺ぁタイオス旦那のことが好きだもの。どうにか声をかける機会を狙ってたんだ。いやほんと、今日もあんたが無事で俺は嬉しいね」

「何も出ないぞ」

「おべっかで金をもらおうなんて思わないさ。俺は情報屋なんだから」

 言いながら情報屋は片手を差し出した。

「旦那が興味を持ちそうな話があるんだが、買わないか?」

「ふざけてるのか?」

「本当のことだよ。いまなら特別に安くしとく。少しすると、跳ね上がるかもな」

「ふざけてるんだな」

 タイオスはぎろりと睨んだ。プルーグは首をすくめる。

「そう思うなら、それでもいいさ。でも、あとになって詫びを入れてきても値は引かないよ」

「歌ってろ、馬鹿野郎」

 彼は相手にしなかった。

「いいよいいよ、どうせ旦那はあとで『ごめんなさいプルーグさん、お願いですから情報を売ってください、金に糸目はつけません』と言ってくるに決まってるんだから」

「しつこいな」

「本当だからだよ」

 〈痩せ猫〉は、差し出していた片手をぱっと上げてひらひらと振った。

「今日はこれから飯かい? それとも女?」

「お前には関係ないだろう」

「まあね。でも助言をしておく。これはだよ」

 情報屋はタイオスを向いたままで一歩退いた。まるで逃げる準備だ。

「酒場でも娼館でも、行く前に一旦、定宿に戻るんだね。いや、それとも逆かな。宿に戻る前に、休んでおいた方がいいかも」

「……何だって? お前、何を言って」

「じゃあな、旦那。俺に話を聞きたけりゃ〈角牛オディサー〉まで足を運びな。今夜はそこにいるから」

 それを最後に、プルーグはくるりと踵を返し、走り去った。タイオスは顔をしかめてそれを見送った。

「何なんだ。訳の判らんことを」

 思わずタイオスの口から呟きが洩れた。

(何だか知らんが、大したことじゃないに決まってる)

 彼は決めつけた。情報屋なんて、口先商売。気を持たせることを言って、財布の紐を緩めさせる目的に違いないのだ。若い頃は、よく騙された。プルーグにではなかったが、あれもこれも同類だ。

(しかし、宿へ戻れとは)

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