11 騎士になれ

 神の国。

 ルー=フィンは、朝まだきの国境近くで彼の国を振り返った。

 シリンドルを守るために為すべきこと。

 ずっと考えていた。あの日の――〈白鷲〉の言葉を。

『若い奴が……馬鹿なことを』

「お前みたいな若い奴が、死のうだなんて、馬鹿なことを考えるのはよせ。いや、年食ってりゃいいってもんでもないがな」

 血塗れの彼を抱え起こして、戦士はそんなことを言った。

「私は……」

 彼の声はかすれた。タイオスは、何も言うなと首を振った。

「俺は、知っての通り、余所者な訳だ」

 タイオスは呟いた。ルー=フィンは彼を見た。

「だから、無責任なことを言う訳よ」

 そう言ってうなずくと、戦士は若者の肩を乱暴に掴み、まるで体術の技でもかける風情だった。

 だがもちろんと言うのか、いまさらタイオスがルー=フィンをどうこうしようと考えるはずもなかった。

「シリンディンの騎士は、少ないな。だが王子には……新王には、必要な存在だ。判るか」

 ルー=フィンは答えなかった。だが戦士が何を示唆しているかには、気づいていた。

「お前が、騎士になれ」

 曖昧にすることなく、タイオスは言った。

「無理だ」

 彼は即答したが、男は首を振った。

「なれる。立場の違ったお前たちは全く逆の存在だったようだが……俺には、鏡に映したように見えてた。左右こそ違えど、やることなすこと、同じ」

 たとえ命に換えても。

 愛する祖国のために。

 神を信じて、剣を振るう。それは、余所者のタイオスには狂信とさえ見えた、純粋な心で。

 彼らの信仰心は時に、危うい。少なくともタイオスはそう感じていた。神を信じるあまり、自分の信じるものが判らなくなるという矛盾に行き当たることもある。

 だが戦士は、そのときそんなことは言わなかった。

「お前にもできることがある。いや、お前にだからこそできることが。いいか、物事は多面的に見る必要がある。いまの騎士団どもじゃ、どうにも一面的だ。信仰心、忠誠心、けっこうだが、狭窄になるとまずい事態を招くこともある。おい、聞いてるか」

 ルー=フィンは黙っていたが、かすかにうなずいた。

「実際のところがどうだったのか、俺は知らん。知る気もない。だが、お前は知ってるはずだな。ラウディール王の施政を認める奴と認めない奴がいた。何故ヨアフォードが反乱を起こしたか、お前はよく知ってるはずだ。一方でアンエスカたちは、ラウディールの政策の事情を知ってる。判るか、間を埋める存在が必要なんだ」

 タイオスは続けた。

「お前は騎士になれよ。いま抱いてる苦い気持ちを活かすんだ。生き恥をさらすことになるなんて考えるな。いいや、いっそ、生き恥をさらす覚悟をしろ。シリンドルのために。いいか、この国には」

 彼はルー=フィンの肩に手を置いた。

「お前が必要だ」

 それは、若い命を無駄に散らせたくないという、戦士の感傷が引き起こした台詞だったかもしれない。

 だがそれは、ルー=フィンの心を動かした。

 涙さえ、その緑色の瞳に浮かびそうになった。

 シリンドルのために、生きろと。

 返事はしなかった。騎士になろうと、すぐさま決断はできなかった。

 だが彼はその後、ヨアフォードに仕えた神官や僧兵たちの不安や不満を聞き、取りなすことからはじめた。誰ひとりとして反意を見せなかったのは、ルー=フィンの功績もあった。

 ミキーナの死は、無論、強い衝撃だった。

 だがヨアティアを憎むよりも、彼は自分を責めた。

 あのとき〈峠〉の神殿から戻り、愚かにも自死などを考えた彼のことを知っても、ミキーナは叱りも咎めもせず、ただ一緒に、静かにヨアフォードの死を悲しんだ。そのあとで彼に休むよう言い、ヨアティアの様子を見に行くと言った彼女を何故、とめなかったのか。

 何故、守ってやれなかったのかと。

 あんなところで自らを傷つけなどせず、彼女をとめるか、それともついていったなら、ヨアティアの凶行も逃亡も防ぐことができた。あれらは自分の失態だと、若者はそう感じていた。

 強く在れたなら。もっと。もう誰も、哀しい思いをせずに済むように。

 そう願いながら彼はシリンドルに残り、ミキーナを弔って、剣の指導と自らの訓練に励んだ。

 悔やむことは、もうひとつ。ミキーナに、ヨアフォードが彼女の本当の父親であったかもしれないことを伝えられなかった。彼の死の報告とそれが同時では、あまりにもミキーナがつらかろうと考えたのだ。あとで、落ち着いてから、話をしようと。

 だがその日はこなかった。尊敬していた男が父親であったと思えば、彼女は哀しみのなかに誇らしさという慰めを見出したかもしれなかったのに、伝えてやれなかった。

 しかし、それは考えても詮無きことだ。

 アンエスカの評した通り、冷静な若者は、いつまでも悔恨を抱えていても益はないこと、よく理解していた。

 後悔は容易には消せなかったものの、日々は少しずつ、本当に少しずつ、痛みを癒した。

 やがて許可を得て試験を受けたが、迷いはまだあった。

 騎士を拝命すれば、自分はタイオスの言った「一面的」な見方をするようになるのではないかと思った。それを避けようとした。

 シリンドルのために。

 どこかでは、もしかしたら、父とも思った男のために。

 ヨアフォードが彼を利用しただけであっても、彼は神殿長を尊敬していた。その気持ちを切り捨てることはできなかった。

 だからこそ、ヨアティアの手紙に憤りを覚えた。

 生き恥をさらしているのは、ヨアティア・シリンドレンだ。地に落ちた父の名誉を更に踏みにじっていると、そう感じた。

「ミキーナ」

 あの日からの出来事を思い返しながら、ルー=フィンは死んだ娘の名を呟いた。

 シリンドルを離れることは、彼女を置いていくことのようでもあり、つらく感じた。だが、彼女はもういないのだ。そして、ヨアティアは生きている。

 復讐、とは思わぬようにした。かつて彼が望んだ両親の復讐は、何も生まなかったから。

 それは、自身への言い訳にすぎなかったかもしれない。ハルディールを殺せば母も浮かばれると考えたように、ヨアティアを殺せばミキーナもと、そうした考えが全く存在しないとは、言えなかった。

 シリンドルのために。

 どこかではやはり、ミキーナの弔いに。

 彼は、出立を決意したのだ。

 風が吹いて、伸び気味の銀髪を乱した。ルー=フィンは無意識の内にそれをかき上げ、神のおわす峠を見上げた。

(私は〈シリンディンの騎士〉ではない)

(〈白鷲〉のような伝説の存在でもない)

(だが)

 騎士に、なれと。

(私は)

(――シリンドルの騎士だ)

 彼は峠に背を向けた。

 白ぶちのある灰毛のケルク〈銀白〉号の首を叩いて、ルー=フィン・シリンドラスはそれにまたがった。

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